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賢者の塔2~やらかしちゃいました?~

お久しぶりです。前話から読み直すことをお勧めします。

誤字・脱字ありましたら報告いただけると助かります。また辻褄が合わなかったり、おかしなところも報告いただければ訂正させていただきます。

感想、コメント気軽に送ってください。評価も待ってます。

「改めて自己紹介をしようか。僕はルイス・キャメロン、ヨロシクね」

 えくぼができる笑顔は、幼い印象を相手に与える。初対面の人間はこの笑顔に騙され、油断したところで薬を盛られるとは、騙されたうちの一人であるカーティスの言だ。

「ハル・シノミヤです。ハルって呼んで下さい」

 ルイスにペコリと頭をさげると、横からカーティスが口を挟んできた。

「ハルは王都から客将できてるキース教官の付き人なんだよ。“実戦”じゃないルイスとは、顔をあわせる機会が少ないかもな」

「ああ、あの人の。けっこうな鬼教官だって噂は賢者の塔にもとどいてるよ。そっか、ハルが付き人やってるんだ。それじゃあ確かに僕達“解析”とは接点がないかもね」

 接点がないといっているわりに、キースの鬼教官振りはすでに噂になっているようだ。キースの鬼っぷりを間近で感じている春陽は妙に納得してしまう――やっぱり鬼なんだ、と。

「うわさぁ!? こんなとこにも届いてんのか?」

「城の軍部を一日で掌握しきったとか、騎士連中はもちろんのこと、一般兵にまで逃げ出したくなるほどの猛特訓を問答無用でこなさせてるとか。なかには尾ひれがつきすぎて怪しいものもあるけどね。噂を聞いただけでも気難しそうな人なのに、よくハルは付き人なんかやってられるよね」

 ルイスの部屋をでて、ゆっくりと歩きながら三人は話す。

 もともと賢者の塔を案内するなら塔の人間の方が適切だろうと、カーティスはルイスのもとを訪れたらしい。部屋であった剣呑とした雰囲気は一掃され、和やかに会話をしている。

「ん~、それはほら、やるしかないっていうか。キースが短気で毒舌でおっかな~い性格してるのは、初対面のときからわかってたからね。どうしようもないなら、受け入れるしかないじゃん? 習うより慣れろってね」

「ちっこいのに妙に達観してんな~」

「ちっこいは余計だよ。むしろ関係ないじゃん」

「ハルは魔法師にむいてるかもね。物事をありのままに受け止めるっていう考え方は、世界の矛盾もことわりも受け止めたうえで法則を変えることに類似してるから」

「小難しいこといっってんじゃねーよ。これだから“解析”は頭でっかちなんて呼ばれるんだぞ?」

「理論は大事だよ。わけも分からずに魔法を使うより、ずっと効率がよくなる。“実戦”の下っ端連中なんかがそうだろう? あれは駄目だね。魔法陣が美しくない」

春陽とルイスの会話にカーティスも加わり、いつの間にか魔法師談義になっている。

「さっきから実戦とか解析っていってるけど、なんのこと?」

 言った瞬間にルイスとカーティスから強い視線を受けた。まるで信じられないものを見たかのような目だ。

 あれ、これって常識? なんて春陽がまたしても自身のうっかりを自覚したときには、二人から猛攻を受けるはめになってしまった。

「まじで教官の付き人やれてんのか!? 教官だって“実戦”だろ!」

「そうだよ、軍部に関わる人間として常識だよ!」

 あからさまに“なんで知らないんだ、お前!?”的な切り返しをされ、やっぱり自爆だったのかと気分は急降下だ。

 自身の迂闊さを改めて思い知ることになったが、常識もなにも、この世界のことを知ったのがたった十日なのだ。これでこの世界のことならなんでも聞いてくれ! と言えるはずがない。皆が知っていて当然のことを知らないのは、確かに異質にみえる。しかしセフィロスにとって実際に異質な存在である春陽が、その無知を周囲にばれないようにするには、一言も話さずにいるしかなくなってしまうだろう。それはイストニアで日本に戻るために頑張ると決めた春陽にとって、最も忌避すべき行動だ。 

