不思議アリスト
眠気というのはあった。体内の、血糖値とか、そういうのだ。
昼飯を奢ってもらい、私は目の前の男と一緒に仕事をすることになった。
「こっちはアリスト。私は光道リンです。よろしく」
「俺はイニーン。アンナ家の跡取りだ。よろしく」
馬車はカタコト揺れていて、オープンな荷台には、確かに私たち三人が乗っている。
魔物が、馬の魔物が、荷台を引いている。そこに操り手はいないから、馬が、こっちの話を理解しているから成り立っていた。
こういうものが交通手段の一般であるのだから、速度というのはあった。
「しかしまあ、こんな細い腕にねえ」
「密度という考え方はできるでしょう?」
イニーンは、私の細い腕を、自身の太い手を使い触っている。後半の方は、肌の感触を確かめるようにしていた。
アイドルというのは、外見が大事な仕事であり、印象を尊ぶ。ので太い、筋肉の生えた腕というのはあまり好まれない。清楚感がウケるのであり、汗臭いのは必要ないからだ。
私もそういうために、外見の維持はしている。そういう努力の結果、密度のある、エネルギーのある筋肉というのが手に入りはした。とはいえ元々力はあったのだから、あまり努力はしていないのだけど。
生まれてこの方、髭は生えないし、脱毛したらそれ以降生えてくることも無くなった。
「魔物退治って、必要なんですか」
「どういう理屈で」
「邪魔な虫を退治する理屈と同じなら、今回のような、依頼を出した村とかの内部で処理すればいいじゃないですか」
「……本当に外国から来たんだな」
私の問いに、彼は答える。
「最近になって、この辺りには村……というか、集落のようなものが作られ始めた」
「人口でも増えたんですか」
「ソレもあるけど、なにより貿易のための休憩地点が欲しくて、用意し始めている」
「貿易の必要性があるんですか」
「ああ。商人が他党を組んでくれて、ギルドのような組織を作ったんだぜ」
「……各地の情報を集めたいのか」
「そ、だから依頼というのは副産物の商業で、本当は商会としてのがメインなのさ」
「そういう人たちがパーキングエリアみたいなのを作ろうとしていて、そこは建設現場でしかないから、腕が立つ人はいないのか」
「だから今日みたいなことをするんだ」
「あれ」
馬が止まる、私たちも止まる。どうやら人が前から来て、安全のために止まったみたいだ。
「そういう雰囲気じゃなさそうだけど」
人に道を譲るのは丁寧なことだが、そこまでの狭い幅ではないのだ。
それよりも、その前方から来る人、馬車というのは随分と走っていた。
「あのー」
私が呼び止めようとする前に、私たちの横をソレは通り過ぎる。散る汗を見てしまい、表情も予測できた。
「魔物っていうの、人を襲ったんじゃないですか」
「そんな急か?」
私は馬車の荷台から立ち、遠くを見つめている。
「煙のようなものはない……」
(耳だ、耳を澄ませ!何か聞こえる!)
内の青龍がそう騒ぐので、私は言われた通りにする。
「音」
ザクザク。
「何?」
風の音。遠くの木々が揺れる音。誰かの呼吸音。
「草のかき分けられる、人為的な音」
その中一つ、たった一つ。ソレは、やがて土を踏む音に変わった。
「生命の影なんてないけど」
イニーンは私のそばであたりを見つめるが、確かにこの草原には何もない。
音、音!
微かなソレは、こちらに近づいてきている。
「イニーンさん、アリストと、馬車をお願いします」
「なに?」
「動かないでくださいね」
私は荷台から飛び降りる。草が、踏まれれば、音は鳴る。その音は迫り来るものと同じ音。
(わしは死んだ身、己が定めは貴様次第だが、やれるのか)
「当然。私はアイドルですから」
私の足元、黄色い土の道が上に、影が来る。その影が示すものは、太陽の光の中には無い。
「きたっ」
その影から、巨大な生命が飛び出る!
私はそいつを、回し蹴りで蹴り飛ばす。
(コイツは、感触が同じだ)
相手が地面を、滑る。滑った後には、抉れた地面。
ソレは大きなクマだった。
生命としては不恰好にでかい、恐竜のような大きさ。
「グル……」
唸り声、よだれと共に、その焦点のない瞳はこちらに来る。
(コイツは同じなのだ!ワシの村を破壊したやつと!)
二本の腕、巨大なソレが振り下ろされるけど、私も両腕で受け止める。
重い、が!
