ただでは無理なもの
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「まあ!」
鏡にうつった春陽の姿を確認すると、パメラは喜色を全面にだした。
「とてもよく似合っておりますわ!」
そこには良く見知った顔の“少年”がうつっていた。
「……はあ」
「これだけお似合いですと、選びがいがありますわ。これからハルさまのお召物は、わたくしが責任持って揃えますのでご安心くださいませ」
むしろ安心できない! なんて思っている春陽の心情になどまるで気付かずにパメラは言い切る。
「……ありがと」
これから男として生活する春陽が着ている服は、もちろん男物だ。それも体が小さい春陽が着ているのは、少年向けのもの。中世的な顔立ちであるため、パメラが用意した服は春陽に似合いすぎるといっていいほど似合っていた。
パメラに褒めちぎられるも、春陽の反応は微妙だ。正確にはひきつった口元を隠しきれないまま、パメラに笑顔をかえしてしまったのだが。
それもそのはずで、少年向けの服が似合うと絶賛されて嬉しいと感じる乙女はいないだろう。ましてや春陽は見た目はともかく、思春期を過ぎたとはいえ十七歳の少女なのだ。パメラの褒め言葉も素直には受け取れなかった。
「そ、それより、キースは? ユマラ先生の許可もおりたことだし、仕事内容の確認する予定だったんだけど」
「侯爵さまに呼ばれていましたわ。なんでも急な案件ができたとおっしゃっていました」
なんとか話題の転換に成功した春陽は、内心ホッと胸をなでおろした。
「ふふっ、じゃあ今日の予定は取り消しかな?」
「そうでしょうね、あれでお忙しい方ですし」
キースには積もり積もったあげく、まだ終わりすらみえない断罪者の任務だけでなく、城に滞在する名目で騎士や兵士の監督もしなければならない。
春陽と今後の予定について話し合う時間は、キースの優秀すぎる頭脳をフルに使って、やっと空けられた時間だった。それを急用だと呼びつけたラザルードは、いまごろ底冷えのするキースの視線と必死に戦っているだろう。
もちろんせっかくできた貴重な時間をラザルードに使ってしまえば、あらためて春陽に割く時間などキースにはあるはずもなく――。
「やった!」
「よろしいんですか、お仕事のお話ではありませんの?」
とびはねて喜ぶ春陽にパメラは疑問をぶつけた。
「いいんだよ、ちょうどやりたいこともあったし」
仕事よりも大事なことだろうかと、パメラは首をかしげる。
普段しっかり者のパメラにしては珍しいしぐさだ。女性らしく可愛らしいパメラは春陽の理想でもある。可愛いなコンチクショウ! とか悶えてるのは内緒だ。
「そんなに急ぐ用件でもないんだよ」
パメラは知らないが、仕事の話といっても高が知れている。なにせ今の春陽にできることなど、片手で数えても余るくらいだし。
「イストニアにきてから、ほとんど部屋にとじこもってばっかりだったからね。今日はゆっくりと、お城をみて回っても怒られはしないでしょ」
「そうですわね。もとはといえば約束を反故になさったのはキースさまですもの、落ち度のないハルさまには関係ありませんわ。もしキースさまがご自身を棚にあげてハルさまを責めるようなら、わたくしがきっちりはっきりガツンと物申してさしあげますわ」
心強い味方を得た春陽は、心おきなくユマラのもとへ走った。
**********
城内で働く文官や武官、執事に侍女まで、春陽とすれ違った人間は程度の差はあれど視線をむける。その視線にのせる意味合いも千差万別。愛でるようなそれから、不愉快そうな目までピンきりだ。なかでも多かったのは、不可解さを全面に押しだして訝しげに春陽をみやる視線だ。
なんだこの子供、といった視線もなんのその。いまの春陽には痛くもかゆくもない。
