Act2,従妹
俺、宮田和也のカーライフは高校3年生だった18歳の頃、誕生日を迎えてすぐ自動車学校に通い始めたところから始まった。
免許を取った日、それは感動の一言だった。
それから程なくして貯めたバイト代で、当時は安かったトヨタ・MR-Sを購入したが、当時は基礎などまるで身についていないヘタクソだったせいで、僅か3か月で事故って廃車にしてしまった。
当時、高校生の俺にポンポン車を買う金は無い。
だけど車が欲しかった俺は、既に走り屋として峠を走っていた愛奈さんの伝手でHA23Vアルトバンを購入。これでとにかく練習しまくった。
その後、専門学校時代にNB6Cロードスターを購入。
これでFRの乗り方を学んだし、その頃にアルトにkeiワークスのエンジンとミッションを載せ替え、軽い車体にターボとヘリカルLSDが装着された。
この2台でホームコースの材木峠をガンガン走り込み、社会人になる頃には速い人たちに存在を認知してもらえる程度になれた。
今のAE86は社会人になってから購入し、ロードスターは去年売却。
今年車検を取得し、AE86で本格的に走り始めたのはここ3か月。
アルトは現在も会社に通勤するため、所有し続けているというわけだ。
──何故、そんな事を振り返るのか。
従妹の詩織が免許を取った事を聞いて、自分の過去が脳裏に浮かんだからだ。
あの頃、ただステアリングを握って運転するだけで楽しかったな……と。
「やっとついた……」
平日昼間の札幌市内の道路は、基本的に混雑している。
予想より時間がかかってしまったが、手稲の試験場に辿り着いた俺は、仲間内で協力してサターンブラックメタリックに全塗装した車体に寄り掛かった。
スマホを開き、詩織からのメッセージが来ていないか確認をする。
「和兄ぃ!!」
到着したという内容のメッセージを送ってからしばらく、右手をブンブン振りながら、ぴょこぴょこと跳ねるように走る女の子の姿が目に映った。
セミロングの明るい茶髪で、左側頭部だけを結んだワンサイドアップ。若干目尻が垂れた栗色の瞳。長いまつ毛。多少の化粧はしている様子だが、素材の良さを引き立てる程度のナチュラルなメイク。
青系のデニムパンツに黒のクロスネックリブトップスという服装のため、線が細いようで意外と出るところが出ているを伺わせている。
身内の俺が見ても美少女と思わざるを得ないほど、詩織は可愛い。
「よう詩織、免許取得おめでとう」
「ありがとう!! ……って、その前に和兄ぃ、寝坊したでしょ!?」
「ごめんごめん、昨日も夜遅かったんだ」
「どうせ夜遊びしていたんでしょ? 峠とか走りに行ったり……」
詩織は腕を組み、ジト目になって俺を訝しむ。
「悪かったって。それより免許取れたんだろ?」
「うん、ほら!!」
気を紛らわせようと話題を変えると、それまでとは打って変わって智音は自信満々に真新しい免許証を見せびらかす。
「ホントに免許取っただなぁ……いやぁ、詩織もそういう歳か」
「なんか和兄ぃ、セリフがオッサン臭いよ?」
「オムツ履いてる頃から知ってる奴の成長を実感したら、誰だって感慨深いだろ」
そう言いながら俺は、詩織にアルトの鍵を差し出す。
詩織はそれをきょとんとした顔で見ながら固まった。
「……何?」
「免許取得祝いだよ。帰り、運転してみない?」
「それって和兄ぃがラクしたいだけなんじゃ……」
詩織は一つ溜息をつくと、呆れた様子で冷ややかな視線を俺に送ってきた。
「就職したら通勤で乗るかもしれないだろ? 乗らなきゃ慣れないぞ」
「うぅ、それはそうだけど……えー、でも和兄ぃのクルマ運転するの?」
ちょっと嫌そうな顔をしながら、智音は俺のアルトを見つめていた。
ディーラー整備士というお堅い職業柄、アルトは完全車検対応仕様ではあるが、車高調整式サスペンションでローダウンを施し、ブラックレーシングの白い6本スポークのアルミホイール履いているなど、見た目は少し"それっぽい"雰囲気だ。
シートも運転席はBRIDEのセミバケに変更してある。
「なんだ? ハチロクの方が良かったか?」
「嫌だよ。アルトよりさらに運転しづらそうじゃん」
「アルトはそんなに運転しづらくないよ。確かに色々変えてるけど、元々が普通の軽自動車だからな」
そう言うと詩織は渋々だが、俺から鍵を受け取って運転席に乗り込んだ。
それを見た俺は助手席に乗り込む。
仕様変更する度に圭吾や愛奈さんに運転させた事はあるけど、そのステアリングを握るのが詩織で、詩織の運転で助手席に乗るというのが新鮮だ。
楽しみ半分、不安半分といったところである。
クラッチスタートを切っているので踏む必要はないが、詩織はシフトが何速に入っているのか確認しながら、クラッチを切ってセルを回した。
「教習車よりクラッチ重い……あとシフトがぐにゃぐに」
「シフトはすまん、経年劣化だ。クラッチは強化だけど、まぁ意外と普通だぞ」
強化クラッチを入れるとミートポイントが狭まり、発進が大変になる傾向があるものの、アルトの強化クラッチはシングルなので、ペダルの重さこそあれど、そこまで難しいものではない。