「私の方が強い!」
押し合いになり、私が優勢。そのまま、相手の腕を握ったまま、思いっきり蹴り飛ばす。
重い音と共に、熊はゆらめくけれども、私が掴んでいるから離れない。
もう一発、蹴る。
相手の熊は、食べたものを吐き出す。それは、骨。人骨だった。
「格の違い、というのはこれでわかると思うけど」
しかし、青龍が言ったようなことが本当なら。そう思えば、私は最初に出会った狼をリフレイン。
ソレと同じ景色は、また起きた。
「水の魔法、水魔法!」
狂ったように、ただ何かを追い求めるように、その熊は狂いこちらを襲う。
私は指先から、高圧の水を噴出し、相手の脳を貫く。
ソレでも熊は動き、また、腕を振り下ろす。腕が当たる直前で、その熊は息絶えた。
「何かに突き動かされる、生命の挙動たり得ないから、寄生でもされているんじゃないですか」
(かもな)
酷く、グロテスクな光景だ。垂れた脳みそと、溶けかかった衣服や腕時計。綺麗に残った目玉。
二人してそんなことを考えていると、後ろからイニーンがやってくる。
「よくもまあ、やるものだな」
「見直しました?」
「ああ」
「埋めるから、待っててください」
水の魔法。その衝撃が、地面に、穴を開ける。そこへ胃酸の匂いがする死体の数々を放り込むと、埋める。
何の意味もないが、まあ、殺してしまったのなら、とはなる。
自己満足でしかはないが、やる意味は、あるだろうと思った。
(魔力が、なくても有機物だったのなら、土の養分にはなってくれるだろ)
青龍さんの言葉には、頷いておくことにした。
集落、そこは商人が休憩のために作った場所であった。
崩壊したテントと、乾いた血のついた地面がある。
「ここで何があったんですか」
人気のないここで、私は唯一と言って差し支えない人に話をかける。
「……魔物が急に暴れ出したんだ」
「その話ぶりだと、温厚なやつなんでしょうね」
「そういうことにはなる。そもそもそういう、戦うための生物でもないのに、何故か人を殺せたんだ」
「ふうん。熊みたいなやつ?」
「いや、犬みたいなやつだ。可愛らしい、至って、小さかったんだから、大きくなっちゃったら、なあ」
「それ、どっちへ」
「依頼の人?」
「そう、ですけど。あれ、その話的に、暴れてる魔物は別にいるんですよね」
「まあ、はい。だから、帰ってくれても構わないけど」
私は礼と共にその場をさり、自分が乗ってきた馬車の方へ戻る。
「さっき倒したやつって、今回の依頼のモノではないですよね」
「そのはずだが」
イニーンに確かめを取ると、やはりという話になる。
「こういう、暴れ出す話ってよくあるんですか?」
「さあ、どうだか。聞いたことはないな」
「アレが、ここら辺であばれていた魔物って言うんですか」
「だって用紙には描かれてるしなあ」
私とイニーンはその、今回の依頼の魔物を眺める。
互いに目視できるその距離でなお、その生物はユラユラと草を喰らっていた。
マイペースだ。
紙に書かれた内容は、ひどく凶暴で肉食だと書いてあったというのに。
結局、なにかをするわけでもなかつたので、ひとまず放っておくことにした。
そして、被害なんてものは止んだし、近くに暴れていた、私が倒した奴がいたのだから、目の前の魔物は無関係となり、そこで終わった。
帰り道、アリストに懐いた、犬の魔物がいた。それが、キャラバンの、集落の言っていたやつだとは分かったが、戻す危険性はあったので、連れて行った。
「そういう、草原があるからさ、連れて行きなよ」
イニーンノの言葉、覚えておくことにした。
依頼金というのは、結局貰えた。
しかも私が倒した魔物のは売れるものらしく、予定以上の収入は手に入ったのだ。
なのだから、私とアリストは高い宿屋に泊まることにしたのだった。
「私はね、もっといいとこに住んでたんだよ」
広い浴槽には、私たち二人しかいない。
というのも、トラブルを避けるために、浴槽が使える時間は部屋ごとに決まっている。
私たちが今その番というわけになる。
「いつか連れてってあげるよ」
相変わらず、アリストは話さない。
行動もせず、私に頭や顔、体を洗われるだけだ。
しかし、何か意思はあるのだ。私が、困ったことがあれば言えと言ったら、目で訴える。自身の髪をとくことを、服を着せることを。それが当たり前のように。
父親の教育なのだとは、思った。
「どう?外出て、見て、なんか感じた?」
私は話を続ける。この子は、人の話を聞いているし、考えている。
ソレは親の教育が良かったからでもあり、この子の素質でもあるのだろう。
それが外側に、私に見える形で出てこないだけで。
なのだから私は、話し続けるのだった。
「手に入ったお金でさ、服買ったけど。アレでよかった?私の趣味だけで選んだけど」
「……」
無言。肯定か否定かもわからぬそれに、私は対処するしかない。
「話さないのには、訳があるんだろうね。ソレが大事なら私は何も言えないし、言わないよ」
髪の毛を優しく泡立てていく。長い、そして艶やかなそれを保つために私は動く。