むしろそんな生易しい視線で――キースの絶対零度かつ殺人的凶悪な視線と比べれば――どうこうできるのものか! と余裕しゃくしゃくである。
フフフ~ンと軽い足取りで鼻歌をうたいながら浮かれて廊下を進む。
異世界へきてから、もう十日以上になる。しかしその半分は寝台で過ごし、残りの半分もほとんど部屋から出られなかった春陽としては、鬱憤がたまってしょうがなかった。
寝台で絶対安静を命じられていたときは、しょうがないと思っていた。地球でも病院のベッドで日がな一日、それどころか一週間でも過ごしていたということもある。寝台に縛りつけられたことに抵抗はなかった。
だがそれは病弱な春陽が、さらに体調を崩していたときのことだ。イストニアで目覚めてから、日に日に、それも目にみえてよくなる身体でのことではない。
ユマラから受け取った錠剤も、苦味から生理的に涙がでるほど苦かったが、我慢して飲み続けた。そのかいあってか、精神・肉体ともに限界をむかえていた身体はみるみる間に回復した次第だ。
回復した体力に油断して城内をフラフラした結果、温室に遭難。キースから大目玉をくらって、昨日まで半軟禁状態の勉強漬けだったのは記憶に新しい――それどころか忘れられそうにないほど、苦々しく記憶に刻まれてしまったが。
なにはともあれ生まれてはじめての“健康”という二文字に春陽は浮かれているのだ。それも部屋に軟禁ではなく、城内ならばと、ユマラから散策のお墨付きまで得ている。
「あらためて見ても、本当に大きいな~」
イストニア城は春陽がいままでに見たこともないほどの敷地と、建物の大きさであった。乳白色の石材で造られている城は、陽の光を反射してより存在を主張している。
中庭に続く回廊にいる春陽からは、城の中央部がみえている。全三階建ての城自体は高さこそ見慣れたものだが、その面積は計り知れない。
「さて、どこにいこうかな?」
今日の目的は城の散策であるが、目的地はとくに決まっていない。このままぶらぶらと城をうろつくのもいいが、春陽にはひとつ気になっている場所があった。
「やっぱり、あそこがいいかな」
春陽のいる回廊からでも目につく高さで、それは対角線上に一本ずつ建っている。
「あの塔にのぼれば、ここがどんな土地かわかるし。クレアの背から見た感じじゃ、すぐそばに大きな街があったな~。ずいぶん高いし、街もよくみえるはず――ふぎゅっ!」
よし、行こう!と勢いよくふり返ると、堅い何かにおもいきり顔を打ちつけた。ぶつけた反動でたたらを踏む。痛む鼻を押さえながら見上げれば、体格のいい男が春陽を見おろしていた。
「黒髪に黒目。十四、五歳くらいの細っこい男」
「は?」
「条件には一致してるよなぁ」
「なにが――」
「お前、ハル・シノミヤで間違いないか?」
問われた意味をとっさに理解できず、春陽はぽかんと目を見開いた。
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突然の呼び出しをキースがこころよく思わないだろうことを予想すると、ラザルードは憂鬱にならざるをえなかった。些細なことかもしれないが、ここで話さないで大きな問題に発展でもすることのほうが問題だ。だからこそ、鬱々と急下降するばかりの気分をおさえてでもキースを呼び出すことにした。
なのに、キースはなかなか来ない。待てば待つほどラザルードの気分は滅入る一方で、まるで死刑執行を待つ囚人のようだったのに。
「悪い、待たせたな」
遅れたことを詫びながらはいってきたキースは、不機嫌の“ふ”の字もみえない。
不機嫌なキースに嫌味と小言の嵐を喰らうと覚悟していたラザルードは、もののみごとにその気苦労を無駄に浪費してしまったことを悟った。
「いえ、かまいません。呼びたてたのはこちらですし」
どうぞといって、執務室にあるソファーを進める。めいっぱい気が抜けてしまったが、なんとか表情を取り繕うことには成功していたと信じたい。