「うぅ……緊張するよぉ」
「大丈夫だって。俺教官じゃないから、自分の好きなように運転してみなって」
「じゃあ……」
不安そうな顔を浮かべる詩織だったが、ギアを1速に入れ、アクセルを煽って半クラッチで繋ぐ様子は、初心者にしてはスムーズな印象を受けた。
免許取り立ての運転はかえって慎重とは言うが、智音も例外ではなく、一時停止もウインカーもしっかり出せていて、試験場を出て順調にアルトを加速させる。
意外なのは彼女のクラッチミートの丁寧さだ。
アルトに乗るのは初めてで、クラッチのミートポイントや重さなど、車によって結構違いはあるのだが、詩織のクラッチミートはそれを感じさせないほど丁寧で、シフトショックもあまり感じられなかった。
ちゃんと先を見ている様子だし、予想に反して運転は普通だった。
「なんだ、普通に運転できるんじゃん」
「あんまり話しかけないでよ……っ!!」
「ごめんごめん。とりあえず詩織の家まで普通に運転して」
詩織は緊張した様子で、かつとても慎重ではあったが、それでも花川通に入ってもミスは無く、順調に運転を続けていた。
「どう?」
「ちょっと慣れてきた……和兄ぃの真似できそうかも」
「え?」
まもなく赤信号に差し掛かろうとするところ、詩織は左手でシフトノブを握ったかと思いきや、4速から3速に落とす時、なんとアクセルを煽ってエンジンの回転を合わせたのだ。
予想外の高等技術を披露されて、俺は思わず絶句してしまった。
マジか、ブリッピングを成功させやがった──。
教習所じゃ教わらない事なので、これがいきなりできる奴はほぼ居ないだろう。
それを詩織が一発で成功させたのだから、俺は口をぽかんと開けてしまった。
「詩織……お前、それ教習所で練習してたのか?」
「え? いや、場内の時に一回やって教官に怒られちゃったから……ただ和兄ぃが運転している時にやっていたから、見様見真似でやってみただけだよ?」
見様見真似って、普通それでできる芸当ではない。
俺だって教習所を卒業した後、ちょっと練習してできるようになって、そこからヒールアンドトゥを習得するまで、少し時間がかかったというのに。
「お前凄いな……センスあるんじゃね?」
「え、そう?」
「普通一発でできねぇって。ていうかホントに免許今とったばっか? 実は無免で支笏湖をセリカで走ってたりしない?」
「そんなことするわけないでしょ、あたしそんな悪い子じゃないもん」
「平日昼間に学校サボって免許取りに来るのは悪い子じゃね?」
「サボりじゃないし!! 今日は開校記念日で学校休みなの!!」
怒られてしまった。
一瞬、詩織が片目のセリカの正体なのではないかと思ったが、流石に無免許で峠を爆走するなどありえないか。
漫画の読みすぎだな、俺。
「はは……にしても凄いよお前。ソレ、俺でも練習しなきゃできなかったけど」
「そうなの?」
「普通そうだろ。ブリッピングって簡単なようで難しいんだぜ?」
「ふーん、そうなんだ。ただなんとなくリズムでやってみただけなんだけどね」
「リズムって……」
そういえば詩織、中学高校と吹奏楽部だったか。
よく練習している姿を見たが、確かにめちゃくちゃ上手い印象だった。カラオケに行って歌を歌っても絶対に音程を外さないし、絶対音感がある様子だった。
まさかその要領で回転数を合わせているのだろうか。
普通の人間にはできない芸当だが、天才だからこそなせる業というか……。
あまりに涼しい顔で言われたせいか、それ以上は何も突っ込めなかった。
片目のセリカにも、こういう天才ドライバーが乗っているのだろうか。
片目のセリカか──。
昨日、圭吾と愛奈さんの話を聞いてから、片目セリカの事が頭から離れない。
あくまで噂でしかないし、そもそも信憑性の薄い怪談話の類なのに、何故だか気になって仕方がない。
どんな奴が乗っているのか。
どんな走りをするのか。
どんなチューニングをしているのか。
そもそもそいつは生きている人間なのか。
わからないからこそ、余計に気になってしまう。
片目のセリカと走ってみたいと思ってしまう。
「和兄ぃ?」
ぼけっと考え事をしてしまったが、詩織の声で現実に引き戻された。
「なに?」
「なにじゃないよ、あたしの家着いたよ」
「え? ああ、そうか……あんまり快適なんで、ぼーっとしてた」
「ホントに?」
「ホントだって、お前普通に運転できてるじゃん」
詩織が怪訝そうな顔で俺を睨んでくるので、褒めて宥めようとした。
思惑通り、詩織の表情が普通に戻った。
「でも運転しないと上達もしないでしょ? あーあ、自分のクルマ欲しいなぁ」
「そうは言ってもクルマって金かかるぜ?」
「大丈夫、パパが100万までなら出してやるって言ってたから」
「そ、そうか……」
そういえば詩織の父親、土建屋の社長だったな。
俺も医者の息子だからその類なのかもしれないが、俺自身は両親から金を出してもらった事は殆どなかったので、実家が太くて親も優しい詩織が羨ましい。
──待てよ?