「キースの付き人になったのは極最近だよ? それまで軍に関わることなんかなかったし、知らないよ」

 できないことで悩んでいるくらいなら、開き直ってしまったほうが幾らかましである。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。ここで聞かないことで、後々さらに厄介な状況になってはかなわない。

 春陽としては、考えうる最もソレらしい返答をしたのだが、それでも納得がいかないらしくルイスはうなっている。

 そんなルイスをわき目に、カーティスが春陽に教えてくれた。小さい子供にでも説明するかのような話し方は気に入らなかったが。

「魔法師には二種類いるんだよ。ひとつは実戦魔法師っていって、実際に戦闘に使用する魔法を扱うんだ。もちろん事件かなにかが起きれば、現場まで出て行って戦闘もする。もう一つは解析魔法師つって、ルイスもそうだが、基本的には戦いには参加しない。解析の連中はおもに魔法について研究してんだ。内容は人それぞれだったと思うが、ルイス?」

 カーティスは仕事上よく荒くれ者をよく相手にするため、自分達の手に負えない相手のときは実戦魔法師にもよく協力を依頼する。そのため実戦魔法師についてはある程度の知識をもっていた。

 だが賢者の塔内部に引きこもっている“解析”は同じようにいかない。まず“解析”は研究中毒者の変人がほとんどを占めている。“解析”ではまともな部類に入るルイスだって立派な変人の一人なのだ、迂闊に賢者の塔に近寄り、“解析”の餌食になれば一生ものの心の傷ができることは必至。よって“解析”の仕事内容を正確に把握している人物となれば、塔に入っても被害を受けない一部の人間だけになっているのだ。

「まったく、カーティスも充分勉強不足だよ。僕という“解析”の友人がいるのに」

 呆れて溜息をつくルイスだったが、特に怒ったりはしていない。呆れ果ててはいるようだが。

「ま、カーティスのことは置いておくとして、“解析”のことだよね?」

 ルイスが言うには、“解析”とはより効率よく魔法を使う方法や、魔術師の残した陣の分析、魔法薬の研究をしているとのことだ。

「いわゆる研究職なんだよね」

 ちなみに解析はなぜ実戦にならなかったのかと聞けば「“実戦”になれる程の運動神経と実射速度がないんだ」とのこと。

 不足の事態がいつ起こるとも知れない“実戦”では、なににおいても“早さ”が重要になる。それに対応できる者だけが“実戦”になれるとのことだ。それと同様に、魔方陣を読み取ったうえでの改良や解呪、さらには魔法薬といった魔法効果に付随する全般に対して一定以上の知識をもたなければ“解析”にはなれない。そして“実戦”と“解析”の二つとも資格を有する者であれば、本人の希望が許される。

 そもそも魔法師本人に選択権がある場合は極めて稀有な才能の持ち主であることが多く、地方で一魔法師として埋もれるよりも王都で華々しく活躍しているのだ。大抵の魔法師には選択権などないのだから、けっして偏った人選になどなるわけがない――ない、はずなのだが、魔法の才とは先天的に決まっているものなのか。“解析”に入る魔法師はピンキリではあるものの、なぜか研究第一の変人ばかりが集まってしまう。

 誰もが疑問に思っていることだが、当の魔法師達が微塵も気にしていないようなので聞くに聞けないでいるのが現状だったりする。

 そんな事情を露ほども知らない春陽は、得意げに説明するルイスの話を暢気に聞いている。

(……警戒心とかないのか、こいつのなかの辞書には)