執務机にはここ最近でたまった書類がこれでもかとうずたかく積み上げられているが、そこ意外はきれいに整理されている。
「それで、用件はなんだ?」
ソファーに腰をおろすなり本題に入るキースに、苦笑がもれる。彼の尋常じゃない忙しさがそうさせるのか、キース元来の正確によるものか判断はつかないが。
「城下の巡回をしている兵からあがってきた報告書のことですか、すこし気になる点がありまして」
ラザルードはソファーから立ち上がり、数枚の報告書を手に取ると、自身は特に目を通すこともなくキースに手渡した。
その報告書の内容は何度も何度も読み返してあり、すでにラザルードの頭にしっかりと記憶されている。
「街である噂がでるようになっています。満月の夜に人が消える、と。噂の真偽はまだ確認できていないが、おそらく噂を隠れ蓑にしているんでしょう」
片手であごを支え、視線は報告書におとしたまま低い声でラザルードに問いかけた。
「噂の出所は?」
「貧民街や一般市民からも。さすがに富裕層まで被害はでていないみたいだが、このままではそれも時間の問題だろう」
一瞬だけ目をあげたキースの強い視線がラザルードを襲うが、そこに非難の色合いはない。むしろラザルードからなにかをうかがっているようだ。
「“嘆き姫”の伝説を使うなんて馬鹿馬鹿しい」
用済みとばかりに、読んでいた報告書を無造作にローテーブルに放り投げる。
「それが案外にも効果があるようでして。目撃者がいるうえ、存外ありえそうな話だけに、民衆は“嘆き姫”を恐れているようです」
「報告書にあった目撃者とやらが誇大して吹聴してるんだろ。幽霊だの呪いを疑う前に人攫いを警戒してほしいものだな」
「そう申されますな。民衆とて脅えているからこそ、そのように馬鹿馬鹿しい噂も信じてしまうのですよ」
ラザルードはキースが投げた報告書をまとめ、執務机の上に戻しながら言った。キースに幽霊だの妖だのの話が通じないだろうとなんとなく予測はしていたが、あまりにも的確で現実主義的な思考だ。これでは“嘆き姫”の呪いに脅える民衆が不憫だ。
「ふん、それが阿呆だといっている。もともと幽霊だと騒がれているのは、人の思念が強すぎたことによってエーテルに作用してしまったものだ。その一瞬か、長い年月をかけてかは分からないが、エーテルに人の思念が影響するのは、そのときの感情だけ――それこそ強い哀しみや恐怖、憎しみとか。強い思念ではあるが、なにか思惑を持って行動を起こしたり、現世に物理的影響を及ぼすことなどありえない」
「さすがに詳しいですね。つまり“嘆き姫”の幽霊とは、怨嗟の想いの塊だと?」
「想いが強ければ強いほど、長くに渡ってエーテルが作用することになる。伝説となるほどの悲劇を辿ったとすれば、現在まで“嘆き姫”の想いが残っていても不思議ではないがな」
“嘆き姫”の存在など馬鹿馬鹿しいと言い放ったわりに、その存在を否定していない。“幽霊”と呼ばれるものは実在していると明言しているのだ。城下で“嘆き姫”の呪いが噂になっていることには否定的だったのにも関わらずだ。
「勘違いするなよ」
ラザルードが訝しく思っているのが伝わったのだろう。キースが言い含めるように説明しだした。
「城下に出ているのが“嘆き姫”だとは言ってないぞ? 想いが残るってのは、その人物にとって縁の深い場所に限られる。“嘆き姫”はアストレア王国に広く伝わっているが、イストニアに関わったことなどないだろう? 出るはずがない」
言い終わったキースは、ほとほと馬鹿にした口調で言い切った。
一瞬、ヒヤリとした。それがラザルードに向けられたものではないとすぐに分かったが、それでも冷や汗を流さずにはいられなかった。
「わかりました。目撃者と噂の出所を急いで探させよう」
「深追いはさせるなよ。いくら馬鹿らしいとはいっても“嘆き姫”の幽霊を隠れ蓑にしてる奴らだ。魔法師か魔術師が関わっていることは間違いないからな」
