side.林檎
私が、違和感を覚えたのは小学五年生の頃だった。右ひざだけ感覚がないような気がする。なんというか、少し、動かしにくい。どれくらい曲げているのか、視覚と慣れでなんとかできているが、これ以上おかしくなるとちょっと怖い。
私は親に相談をした。成長痛かな?と、両親はマッサージをしてくれた。しかし、触られている感覚が全くない。
右足の感覚が消えて立てなくなった。それは、突然だった。六年生を送る会の準備中に重いものを運んでいる時に、右足が見えなくて、上手く階段を降りれなかったため、持っていたものと一緒に落ちてしまったのだ。
始め、職員室では骨折しているから動かせないのかもしれないと言われ、救急搬送されることとなった。
病院でレントゲンを撮影した。そこで私の右足は写らなかった。
あるはずなのに写らない。その恐怖が分かるだろうか。
両親が到着し、突然歩けなくなった私の検査入院のための手続きをした。
検査入院では、採血などが行われた。そこで、患部からの血液採取の際にその事件は起こった。
注射針が刺さらなかったのだ。
誰もが困惑した。
看護師は慌てふためき、刺さらない旨を、主治医に伝えに行った。
主治医が試すがやはり刺さることはない。
皮膚の硬化の可能性にかけ、様々なところから採決を試みたが失敗で終わった。
しかし、腕からの血液検査で十分だった。
癌患者に典型的な検査結果が得られたからだ。
即座に、切除手術が行われることになった。
しかし、それも失敗に終わる。切除できなかったからだ。
抗がん剤治療と、様々な方法を使うが効力はなかった。
体に負担のかかることをする度に、私は感覚が薄くなっていくと、訴えていた。しかし、興味深い検体であるため、新しい技術だと言って奮闘してくれているのは分かるが、私には人形のように扱われているようにしか感じられなかった。
そして、いつだったか思い出せないが、沢山の医者に囲まれて、
「『不変』という特徴を持つ、がん細胞に体を蝕まれています。」と、告げられた。
外出が禁じられていたため、中学には一度も行けなかった。毎日、病室からはしゃぎながら帰宅する同年代の子を眺めながら涙したことだろう。
独りで、遊ぶ。
独りで、歌う。
独りで、笑う。
いつか壊れるんじゃないか。そんな心配も頭をよぎった。
私にもいつか、歩める青春があるかもしれない。
私は、私生活復帰と、勉強だけは諦めなかった。
そのため、病院の横にある高校の受験だけは認められ、合格することができた。
私生活も、脚に感覚がなかろうが、ひたすら練習した。何度も転んで、何度も体を打った。
医者はそれを止めるが私は拒んだ。
私の未来の為に私が努力してはいけない理由などどこにもない。
高校に合格はしたものの、私は既に神経系まで癌は侵食してきていた。手先の感覚は言うまでもなく、嗅覚も、味覚もすでになかった。
そして、医者からは死ぬことはないですが『不変』を特徴とする癌に全身を蝕まれた場合、死ぬことはないだろうと、いう見解となったと、告げられた。
どうやら私は破壊不能なオブジェのように動かない肉体だけが残り続けるらしい。
食事も、呼吸も必要としない。永遠を手に入れる。しかし、それは望まぬ形である。
私が、今から学校に行っても、楽しむことはできないのだと悟った。
私は、その日に、飛び降りを試みることにする。
病院の屋上に上り、手すりに手をかける。
普段は見ることのできないショッピングモールの裏側が見える。この景色を見たことのある人物は一体何人いることだろうか。
ショッピングモールの屋上。さらに裏側であるはずの場所に学生らしき影が見える。
私は、不思議に思う。問題はそこではない、今飛び降りれば見られる可能性がある。
今日はダメか。部屋の外に出ていい時間に限りもある。
私は引き返す。
しかし、後ろから、バターンと、何かが地面に強くぶつかる音がした。
まさか、と、私は先の場所からショッピングモールの下を見る。
そこには恐ろしい光景が広がっていた。
先程の女子高生であろう人物の四肢が四方八方に曲がり、血が飛び散っている。私は救急車を呼ぶべきか、警察を呼ぶべきか迷う。
しかし、生きているならば救急車だ。私は携帯電話を所持していないので、首掛けの呼び出しボタンを押すしかない。
動いてはいないだろうかと、怖いけれどもう一度覗く。
しかし、倒れていたはずの女子高生は立ち上がり、服に着いた埃を払うような動きをしている。
