ホームシック
「どう、熱い?」
わたしの声は、よく通る。
それはアイドルだからであり、その声は対象の少女には届いているはずだ。
「……顔、赤いよ」
特段何も言わないアリストを、湯船から引き出す。
湯から出たら、外気の寒さが肌を震わせる。
その、外というのは、開放的だった。
(温泉ねえ)
テレビでは行ったことがあるが、個人的に来たことはない。
わたしは疲れないからだ。
火山にある、天然の温泉には、朝ということもあり誰もいない。
アトカラの仕事場で泊まらせてもらったあと、折角だからと、朝だけこの温泉を貸切にしてもらった。
そういう力が、アトカラにはあるみたいだ。
「卓球」
「知ってるんですか」
お風呂上がり、のんびりとしていたら、知っている遊びをしている人がいた。
「まあね、朝っぱらから、よくやるよ」
少年が二人卓球をしていて、つい声をかけてしまった。
今は村の集会所という、一段と大きな建物にいる。
そこでは食事を行えたから、そのために来たわけだ。
「急に声かけて悪かったね、じゃ」
私は少年二人に謝り、アリストの手を繋いで食堂の方へいく。
「運動してみるのも、ありかなって」
食事を終えたあと、私とアリストは卓球台を挟んで向かい合っている。
「まあ、嫌いだったらやめればいいから」
ルールとやり方を教え、アリストに球を打たせる。
雑に振られたラケットが、ピンポン球に当たる。
2回、高く跳ねる。
私はそれを優しく返し、再度アリストに打たせる。
ピンポン玉は一回も跳ねず、私の手の中に。
場外だ。
「ちゃんと当てるために振ってみようか」
再度ラリーを続ける。
私が返せるように打つのもあり、アリストから返ってくる球は、低く速くなる。
(素質がある)
運動の、何かの素質が。
一体その細い腕のどこにあるのだ。
(まあ、魔力というのがあるのなら、あり得ない話ではないのか)
私も早く、低く、そして回転をかけて球を返す。
横ではなくて縦だから、ドライブ回転だ。
「やる」
私の手を見ているアリストは、私の真似をしラケットを振る。
普通には返せないから、後ろに飛んでカットする。
またドライブ、ならばカット。
初めてやったとは思えないほど、正確なドライブは私を後ろへ下がらせる。
(早い、強い)
が!
「流石にね!」
力任せに、思いっきりドライブで返す。
馬鹿みたいにかかる回転が、思いっきり跳ねた。
すればそれは、速く飛び、アリストの横を突き抜け、建物の壁にあたり、私の元へ戻ってくる。
「上手いね。褒美で、コーヒー牛乳でも飲むか」
上達が早い、というのか、飲み込みが早いのか。
私が教えたことならなんでもできそうだと思わせた。
私という、完璧な人間の真似をできるのなら。
(逸材だ。私の真似をさせるだけで、この子は日本で活躍できる)
それはなんの分野でもそうであり、彼女の特異性を表していた。
本人にその気は一切ないのだろうな、とはおもえたが。
青龍さんは、やや不機嫌に言う。
(アリストの意思は尊重しろよ)
それは、まあ、そうだ。人の意思を無視したところで、得られるものは、高が知れているのだから。
「すっげえ」
ギャラリーの少年二人は、そう溢す。
「ね、ね!ジエーデとやってみてよ」
片方の少年が私の手を掴む。
残った彼が、ジエーデなのだろう。
やけに細い、切りついた目だ。
高校生ぐらいか、それとも中坊か。けれども、若さの甘さは感じず、殺意のある目ではあった。
それでも友達がいるのは、根が善人なのだろう。
「私はいいけど、キミは?」
「いいけど、別に」
アリストにコーヒー牛乳を渡し、そこら辺に座らせる。
「といっても、軽くね。二点先取でどう?」
「いいよ」
「じゃあ、遠慮なく」
私のサーブから。
遠慮なくと言った通り、横に回転をかけて打つ。
右方へ飛んだピンポン球が、私側の台へ触れたあと、左方へネットを越える。
ピンポン球は、低く手前に跳ねる。
2回跳ねて、次落ちれば私の点。
そして雑に返そうものなら回転で知らぬ方向へ飛ぶし、ちゃんと返そうとしても手前ゆえやりづらい。
(読んでるか)
ジエーデという少年は、既に移動していた。
そして思いっきりドライブ回転で返す。
(挑発が!)
私はカットして返し、ジエーデは再びドライブ。
(この私にドライブで返せと言ってある)
アリストにしたようなことを、しろといってる。
(してやるか)
私も思いっきり、ドライブで返す。
ドライブを打ち返すドライブ回転は、それはもうとてつもなく回っている。
私が卓球で負けたことなどないのだ。その気だったら世界も取れる!
