第五話
この世界には、霊力という力の源が存在する。
他に魔力、闘気、オーラ等々、呼ばれ方は様々だ。
しかし本質は一緒だ。
父マーカスなどは根性と呼んでいた。
全ての生命は、霊力を宿している。
魔物は特にそれが顕著なだけで――人間でも昆虫でも――大小の差はあれ必ずだ。
人が意識して手を動かすことができるのは、霊力のおかげだ。
無意識に心臓を動かしているのも、霊力だ。
筋肉は媒体にすぎない。だって死体はもう動かない。筋肉は残っているのに。
だが人間は魔物と違い、霊力を五感で認識することができない。
ゆえに多くの人間は、霊力そのものの存在にも扱いにも無自覚だ。
例外は魔術師に類する者たち。彼らは修練により霊力(魔力)を自覚的に操ることで、魔法という神秘の力を実現させる。
一方、その中間にいるのが達人と呼ばれる域の武人たちだ。
魔術師ほど自覚的ではなく、ただ経験則的に霊力を操る術を会得している。
例えばアークが父から学んだ、「力任せに斬るのではなく、速さと鋭さで断つ」太刀筋や体遣いがそれに当たる。
あれは実は霊力を効率的に高めることで、超人的な斬撃を実現しているのである。
父マーカスは理屈を知らないままに、何十万回と剣を振る修業と実践の果てに、その境地に至り、独自の剣の術理とした。
アークは後に書物から、あくまで自然法則として、ちゃんと理屈が存在することを知った。
そして霊力は高め、操るだけではなく、爆発させる方法がある。
父マーカスはその手段もまた――理屈を知らないままに――修業と実践の果てに編み出し、必殺の秘剣とした。
今、アークが構えた抜刀術が、それだ。
納刀したまま左手で鞘を保持し、右手で柄をにぎり、極端な前傾姿勢で、呼吸を整える。
ここから放つ太刀筋を、何度も頭の中でなぞり、イメージトレーニングする。
鋼と鋼を激しくこすり合わせ、その摩擦で火花が散るが如く――
己の肉体を軋ませるように剣を振り抜き、裡に宿る霊力を爆発させるのだ。
(クソ親父は一瞬で集中を完了させる。オレはまだまだ時間がかかる)
だけど必殺の威力だけなら、既に同等。
その時間だって、ミィが黄金竜の注意を惹きつけてくれたおかげで充分に稼げた。
もちろん、当たらなくては意味がない。
だから黄金竜の目を観て、心の動きを読む。
マーカス流の全てはそこから始まる。
黄金竜が首を伸ばし、ミィに向けて噛みつきかかり、アークに対しては側頭部をさらす――ここ!
緩から急。静から動。
アークは一瞬で黄金竜の側頭へ肉薄すると、鞘から剣を抜き放った。
その神速の抜刀に応じ、〈華々しき稲妻の魔剣〉が激甚な雷気を迸らせた。
父から伝承した秘剣に、諸刃の剣とさえ化した業物の威力が合わさる。
以って、黄金竜の首を斬って落とす。
まさに一刀必殺。
竜の巨大な首から夥しい鮮血が噴き出したが、アークはその場をのんびり離れる独特の残心で、返り血一滴浴びなかった。
「まあまあ、手こずっちまったなあ」
なんて台詞を吐いても、ミィに全くツッコまれない。
大言壮語どころか有言実行――否、もはや奥ゆかしさすら感じさせるほど アークは凄まじいことをやってのけたのだ。
まだ拳を構えたまま、唖然呆然となっているミィに、アークは好意十割の笑顔を向けて、
「助太刀、褒めて遣わそう。いずれボーナスはたっぷりやるから、楽しみにしてろ」
と太っ腹に請け負う。
アークは確かにワガママ男だが、だからこそ「オレを大好きな奴」が好きなのは本音なのだ。
ミィの肩を馴れ馴れしく叩きながら黄金竜を指し、
「信じられるか? この巨体のほとんどが金塊なんだぜ。全身売り捌いたら、いったいいくらになるか楽しみだなあ」
「結局、アークくんはお金目当てだったのかニャ?」
「そりゃもちろん。ただし正確には『莫大な金塊』が目当てだな」
ようやく我に返ったミィに、アークは大きくうなずいてみせる。
皆の鼻を明かしてやりたいという気持ちが、最終的には前面に出てしまっていたが、そもそも狩ろうと思った発端はそれ。
「でも金塊って売り買いするのに、なんか免許が要るって聞いたことあるニャ」
「お、物知りだなあ。でもなんで免許制かまでは、知らないだろ?」
アークがもったいぶって訊ねると、ミィが素直にうなずいた。
「じゃあ酒場の店主のおじいさんに、教えてもらおうなあ。実地で」
自分がこの金塊を使って何をするかつもりか、皆が知ったらどんな顔をするか、そしてその結果何が起こるか――
楽しみでならない、とアークは邪悪に微笑んだ。
◇◆◇◆◇
財務大臣アイランズには、バラ色の未来が待っているはずだった。
長年親友ヅラでつき合ったマーカス・フィーンドが死に、水面下で進めていた策略がついに成り、その領地を丸ごと奪い取ることができた。
領民どもを馬車馬のようにコキ使い、搾取し、己は酒池肉林の毎日を送る予定だった。
(なのに……なのに……どうしてこんなことになっている……っ!)
