とある春の一日
お久しぶりです。私事で更新が遅れてしまいました、申し訳ございません。楽しんで読んでいただければ幸いです。誤字・脱字報告おねがいします。感想・コメントがありましたら、気軽に送ってください。
春陽はぐったりと柔らかいソファーに深く身を沈みこませていた。
連日行われる教育という名のシゴキに耐えて早五日。キースは宣言どおり春陽が文字を覚えるまで部屋から出す気はないようだ。
おもにラザルードが春陽に付きっ切りなのだが、侯爵とはそれほど暇があるのだろうかと、疑問に思わざるを得ない。
まだキースが指導に入らないだけが救いだと思える日々なのだ。侯爵に暇がないとなれば、春陽の事情を知るキースが教師になる可能性が高い。へたに薮をつついて毒蛇がでてきてきてはかなわない――それも致死性の猛毒たっぷりの。
しかしながらキースは春陽が目覚めた日からなにかと多忙なようで、朝食と夕食のときくらいにか顔をあわせていなかったが、最近では夕食でさえ会わない日も少なくない。その超多忙な彼が、春陽に付きっ切りで教育することは難しいのも事実だ。
万が一ということもあるが、春陽はいままで感じていたことを聞いてみた。
「ねえパメラ、侯爵ってひまなの?」
「いいえ、とてもお忙しい方ですよ。領地であるイストニアの経営、管理の大部分を侯爵さまがご自身でおこなっていますので。各農村からの上申書の検討、財務調査、予算も組まれていますから、数えればきりがないほどお忙しい方です」
ニコリとむつかしい言葉を並べ立てるパメラは、侍女としては優秀すぎるのではないだろうか。春陽としては説明されてなお、ラザルードがどう忙しいのか想像もつかないというのに。
「でもまあ、最近は以前ほどではありませんけどね」
優秀な侍女の鏡のようなパメラは、口は動かしていてもしっかり手を動かして止めない。春陽の少ない休憩時間を無駄にすることなく、手早くお茶の用意をすすめている。
パメラの手際のよさに感心しながらも疑問に思ったことを口にしてみる。
「最近は? 誰か手伝うようにでもなったの?」
「はい。侯爵さまには三人のお子様方がいらっしゃるのですけれど、ご長女であられるマリアンヌさまと嫡男のマシューさまが補佐をなされるようになりましたから。だいぶお仕事の量が軽くなったとおっしゃられていましたわ」
いまいちラザルードの仕事量を把握しきれていない春陽だったが、パメラが言うことに間違いはないだろうと納得する。どうしても毎日つきっきりで春陽の教育をしているのだから、暇だと勘違いされてもしかたないように思えるが。
だがラザルードの仕事が大量にあるのであれば、だれがその仕事をしているのだろうか。
春陽に一日中ついているのだから、ラザルードがいつもの仕事量をこなせるはずがない。ラザルードが仕事をできないのであれば、イストニアの経済やその他業務が一気に混乱をきたすだろうがそれもない。
誰かが肩代わりしているのだろうかと思い、パメラに聞いてみれば、やはり答えは“是”だった。
「マリアンヌさまとマシューさまが大部分を処理しているそうです。侯爵さまがなさるのは、それでも侯爵さまの決済が必要なものだけとか」
淹れおわった紅茶を春陽に差し出しながらパメラは続けた。
「それでも侯爵さままであがってくる案件は少なくないようですね」
ラザルードは日に日に目のしたのクマが濃くなり、やつれていく。その顔色からパメラが推察したのだろうが、ラザルードを拘束しているのが春陽自身なだけにいたたまれない。
パメラにはラザルードが徹底して春陽にイストニアの文化や習慣、礼儀を教えていると、キースが説明してあった。キースの側付として、この地で必要になる情報を学んでいるとパメラは思っている。
「ハルさまが気にする必要はございません。キースさまが侯爵さまに頼まれたことなんですから、ハルさまはこの時間を有意義に使うことだけお考えください」
存分に春陽に甘いパメラは、ラザルードの激務など微塵も気にしない。なんでもラザルードの子供達が政務を肩代わりするまでは、これくらいの激務などざらであったらしい。