 得体の知れない薬を盛られかけたにも関わらず、もうすっかりルイスと打ち解けている春陽。カーティスは呆れ半分で、仲睦まじく会話を楽しむ二人を見ていた。



     ***************



「念のためだけど、耳を塞いでおいてね?」


 春陽が意味を問う間もなかった。

 賢者の塔内部の案内役であるルイスは、意気揚々と眼前の扉を開く。


 それは一瞬のことだった。


 ルイスがその扉を開いた瞬間だ。お腹のあたりにズシンと響く重低音の爆音が、空気を震わせながら春陽の耳を強く打つ。

 あまりにも唐突に耳を襲った爆音に春陽は頭をくらませる。たたらを踏みながらも、なんとかその場にとどまることに成功した。

 なにごとかと扉の先に目をやれば、赤く燃えさかる炎が白煙を立ち昇らせている。

「……な、なんなの」

 頭を抑えながら呻くように声を出せば、平然とした顔のルイスが春陽の顔を覗き込んだ。

「あ~……。もしかして、間に合わなかった?」

 ――なにが――とは聞くまい。ルイスを見れば聞かずとも知れるというものだ。

 ルイスは両手でしっかりと耳を塞いでいる。その横ではカーティスもちゃっかりと耳を塞いでいるではないか。

 どうやらこの爆音の被害者は春陽だけらしい。

 扉を開ける前にもっとちゃんと説明して欲しかったとか、耳を塞いだか確認して欲しかっただとか、言いたいことはあった。あったのだが、未だ爆音の衝撃が去りやらぬ春陽は、ルイスを恨めしげにみることしかできなかった――春陽なりに精一杯の恨みをこめて。

 

 防音、耐震、耐熱といった、あらゆる衝撃に特化しているという扉は、見事にその役目を果たした。

 春陽たちがいる巨大な建物は、魔法師や魔術師の訓練場として使われている。そのために建物内部の壁や窓、扉といったものにはすべからく魔法で強化が施されているのだ。

 そのため外にいた春陽たちには訓練場の音は聞こえなかった。馴れた者なら耳を塞ぐか、それこそ気にするまでもなく流してしまう。それも爆音が響き渡るという状況が滅多に起きないからだ。

「いや~、ツイてなかったね」

 その滅多に起きない状況に出くわしてしまったのだ。

 頭が揺れる感覚に呻く春陽に、ルイスはツイてないの一言ですませた。ルイスとカーティスは訓練場を知っているだけあって、念のためにと言ったのだ。

 訓練場にいた他の魔法師も慣れたもので、協力して炎上した壁の一部の消化に加わっていた。既に消化されはしたが、さすがに魔法強化した壁でも無事ではすまなかった。黒く焼け焦げた痕がしっかりと残っている。

「ありゃ壁の修繕と強化の掛けなおしだな。マシュー坊ちゃんからお小言もらうはめになるぞ」

 カーティスは春陽の様子など気にもかけず、壁へと感心を移している。

「あれ実戦じゃん、僕には関係ないよ。マリアンヌ様ならまだしも、マシュー様ならお叱りは実戦だけだし。まさか監督不行き届きで連帯責任なんてことにはならないだろうから、あっても実戦の部隊長まででだね」

 ほら、僕には関係ないでしょ? とルイスは言い切った。カーティスもそれには同意見のようで、確かになと、うなずいている。春陽そっちのけで話し始めたルイスとカーティス。

 話しかけられることもなく、これ幸いとフラつきが収まるのをじっと待つ。二人が話し込んでいる間、徐々に余裕ができた春陽は、既に各々で魔法を放っている魔法師たちに目をむけた。

 各所で起きている自然現象とは程遠い魔法に目を奪われる。

 言葉を紡ぐと同時に魔法陣が展開され、炎の塊をだしたり地面を変形させて棘のようなものをつくりだしている。

 そこでフと春陽は疑問が浮かぶ。

 魔法とは大気中に存在するエーテルを自身に取り込み、魔力に変えることで事象変化を起こすとアシュレイは言っていた。魔法師でなくとも、魔術師であれば陣を使うことでエーテルに方向性をあたえ、魔法と同じ効果を生み出すことができる。それが魔法師と魔術師の違いだと。

 ――だとすれば、春陽の目の前にいる人たちは一体どちらなのか――

 ユマラのように陣が書かれた道具は持っていない。だが魔法を使ったとすれば浮かんだ陣はなんだったのだろうか。

 頭をひねったのは一瞬だった。

(ま、いっか。あとでキースあたりにでも聞けば)

 分からないことで悩んでも仕方がない。カーティスかルイスにでも聞けば、この場で解決する問題かもしれない。だが流石にこれ以上うっかりしたことを口にすれば、怪しいことこの上ない。

 ここまでに何度か口を滑らせてしまっていた春陽は自重した。キースに聞くとなると、もれなく猛毒も吐かれるだろうが背に腹は変えられない。どちらが背かは非常に僅差だったが。