「その代わり、何か別のことを決めよう。例えば筆談とか、あとはジェスチャーとか?」
シャワーで泡を流し、トリートメントをつけていく。
こういう技術、何故か現代的。プラスチックのボトルは、ユニバーサルなデザインだった。
私に合わせられたみたいに楽に使える。
人間なのなら、魔法あれど、辿り着く技術は同じなのだろうか。
「一応、嫌なことをされた時の意思表示は必要でしょ。私はするつもりはないけれどさ」
細く軽い体を洗っていく。骨の感触が残り、女の肌、弾力というものとは思えない。
「今だと、私の洗い方が嫌だったら、私の右手を触るとか」
大事なところまで触られていても、彼女は何も反応しなかった。
「逆に良かったら、左手を触るとか」
アリストの手、女の手だと、つくづく思う。私たちアイドルは、ひどく外見を尽くし作る。
それは外見が九割である人を、さらに外見に特化させた、いわば見た目が十割の仕事でもあるからである。
それをもとに考えると、中学生になるかならないかと言った年の女が親の教育で、麗しい外見を手に入れたのは、ルッキズムとも思える。
(ワシは村のことは守ってやってたけど、家庭には踏み込みはせぬよ)
誰も知らぬ、誰も知り得ぬ、この子とその親の生活。
それの結果がアリストという人形であり、本人がこの事実を肯定しているかというのは、大事だった。
「そう、自分のことが好きなんだ」
私の左手には、女の手がある。
アリストは、どうやら私の洗い方が気に入ったらしい。私の、外見のための洗い方が。
「フン、フフン」
鼻歌と共に、私は外見を整えていく。
髪をワックスで固めて、アクセサリーを身につける。
「アリストの分も、買ってあげようか?」
朝日が部屋に差し込み、見事に明暗を作る。日差しの元に、アリストは日向ぼっこ。
私は影元に、鏡を見ていた。
「そんな感じだと、服とかイヤリングとかって、親のものでしょ?」
私は、買ってあげた服を着ているアリストに話しかける。
村が燃えて、衣服というのは当日のものしかない彼女にとって、着替えは買うるしかなかった。
「買いに行こうよ」
が、だとて、必要なものだけを買って、不必要な、アクセサリー類は、買い与えていないのだ。せっかく外へ出たとなら、未到の地へ来たら、知らぬ店へ入ってみた方がいいとは、考えた。
私だって、折角なら、父親に土産でも買おうかな、とは思っていた。
まあ、帰る手立てなんてないが、見えないだけで、あるものとは、思い込むことにした。
アリストの手を繋いで、外へ出る。
並ぶ商店は、朝にしては、賑わっていた。
露店やちゃんとした建物にある店は、さまざまなものを売っている。
(これが、集落の、キャラバンの完成系である、街かあ)
青龍さんがそう言う。この人、この魔物が放つ思考は私にしか聞こえない。
そのことは当人もわかっているために、わりと私とだけお喋りをしたがる。
そして私がそれに答えれば、独り言と変わりない、変わり者。
だから返答を求められてはいないのだった。
「これ、くださいな」
「はいよ」
私はネックレスを適当に見繕って、買う。お金なら魔物退治で手に入れたから、十分にあった。
「そういえば、本屋とかあります、この辺に」
「ああ、図書館ならあるよ。あっち」
「どうもです」
行くよ。そう言い、アリストの手を握る。
「どう?人混みに疲れたりしない?」
アリストを見下ろすと、特段といった反応はない。
なので問題はないと判断し、手を繋いだまま歩いて行った。
魔物、というのは魔力を持った生物である。
魔力というのは、可能性エネルギーである。
可能性エネルギーというのは、未知のエネルギーであり、万物に変換できるものである。
と言うのを理解して、私はそう言うことが書いてある本を閉じた。
買い物をし終わったあと、図書館から借りてきた本を宿で読んでいた。
「あら、あらら」
アリストの方を向く。
買ってあげた服を着させて見たのだけど、どうも一人ではできないようだ。
リボンがうまく結べていない。
「苦手か。まあ慣れていけばいいし、最悪使わないなり、挟み込むタイプを使えばいい」
私がやり方を、彼女の手を使い教えていく。
「どう、買ってあげた服、気に入った?」
リボンを結び終わった後、私はそう聞く。
彼女は私の左手を触る。
つまりイエスであり、肯定なのだから、私はそっかと言った。
「できるだけ、君には簡単な、幸せだけを享受してほしいけどね」
つけ方がわからないらしいネックレスをつけさせる。
結ぶ方を前に持ってこさせ、留め具で止めさせた後、後ろに回させる。
「でも私という、君の親とは違う人と暮らしてもらう以上嫌なことはあると思うよ」
私は彼女を立たせ、鏡の前に持っていく。
「どうかな。私は似合ってると思うけど」
そうしてようやく、彼女は自分から動いた。
鏡の前でターンして見せて、自身の全容を確認する。
「私の趣味だけど、どうかね」
現代チックな私の趣味は、中世チックなここには、浮いているのかもしれない。
そういう心配、左手を触られて無くなったのだけど。