血痕もない。私の幻覚か思い、その日は眠れなかった。
それから毎日、私はその女子生徒が現れるのを室内からでも見られるポジションを見つけ、眺め続けた。
その日はやってきた。あの子だ。私はこのために買ってもらったと言っても過言ではないスマホのカメラを構える。
結果は知っての通りだ。彼女は蘇生している。
見間違いでもない。なんども見返す中で私はあることに気がつく。忘れ物をしている。落下した衝撃でポケットから落ちたものだろうか。
今日中に拾ってあげたい。私は、すぐそこだからと、主治医に頼み、看護師と同伴の外出許可を得た。
そこに落ちていたのはカイロだった。重要な忘れ物でなくて良かった。私はそれを拾い上げる。
その時に私は温度を、触る感覚を、数年ぶりに感じた。
何故か、嬉しくて涙が出る。
看護師に連れられ私は病室に戻されてしまう。
気を病んだのだと思われたのだろうか。
気のせいではない。温かさ。久しぶりの温もり。私はこっそり持ち帰ったカイロを抱きしめる。
彼女が私も合格している学校と同じであることは動画でよく見て確認できた。
確かめたい。私はまだ人生を楽しめるかもしれない。
彼女と一緒にいることで。
私は父に頼む。とある人に向かってスリップ事故を起こして欲しいと。
そして、人生残り一年。少しでも楽しみたい。と、動画を父に見せ、嘘ではないことを証明する。時間はかかってしまった。それでも、親という生き物は子供の命のためならすべてを賭けることができる人種も大勢いるものだ。
私は決行日に必死で病院を抜け出した。
父のスリップ演技は完ぺきだった。
目的の彼女は躱す素振りもしなかった。
避けられるギリギリに追突する計画が狂う。私のように制限があったらどうしようと、彼女に向かって私はダイブした。
感じる。人の温もり。感触。私が今感じられるのは彼女の存在だけである。
このチャンス。逃がしたくはない。手が怪我しているからと、回復することを知っていながら私は、学校に誘う。
学校に制服を着て初めて入った。中学も行けていないこともあり、涙が出そうである。
汚れた制服を着替えるには保健室だと、本で読んだ。
私は入り口の構内図をちらりとみて、保健室の位置を確認する。
もしも感覚があったなら、慣れていないのがバレないかと、心配と、緊張で心臓が恐ろしく跳ねていただろう。
私はそこで確信をもって『不死身』なのかと、問うた。
あなたは少し悩むと、そうだ。と、答えてくれる。
私はカミングアウトする。でも、この子に私の運命を背負わせるわけにはいかない。私は『無敵』体質だと、嘘をついた。
あの時、みかんの傷が癒えるのが遅かったのは私のせいなのだろうか。彼女はとても心配しているようだったが、私の事情が話せない上では、互いの性質になにか関係があるとは伝えられない。
新クラス発表前に、私は、みかんの文理選択を調べることにした。本人には聞けないので、病院から、みかんとは知り合いで、面倒を見てくれる的な理由をつけて同じクラスにしてもらった。
それから、彼女を介した世界は、私がもう二度と感じることのできないものを元に戻してくれた。
しかし、問題は「彼女を介して」の定義があやふやなのだ。
みかん本人に触れることは勿論、感触があるのだが、物となると、彼女が口づけをしたものでないと感触がないのだ。
カイロは一体何なのだろうと、思うこともあったが、みかんは、カイロで口元を温める癖があったのだ。それに気がついたときのなるほど感はすごかった。
しかし、彼女は事あるごとに身体の状態をリセットしようとする。それは、私がこの世界と私を繋ぐ媒介を失うことへの心配ではなく、本当にリスクが高いと思っていたからだ。私と同じように、『不死身』に似た『再生』という特徴を持つ癌だった場合、二度と目覚めないこともあるかもしれない。
私は強く注意してしまった。
問題はいくつかあった。みかんに私の素性を知られては彼女に全てを背負わせてしまうので、沢山の工夫をした。
家を偽装したり、大食いだと言って、彼女が一度口を付けた食べものを、わざわざ食べたり、違和感のないように過ごした。
それでも、気温などが分からにことから、少し不自然な行動を何度かしてしまった。
そのたびに顔を覗い、気がついていないと、安堵するのだ。
夏休みに行った旅行では、本当にヒヤヒヤした。私は川の水温も、お風呂の温度が分からない。水圧も感じることはない。さらに、睡眠においては体内時計が自分の意思で調整できないことから一度寝ると目覚められるかわからない。