「わかりました。ではこちらも人手を準備しておくので、詳細を確認でき次第また連絡しましょう」
「わかった」
話は終わったとばかりに、ソファーから腰をあげたキースにフと疑問を抱いた。
「そういえば予定があると聞きいていたが、大丈夫でしたか?」
「ああ、ハルのことか」
キースの口からでた人物の名は、まだ知り合って間もないにもかかわらず、もはやラザルードの耳に馴染んでしまった。むろん悪い方向で。
「……ハルでしたか。いいんですか、“彼”を放っておいて?」
問題ない、とキースは言うが、それでもラザルードは春陽のことが気になった。別に春陽を心配してのことではない。春陽の起こす厄介事を思えばこそだ。なぜか春陽の起こした厄介事のしわ寄せがラザルードに押し寄せてきている。
春陽がイストニアへきてからというもの、ラザルードから苦労がベラボウに増えたと感じるのは決して彼の気のせいではないだろう。
「……そういえば、ここ数日でハルには苦労させられたようだな。なにせ“界渡”自体が世界初だ、なぜか言葉だけは通じているが、この世界のことは赤子同然に無知だ。そのせいで何日もあいつを侯爵に預けることになってしまった。すまなかったな」
口では申し訳ないといいつつも、これっぽちも態度にはでていない。むしろ面白いことでも思いついたような顔をしていることが、ラザルードにとって逆に不可解だ。キースの口ぶりも気になる。
「その言い方だと難題だと知ったうえで、私にハルの教育をする許可を出したように聞こえますが?」
「まあ知っていたな、簡単に文字なんて覚えられないことは。どうせなら、あのままもうしばらくハルについてもらってても良かったんだが。表音法でくるとは意外だったぞ?」
クッと口元を歪ませて笑うキースは、切れ長の目を意地悪げに光らせている。
キースやアシュレイのような肉食獣を前にすれば、一侯爵といえどただの草食動物だ。その野生の感が、聞かない方がいいとビシバシ警鐘を打ち鳴らしている。嫌な予感しかしないのはなぜだろう。
無常にもラザルードの気持ちなどおかまいなしに、実はなと、話し始めるキース。もちろん内容はラザルードの予感をまさしく的中させていた。
「俺の手が空くようになるか、ハーネットが戻るまで侯爵に任せてしまおうかと思ってたんだ。俺がハルに割ける時間などスズメの涙ほどもないし、ハーネットはイースに戻るはで、どうしようかと思ってたとこだったんだ。絶対安静で部屋に閉じ込めて置けるうちはよかったんだが。医者の診断っていう絶対的な大義名分もあったことだし。問題はその後だ、一人で部屋から出せばすぐに行方をくらませるようなヤツだ。元気になったとたん目の届かないところに行かれでもしたら困る」
なにが、とは聞かなくとも想像するに容易かった。
「誰かが側で監視してなきゃいけなかった。事情を知る誰かがね」
そこまで聞いたラザルードは、自分の言動を省みて後悔してもしきれなくなった。
つまりは教育という名にかこつけて、春陽の監視をラザルードにこれ幸いと押し付けたのだ。
「渡りに船、でしたか」
ガックリと肩を落としながら言った。なにせキースの話を聞いていると、抜群のタイミングでラザルードが春陽の教育を申し出たことになる。
拾ってきた張本人たちは忙しさにかまけて放っておいて、世話を他人に丸投げするのはいかがなものかと思う。しかしながら、自分からその世話の一端を担う発言をしてしまったラザルードに、それを指摘して非難する術はなかった。
「まだ城の人間も掌握してなくて、あてられる人員もいなかった。侯爵には悪いが、ハルの教育に関しては全く期待してなかったさ。無知な赤子に数日で文字を覚えさせるようなものだからな、建前は教育だったが、侯爵はハルに付いててもらうだけで良かったんだよ。教育云々の方面は全く期待していなかったし、覚えなければ覚えきらなかったで構わなかったんだが……」