「……あれ?」

「どうした?」

 春陽の声にすかさず反応したのはカーティスだ。

 やはり子守の意識が強いからだろうか、それとも春陽の後ろに鬼教官の姿でも映しているのだろうか。

 カーティスにつられてルイスも春陽へと顔を向けた。

「あの人は? なにしてるの」

 春陽は訓練場の端を指差す。

 そこには一人の魔法師がいた。一人だけ離れたところにいるため、その存在は浮いてしまっていた。

 ブツブツとなにかを言っているようだが、春陽たちとは距離があるために何を言っているかまではわからない。しかし何度も言っては魔法陣が浮かび上がるも、魔法が発現するまえに霧散してしまっている。 その度にズドーンと、重石をのせたがごとく空気が重くなっている。 

「あれ、あいつの顔は見覚えが……。たしかお前んとこの新人じゃないか?」

「……」 

 カーティスがルイスに確認するも、無言で魔法師を見ている。

「アレって失敗してるんだよね? なんか、可哀想」

(あ、また失敗した)

 カーティスはルイスからの返事は諦め、溜息まじりで頭をかいている。三人が三人とも魔法師をみているさなかに、またしても失敗した。

 纏う空気はそれ以上ないくらい重く、それでは成功するものも失敗してしまうだろう。

 春陽がもう何度目かもわからない失敗を目にしたときだった。

「……クソ」

 隣から聞こえた低い声が聞こえた。

 カーティスにも聞こえたようで、声の主を驚いたように見ている。

「……ヘタクソ」

 他人ひとを魔法薬の実験台にしても平然とし、いつもユル~く笑っていたのに。それがいつの間にだろう、若干目が据わり気味に魔法師を睨むルイスがそこにいた。



     ***************



「下手糞っっ!!」

 容赦のない怒号が若い魔法師に向けて飛ぶ。

「なんかい言えばわかるんだい!? エーテルの練りこみが足りない! そんなんじゃいつまで経っても成功なんかしないよ!!」

  

 魔法師を睨みつけていたルイスの限界は非常に早かった。

 我慢できないとばかりに魔法師に近づいていくと、そのわき腹にとび蹴りを喰らわせたのだ。

 ――ふざけてんじゃねぇぇー!!――という怒鳴り声とともに。


 それからの魔法師はよりいっそう哀れみを誘った。

 ルイスによる魔法の特訓が始まったが、一度も成功しないのだ。それがさらにルイスの勘にさわり、檄が飛ぶのだ。若い魔法師の目には薄っすらと涙まで浮かんでいる。

 春陽とカーティスに至っては触らぬ神に祟りなし、傍観を決め込んでいた。

「まるで人が変わったみたいだねぇ」

「言ったろ? 解析には変人が集まってんだよ、もはや変人の巣窟といっても過言じゃないくらいにはな」  

「なんでだろうね?」

「魔法にこだわりがある連中ばっかだしな。それぞれがズレた矜持でもあるんじゃないか?」

「う~ん、いまのルイスを見ると否定できないくらいの説得力はあるね」

 怒鳴り散される魔法師を尻目に暢気な会話を続ける。可哀想とは思っても、巻き添えは勘弁願いたいのだ。

「でもさ、そんなに難しいもんなの? ルイスが教えてるのに一回も成功してないじゃん」

「召喚契約って言ってたからな、難しいとは思う」

 カーティスも魔法が専門ではない。詳しいことは分からないようで、言葉尻を濁す。

「……難しいとは思うんだが、ルイスが教えてアレじゃあな。才能の問題じゃねーか?」

「それ、おかしくない? ルイスは解析だから、実戦に魔法の発動は教えられないじゃん」

 あいつは特殊なんだよと、カーティスは言った。

 賢者の塔には実戦と解析の魔法師や術師がいる。その二つにはそれぞれ部隊長という責任者がおり、基本的にはそれぞれの隊長から実戦と解析に指示が出されている。だがその隊長の上に、賢者の塔に所属する全魔法師たちを統べる連隊長がいるのだ。

