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第八話

 ケインズは瞠目していた。

 そして戦慄していた。

 ヒュドラを相手取ったアークの戦いぶりが、あまりに凄まじいからだ。

対毒障壁(アンチポイズン)》の援護があるとはいえ、もはや一方的だからだ。


(ここまで強いとはさすがに想像してなかった……。ミィと一緒に黄金竜を斃したって聞いたが、もしかしたらほとんどこいつ一人で殺ったんじゃないのか……?)


 そんなことを考えている間にも、アークは二本目の首を斬り落とし、傷口を金火で焼く。


(こいつは危険だ……)


 ケインズの額を、一筋の汗がじっとりと流れ落ちる。


 今はまだアークは村に害を為していない。

 むしろ多大な益をもたらしている。

 しかし、それが果たしていつまで続くものか。ケインズには疑わしい。

 事実、アークがろくでもない性格をしているのは、少し話してみればわかる。

 長年付き添っているらしい、ハーフエルフのメイドも庇いもしない。


(やっぱり今ここで、死んでもらうべきじゃないのか……?)


 ケインズの脳裏に危険な思考がよぎる。

 霊力(魔力)を少し操って、アークにかけている《対毒障壁(アンチポイズン)》を打ち切れば、それだけで猛毒に冒され死ぬはずだ。

 本人は何が何でも逃げ切ると豪語していたが、ケインズとてその時は何が何でも足止めをするつもりだ。

 心の準備はしてある。

対毒障壁(アンチポイズン)》は一度に二人にかけられないと言ったのだって、嘘だ。

 いざとなったらアークだけ殺すため、善人のミィは巻き込まないため、方便を使った。

 

(……だが、本当にそれでいいのか?)


 覚悟は決めてきたはずなのに、ケインズは踏ん切りをつけられない。

 まだ何も悪事を為していないアークを、今だってコボルト族のために戦っている青年を、「将来の禍根になるかもしれない」なんて理由で殺せるほど、ケインズは冷酷になれない。人でなしになれない。


 そもそもがお人好しなのだ。口が悪くて誤解されがちなだけで。

 ギルドに追放されても、魔術師としての栄達の道が断たれても、腐ることなくこんな辺境の村で、薬草師として人々を助ける生業を黙々と続けている。

 そういう男だ。


(……オレはいつか、この選択を後悔することになるかもしれない……)


 ケインズはそう考えながら、己が霊力を高めた。

 額に集め、練り上げるイメージだ。魔術師の基礎にして奥義だ。

 そうして新たな魔法を行使した。

 掲げた杖の先から、途方もない熱量の烈火を放ち、ヒュドラの頭の一つを消し炭に変えた。

 魔術師ギルドでも十人と使い手のいない――《極炎嵐(ハイファイアストーム)》の魔法。

 ケインズはこれを十八歳の時に習得し、天才の名をほしいままにした。


「オイオイ! やるじゃねえか、ケインズ先生よ! むしろ最初っからやれよなあ」

「いいから戦いに集中してろ。剣士(おまえ)魔術師(おれ)の肉壁なんだ、足元すくわれて死ぬなよ!」


 ヒュドラほどの“ヌシ”を相手に、憎まれ口を叩き合う余裕のある二人。

 残る首は六本。

 どちらが多く落とせるか、競うように戦いを続ける。


 そう――

 アークの剣技にケインズの火力支援まで加われば、ヒュドラなどもはや敵ではなかった。


    ◇◆◇◆◇


 凱旋したアークとケインズを、コボルト族は狂喜乱舞して迎えた。

 そのままお祭り騒ぎで歓待してくれた。

 しかもこの後、集落一のスレンダーお姉さんを差し出してもらう約束だし、アークはもう有頂天だった。

 否、有頂天のはずだったのだが――


「ささ、ご領主様。十年寝かせた秘蔵の(サロマ芋)焼酎です。どうぞ一献」

「あ、うん」


 陶磁器の壺を持った老族長手ずから酌をされ、(アルコールに弱い)アークは正直困った。

 ドラゴン殺し、ヒュドラ殺しの英雄なら、当然豪快に飲み干すはずだという周囲の期待(というか圧)を前に、どう格好つけたままやりすごそうかと冷や汗をかいた。


(いや、ケインズだって酒は強くないはずだっ。前に葡萄酒をチビチビ舐めてたのを見たことあるしな! よし、まずはあいつをスケープゴートに使おう)


 と思ったら、既に秒で酔い潰されてた!