いくら慣れているからといっても、いつまでもラザルードの手を煩わせることは避けたい。ユマラから診断された安静期間も――そのあいだ文字や文化の習得にあけくれていたのだ。安静にしていたかといえば、はなはだ疑問があるのだが――昨日までの一週間、ようすをみた結果では問題なしだった。無茶をしなければ日常生活に支障はないとユマラに診断された春陽としては、このまま部屋に軟禁され続けるのだけはゴメンだ。
「そうだね。これ以上ないくらい体も調子がいいし、明日からはやっと寝台から離れられそうだよ」
やはり急務は文字の習得であったが、これについては解決策をみいだしていた。それがあるからこそ寝台から離れられるといえたのだ。
「まあ、それではユマラさまから許可がおりたんですか?」
「正式にはまだだよ? でもいまの調子なら部屋を出ても大丈夫だってさ」
腕を頭上に伸ばしながら体調に問題ないことをパメラに強調する。初対面からなにかと過保護なパメラのことだ、少しでも春陽の体調に不安があればラザルードにでもユマラにでも、さらにはキースにでも直談判をしにいくことは想像だにしやすい。地球でも過保護な両親や看護師にかこまれていた春陽には、パメラの行動が簡単に予測できる。
「それでは明日が楽しみでしょう」
パメラは春陽の回復を素直に喜んだ。そばで春陽の世話をしていたからこそ、春陽の極端に制限された生活を知っていた。それに不満を抱える春陽にも。
「わたくしから今日はいつもより早く切り上げるように、侯爵さまに申し上げておきましょう。明日に体調を崩しては元も子もありませんもの」
「ほんと!?」
パメラの思いがけない援護射撃に浮き足立ってしまう。
「ええ、ですから今日はいつも以上にしっかりとお勉強くださいね?」
このあとパメラの言葉に喜んだ春陽が、いつも以上にヤル気をだしたことは言うまでもない。
普段からの過保護ぶりと、その巧妙な手綱さばきゆえに春陽は気づかない。慈愛のこもった微笑みに隠して、パメラがラザルード以上に春陽の手綱をにぎり、アメとムチを使い分けていることを。
イストニア城内でキースにはっきりともの申せる数少ない一人だけはある。春陽の操縦をきっちりとこなしながら、侍女の仕事にも手をぬかない。このあと彼女はいつもより少し甘めに入れたお茶をテーブルに出した。いつもより張り切って勉学に励むであろう春陽の体を思いやって。
***************
春陽は久々に自由を満喫していた。
暖かい温室には強めの日差しが差し込んでおり、春陽の肌はわずかに汗ばむ。鼻には我先にと、幾種類もの咲きほこった花々がはなつ甘い香りがこもる。
春陽がいるのはキースから雷をくらう原因にもなった、あの温室だ。春の日差しは段々と強さをまし、温室の植物達はそれを喜んだ。花は競いあって咲き、かぐわしいその香りを惜しげもなく撒き散らしている。
温室のなかに置かれた長いすに腰かけると、ホッと息をつく。自然に体の力が抜けていくのを春陽は感じた。
「ようやく一息つけたようだね?」
春陽の前に立ったユマラはニヤリと顔をゆがめた。
昨日まで部屋に軟禁され、ラザルードからいつ終わるかもわからないシゴキを受けていた。セフィロス、ひいてはアストレア王国に住む者であれば知っているだろう常識について、文字通り詰め込まれていたのだ。
左右をみわたし、この数日で春陽のほかに苦労したもう一人を探すも、その姿がみえない。春陽につきっきりだったラザルードの姿がみえないことを疑問に思い、ユマラは春陽にその所在を聞いてみた。
「侯爵はどうしたんだい」
「お役ごめんになったとたん、さっさと仕事にもどっちゃった」
なにやら忙しい身であるラザルードが担当することになったのは、更に忙しいキースを慮ってのことらしい。安請けあいともとれるこの行為は、案の定ラザルードの首を絞めることとなった。やっぱり無理でした、なんてキースに言う度胸があるはずもない。進歩がまったくみられない春陽に頭を抱えたラザルードだったが、進退窮まった彼は思わぬ一言に救われた。
「折をみて止めにいかにゃあならんな。あれでは倒れるのが目にみえとる」
腕をくんで溜息をこぼしたユマラに、春陽も苦笑しながら肯定する。
「ぜひお願いします。侯爵を拘束してた本人がいうのもアレですが、働きすぎですね。パメラもずいぶん心配してましたよ」
「もう少し自分の子供らを信用して任せればいいんだがな。生真面目もすぎれば、まわりに迷惑をかけるだけだろうに。成長せん奴だ」
