第七話
魔術師ギルドを追放され、サイト村に流れ着いた壮年ケインズは、現在はその学識を活かし、薬草師として生計を立てていた。
この日も熱を出したという主婦を見舞い、煎じた薬を飲ませてやった。
薬が効くまでしんどそうにしていたので、同意をとって《誘眠》の魔法を使い、深い眠りにつかせた。
ただの薬草師には不可能なサービスだ。
傍で見守っていた旦那も、妻がようやく安らかに眠る様を見て安堵したのだろう、
「いつもありがとうございます、ケインズ先生っ。こんな追放村で、先生はほんま救い神だっ」
「そういうのいいから、カミさんを大事にしてやんなよ。起きたら栄養があるものを食べさせてやんな」
謝礼金を受け取りながら、ケインズは照れ隠しでぶっきらぼうに言う。
すると旦那が難しい顔になって、
「それが粥を作ってやってたんですが、ウチのがサロマ芋は今見たくねえってワガママを……」
「だったら果物でもいい」
普段だったらこんな貧しい村のどこに、そんな上等な食べ物があるのかという話だが。
今は酒場の老店主が大量の食材を仕入れてきて、新領主の振る舞いで誰でも無料でいただいて帰ることができた。
しかし男はまだ不安げに、
「……それなんですが、ほんまにタダでもらってもいいもんなんでしょうか? 単純な奴らは新しい領主のことを、前の領主みてえな外道とは違ったって歓迎したり、中にはまるで生き神サンみたいに崇める奴まで出とりますが……。あっしはどうも裏があるように思えて」
「そうだな。そう疑うのが当然の話だ」
貴族なんて民を搾取することしか頭にない連中が、逆に貧しい村に施しをするだなんて、ケインズだって信じられなかった。
だからアークと仲良くしているテッカに、問い詰めてやった。
「新領主にも一応、下心はあるそうだ。なんでもあの小僧はガリガリに細い女が好きで、村の女たちを自分好みに痩せさせるために、サロマ芋中心の食生活を改善させたいんだそうだ」
「はあ……」
ケインズの話を聞いても、男は要領の得ない顔をした。
「そんなバカな理由があるか」「もっと邪悪な企みがあるんだろう?」とそこに書いてあった。
ケインズも全く同意だった。
ただしアークの思惑がなんであれ、テッカ自身は完全にその「バカな理由」を信じていて、だから彼女をこれ以上問い詰めても無意味で、ケインズも引き下がるしかなかったのだが。
「ただしだ、ダンナ。新領主がどんだけ怪しくても、食い物自体に罪はねえ。だからカミさんに果物を食わせてやんな。それで新領主が後からゴチャゴチャ無理難題を要求してきたら、そん時こそ俺や他の気骨のある奴らが黙っちゃいねえ。前領主同様、力ずくで村から追い出す」
「なるほど、ケインズ先生がそう仰ってくれるなら、あっしも安心でさあ」
何度も何度も礼を言う男に見送られて、ケインズは土間一件の民家を後にした。
そして帰路に就きつつ、舌打ちする。
(あの小僧め、俺の忠告を無視しやがって……)
領主と村人で、互いを空気として扱うべきだと。それならアークが村に住むのも認めると。そう言ってやったのに。
なんなら村人の方から揉め事を起こしたら、ケインズが仲裁するつもりでさえいたのに。
アークは人の忠告を聞かず、全村民に食糧を施すような真似を始めた。
悪いことではないが、干渉は干渉だ。余計なお世話だ。
(やっぱり領主なんて邪魔だな。追い出す手立てを考えておくべきだな)
サイト村に領主は必要ない――そう思っている村人は多いが、ケインズは最右翼だ。
ギルドを追放されたのを機に、トラブル上等の生き方は改めたが、それでも必要とあらば、実力行使もアークとの衝突も辞さない
ケインズはそんなことをつらつらと考えながら、村の外れにある庵に帰る。
すると中に人の気配を感じる。
薬を求める客だろうか? しかしだったら、外で待っているはずだ。勝手に中に入るような無礼を、ケインズ相手に働く村人などいないはずだ。
まさかと思って庵に入ると――
「よう、遅かったな。ご領主サマを待たせるのは、いい身分だ」
案の定、アークがそこにいて、ふざけたことを抜かした。
勝手に人様の薬棚を物色し、貴重な霊薬の瓶を目敏く見つけ、中身を舐めようとしていた。
連れてきていたハーフエルフのメイドは、止めようともせず知らん顔をしていた。
「勝手に漁ってんじゃねえよ!」
「ほら、怒られた。だからダメだと言ったでしょう、アーク様」
「いいじゃんか。待ってる間、退屈だったんだよ」
言い訳にもなってない台詞を、いけしゃあしゃあとほざくアーク。
薬を制作するためのテーブルから椅子を引いて勝手に座り、エラソーに足を組む。
あまつさえ、
「魔術師ケインズよ。おまえにオレの援護をする栄誉をやろう」
などと言い出すではないか!