 意外とお酌を断れない性格なのか、そんなに弱いなら飲まなくてもいいだろうに。

 周りの大人たちは慌ててつつも、「いや雑魚すぎでしょ」と呆れ顔。

 さらにガキどもが「雑魚すぎ? 英雄さんなのに雑魚すぎ?」「やーいザーコ、ザーコ」と囃し立てながら、棒でケインズのあちこちをツンツンしている。

 アークは絶対にあんな晒し者扱いされたくない。絶対にだ。

 だから、

 

「うわああああっよく見れば族長っ。貴様が持っているその酒器、見事なものだなあああっ」


 と無理やり話題を作って空気を変える。

 そして興味もないのに、族長が持っていた焼酎入れの壺に注目する。

 自分でも苦しい誤魔化し方だなと思っていたが、


(ん……? いやマテ、この壺マジでいいモンだぞ)

 

 元は鮮やかなコバルトブルーだっただろう陶磁器製の壺が、焼酎の長期熟成に使われ、色がくすんで、なんともいえない塩梅の器肌になっている。


 そもそもの話として――ここ大陸西部の富裕層は、コバルトブルーの陶磁器を好む。

 ところが、どうやって釉掛けすればその色になるのか、製法が未だ不明。

 なので時折、市場にひょっこりと現れるそれを、富裕層がこぞって大金を投じ、獲得レースが発生するほどである。

 過去には戦争で大功を立てておきながら、領地よりも青い陶磁器(コバルトブルー)が褒美に欲しいと言った将軍もいるし、友人が自慢した逸品を「殺してでも奪い取る」と言って実行した貴族もいる。


 そんな人々を熱狂に駆り立ててやまない代物を、どうしてこの族長は持っているのか?

 否、よくよく注視して見れば――周囲にいるコボルトの多くが、コバルトブルーの杯や酒壺、皿といった陶磁器を、気軽に使っているではないか。

 ケインズの《照明(ライト)》だけが頼りで辺りで薄暗く、気づくのが遅れた。


(青い陶磁器は、コボルト族の伝統工芸だって唱えた賢者も、大昔にはいたんだよな……。コボルトが持ってる不思議な力で、銀を腐らせたら青い釉薬ができるんだっつって)

 

 一時はその考えが主流になって、だからコボルトの青(コバルトブルー)の名で呼ばれるようになったのだと、ものの書物で読んだことがある。

 一方で否定する文献もたくさんあって、昔の貴族が十人ほどのコボルトを奴隷にして実験したが、誰も銀を腐らせることはできなかったというエグい話もある。

 なんにせよコボルトはほとんど人前に姿を見せないため、今日まで真偽は判然としていない。


 果たして真相は如何に?

 族長が小声になって教えてくれる。


「集落を救ってくださったご領主様にはお話しいたしますが――確かに青い陶磁器は、コボルト族の伝統工芸といえますでしょう。銀を腐らせるのではなく、巫女が大地の精霊に祈りを捧げることで、青く変色させるのです」

「なるほど巫女だけの力か!」

「我らもこの色を好みますし、あなた様方も好んでいらっしゃるのを知っております。それでコボルト族は時折、人間相手に売りに出すのです」

「たまに市場にひょっこり出るのは、そのためか!」

「ですが本当にたまのことです。頻繁に売りに行けば、足がつきます。青い陶磁器を作っているのがコボルトだと真相が広まれば、奴隷にして量産させようというコボルト狩りが始まりかねません。事実、数百年前にはそんな歴史があって、ご先祖様方はわざわざ危険な“魔の森”に逃げ、隠れ住んだのだと言い伝えられております」

「コボルト族が人前に出てこないのは、そういう理由か!」

「我々はドワーフ族のように、人間の王国と戦うことができるほどの強さも数もいないのです」

「聞けば聞くほど腑に落ちることばかりだな!」


 とアークは知的好奇心を刺激されて、膝を叩きまくる。

 そして、族長から焼酎の入った酒壺を借り、矯めつ眇めつ検める。


(ううむ……これなんかドチャクソ高く売れそうだな。それこそ人を殺してでも欲しいって奴がいても、おかしくないレベルだ)


