Act1,片目のセリカ
「そういやさ、和也って支笏湖行ったりする事あるの?」
6月中旬、石狩市。
時計の針は深夜2時を刻んでいるものの、意外と気温が高くて蒸し暑い。
赤いテーブルが特徴的なラーメン屋で、特製味噌ラーメンを汗だくになりながら啜っていると、隣で同様にラーメンを啜っていた小関圭吾から質問を受ける。
「いや? 遠いし、あっち事故多くて治安悪いっぽいし……」
「そっか。じゃあお前のハチロクが勘違いされているわけじゃなさそうだな」
「は? なんの話だ?」
「それもしかして、最近支笏湖界隈で有名になってる片目のセリカの話?」
圭吾が何の話をしているのか理解できずにいると、正面でラーメンを啜っていた中子愛奈が、どこかで聞いた事のあるワードを口にした。
「そうそう、愛奈さんは知ってましたか」
「自慢やないけど、うち知り合い多いからね」
そう言いながら俺の正面の席でラーメンを啜る愛奈さん。
ウェーブのかかった栗色の長い髪で、活気のある琥珀色の瞳。両耳にはピアスを開け、黒のへそ出しカットソーにスウェットというラフな格好。
スレンダーなギャルという印象の愛奈さんと2人で盛り上がる圭吾は、愛奈さんより明るい茶髪のツーブロックで、イマドキの若者といった風貌だ。
2人とも高校時代からの付き合いで、俺こと宮田和也の走り仲間。
そんな2人が盛り上がっている片目のセリカ──噂は聞いた事がある。
「片目のセリカって、あの都市伝説の……?」
「そうそう、その片目のセリカ」
「アレってただの怪談話とか、その類なんじゃねーの?」
「お前もしかして知らねーのか? 今そのセリカが頻繁に出没していて、色んな奴が追っかけられているらしいぜ?」
俺が胡散臭すぎて呆れていると、圭吾はそんな俺を諭すように片目のセリカの噂を説明してくる。
──片目のセリカ。
北海道、特に道央圏で走り屋やっているなら一度は聞いた事があるワードだ。
ていうか別にクルマをやっていなくても、そのワードを聞いた事がある人はそこそこいるハズである。
恐らくその話が有名になったのは、俺たちが生まれる前の話だろう。
南区の支笏湖線を走っていると、片方のヘッドライトが切れた初代セリカが、忽然と後ろから猛スピードで追いかけてくるというもの。
追われた者は事故るか、スピンするか、あるいは道を譲るか、それまで背後霊のようにピタリと張り付いてくるという。
どれだけ攻め込んでも、決して引き離す事ができない。
その異常な速さ、不気味さ、そしてオーナーが誰か不明だった事から、"支笏湖で死んだ走り屋の亡霊"として、当時の走り屋たちに心底恐れられたという。
そして怪談として一躍有名になり、一般人でもこの話を知っているらしい。
だけど噂は噂。
そんな幽霊みたいな奴、もし本当に居るならテレビで特集されているだろう。
「いまいち信じられんなぁ……大体、そんな古いセリカで走ってる奴いるのか?」
「あんたのレビンも十分古いやんけ」
「……愛奈さんのEK4も旧車の部類では?」
「うっ……」
「もうやめときましょ愛奈さん、ここにいる全員旧車乗りですから……」
思わぬブーメランを食らってダメージを受ける愛奈さんを、圭吾は呆れた様子でなだめた。
「てか噂は噂でしょ? そのセリカ、周りで見たヤツいるんですか?」
「うちの知り合いの知り合いが支笏湖で追いかけられたらしいで」
「知り合いの知り合いって、それ他人じゃないですか」
愛奈さんに呆れながらツッコミを入れる。
関西出身の愛奈さんは時々漫才のようにボケる事があるので、それだと思った。
「まあオレは付き合いで支笏湖に時々行くけど、セリカの話は現地でも聞いたな」
「ホントかよ」
「ホントだって。だから和也がコソ練しに行ってるんじゃないかなと思って」
「行ってねーよ。材木と手稲山以外は遠いし……」
「そうか? お前みたいにキレた走りする奴、そんなに居ないと思うんだけど」
「そんなことないだろ。支笏湖にだって速い奴の1人や2人いるだろ」
「そうだよ圭吾、こじつけにも程があるって。あとAE86とダルマセリカを見間違うようなマヌケ、車やってる奴にはおらんやろ」
「そうか……」
あらぬ疑いをかけてくる圭吾だったが、愛奈さんがそう言ってくれたおかけで、圭吾は納得した様子でコップに入った水を飲み始めた。
「まぁ圭吾が疑いたくなる気持ちはわかるで。青文字の4AGで、うちのEK4とタメ張れるんやから」
「いや結構しんどいっすよ? 上りじゃ流石に勝てないですし……」
「そう謙遜すんなよ。去年の十勝だって、Jr.コースのタイム、シェイクダウンの段階で57秒台入ってたべさ」
「ギリギリな?」
そんな話をしているうちにラーメンを食べ終えた俺たちは、店外に出て駐車場に並ぶ三台を見つめた。
真ん中には俺のAE86カローラレビン、前期型のGT-APEXが鎮座する。
去年、ネットオークションで見つけたものを相場より非常に安く落札し、費用は祖母に頼み込んで、毎月一定額を返済するという約束で購入した。
白黒ツートンのボディには年式相応の劣化が見られるものの、車高調整式のサスペンションでイイ感じに落ちた車高に、アドバンA3Aというホイールが当時感のある雰囲気を演出している。
その横には同様に車高を落とし、ホイールが変更された濃紺のEK4シビックと、濃緑のNA6CEユーノスロードスターが並んでいた。