春陽の教育から解放されても、ラザルードの仕事が減ったわけではない。だが書類処理にさける時間ができたのも事実で、少なくとも不眠不休から解放はされただけでもそれまでよりマシといえた。
ラザルードを過労死から救い、過労にとどめたその一言は、とうぜんラザルードに教育されていた春陽をも救った。文字を覚えなければ外出禁止の宣言どおり、キースは四日を過ぎても春陽を部屋から出そうとはしなかった。ただ救いといえばデザートだけは五日目には出されるようになったことであろうか。
とにもかくにも救いの一言を発したのはイストニア城の医師長であり、春陽の主治医でもあるアレクシス・ユマラその人だった。
「頭はいいのに、思考の柔軟性に欠けておるからの。アレではこの先も苦労するだろうて」
「ユマラ先生は放っておけませんもんね。お人好しまではいかないけど、面倒見がいいから」
思案げな顔をしてラザルードの心配をするユマラに、春陽はクスリと笑いをこぼして言った。文句をいいながらも、無茶をするラザルードを放っておけないのだ。
「なんだい、その買いかぶりな発言は」
眉根をよせてムッとするユマラにかまわずに春陽は言い切る。
「事実をのべたまでです」
ラザルードのことだけではない。春陽の診察は当初の予定では、なにもユマラだけで行うはずではなかった。それなり以上に責任も仕事もあるユマラを、専属で春陽につけることはなんとも効率が悪いように思えた。ユマラに時間がないのであれば、他の信頼できる医師に診察と経過をユマラが総合的な判断をくだせば問題ないものだった。春陽が“界渡”をなしえた唯一の存在という裏事情さえしらなければ。
「判断材料は侯爵のことだけじゃありませんよ。わたしの事情も知ってるんでしょう? だから忙しいにもかかわらず、毎日かかさずに診察してくれてる。キースがいってました」
思わず頭をガシガシと片手でかき回すと、盛大に溜息をはいた。
「以外におしゃべりだね、断罪者は」
「アレがおしゃべりにみえるなら眼科へ行ってください。わたしは嫌味でいわれたんですから!」
そういって憤慨しながらそのときのことを話し出す。
なんでもキース曰く――『お前はうかつそうだから、誰が味方かわかっていたほうがいいだろ? なにかしくじったときに頼れる相手を覚えておけ』――とのこと。
あの毒舌の青年ならば、いかにも言いそうな台詞だとユマラは思う。
篠宮春陽という存在はセフィロスにありえるはずがない。その存在を隠すべく“ハル”と名前を変え、少女であることさえ隠すためにはユマラが春陽につくしかなかった。
そんな事情もからんで、ユマラは何度も間近でラザルードの果てしなく不毛に近い教育を目にしていた。言葉は不自由なく話せるようだが、文字の習得は思った以上に困難を極めていた。泣き言をいいながらも投げ出さない春陽もさながら、ラザルードも根気よく丁寧に教えていた――徹底して厳しくはあったが。
とうてい四日間で覚えられず、部屋から出ることも禁じられた春陽のうなだれようは凄まじかった。ラザルードと春陽の落ち込んだ顔を横目にしながら、ユマラはフと、思いついたことをいってみたのだ。
――『言葉は話せるんだから、文法無視で発音表でもつくってみたら?』と――
それが昨日の午前中だった。ユマラの一言に大きく目を見開いた二人は、さっそく表音表をいそいそと作り始めたのだ。ラザルードはやっとみえた先行きに安堵し、春陽は勉強漬けの日々から抜け出すことに瞳を燃やして。
なにも一から十まで全部を覚える必要はなかった。なにしろ普通なら書くより話すほうがむずかしいのだ。春陽の場合、すでに話すことはできているのだから、時間さえかければ文字だって覚えるのはむずかしいことではない――今回はそれにあてる時間がなかっただけだ。
キースとてなにも四日間で、またはそれに順ずる日数で文字を習得できるとは思っていないだろう。春陽の状態と、キース自身の仕事が落ち着くまで部屋に囲っておくもっともな理由がほしかっただけにちがいない。
それは春陽以外の二人は――つまりはラザルードとユマラなのだが――なんとなく理解していた。なにせラザルードが春陽につきっきりなのをいいことに、キースはここ数日は姿さえみせない有様だった。