が、返ってきた。
もっと強い球が!
「やるねえ」
ピンポン球が、壁にぶつかり割れる。
私が一点取られる形で終わった。
「ほら」
ワタシはジエーデに新しいピンポン球を渡して、構える。
普通の、特段言うことのないサーブ、私はやや前回転をかけて返す。
(また!)
ドライブとカット合戦。
(こいつ、真っ直ぐだ!)
子供らしい、得意なことだけで攻めてくる。
なれば答える、大人として。
思いっきりドライブ、そして!
(返ってくるから)
実際先ほどのように、ジエーデがまたドライブで返す。
(こっちだって真っ直ぐに)
またドライブで返す!
「あら、ら」
思いっきり振るラケット、それがピンポン球に当たった直後、折れてしまった。
ピンポン球は明日の方向へ飛び、そのまま床に落ちた。
「私の負けかあ」
「ありがとうございました」
「強いね。ありがとうございました」
「たまたまですよ。ラケットが折れたから勝っただけです」
「そうさせたのも実力だよ」
なんとなく、握手を求める。
お互い肩を上下に揺らしていて、通じ合うことがあったのか、ジエーデは握手に答えた。
「お風呂入ったのに、汗かいちゃった」
山道を降りながら、久しぶりに運動したことを思い出す。
「どう、卓球」
アリストは私の左手を握る。
つまり肯定なのだけど、その後急いでスケッチブックを取り出した。
「絵を描いてる方が、好き。そっか」
運動はそこまでのようだ。
まあ特段運動不足というわけでもないようだから、問題はないのだけど。
(アリストは、転びそうにはなるし、長く歩くことはできない)
けれども今日のような運動はできた。
不思議だ。
もしかしたらアリストというのは、もっとすごいのかもしれない。
本当は歩けるのに、私に甘えているだけかもしれない。
(親の教育というもの、なのだろうけど)
話せないのではなく、話さない。
そのように、できるけどやらないことがあるのだろう。
「魔物?」
「やけに凶暴だったんですよ。どっかいきましたけど」
火山の入り口で、馬車の持ち主が言う。
彼は壊れた馬車を直そうと、悪戦苦闘といった様子だ。
「直ります?」
「直しますけど、日にちがかかるなかなあ」
「……近くの街で馬車って買えます?」
「あー、まあ。ギルドからの支給品なので、言えば新しいのを貰えますけど」
「じゃあ、貰いに行ったらどうです?」
「客を置いて行ったら怒られますよ」
「それもそうか。じゃあ、仕事はここまでということで」
「へ」
「魔物がいて危ないんですから、さっさと逃げるべきですよ」
「お客様は……」
「私は強いから大丈夫ですし、この子は私が守ります。が、あなた方まで守ろうとすると、面倒臭い」
「はあ」
「ですからこのお金と共に、馬に乗って帰ってくださいな」
「それでいいのなら」
「いいんですよ」
「転ばないようにね」
私はアリストにそう言い、目の前の足跡を追う。
火山から離れるたびに、木々は増えていく。
そこには豊かな実りがあり、生物が多く見える。
「これ、魔物じゃないんですよね」
(うむ。そうだが)
「私の地域にはいないから、全部魔物に見えるや」
(魔物、いないのか)
「いませんし、そもそも魔力がないんです」
(ふーん)
青龍さんは私に興味がなさそうだ。
死んだ身故そうなのだろうが、塩対応すぎた。
私自身いつも仕事では大袈裟に相槌を打ってきたが、やはり意味はあるのだろう。
「右か」
足跡を追うため、曲がる。
「しかし足跡、わかりやすいですね。火山灰ですよね」
私たちが歩いている場所には、灰色のアクセントがある。
灰色ではない茶色、土の部分が足跡なのだ。
肉球の形に、規則的な隙間で灰色はないのだから、足跡なのだ。
(火山灰だな)
「それで、これか」
視界の上を見れば、赤い果実。
木々の木漏れ日は暑いと言うことはなく、普通のものだ。
だけれど、風が吹くたび、木から灰が舞う。
ここら辺の木々は灰を被ってなお成長する。
(魔料でもあるんじゃないのか)
また、魔力。
(お前が山頂に登ったとき、噴火口を見ただろう)
ああ、はい。広がったアレか。
「なんとなく、見てみたかったのもありますけど、ただの火山口でしたが」
(が、あの場所に魔物でもいるのなら、それが村の長なのだろう)
ふむ、つまり作為的な噴火か。
「まあ確かに、魔力のある火山灰を降らせられるなら、人には恩恵がありそうですね」