 ルイスは現連隊長の孫に当たる。実戦でもやっていけるくらいの実力はあったが、本人の希望により解析に入ったのだ。

「本人は七光りだって、笑って公言してるけどな」

 ルイスがデキる人間ひとだってことにも春陽は驚いたが、それ以上にも。

「じゃあルイスが教えてもダメダメな彼って……」

「言うな、不憫だ」

 魔法師としてやっていけそうもない、むしろなぜ賢者の塔に入れたのかが疑問だ。

「簡単そうなんだけどなぁ」

 何度も何度も失敗している魔法師を近くで見ていたことで、春陽の頭にはすっかりその呪文が刻まれてしまった。呪文に集中しなくても言えるくらいには。

「我は望む」

 小首を傾げた春陽は、おもむろにその呪文を呟いた。

「我の声 我の願い聞きしもの」

 その行為は春陽にとって意味はない。

「我が求めにこたえよ」

 ただ頭に染み付いた言葉を口に出してみただけだ。

「おいっ!?」

 カーティスが気付いて声をかけるも、あと一言だけの春陽を止めるには至らない。

召喚契約之儀コントラクト

 春陽が呪文を言い終えると同時に、その足元に赤く輝く魔法陣が浮かび上がった。

 瞬時に浮き上がった魔法陣は膨大な魔力を纏い、風を巻き起こて渦巻く。 

 魔法陣から目を焼く眩い閃光が訓練場を埋め尽くした。

「ハルっ!!」

 白い閃光を瞼に感じながら、春陽の体は深く沈みこむ。

 遠ざかる意識の端で焦ったように春陽を呼ぶ声が聞こえた。

 力が抜け切り、自由にならない体は、重力にしたがって地面に吸い込まれた。



     ***************



「お父様」

 恐い怖いとは思っていたが、いまほど自分の娘から迫力を、いや圧力を感じたことはなかった。

 ラザルードに似て、悪くもないが特に美人というわけでもない。十人並み、平凡、悪くいえば地味顔なのだ。だがその性格たるや成長するにつれての細君とまるで瓜二つだ。

 常々尻に敷かれている愛しの妻を彷彿とさせる娘の姿に、思わず先行きが不安になる。

 いい年頃を迎えたというのに、浮いた話の一つも聞かない。母親と同じく、その御眼鏡にかなうだけの相手がいないのだろう。

 一目で恋におちたラザルードが妻をなんとか口説き落とさなければ、その器量で方々に名をはせた彼の細君とて嫁遅いきおくれ寸前だったのだ。妻に似ればよかったものを、父親そっくりの平凡な容姿だけに、ラザルードは娘の先行きが不安でならなかった。

「お・と・う・さ・ま?」

 ふっくらとした顔つきのおかげか、笑顔だけなら癒し系ともいえる微笑だ――いつもの笑顔であれば。

 それがいまは台無しだ。癒しとは正反対であろう青筋を、それはもう幾筋も額に浮かばせているのだから当然といえば当然なのだが。

「なにを、お考えになっているのかしら」

 スッと細められた目に、ラザルードは悪寒を感じずにはいられなかった。

「ずいぶんと余裕ですのね。私が領地の視察から、わざわざ戻ってまで話しているのに、上の空で聞き流すだなんて」

 (いや、よく見るんだ我が愛娘よ! この流れ出る冷や汗が目に入らないのかい!?)

 “わざわざ”を妙に強調している。それでラザルードに圧力がかかることも計算したうえだろう。

 ラザルードの内心など露知らず――知っていても見ぬ振りなのか――彼の愛娘マリアンヌはよりいっそう声を低めた。

「それとも私の話など、聞くに値しないとでも仰りたいのかしら。そんな筈はありませんよね? ここ数日ろくに仕事もしなかった理由をお聞きしているんですもの。領地の運営に携わっている者の一人として、聞く権利くらいもっていると思うんです。お父様がお仕事を放棄なされたしわ寄せが、マシューを通りこして私にまで及んだことを責めてるわけではありません。ええ、責めてなどいませんとも。ただ私とて毎日遊んでいるわけではないんですよ? 増えたお仕事の原因くらい聞きたいと思っても、人間罰など当たらないと思うんです」

「……」

「あら? それともお父様はこの私に、領地の運営から手を引かせたいとお思いなんですか? それならそうと仰ってくだされば、いつでも手を引く準備をいたしますよ」 

(それはアレか、言わなきゃ手を引くから覚悟しろよ的な脅しか)