思わぬ収穫があったと、キースはニヒルな笑みを浮かべた。
ここにきてラザルードの心労はピークに達しようとしていた。つまりここ数日の苦悩は、不眠不休に近い状態で仕事を詰め込んだ五日間はすべて無駄だったということだ。
いや、無駄とまではいかなくとも、ラザルードの精神力とか体力が尽き果てるギリギリになるまで無理をしなくても良かったというだけで。
無駄になったのはラザルードの誠意とか、努力とか目に見えない心意気だけだ。なにか大きな損害が出てるわけでもなし。春陽の教育に関してはあのキースも“収穫”だったとまでいっているのだ。決して無駄なんかじゃないと、ラザルードは自分の傷ついた心に必死で自己弁護をかけた。
しかしそれでも春陽に割いた労力を考えると、他に手段がなかったのかと言わずにはいられなかった。
「ユマラに言いつけて偽の診断書でも書かせて、部屋に閉じ込めておけばよかったのでは?」
「それも考えたが、あれは生まれてこのかた体調が良かったことのほうが少ないと言っていたからな。そんなやつがユマラの薬と術式で、生まれて初めて健康体になってるんだ。部屋で絶対安静なんて嘘が通じるわけないだろ」
あっさりと否定の言葉をいただいてしまっては、さらに反論をあげることなどできない。
「そうですか」
ラザルードとしてはどんなに気がすまなくとも、思考を切り替えるしかない。いつまでもグダグダと思考のループにはまっていてもしょうがないのだ。
「ずいぶんあっさりしてるんだな。いいのか? 文句があるなら聞くぞ?」
「けっこうです。済んでしまったことですから、気にしないようにします」
ここで文句を言っても、キースに理路整然と反撃をくらうことは目に見えている。キースが聞くのは文句であって、愚痴ではないのだ。これ以上キースと言い合っても、ラザルードのやるせなさが募る一方だろう。
「……そうか。そういえば最初の質問に答えてなかったな」
眉間に皴を寄せて眉を顰めさせているラザルードのことなど眼中にいれず、キースは無造作に話を切り替えた。
「ハルのことですか?」
そうだと答えるキースは、相変わらず人の悪い笑みを浮かべながら言った。
「ここに来るのに時間がかかったろ。何してたと思う?」
「ハルに連絡でもしてたんですか」
「違う。あれを一人で行動させるほど俺が間抜けにみえるか?」
ラザルードは悟った。ここに新たな犠牲者が誕生したことを。
「ちゃんと子守を選んでつけたさ」
その言葉を最後に、今度こそキースは執務室を出て行った。
***************
「いっった~いっ!!」
突然の男の暴行に春陽は悲鳴をあげた。
目の前がチカチカするほどの衝撃を頭に受け、目に涙を浮かべて抗議する。
「いきなりなにすんのっ!?」
「うるせえ、俺の休暇を奪った報いだ。拳骨の一発や二発、素直に受け入れろ」
「受け入れられるかっ! ちゃんと説明して」
陽に焼けた顔を訝しげに顰めると、男は言った。
「なんだ、教官から聞いてなかったのか?」
「……教官って誰さ」
どうにも男との会話が成り立たない。この男とは初対面だし、ましてや男の休日を奪ったなどと言われる覚えがまるでない。
「誰って、キース・ネイカー教官だよ。教官の付き人ってアンタだろ?」
「キース!? キースの指示できたの!?」
春陽はここへきてようやく事態をのみこめてきた。この男の言っている教官とはあのキースのことだった。
「やっぱ知らなかったのか。今日は久々の休みで嫁と子供にあえると思ってたのによ。アンタの主人に休日返上で命令されたんだよ!」
「……連れ戻せって?」
キースはラザルードに呼び出されていたし、ユマラにも許可を取ったことで油断していた。春陽はおそるおそる聞き返した。
「違う。病弱で、最近まで伏せっていた付き人が城をみて回るから、途中で野垂れ死んだりしないようについていけとさ」