 アークは芸術品が金目のものにしか見えないタイプの、感性が死んでいる俗物で、でもだからこそ客観的に商品として評価できた。


(集落を探せば、もっといいのがあるかもしれん……。それを二、三個譲ってもらえば……)


 と、次から次へ考えが浮かぶ。

 悪だくみだ。

 知らず口元が邪悪に歪み、見ていた族長をハラハラさせる。


 しかし悪だくみ(かんがえ)がまとまりきるまえに、思考を中断させられた。

 シロがアークの傍までやってきたからだ。

 しかもまた偉くおめかしして。

 サロマン王国でも中産階級以上が結婚式で使う、花嫁衣装に似ていた。ただし純白ではなく、青とのツートンカラー。

 さらに薄く化粧も施している様子。


「なんだ、シロ。どっかに嫁ぐのか?」

「はいデス。似たようなものデス」

「ほーん。めでたいじゃないか」


 アークは百パーセント他人事で、どうでもよさそうにお祝いした。

 すると今度は族長が、


「ご領主様のご要望通り、我が集落で一番細身で美しい娘をご用意いたしました」

「えっ、どこどこ? スレンダー美女どこ!?」

「もちろん、このシロでございますとも。本人も乗り気で、ご領主様ほどの英雄でしたら、ぜひお側仕えしたいと」

「ふつつかなコボルトですが、末永く可愛がって欲しいデス!」

「……は?」


 アークは思わずシロのおっぱいをガン見した。

 世の男なら垂涎物の、ワガママおっぱいを。


「こいつのどこがスレンダーなんだよ!?」

「し、しかし我が集落で、シロより細身の娘はおりませんが……」

「アタシのくびれたお腹周り、見て確認するデス? 恥ずかしいデスけど、主サマになら」

「ぐわあああああコイツラ、テッカやミィとおんなじこと言い出しやがった!」


 こんなん詐欺だッ! と頭を抱えてのけぞるアーク。

 そしてこの世界を憎んだ。悪魔の実(サロマいも)に食を支配された、この王国(せかい)を。

 これでヒュドラ討伐が楽勝じゃなかったら、コボルト族まで恨んでいたかもしれない。


「シロはもらっていく! ただし愛妾枠じゃなくて典医としてなっ」

「ガーン。可愛がってはもらえないデス?」

「ご領主様……口幅ったいことを申し上げますが、あまり女に恥をかかせるものでは……」

「うっせ、うっせ、うーっせ! 救世主のオレが言ってんだからオマエラは黙って従えッ」


 アークが暴言を吐き散らすと、シロや族長だけでなく皆が苦笑いになった。

 だんだんとこの英雄の性格がわかってきて、でも集落を救ってくれたのだから可愛いものだ、憎めない、仕方ないお人だなあ、とそんな顔だった。

 一方、アークは悲劇の主役ばかりに天を仰ぎながら、


(嗚呼っ……オレのスレンダーお姉さんハーレムは、なんて遠い夢なんだ……)


 益体もないことを考えていた。

 なので青い陶磁器のことは、村に帰るまで思い出さなかった。


    ◇◆◇◆◇


 サロマン王国の法務大臣を務めるその老人は、名をモラクサという。

 およそ二か月前、財務大臣アイランズと共謀し、アークに冤罪をかけて流刑に処した張本人である。

 在職十六年。佞臣集団「宰相派」の重鎮で、絶対的な権力を持つ宮廷貴族。

 もちろん、財貨も唸るほど蓄えてある。

 サロマン王国は現在、未曽有の経済恐慌に見舞われているが、モラクサにとってはどこ吹く風だ。物価がどれだけ高騰しようが、びくともしない財力がある。

 逆にこういうイカれたご時世だからこそ、転がっているチャンスは意外とあるもので――


「大臣閣下に折り入って、買い取っていただきたい品がございまして」


 王都でも指折りの豪商が、モラクサの屋敷を訪ねていた。

 そう言って応接間のローテーブルに並べたのは、見事なコバルトブルーの陶磁器だ。

 モラクサが大の好事家、蒐集家だということを知らない者は、国内の富裕層にはいないだろう。それほどに有名な話だった。


 だから経済恐慌が起きて以降、連日のように誰かが青い陶磁器を売りに来る。

 普段はどんなに大金を積まれても、絶対に手放そうとしない連中が、このインフレ禍に喘いで泣く泣く金に換えようとするのである。

 誰もが背に腹は代えられない。

 極端なインフレ下では、こうした芸術品や嗜好品の価値が下がる。

 目の前の商売のための運転資金や、生きていくための必需品を贖うのに、とにかく金入りになる。


 モラクサにとってはまさにバーゲン市だった。

 日ごろは売りもに出されないコバルトブルーの逸品が、向こうの方から押し寄せる。

 しかも最初はふっかけてくるが、モラクサがちょっと渋る態度を見せると、すぐに常識的な価格か少し割安でもいいから買って欲しいと、泣きついてくるのである。


(まさに経済恐慌サマサマだな)