すごい肥料を自動で蒔いてくれるようなものだ。
が、火山のそばで暮らすなら噴火のことだって考える必要があるだろう。
「その魔物が守っているのなら、見返りは貴重なんでしょうね」
(だろうなあ。ワシの場合は、そもそも草食だから、人間に育てさせるのが楽だったのだ)
「ここの長も草食だとしても、ここまで豊かな森を作れるなら、自給自足でいい気がしますけど」
(案外、マグマの中が楽なんじゃないか。ワシだって森のうえを飛ぶより、海の中を泳ぐ方が好きだし)
「まあ確かに、自分の好きな場所に居れて、勝手に食料を運んできてくれるのなら、楽ではあるか」
(魔物と人は共存できるとは言え、程度はあるからなあ。魔物自体は別に人に依存する必要もないし、逆も言えるだろう)
「あ、でも食料以外にもあるんじゃないですか」
(例えば)
「お金とか。ほら、アトカラって人、鍛冶屋でしょ。そう言う人が使う炎がここの魔力のマグマなら、売れそうだし」
(金を欲しい魔物か。いるかもな)
「だって、あのランプや、温泉というのは土産や観光資源になりますよ」
(そういう噂は聞いたことないが)
「どうでしょう。最中なんじゃないですか」
イニーンという男は、最近貿易が活発になってきたと言っていた。
そういう、横のつながりが増え始めるのが今なのだったら、村を統治する長たる魔物が、そういう準備はするかも。
(ふむ。確かに村というのは年々生まれる子供が減るものだし、外から人を引き寄せられるのはメリットか)
「でしょう?」
足跡は右に続いていた、ので曲がる。
これじゃあ来た方向に戻ることになるが、仕方ない。
「アリスト、疲れたの?」
私の後ろで、やや足取りが重くなったアリストを見る。
「休憩しようか」
「絵描くのにハマっちゃって」
アリストは、そこら辺にあった岩に座り一心不乱に筆を走らせている。
「私の地域だとこういうのはなかった……かな?」
私はそのアリストが座る、岩を見る。
黒く冷たい岩だ。
「アイドルとして被災地の復興を手伝ったことはあるけど、火山の被害は見たことないしな」
知識としてはわかる。だから火山灰が積もるこの一帯を不審に思えるのだ。
(お前は、遠くから来たと言ってたが、どれぐらいだ)
「わかんないです」
青龍さんは、納得してないような声。
「私は、ここら辺の地図は見ましたし、火山のてっぺんから景色も見ました」
歩きながら、触れていた岩から離れる。
「少し前まで私は私の家にいた。私は私の居場所にいた」
次に触れた木は、私の知らない種類だった。
枝分かれして、先に葉がついて、それが太陽光を吸収しているのは確かに木だけど。
私の知らないものだった。
「望んでここにいるわけではないんです。気がついたら、青龍さんたちの近くにいて」
(ホームシックか)
「そうかも。もしこのまま帰れなかったら、私はやり残したままここで生きるしかない」
(……もし帰るとしたら、アリストはどうする)
「誰かに預けるしかないかもしれません。私の国は、私の居場所は、あの子には優しくない」
絵を描いて、物事を見て、じっくりと一つの完成形を作っている。
楽しそうに、嬉しそうに。
一緒に居るからこそ、無表情の中にある感情を理解できる。
「私の居場所は、完璧を目指さなければならない。ハキハキと話す必要がある。自主的に何かをする必要がある。他人を思いやる必要がある」
(必要、必要。生きづらそうだな)
「私は完璧だからいいですけど、他の人はそうではないんです」
思い出すのは過去の記憶。
私と一緒に居ると辛そうな両親。
私に嫉妬する人間。
私を崇める人。
私に、焼かれた人。
「あそこには、嫌な記憶もあるけれど、大事な記憶があるんです」
私には、父親代わりの人がいる。
私が所属する事務所の社長が、そういう人なのだ。
最初は知らぬが、今はあの人だけが、私を人として扱っている。
アイドル光道リンではなく、人間光道リンとして。
だから休みをくれて、私は旅行をする気になった。
それがこんなところに来てしまった。
「帰りたいな」
圏外のスマホには、もしかしたら連絡が来ているのかもしれない。
そう考えると、恋しくなった。
「……私の父親代わりになってくれません?」
「……なんで」
「書類とか、いちいち親に連絡する必要がないじゃないですか」
「いいのか」
「今の姓より、光道の方がカッコいいですし」
「そうか。じゃあ、今日からは光道リンだな」
「やったあ」