普段は両親に何とかしてもらっているのだが、起こしてもらうというのはいささか変である。
私は、眠った。みかんを眺めて一夜を過ごした。
みかんには言っていないことがある。
私はその時、あなたの唇を撫でて、もしかしたら戻るかもしれないと淡い期待を込めて撫でた。
しかし、結果は、みかんの柔らかなほのかに暖かい唇だということが分かっただけで、私の感覚が戻ることはなかった。
正確には、怖気づいてしまい、キスできなかっただけだ。
朝、私はいつもの元気な林檎でいる。「コケコッコー」と、じゃれていると、みかんは目覚める。起床してから何も訪ねてはこないので夜中の行為はバレていない。
一安心しながら、朝食に行った。
本当に楽しかった。
大衆は花火が、心臓を揺らすというが、私には分からなかった。それでも、みかんがとってもきれいで、感じることのない鼓動は確かに私の胸を叩いた。
次があるなら浴衣で花火を見られたらいいな。
文化祭。
私たちのクラスは劇をやることとなり、私は脚本を書いた。入院していた時に書いたものを推敲させたようなものだ。
あれは、私が私に希望があると言い聞かせるための脚本である。
私の体調は既にかなり悪化していた。視覚と聴覚が狂い始めた。たまに途切れるのだ。修学旅行までは耐えて欲しいと私は心の底から願った。
それでも、視界が悪いと迷惑をかけるかもしれない。
できるだけ、みんなから距離をとって私は文化祭を過ごそうとした。
それでも、みかんは私を見つけてきた。
今度こそ気がつかれて終わりかと思った。
でも、あなたは、「眠かった」という私の嘘を信じて、一緒に横になってくれる。
そして、あり得ないほどぐっすり寝ていて。とっても可愛かった。
誰からも探されないためにわざわざ切っていたスマホの電源を入れて撮影してしまうぐらいには。
その時に、表彰があるから準備してほしいと連絡があった。
でも私は、私だけのいばら姫を起こしたくはなくて、ぎりぎりまであなたを眺め、愛でていた。
さすがに、よだれの跡だけは教えてあげた方が良かったかなとは思っている。
それと、みかんにはたくさん謝らなくてはならないことがある。
私はどんどん。現実と切り離される感覚に恐怖を覚え、文化祭に集中できなかった。
こわくて、キスでもすれば私は元に戻るんじゃないかって、今まで、怖気づいていたくせに、いきなり、博打に出て、驚かせてしまった。
避けられちゃったけど。
さらに、緊張しているといった私を楽しませようと食べ物とかいろいろ、沢山誘ってくれたのにごめんね。
そして、修学旅行の計画で、私が、窓際の方が好きだということを知って譲ってくれたんだよね。
キャリーバッグを探しに行ったとき。もう、視界が絶え絶えで、お支払いの時に、目がよく見えなくて、全部出した。
そのあとも、いきなり宙に放り出されたような感覚になって立ち止まってしまったり。
その時にもう、話していればよかったかな。
もう、目覚められなくてごめんね。
背負わせるつもりはなかったのに、結局ダメだった。
みかんも怖くて仕方がないことを知っていたのに。私、ずるいね。貰ってばっかりで、逃げるように眠っちゃった。
沢山の思い出をありがとう。
最後の修学旅行。とっても行きたかった。
行けていても足引っ張ってばかりでダメだったかな。
きっと私が居なくてみかんは探しているだろうな。
武藤さんたちに私がもしも欠席になったらみかんを入れてあげてって、お願いするぐらいなら、みかんに伝えていればよかったかな。
もっと早く相談していればよかったな。
知られないことが裏目に出ちゃった。
スマホの中身見て、怒るかな。
てるてる坊主の中身もだ。責められても仕方がない。
せっかく写真撮ったのにな。
どんな写真だったかな。
私は何も感じない世界で記憶を探る。
ああ。私、青春がしたかったんじゃないや。
あの日の、慣れた動きで宙に身を投げる、素敵なあなたの姿に自分を重ね、理解してほしくて飛び出したんだ。
私は何も感じることのない世界でまた独りで、膝を抱える。
でも今は思い出と抱えられるから。少ししか寂しくない。寂しくないはず。
でも。もし、みかんが、望んで、その永遠を私に使ってくれるかな。
証明はできないけれど、あなたの体質と私の病はきっと何か意味があると思うから。
それは、言い訳だね。
もっと。もっと。みかんと一緒に居たかった。