 ラザルードが若さにかこつけて、体に鞭打てる時代はとうに過ぎ去っている。いまや侯爵家の領地を運営するに、娘マリアンヌと息子マシューの存在は必要不可欠だった。

 マリアンヌが臭わせた一言は、ラザルード家の実情を知り尽くしたうえでの情け容赦ない脅しといえる。なによりもマリアンヌの目は、まごうことなく本気マジだ。

「マリー、そんなことを言うものではないよ。君にはいつも助けられているんだ、感謝しているよ」

 実際のところマシューの実務能力が上がるか、テオドールが成人してラザルードの妻であるオリヴィアがイストニアに戻るまでマリアンヌは欠かせない。いくら普段から嫁の貰い手を捜していようが、いま嫁にくれと言われてもラザルードは是としないだろう。せめてオリヴィアが戻るまでマリアンヌは動かせないのだ。

「とても感謝している方の態度とは思えませんね。マシューだけでなく私にまで迷惑をかけたんですから、誠意として理由くらい教えてもらえないかしら? 私もマシューも領地のために汗水垂らしているんです。お父様がお仕事をなさらないのは結構ですが、そのツケを子供に払わせるのは如何なものかとおもうんです。それともお父様には私達に対して、それっぽっちの誠意もみせられませんの?」

「マリーとマシューには、本当に常日頃から感謝しているよ。だが私にも言えないことはあるんだ」

「……マシューが心配していました」

 マリアンヌは声を一段と潜めた。

「お母様と離れ、仕事一辺倒だったお父様の様子が近頃変だと。仕事をせずコソコソと客室に通い、朝から夕方までこもられているとか。客室に泊まられている方には城の医師長をつけ、あのパメルニアまで……」

「……」

 なんだかマリアンヌの視線が、いや、視線だけでなく雰囲気が厳しくなっていくのをラザルードは肌身に感じた。しかも話の内容は、段々と雲行きが怪しくなっていくというオマケ付だ。

「お父様、正直に話してください」

 マリアンヌはいっそ思いつめたといってもいいほどに、眼差しを強めている。

「……まさか、まさかとは思いますが、お母様がいらっしゃらない寂しさを埋めるために、妾を囲ったのではありませんか!?」

「……は?」

「この城の一室を与えるなど、お父様らしいといえばらしいですが、迂闊すぎです。お母様に知られたら事です、よくて離縁、悪ければお父様が抹殺されますよ? バレないうちにさっさとその妾を始末してしまいましょう」

 サラリと物騒な台詞を、なんの臆面もなく、堂々と言い切ったマリアンヌにラザルードは頬を引きつらせた。しかも盛大に誤解している。

「ちょ、マリー? なにか誤解しているようだが……」

「誤解? なにを誤解していると――」

 そこでハッとしたマリアンヌは、先程にも増してラザルードを睨みつけた。

「まさか、浮気ではないとでも仰るつもりですか!」

 ラザルードは即座に答えた。もとよりオリヴィアしか眼中にない。

「もちろんだ!」 

「見損ないました! 浮気なら相手を始末して、事を隠蔽すれば終りですが、本気だというのですか。お母様というものがありながら、なんたるざまです!! 浮気する度胸もないと思っていたら、いきなりなにをとち狂っているんです。寝言は寝てからにしてください!」

 愛娘マリアンヌのひねくれた受け取り方に、さすがのラザルードも焦った。

「マリー、私の話も聞いてくれないか」

「なにを聞くというんですかっ! どう弁明するおつもりかわかりませんが、そのようなもの聞きたくもありません。お父様が浮気ではないと、ご自分で仰ったんですよ!? それとも妾への愛の深さでも語り、許しでもうおつもりですか!」

 ラザルードはがっくりと落ちそうになる肩を、根性でたえる。

 なぜか浮気をしていないという選択肢が、マリアンヌの頭には存在しない。

 ――ここまで信用がなかったのか?――と気落ちするも、まずは愛娘のありもしない誤解を解くことが最優先だ。このままでは確実に娘だけではなく、愛する妻を筆頭に見切りをつけられてしまう。 