アイランズは脂汗まみれになって机に突っ伏す。
王宮は歴代財務大臣の執務室。
アイランズにとってはまさに城ともいうべきその場所に、連日連夜報せが届いていた。
今もだ。
部下である文官たちが、血相を変えて飛び込んでくる。
金切り声になってわめく。
「出所不明の金塊が、市場に大量に出回っております!」
「もちろん金の流入自体は歓迎すべきことです。が、あまりに急激すぎるのです。おかげで物価が高騰し、市場が恐慌を起こしてさらなる高騰を招くという悪循環に陥っておりますっ」
「どうしてこんなになるまで放っておいたんだよ!? 誰かおかしいと思って食い止めろよ!」
「なんのために免許制にしてると思ってるんだっ」
「無理ですよ……っ。調査したところ十日ほど前に各地で、一斉に売りに出されたんですっ。王都だけでなくイジャラで、マヌセスで、ジンブルクで!」
「こんなのもはや同時多発テロだ!」
「ま、まさか他国の謀略か!?」
「大臣閣下。制御できないほどの物価高騰は、すなわち我が国の貨幣価値そのものが毀損されているということなのです」
「嗚呼っ、このままではサロマンの市場が――いや、国の財政が破綻してしまう……!」
「如何しましょう、閣下!」
「大臣閣下!」
文官たちに詰め寄られ、アイランズは執務机の上で頭を抱えた。
脂汗が止まらなかった。
何か手を打てと言われても、何も思い浮かばない。
計数に強く、政治に明るいといっても、所詮は宮廷貴族の中では比較的にという話だ。
あくまで小物。賢しらなネズミ。
世に名を轟かせるような辣腕の大臣では決してない。
(宰相閣下や法相閣下にせっせと賄賂を贈り続けて、ようやくつかんだこの地位なのに。どうして私の任期中に、こんな前代未聞の事件が起きる!?)
この不運を、いったい誰に向かって呪えばいいのか。
神か。
それとも悪魔か。
「誰かっ。何か打開策はないのかっ」
結局、部下たちに当たり散らすことしかできないアイランズ。
しかし、まるで無為。
どいつもこいつも互いに顔を見合わせるばかりで、クソの役にも立たない。
実力よりもコネが優先されがちな宮廷人事で、今の役職に就いているという点では、アイランズと大同小異の連中なのだ。
少しはまともな者がいても――未だ各国が金貨本位制を敷き、まともな銀行は生まれておらず、国債の類にも信用が置かれていないこの時代に――解決策を閃く秀才などいやしない。
執務室内はさながら市場の鏡写しの如く、混乱と恐慌を極めていた。
そんな最悪の空気の中へ――
「法相閣下より、書状を預かって参りました」
使いの文官が法務大臣モラクサの威光を笠に、横柄な態度でやってきた。
アイランズはひったくるように封筒を受け取ると、中身を検める。
『一日も早く問題を解決しろ。
財務大臣に相応しい手腕に期待をしている。
貴様を宰相閣下に推薦してやった私に、決して恥をかかせるな。
もしできなかったら――わかるな?』
要約すれば、そう書かれていた。
「………………私はもう終わりだ……」
アイランズは机に突っ伏し、半泣きになって喘いだ。
◇◆◇◆◇
「アイランズの野郎、今ごろ卒倒してるだろうな!」
サイト村の酒場で葡萄酒をあおりながら、アークはゲラゲラと嘲笑した。
自分を追放した憎っくき「宰相派」の、まずは一人目に復讐を果たして上機嫌だった。
店の看板は下ろされ、貸し切り状態。
同席しているのはメイリとテッカ、ミィ――そして老店主のテムリス。
元は王国一の大商会を営みながら、貴族の策謀と横暴により全てを奪われ、王都を追放された男は、アークの前で嘯いてみせた。
「一度は全てを諦めたこんな老人でも、ツテは残っておりましたからねえ。原資になるものさえあれば、商売なんざ私にとっては赤子の手をひねるよりも簡単ですよ」