キースがここ数日でなにをしているのかは分からないし、知りたくもない。これはラザルードとユマラの共通の考えだ。もちろん断罪者の、それも色持ちの行動理由を、知る権利を持ち合わせていないから、知りようはないのだが。それでも知らない方が幸せでいられることを二人は知っていた。
「言い方は悪いが、キース殿も目が届ききらないから心配なんだろうね。なにしろ彼は侯爵と同じくらいには多忙を極めてるようだしの、つねに側にいることはできんから」
なにしろ国家規模の犯罪者相手に大立ち回りを派手にやらかす組織の一員、それも次期幹部候補になるほど優秀なのだ、キースは。イストニアにも組織の仕事できていたのだから、予定外の出来事に手を煩わされれば、仕事もたまるというものだ。
「そこまでキースを知ってるわけじゃないから、わたしにはわかりません。あの言いざまは喧嘩を売られてるとしか思えませんよ! あの刺々しさを聞いてないから、そんなこと言えるんです」
「なに、わかりにくいだけさ。じゃなきゃあんな似非習得なんか認めるもんかい」
とりあえず文字の基礎を覚えろといわれていた春陽は、それすらも数日ではこなせなかった。そのためユマラが言ったように表音表をつくって文字を読むことにしたのだ。文字を覚えたとはとうていいえなかったが、とりあえず文章を読めるようになったと、以外にもあっさりと認めてくれた。
おかげで外出禁止もとれて、気晴らしにこの温室にきたわけだ。
「以外ですよね、文句も嫌味も言わなかったんですよ? あのキースが!」
ものすごく不気味だったと話す春陽は、ひさびさの屋外で気分が高揚している。それにあわせて語調も強くなった。
「なんの嵐の前ぶりかと勘ぐりたくなります!」
血色の悪さが改善されて頬が薄く紅潮し、生き生きと話す春陽は健康体そのものだ。
握りこぶしをつくって、いままでキースがはいた悪口雑言の数々を批判している。死んだように寝台に横たわっていた姿からは、とても想像がつかない回復ぶりをユマラは嬉しく思った。
いまの春陽の姿こそ、彼女の本来の性質なのだろう。
意識を回復した春陽とはじめて話したとき、危うさを感じた。あのときの追い詰められたような焦りはみられない。
ユマラはそのことに胸をなでおろしながら思う。この少女がこれからもこの笑顔でいられることを、平穏にイストニアで暮らせることを。
だから誰にも知られてはいけない。
かの少女が異界の存在であることを。
この年端もいかない少女が利用されないように。
春の陽だまりのように穏やかであることを。
この日は緩やかに時間が過ぎていった。
春陽にとってセフィロスにおとずれてから休息とよべる、はじめての日となった。
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涼やかで爽やかな風がイストニア城を吹きぬける。
アストレア王国で北方最大の街をほこるイストニアにくる春は遅い。春の陽ざしが熱をもってきても、風はひんやりとしていて、日中は市井の民にとっても過ごしやすい時期だ。
イストニアに住む大多数はのどかな日々を満喫していたが、一部の者にとってはそうは問屋がおろさなかった。
イストニアは商人や行商の行き来が増え、街は人々の活気に浮かされる。彩りあふれた商品に、声を張りあげる呼び子たちでにぎわう市場。夜は居酒屋で酒を酌み交わし、他愛無い愚痴をこぼす男たち。平和を絵にかいたようなような日々だった。
だが人が多くなれば問題も多くなるわけで、それが余所者ならばなおのこと。街の警備兵はもちろん、城の兵士まで連日かつぎだされる事件が続いた。
事件といっても酔っ払いの喧嘩や、売り場の取り合い、客同士の揉め事など、ほとんど事件性は低い――が、なにしろ数が多い。街の警備兵では足りるわけもなく、城の兵士までひっぱりだこの状態になってしまったのだ。
兵士達にとっては毎年恒例、春の通過儀礼のようなものであり、新人を除けば例年通りちょっと忙しい季節をむかえるだけのはずであった。
――例年通りであれば、だが。
「……おい、オマエ何日目だ?」
目の下にはっきりと浮かんだクマの示すとおり、目に見えてぐったりと疲れが溜まったようすの男だ。兵士達が利用する食堂のテーブルにもたれて、行儀悪く無精ひげのはえた顎をのせている。いまにも倒れそうな顔色をしている。
「三日目っス、隊長」
男の向かいから返事がかえる。