「話を最後まで聞かないのは、お前の悪い癖だ。勝手に暴走するのもね。私は今も昔もオリヴィア一筋なんだ、他の女性なんか眼中に入るわけがない」

「それが本当だとして、妾でないなら客室にかこっている方はどなたなんです。なぜ人目から隠したりコソコソと部屋に通ったりしたんですか! はっきりとした理由をお聞きするまでは信じませんから」

 幼い頃から強情で熱が入りやすくはあったが、理屈的に物事を考えるマリアンヌは女性にしておくのが惜しいほど執務処理能力に長けていた。領地の経営にも早くから興味をもち、ラザルードの手伝いをこなしてきた。

 それが災いしたのか、いったん思い込んでしまうと他人ひとの話を聞かなくなってしまう傾向にある。マリアンヌ自身がいくつかの事実を理論立てて導き出した答えによるものだから、その思い込みもひとしおだ。もともとの猪突猛進気味な思考回路がいったん暴走しだすと、興奮した闘牛よろしく手がつけられなくなる。

「アレは客人の一人だ、マリーが気にすることもない」

「なぜそこまで庇うのです! お父様がそうまで隠そうとなさるなら、私にだって考えがあります。その客人とやらにあって、直接確かめてまいります」

 ラザルードは思い切り焦った。

「マリアンヌっ! それは――」

「侯爵さまっ!!」

 春陽にあうこと自体に問題はない。むしろ春陽とあうことで、マリアンヌの見当違いな誤解はきれいに払拭されるだろう。

 だが誤解は解けても、かえってそれ以上に厄介な面倒事の種と出くわすはめになる。春陽にマリアンヌを会わせるとなれば、キースと、いまは城にいないがアシュレイにもマリアンヌの情報が漏れることになる。断罪者ジャッジメント守護者ガーディアンの保護つきの少女なんて、マリアンヌには荷が重過ぎる。

 彼らのことだ。マリアンヌが有能だと、利用価値があると知れば、遠慮なく骨の髄まで利用しようとするだろう――いま現在ラザルードが利用されているように。

 ちょっと厳しくはあるが、愛する一人娘なのだ。目に入れても痛くはない。愛娘にはラザルードが味わっている苦労とか胃痛とは無縁でいてほしいのだ。そう思ってしまうのは子を持つ親として当然だろう。

 だからこそマリアンヌの無謀な行いを、親として断固阻止しようとしたその時だった。

 ノックもそこそこに、ラザルードの執務室の扉が荒々しく開かれたのは。

「侯爵様、た、大変でございます!」

 慌ただしく入ってきた一人の男に、ラザルードは眉をひそめた。

「いったいなんだ、騒々しい。私はいまマリアンヌと大事な話をしているんだ、後にはできないのか?」

 そこでようやくマリアンヌの存在に気付いたのか、闖入者はあわてて礼を正した。

「も、申し訳ございません、侯爵様。マリアンヌ様におかれましても、ご不快でしたでしょうが何卒ご容赦いただきたく……」

「かまわないわ、急を要するのでしょう? 話なさい」

 男は強く咎められなかったことに、わずかにホッと息をつくも、その表情は焦りを浮かべたままだ。

「大変なんです! お、王都からもの凄い剣幕で問い合わせがきております!!」

「王都から!?なんだって急に……」

 ラザルードは一つだけ思いあたるふしがあったが、ありえないことだとかぶりをふった。

 春陽のことはラザルードを含め、数人しか知らない事実だ。キースやアシュレイから漏れるとは考えられないし、もちろんラザルードだって誰にも話していない。断罪者ジャッジメント守護者ガーディアンからの厳命なのだ、ユマラとて口を滑らせたとは考えにくい。もし実際どこからか話が漏れたとしても、この短期間で王都にまで届くことはない。

「……王都のどなたからです」

 ラザルードが難しい顔で考えていると、マリアンヌも同じような顔で男に尋ねた。

「そ、それが……」

「どなたなんです」

「さ」

「「さ?」」

 男は顔を青ざめさせ、泣き叫ぶように言った。


「宰相様です!!」

  

……長かった。終りが見えなくて、書いては書いては修正してました。お待たせしてしまった皆様にはごめんなさいでした。

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