「はぁっ!?」
「哀れなコボルト族が、偉大な領主であるオレに、救済を求めにきてなあ。なんでも地下集落が、ヒュドラの毒で汚染間際だそうだ。それで黄金竜すら屠った英雄たるオレに、今度はヒュドラ討伐を懇願してきたというわけだ」
(なるほど、それは可哀想にな……)
ケインズとて魔術師、すなわち知識階級の頂点にいる者だ。
実物を見たことがなくても、ヒュドラがどれだけ危険な魔物かは知識としてある。
だからコボルト族を襲った災難には同情しつつも、アークに対しては憎まれ口を叩く。
「結構な話じゃないか。さっさと退治してこいよ。俺の忠告を無視して、ミィと黄金竜を退治したみたいに。勝手にな」
「それがヒュドラは毒のブレスが厄介でなあ」
「知るかよ。せいぜい悶え苦しめよ」
「生憎、自分を苦しめるのが趣味のマゾじゃないんだ。楽して勝ちたい主義なんだ。だからケインズ先生よ、オレを手伝え」
たとえ相手が強大なヒュドラでも、ケインズの協力さえあれば楽に勝てると、アークは確信を抱いた顔で、
「魔術師ギルドで若き天才を呼ばれたほどのおまえなら、《対毒障壁》の魔法くらい朝飯前だろう? それで援護してくれれば、後はオレが勝手にやる」
と豪語した。
愚者の大言壮語だと、ケインズは一笑に付す気にはなれなかった。
アークは魔術師でもないのに、正確に《対毒障壁》を指定してきた。
確かにあれなら、ヒュドラの毒もシャットアウトできる。過去、幾人もの魔術師が残した実績と記録がある。
(それを知っているこいつは、単なる貴族のバカ様じゃない)
剣聖の息子だというから、強かったのはまあ理解できるとしてだ。
酒場でチンピラ農夫と同レベルの言い争いをしていたことから、てっきり低脳だと決めつけてしまっていた。
もしアークを追い出すとしたら、骨が折れそうだと思った。
「ケインズ先生は後ろから魔法をかけているだけで、安全にヒュドラ殺しの英雄になれるんだ。コボルトどもも、さぞやチヤホヤしてくれるだろうさ。美味い話だと思わないか?」
「それでも俺が手伝わないと言ったら、どうするんだ?」
「その時はコボルトどもを前に立たせて、オレの肉壁にするしかない。嗚呼、可哀想になあ! 力を持つケインズ先生が非協力的なばかりに、力なきコボルト族たちがいっぱい死ぬんだろうなあ! この世はまさに地獄だなあ!」
「ぐっ……」
アークの卑劣な論法に、ケインズはにわかに反論できない。
メイドが主に対して「よくそんなサイテーなこと思いつきますね」とツッコんでいたが、アークはまるで悪びれた様子がない。
(やはりこいつは本性邪悪で、且つ頭が切れる)
ケインズはますます新領主に対する警戒心を新たにする。
同時に言いっ放しにされるのが悔しくて、憎まれ口を返す。
「俺がおまえを疎ましく思ってるのは知っているだろう? その俺が面従腹背で、ヒュドラと交戦中にいきなり援護をやめて、おまえを毒まみれにしたらどうする気だ? 危機意識が欠如してるんじゃないか?」
「そん時はなりふり構わず逃げ切ってやるよ。そんでコボルトどもを肉盾にする作戦に変えるだけだ。ヒュドラを斃した後、山ほど転がってる死体の前で、泣きながらコボルトどもに訴えてやるよ。本性邪悪なケインズ先生が裏切らなかったら、この犠牲者は必要なかったのに! ってな。あんた、末代まで恨まれるぜ?」
「ぐっ……」
ケインズはまたも息を呑ませる。
危機意識が欠如しているどころか、アークはちゃんと最悪のケースを想定した上で、協力を求めてきたのだと知る。
そして、
「なあ、先生――いい加減にしろよ?」
気の短そうなアークが、苛々しながら言い出した。