 最初は泡を食っていたモラクサも、事ここに至って考えを改めていた。

 どんなに王国が傾こうと、知ったことではない。

 どうせ老い先短い身だ、己の財産を食い潰すころには、天寿を全うしている。

 たとえ王国が滅びようとも、自分だけは逃げ切れる。

 王室への忠義だとか、愛国心だとか、かけらも持ち合わせていない。

 権力者は長くその地位にいると必ず腐る――それを体現している男なのだ。

 

「どれどれ、見せてもらおうか」


 モラクサは嫌らしい笑みを隠そうともせず、並べられた三つの陶磁器を鑑定する。

 色合いといい、絵付けといい、どれも素晴らしい逸品だ。


「これほどの品をまだ秘蔵していたとは、貴様も往生際が悪いな」

「とんでもないことでございます、閣下。我が商会にもそんな余裕はございません。この三品は、たまたま入手できたばかりのもので」

「ほう。これほどの逸品が一度にか」


 ひどく興味の惹かれる話題で、モラクサは前のめりとなった。

 商人が内心ニタリとしたのにも、気づかないほど夢中だった。


「大臣閣下はテムリス老のことを、憶えておいででしょうか?」

「無論だとも。貴様と親しくしていたこともな」

「滅相もございません、閣下。奴はただの商売仲間で、親交を結んでいたなどと決して」


 商人は慌てて手を振ってみせるが、モラクサも別に気にしてない。

 とにかくサロマン随一の豪商だったテムリスのことは、よく憶えていた。

 なにしろテムリスから借りた金が膨大になって、返すのが億劫になって、だから小さな罪をほじくり返して商会を潰してやったのは、モラクサを中心とした宮廷貴族たちなのだから。

 法務大臣の権限を悪用すれば、わけもないことだった。

 そして追放されたテムリスに対して、目の前にいるこの男は手を差し伸べもしなかった。

 商人同士のつき合いなど、そんなものだ。

 血も涙も通ってはいない。


「それで、そのテムリスがどうした?」

「はい、閣下。私も最近知ったのですが、テムリス老はサイトなる辺境の村に流れ着いていたようで」

「ほっほ、あの追放村(はきだめ)にな」

「恥ずかしくて人前には出られなかったと申すのですが、それがこのたび、昔の誼を頼って私に接触してきたのです。恐慌で孫に食わせる金もなくなり、秘蔵していたこの青い陶磁器(コバルトブルー)を買い取って欲しいと。背に腹は代えられないと」

「なんとっ。財産は根こそぎに没収してやったと思ったが、まだ隠し持っていたのかっ」

「しかもテムリス老の口ぶりでは、他にもまだまだ秘蔵している様子でした」

「ううむ、かつてサロマン一と謳われた大商人の蒐集品(コレクション)か……」


 それがどれほど素晴らしいものか、目の前の三品を見ただけでも想像が膨らむ。


(全て欲しいな)


 一言、モラクサはそう思った。

 それこそ人を殺してでも。

 村を滅ぼしてでも。

 栄華を極め、且つ老い先短いモラクサだからこそ、これほど心が躍る話はもう二度とないかもしれない。



 商人から陶磁器を三つとも買い取った後、モラクサは腹心の部下を屋敷に呼びつけた。

 先に法相府で資料を調べさせておいた。


「サイト村は確か、長らく領主不在であったな?」

「はい、閣下。先ごろフィーンド男爵アークが新たに領主に任じられましたが――それまでの五年間は、村民どもが武力で前領主を追い出したため、王国にまつろわぬ土地と化しておりました」

「まったく不逞の村民どもだ。ならば税も五年、滞納していたはずだな?」

「仰せの通りにございます、閣下」

「由々しき話だ。法務大臣として見過ごしておけん。陛下にもご注進申し上げ、厳罰に処す必要があるな――」

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