予算100万って事は、圭吾のロードスターが余裕で予算内に入るのか。
一応、詩織に聞いてみるか。
「詩織さ、50万でロードスターって興味ない?」
「え? ロードスター?」
「うん。初代の、ちょっと古いけど……写真コレ」
俺は懐からスマホを取り出し、写真フォルダを漁って圭吾のロードスターの写真を詩織に見せた。
「あ、コレ!! 漫画で見た事あるクルマ」
「お前イニD読んでただろ。色は違うけど、NAロードスター、アレだよ」
「ふ~ん」
詩織は運転席から少し身を乗り出し、俺のスマホを手に取って画面を見つめる。
一瞬触れた指先がとても柔らかかった。
「まぁFRだし、オープンカーだし、親父さんが許可をくれるか知らんけど……」
「いや、大丈夫じゃない? パパが乗りたがると思うよ、コレ」
「おお、そうか……」
そういえば詩織の親父さん、クルマ好きだったな。
最も俺とは違うベクトルのクルマ好きでジムニーやランクル、デリカなど、クロカン系の車両を複数所有しているらしいけど。
「で、どうする? 正直50万じゃ普通は買えないし、車検近いけど買うなら車検整備くらいは俺やってやるけど?」
なんか、これじゃ俺が詩織にロードスター乗って欲しいみたいだな。
無理強いできるものではないのに、どうしてもオススメしてしまう。
「うーん……一回現物見てもいい?」
「そうだな。現車確認は大事だな、じゃあどっかのタイミングでオーナー呼ぶわ」
「わかった。けど和兄ぃとあたし休み合わなくない?」
「まぁそこは予定を調整して、上手い事合うようにするよ」
「ホント? じゃあよくわかんないけど、和兄ぃに全部任せるね!!」
満面の笑みを俺に向けてくる詩織に、思わず胸が高鳴ってしまう。。
子供の頃からノリが変わっていないだけなのは分かっているが、懐いてくれているからこそ見せてくれる仕草に弱いんだよな。
「それじゃ、あたし家戻るね」
「おう、また後日連絡するわ」
「和兄ぃも、どうせ夜走りに行くんでしょ? 事故だけはしないでね」
アルトから降り、家に向かって踵を返した詩織の後ろ髪が靡く。
俺は詩織の後姿が見えなくなった後、アルトの運転席に乗り込み、ステアリングを持って呆然と前を見つめた。
明日も会社は休み。
詩織には見透かされていたが、この後の予定が頭にぼんやりと浮かぶ。
「……やっぱ、気になるよな」
何度思考を巡らせても、結局頭に浮かんだのはアレだった。
支笏湖に行こう──。
片目のセリカ、どうしてもその存在が気になる。
気になって仕方がないなら、この目で確認してみたい。
決意を固め、詩織の家の前からアルトを発進させた。
◇おまけ:キャラクター名鑑その2◇
名前:猪俣 詩織
性別:女性
誕生日:2007年4月21日
身長:158センチ
体重:秘密(重くはない)
職業:学生(高校3年生)
好きなもの:和兄ぃに絡むこと、甘いもの(スイーツとか)、友達と遊ぶこと
嫌いなもの:勉強、ピーマン、犬(幼少期に吠えられた事がトラウマ)
得意技:絶対音感(……技?)
愛車:特になし(免許を取ったばかり)
ひとこと:普通の女子高生。和也とは従兄妹の関係で、彼に懐いている。
車に少し興味があり、どうやら運転の才能はありそうだが……?