「オマエラ村民がオレを歓迎しないのは、前の領主が外道だったから、貴族そのものを毛嫌いしてるんだろ? まあ、いいよ。そこまでは理解してやるよ。だがオレは黄金竜を討ち、村に山ほど食糧を施してやった。今またコボルトどもの要請で、ヒュドラを討とうとしてやっている。これぞまさにノブリス・オブリージュだ。力ある者の義務を果たしてるんだ。オレが前領主とは違うってことが、まだわからないか?」
滔々と語るアーク。
正直、おためごかしにしか聞こえない。
隣のメイドも白眼視して聞いている。
だがその言葉にはいちいち筋が通っている。通っているのだ。
そしてアークは、最後にこう言い放った。
「比べておまえはどうなんだよ、ケインズ先生! その力があるのに、哀れなコボルト族を見捨てるのか? それで今夜ぐっすり眠れるのか? 外道はどっちだッ!!」
テーブルをドン! と叩く。
その言葉の強さに、重みに、ケインズは打ちのめされたように後退る。
今度こそもう一切の反論を失った。
だからケインズが口にできる言葉は一つだった。
「……わかった。協力する」
と。
◇◆◇◆◇
翌日、シロの先導でアークはコボルト族の地下集落へ向かった。
他に連れていくのはケインズだけ。
戦闘力ゼロのメイリは、もちろん留守番。
逆に拳法の達人であるミィはどうしたかというと――
「ミィたちケットシーとコボルトは、昔から犬猿の仲だニャ。助ける気にはならないニャ」
「犬と猫なのに犬猿なのかよ」
「でもアークくんと一緒に戦えるなら、過去の因縁は忘れるニャ。ラブ&バトルだニャ」
と張り切っていたのだが、そこにケインズが待ったをかけた。
「悪いが《対毒障壁》という魔法の性質上、一度に二人にはかけられない」
「マジか。じゃあ今回はミィも留守番だな」
「残念ニャ。アークくんのお役に立ちたかったニャ。でもミィの身を大切に考えてくれる、アークくんの愛を感じるニャ」
(これで胸がちっちゃかったら可愛い奴なんだけどなあ……。残念な奴だよ)
と――どっちが残念かわからないことを考えながら――帯同は断念したという経緯だった。
また一方、出陣に当たってテッカが新しい防具を献上した。
左手専用の、けばけばしいほど金ピカの籠手だ。
実にアーク好みのデザインで、メイリは「趣味悪……」とか呟いてたが、女にはこのカッコよさがわからんのだろう!
「黄金竜の鱗と心臓を触媒に鍛えました、〈金火の籠手〉ですわ」
「地味な名前だな、テッカ。オレに相応しい輝かしい銘にしろ」
「では〈煌めく金火の籠手〉と」
「気に入った!」
「……それでいいんですか」
詩文センスのなさをメイリにツッコまれたが、籠手に見惚れているアークには聞こえていなかった。
そんなこんながあって、サイト村を発つこと小一時間。
コボルト族の集落に到着した。
丘の下に恐ろしく広い空洞があって、土レンガでできたコボルトたちの家が立ち並んでいた。
「なるほど、立派なもんだ」
ここだけ見ても既に地下都市というべきレベルだし、この奥に採掘用の坑道が広がっているなら、テッカが地下迷宮と評したのも偽りなし。
ちなみにコボルトのような暗視能力はアークたちにはないため、ケインズが《照明》の魔法を杖の先端に灯している。
「もし気に入ったら、ちょくちょく遊びに来て欲しいデス」
「ワハハ、それはおまえらの歓待次第だな」
「何を偉そうに」
シロの誘いにアークが答え、その横柄な態度をケインズが腐す。
せっかくメイリを置いてきたのに、ここにも口やかましい奴がいて気分を害す。
(メイリの苦言には愛を感じるが、こいつからは敵意しか感じないし!)