今日もこの3台で走り、その帰りにラーメンを食べに来たというわけだ。
「時空歪んでるよな」
「ホンマやな。令和の時代にハチロクにEKシビック、NAのロードスターって」
圭吾が笑いながら放った一言に、愛奈さんも楽しそう同調した。
「けどオレ、ロスタ降りようと思ってるんだよね」
「なんで? 気に入ってただろ?」
「そりゃそうなんだけどさ、もうちょい速いの欲しくて……車検も切れるし」
「まぁ確かに。ステップアップするなら、もっと速いのに乗り換えもアリだよな」
圭吾のロードスターは吸排気にECUを書き換え、ノーマルのロードスターよりは全然速いのだが、それでも1600ccなのでパワーは知れたものだ。
「誰か欲しいヤツいねえかな。身内関係ならボロいし、50万くらいで」
「ロードスターならもっと高く売れるやろ。特に今、NA高いんやし」
「そうなんだけど、ネットの知らん奴はトラブル怖くてなぁ」
「うちの従妹が明日免許取りに行くけど……アイツ欲しがるかな?」
「初心者にはいいクルマかもな。まぁ興味示したら教えてよ」
「あんま期待するなよ? 車は好きだと思うけど、普通の女の子だから」
圭吾が売ってもいいという反応なので、ニヤニヤしながら圭吾に答える。
小さい頃から知っている従妹の女の子が、免許を取る歳だと思うと感慨深くて、初めての愛車にロードスターという邪な感情が芽生える。
とはいっても普通の女の子だし、古くて異音まみれでオンボロなオープンカーを買うとは思えないが。
「ところで次何買うんや?」
「ナイショっす」
「なんだよケチくせーな、教えてくれよ」
「納車されるまでのお楽しみな?」
それから小一時間ほど、圭吾と愛奈さんと駐車場で駄弁ってから解散し、家に着いたと同時、電池が切れたように眠りについた。
◇ ◇ ◇
翌日、目が覚めたのは昼になってからだった。
「いい若者が、随分と寝坊じゃないか」
部屋を出て居間に降りると、黒髪短髪で額と口元に皺が目立ち始めた父親、宮田裕彦が、台所でインスタントラーメンを作っている様子だった。
ディーラーの整備士である俺は今日仕事が休みで、オヤジが経営する病院も今日は休診日で、学校の先生であるお袋は平日なので、普通に仕事。なので休日、家に残された俺たちで家事をして生きているわけだ。
「昨日も夜遅かったんだよ……ふわああ」
「情けないな。俺が若い頃は夜通し働いて、明け方走ってまた働いていたもんだ」
眠すぎて大きな欠伸をすると、オヤジはドヤ顔で自身の過去を自慢する。
元峠の走り屋で、なおかつ元ラリーストで、青年時代を車に捧げたような人生を送ってきたオヤジの目には、今の俺が怠惰に映っているのだろう。
「昭和のスパルタ時代と、令和のヌルい時代を一緒にしないでくれよ」
「俺は生まれは昭和だけど、お前くらいの歳の頃にはもう平成だぞ?」
「平成と言っても1990年代……平成初期じゃん」
「うるさい。お前だってそのうちオジサンになるんだぞ」
年寄扱いされた事が気に障ったのか、オヤジは不満を漏らしていた。
そして丁度インスタントラーメンが出来たのか、鍋をテーブルに持ってきて、二つの食器にラーメンを均等に入れる。
「ほれ、出来たぞ。これ食ったら手稲行ってこい」
「手稲?」
「お前、今日は詩織ちゃんの本免試験だろうが。迎えに行ってこいよ」
「ああ……え、俺が迎えに行くの?」
「お前のスマホに連絡したけど、返事なかったって俺に連絡来たぞ。寝てるから、起きたら向かわせるって言ってあるからな」
起きてからスマホを見ていなかったので、智音からの着信に気付かなかったが、オヤジったら何を勝手に約束しているんだか。
詩織──猪俣詩織は、昨日話題に挙げた俺の従妹。
18歳になったばかりの高校3年生だが、大学には行かないで就職するつもりなので、社会人になったら必要だろうと免許を取りに行っていたらしい。
先日卒業検定に合格。今日は手稲の試験場に学科試験を受けに行っているのだが、無事に合格したらしい
あのクソガキだった詩織が、もう車を運転できるようになったのか。
「俺の予定無視かよ」
「どうせお前、休日は寝てるが車イジってるかの二択だろ?」
「ちぇ、しゃあねえな……アルトで行って帰りアイツに運転させるか」
「名案じゃないか。運転させるのが一番イイ練習だぜ?」
オヤジは他人事だと思ってニヤニヤしながらそう言うが、手稲まで行くのは正直面倒くさい。
家からそこまで遠いわけではないが、眠いので外に出るのが面倒くさい。
とはいえ行かなきゃ智音はキレるだろう。
インスタントラーメンを食べ終えた俺は準備をして、通勤車のHA23Vアルトバンのエンジンをかけた。
◇おまけ:キャラクター名鑑その1◇
名前:宮田 和也
性別:男性
誕生日:2001年7月10日
身長:172センチ
体重:58キロ
職業:自動車整備士
好きなもの:愛車で走ること、山帰りのラーメン屋、外で肉を焼くこと
嫌いなもの:鹿、寒さ(道民なのに)、予約なしで来る客
ホームコース:材木峠
得意技:人間ABS
愛車:AE86 カローラレビン(後期型GT-APEX)
HA23Vアルトバン(Vsグレード、ターボ載せ替え仕様)
ひとこと:給料少ないのに車にお金をかけすぎているため、いつも金欠。
峠の走り屋としては限りなく完成に近い上級者。