そう、テムリスはアークの期待に見事に応えてくれた。
黄金竜の死体から伐り出したゴールドを元手に、大量の食材や嗜好品、必需品――それも十年以上、備蓄できるだけの――をサイト村へ持ち帰ってくれた。
アーク一人ではできないことをやってくれた。
金塊の売り買いに国の免許が必要なのは、市場バランスが崩れるほどの一気流入を阻むため。
アークはそれを知っているからテムリスに命じ、莫大な量の金塊を王国各地に分散させて、一度に売りに出させたのだ。
王国が気づいた時には、もう遅い――そういう状況を作り上げたのだ。
もちろん、テムリスが王国各地の豪商たち(金売買の免許持ち)と面識を持ち、計画の全貌を話した上でグルにできるだけの信頼を持っていたからこそ、可能な真似だ。
「私の予測では、国内市場はまだまだ混乱し、物価は果てしなく高騰します。より正しくは、混乱と恐慌を助長するよう昔の商売仲間たちと画策します。そして物価が上がり切ったところで備蓄している必需品を売れば、さらに稼げる」
糸目の、好々爺然とした男が、熱を秘めた口調で語る。
ほとんど閉じられた瞼の奥で、瞳をギラギラさせている。
アークが知っていたころのテムリスに、完璧に戻っている。
「あなたをハメた貴族どもへの、復讐というわけですの?」
とテッカが呆れ顔で問えば、
「いえいえ。私の商会を潰すのに、財相閣下は一枚も噛んでおられませんでしたし、アイランズ卿に恨みは一切ございませんよ?」
とテムリスはしれっと答える。
(これだ! 自分の復讐のためなら無関係な連中にも平気で災禍を広げ、むしろ自分を助けなかった王国を恨み、滅ぼしかねない激情! 実にオレ好みの性格だ!)
とアークは呵々大笑。
チャンスさえ与えてやれば折れた牙を取り戻すと、見込んで話を持ち掛けた、自分の目は間違っていなかった。
大満足である。
「テムリス。おまえをオレの御用商人にしてやろう!」
「ありがたき幸せです、アーク様。黄金を任せてくださった御身と、行き場のない私や孫を受け入れてくれたこの村への恩義を、残り短い人生を懸けてお返しする所存です」
二人で席を立つと、テムリスがひざまずいて頭を垂れ、アークがその手をとって面を上げさせる。
これだけ見れば、なんとも美しい主従の図だ。
「市場の混乱を画策って、そんなひどいこともうやめませんか?」
だがメイリが冷静に、ジト目になってツッコむ。
「オレたちを追放した国がどうなろうと知ったこっちゃないよなあ!」
「私はただただ大恩あるサイト村を豊かにするため、持てる商才を振り絞っているだけなのです。天に誓って善行でございますとも」
アークとテムリスは全く悪びれることなく、分厚い面の皮で批難の視線を跳ね返す。
こういうところは完全に似た者同士だ。
さらには立ったまま乾杯まで始め、
「なあテムリス、隣国にもツテってないのか? できれば王宮レベルで。サロマンへの輸出を禁止させたら、物価高騰がますます進んで面白いことにならないか?」
「申し訳ございません。全面的な経済封鎖をさせられるほどのツテは、私にもございませんなあ。ですが一部でしたら、努力してみましょう」
「いいよ、いいよ。一部だけでもきっと効果あるよ!」
などと大盛り上がりする。
その様を女性陣が冷ややかな目で見ている。
「この悪魔ども」
「黄金竜をまさか本当に斃しちゃった、惚れ惚れするほどリッパなご領主なのにニャ……」
「テムリス老を得たアーク様は、まさしくナントカに刃物状態ですわねえ」
もちろんアークとテムリスは聞く耳を持たず、仕入れてきたばかりの二十七年物の葡萄酒を飲み干す。
「嗚呼、サイッッッコーに美味いな!」
サイト村「は」今日も平和だった。