向かい側にすわっているのはまだ二十代前半の青年とも呼べる年齢だろうが、頬がヤツレているのに加えて、極度に血色の悪い顔色から、実年齢よりもはるかに老けて見えた。
「じゃあマシじゃねーか、オレなんて今日で五日目に突入だぞ」
「よく生きてられるっスね」
ハハハと、かわいた笑い声を漏らす青年の目は、死んだ魚よろしく焦点が合わず虚ろだ。
二人だけではない。この食堂にいる兵士達すべてが同じような状態になっている。
「役立たずの教官が切られたと思ったら、次は鬼がくるとか反則だろ」
男の目の前には熱い湯気をたたせた白い米、鹿肉のあぶり焼きに、野菜の冷製スープが置かれているが、男はとても食べる気にはなれなかった。
「……クナート師団長っスか。あんなボンクラ教官でも恋しく思える日がくるなんて、終わってるっス」
「騎士連中も大変だな、あんな奴が上司じゃ休む暇もなくなるな」
「自分らだって似たようなもんじゃないっスか」
「ロラン補佐官、いや本名はキース・ネイカー殿だっけかぁ? 王都から地方の兵力強化の任務で派遣されたからって、なにもオレ達の教官にまでなるこたねえだろ」
王都からの客将扱いになっているキースは、本来の断罪者としての仕事はもちろんのこと、名分で考えたイストニアでの立場もきっちりとこなしていた。
「いまイストニア城を襲撃されたら、一日と持たないで落ちるっスね」
キースが一般兵の教官をするようになってからというもの、睡眠時間が減る一方だった。なにせ市街の警備を昼夜に分けてローテーションし、空いた時間はキースに与えられた訓練をこなすのだ。ただでさえ忙しい時期の猛特訓に、兵士達の体力は回復する間もなく減り続けていくいっぽうだ。
「ま、オレは今日さえしのげば明日は休みだ。ジオ、お前はせいぜいあと二日耐えるこった。若いんだし、ちょっとくらい無茶したって死にはしねーよ」
一般兵は五日勤務で一日の休暇が与えられている。昼夜を問わない不規則な仕事であるため、兵士達は戦争でもない限りこまめに休みが与えられていた。
男は長い五日を耐え抜き、いよいよ休日をむかえようとしていた。目の前の青年、ジオはそれを心底うらやむように男をみた。
「暢気っスね、隊長は。そのようすじゃあの噂は知らないっスね」
「なんかあったか?」
「到着が遅れてるらしいっスけど、ネイカー教官の他にもいるらしいっス」
やけに真剣な目つきで語るジオを、訝しく思いながらも男は聞いてみる。
「なにが?」
「じつは――」
テーブルに顎をのせた、だらけた姿勢のままで、ジオは男に顔を寄せる。
ジオは低く、秘め事を話すかのような、小さくひそめた声音で言った。
以前の食堂ならば、ひそめられた声はたやすく男たちのやかましい喧騒にかき消されてしまっただろう。だが兵士達は話すことも億劫なほど疲れきっており、いまの食堂はわずかな話し声しか聞こえない。
そのために、ジオの放った言葉はそのまま男の耳に届いた。
一言一句違えずに。
――イストニアに派遣された客将が――
ジオの言葉にサーっと血の気が引いた男は、それ以上ないくらいに肩を落とした。
まさかとは思いたいが、もう一人のその客将もキースと同じく、シゴキをしシゴキとも思っていない冷血漢かとの思いからだ。いまでさえ超過勤務でいつ過労死してもおかしくない状態なのだ。それが二倍になることだけはなんとしても願いさげたい。
ジオがもたらした爆弾は予想以上の破壊力を持っていた。爆弾が直下で命中したショックから、思考回路が麻痺して呆然とする。
「――隊長!? カーティス隊長!!」
思い切り肩を揺さぶられて気付けば、ジオが必至に呼びかけていた。
「しっかりするっス! 逝かないで!!」
狼狽えて真っ青になりながら。それでも懸命に。
口をあけて、焦点のあわない目は虚ろで、どうみても尋常じゃないようすのカーネルに余程驚いたのだろう。若干涙目だったことが、偏にジオの感情をあらわしている。
後のジオは語る。
――あの時の隊長は逝ってはいけないところへ旅立つ寸前だったと。
このときの彼らはまだ知らない。
この先で彼らを待ち構えた、盛りだくさんの苦労と苦難と苦渋の未来を。
すぐ側まで忍び寄っていた不穏の影を。
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