アークがケインズとメンチを切り合っていると――奥からゾロゾロ出迎えが来た。
眉毛が垂れ下がった老コボルトの族長を先頭に、熱烈に歓迎される。
特に子供たちの「竜殺しの英雄なんだってさ!」「すっげー!」「かっけー!」という真っ直ぐな羨望の目が――サイト村の奴らが素直じゃないだけよけいに――アークの自尊心を刺激した。
「よしよし、その調子でオレを気分よくさせろ。殺る気も高まるからな!」
「俺はおまえの態度を見てると、逆に戦意が萎えるんだが?」
再びケインズとメンチを切り合い――しかしその不毛さを、アークもすぐに気づく。
さっさとヒュドラのところへ案内させて、斃して、ケインズをとっとと用無しにすることに。
シロたちの先導で坑道を深く深くもぐっていき、件の塞いだ土壁の前まで。
毒素が漏れ出しているようだが、ケインズが「この程度なら」と《空気浄化》の魔法を使い、その間にシロたち巫女が大地の精霊に祈りを捧げる。
そして坑道を塞いでいた分厚い土が、地中へ溶けるように消えていく。
ヒュドラのねぐらだという地下空洞が、眼前に現れる。
「よし。後は任せろ」
アークはケインズだけを連れて、ずかずかと突入した。
中は広く、天井も見上げるほど高い。
だがヒュドラの巨体に比すと狭い。
一番長い首から尻尾の先まで三十メートルはあろうその姿が、ほどなく見えた。
今日はおねむではないようで、侵入者を殺意まみれの十八の瞳でにらんでいた。
「《対毒障壁》だ、ケインズ!」
「言われなくても、もうかけてやった」
「ご苦労。じゃあオレの勇姿を特等席で見てろ」
アークは〈華々しき稲妻の魔剣〉の意気揚々と抜くと、知人でも訪ねるようにのんびり、ヒュドラの方へ向かっていく。
“ヌシ”からすれば、不遜で命知らずな小さな猿に見えたことだろう。
咎めるように毒のブレスを浴びせてくる。
が――ケインズの魔法により、不可視の壁がアークを包んでおり、不気味な色の毒霧を全く寄せ付けない。
「いい腕だな、ケインズ先生。望むなら領主付き魔術師に取り立ててやるぞ!」
「寝言をほざいてないで、さっさと突っ込め。できれば相打ちになってくれ」
後ろに残したケインズと憎まれ口を叩き合いつつ、アークはヒュドラとの距離を詰めていく。
対してヒュドラは――ブレスが効かないと見るや――顎門を開き、噛みかかってきた。
それをアークはあっさり見切り、横っ飛びでかわす。
ヒュドラはまた別の首を伸ばしてくるが、それも前ダッシュで回避。
その調子で“ヌシ”は九つの首を駆使して、次々と連続攻撃を繰り出してくるが、アークは尽くよけまくる。
手数(首数?)を活かした飽和攻撃ではなく、ただの単発攻撃の連続なら全く恐くない。
(思った通りだ。こいつの巨体に比べてオレが小さすぎるんだ。だから一斉に首を伸ばそうと思っても、互いが邪魔でできない)
黄金竜以上に、組織で戦うのが仇になる“ヌシ”といえよう。
ミィの帯同をあっさり諦めた理由でもあった。
毒のブレスさえシャットアウトできるならば――目を観て心の動きを読むアークにとって、十八の瞳を持つヒュドラは情報の塊でしかないお客様だった。
「ま、こんなものか」
アークは攻勢に転じ、ヒュドラの噛みつきをかわし様、逆に口角を抉るように斬りつける。
ヒュドラの特性として強力な再生能力も持っているのだが、それははじめから懸念してない。
傷口をすぐに焼けば、再生できないことを文献で読んだことがあるからだ。
そして〈華々しき稲妻の魔剣〉ならば、斬ると同時にそれができる。
さらに念を入れて、〈煌めく金火の籠手〉の力も使う。
テッカ謹製のこの新装備は、掌から金色の烈火を放つ魔力を持っている。
斬って、焼いて、散々に苦しめる。
黄金竜に比べれば所詮は生身だ、どんなに巨体でも柔らかいことこの上ない。
「「「YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!?」」」
「ハハハ、頭が九つもあると悲鳴もやかましいな!」
アークは哄笑し、痛みでのたうつ首の一本を斬り飛ばす。
「少し静かにしてやったぞ、ハハハハハ!」
そして太い首の断面を、さらに籠手から放つ金火で炙り尽くす。
悪魔みたいな形相で!