「え?」
「つまり、アンタ一人じゃ不安だからって、オレがお目付け役に抜擢されちまったんだ」
意外だった。まさかキースが連れ戻すことよりも、人を側におくことを選ぶとは思わなかった。春陽の自由を認めて許している、そのことに驚いた。
「それ、ほんとにキースがいったの? あのキースが?」
「そうだよ、何度も言わせんな」
嫌そうに顔を顰めて、オレの休日がとか呟いている。
春陽のために休日を潰させてしまったことには罪悪感を覚えるが、ここで男を追い返すわけにはいかない。もし追い返したことがキースにでも知れれば、今後の行動は限りなく制限されるにきまってる。
「そんなに嫌なら、なんで断んなかったの」
春陽の言葉でピタリと動きを止めた男は、錆びた機械仕掛けの人形のようにぎこちない動きのまま言った。
「アンタ、断れると思うか?」
以前にも誰かから聞いたことがある台詞だ。この悲壮感漂うところも非常に似ている気がする。
「あの鬼教官の命令を、オレみたいな一般兵が!? 断ったあとのほうが怖いわ!」
「じゃあ男なら潔くしなって。断れなかったんだからしょうがないじゃん! いつまでも女々しく恨み言をいってても埒があかないよ?」
わなわなと身体を震わせて怒る男には可哀想だが、春陽とていつまでも問答をしているわけにはいかない。恨むならキースを恨んでくださいと、怒りで震える男の肩をポンと軽くたたく。
キースを恨むなど、男には恐ろしくてできないとわかっていても、また拳骨で八つ当たりなぞされたら堪らない。無謀でもなんでも、怒りの矛先は正当な方向へ向けてもらわなくては困る。
「で?」
男は自分より一回りは幼いであろう少年に慰められたことに、大分ショックを受けたらしい。がっくりと力なくうな垂れていた。
しかし春陽はそんなことお構いなしで話を続けた。
「今日は城廻りに付き合ってくれるんでしょ? だったら名前くらい教えてくれなきゃ困るんだけど」
「切りかえはやいな、おい」
男は呆れたような視線を春陽に向けた。
「さすがあの教官の付き人やってるだけはあるな」
「なにその失礼な意見!? いいから名前教えて!」
「そうか、まだ言ってなかったな。オレはカーティスってんだ。イストニア第一師団所属三番隊長やってるから、教官の付き人やってんだったらこれからも顔あわせると思うぜ」
「知ってると思うけど、わたしはハル・シノミヤです。よろしく、カーティス隊長」
「おう、よろしく」
ニカッと笑って差し出してきたカーティスの手を、春陽も笑顔で握り返す。
白い歯が日焼けした肌によく映える。
キースやアシュレイといった美形とはまた違い、男らしい雰囲気をもっている。キースやアシュレイは決して女顔ではないが、その容姿からはよもや荒事に従事しているとは思えない。それに比べカーティスは服のうえからでも分かる逞しい筋肉や、日焼けした肌が、なんとも男らしいのだ。
「さて、自己紹介もすんだことだし行きますか!」
ゴツゴツとかたい手を放し、春陽は目指す場所を見上げた。
カーティスも春陽の視線を追う。そこには城と同じ乳白色の塔が建っている。
「目指すのはあの塔ね! 道案内してね、カーティス隊長?」
「カーティスでかまわないさ、ハルはオレの部下じゃないからな」
グリグリと大きな手で春陽の頭をかき回す。完全に子供扱いされているのに、気恥ずかしさはあっても嫌悪感は全くわかなかった。
ひとえにカーティスの人柄ゆえのおかげだろう。彼からはキースのような刺々しさも、アシュレイのような腹黒さも感じない。むしろ人好きのする笑顔は、安心感さえ覚える。
「じゃあカーティス、行こう!」
思う存分に一日を楽しむ気まんまんの春陽は、意気揚々と足を踏み出した。
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