第四話
しかしアークの討伐宣言を聞いて、メイリたち以上に過剰反応する者たちがいた。
すぐ隣のテーブルで飲んでいた、四人組のチンピラ農夫たちである。
「ぶはは、聞いたか? 黄金竜を斃すだってよ!」
「できるわけねーだろ。バカジャネーノ」
「貴族の坊ちゃんってのは、なんでもワガママが通るって思ってるんだろうねえ」
「あれだろ? 黄金竜に『手加減しろ』って命令したら、してくれるって思ってんだろ?」
と、言いたい放題にしてくれた。
アークを新領主だと知った上で、毛嫌いする村民感情からの暴言であろうし、酒も少し入っているようだった。
(よし、手打ちにするか!)
アークが腰の魔剣に手をかけた途端、その上にミィがサッと手を重ね、メイリが自重を促すように肩を押さえた。
アークは舌打ち一つ、仕方なく口で攻撃する。
「おい、愚民ども。オマエラそこまでご領主サマをバカにし腐っておいて、もしオレが本当に黄金竜を討伐したら、どうしてくれるんだ? 不敬罪じゃすまさねえぞ?」
「グミンだあ? 落ちぶれ貴族が偉そうに!」
「もし黄金竜をぶっ殺すことができたら、おれの可愛い娘を●●●●させてやるよ」
「テメエこそ逃げるなよ、領主? ちゃんとドラゴンに挑んで死んでこいよ?」
「ぶはは、そいつぁせいせいすらあ!」
「よし、オマエラの顔は憶えたからな。吐いたツバ、呑まんとけよ」
どっちがチンピラかわからない言葉遣いで罵り合う元伯爵家の若様に、メイリ、テッカ、ミィの三人が白い目を向ける。
アークは気にせず、さらに悪口雑言の限りでチンピラどもを罵倒し倒してやろうと思ったが――
「そこまでにしておけよ。食事の邪魔だし、要らんケンカを売るのは低脳の所業だぞ」
と、呆れ声でチンピラたちを窘める者がいた。
奥のテーブルで、一人で昼食をとっていた男だ。
枯れ木のように痩せ、年は二十代の後半くらい。
しかし老成された、底知れない迫力を感じさせる。
チンピラどもも彼を畏れている様子で、
「す、すみません、ケインズ先生っ」
「おいらぁただ貴族憎しで、決してお食事の邪魔をするつもりなんてっ」
「今すぐ退散しますっ」
と自分たちもまだ食べ終わっていないのに、次々と席を立って逃げていった。
このケインズという男に睨まれたら、まるでサイト村で生きてはいけないとばかりの恐がりっぷりである。
(何者だ?)
とアークも興味が出て、値踏みする。
先生と呼ばれるからには、なにがしかの知識階層なのだろう。
サロマ芋を使ったメニューが大半のこの店で、兎のエサのような野菜料理をわざわざ高い金を出してまで食べていることから、それなりに富裕なのがわかる(痩せているはずだ!)。
注目すべきは、ケインズが自分のテーブルに立てかけている、先端がねじ曲がった木の杖。
足腰が悪そうには見えないし、もしかしたら魔術師たちが使う魔法の杖かもしれない。
その見立てがビンゴで、
「魔術師ケインズですわ」
「村じゃ薬草師の代わりもやってるニャー。みんなケガやビョーキの時は、世話になるニャー」
とテッカたちが小声で教えてくれる。
なるほど、それは貧しい村なりに儲かりそうだし、チンピラどもが恐れ入るはずだ。
「魔術師先生がこんなド辺境にいるとはな。まあ、あいつも追放されたクチなんだろうが」
「ええ。なんでも王都の魔術師ギルドでは、若き天才と呼ばれていたとか。でも処世術なんて知らない男で、ギルド長が唱えた論理を真っ向否定した挙句に、低脳呼ばわりして逆鱗に触れて、ギルドを追放されてしまったという話ですわ」
「ケインズは天才だから、きっとおエライさんには目障りだったのニャ。よっぽど世渡り上手じゃなきゃ、出る杭は打たれるものニャ」
と実際に打たれた杭の二人が、同情的な口調で説明した。
一方、ケインズは食事を終えて席を立つと、アークの傍までやってくる。
「さっきの品のない奴らが、インネンつけて悪かったな。村を代表して謝るわ」
「別に魔術師先生がけしかけたわけじゃないだろ?」
「そうだな。ただ、俺も『この村に領主なんか要らない』と思っている一人だが、おまえのことは今のところ評価している。だから、さっきの奴らの態度はナイと考えたわけだ」
「へえ?」
「最初に出迎えに来いって言った以降は、おまえは何も俺たちに命令してこない。ぜひ、これからもそうしてくれ。領主と村人で、お互い空気のように不干渉でいるなら、こんなにめでたいことはない。それなら領主がこの村に住んでいても、別に問題はない」
「だから逆にさっきのチンピラどもが、オレの気分を害したのは、相互不干渉の関係が崩れるから困る。村を代表して謝る。そういうことか」
「ああ。揉め事も荒事もごめんだ。邪魔な領主なら排除するしかないが、誰も好き好んでやりたいわけじゃない。どうか俺たちに、そんな真似はさせないでくれ」
「処世術なんか知らない男だって聞いたが、随分と違うな」
「俺も高い授業料を払って、学んだのさ」
(ただ牙が折られただけだろ)
アークはそう思ったが、ケインズがオトナな態度を示している以上、こっちからケンカを売ったらガキっぽくて負けに思えたので、自分もオトナぶることにした。
だから口をつぐんでいると、ケインズが話を続けて、
「それとこれはあくまで忠告として聞いて欲しいんだが、黄金竜の縄張りに入るのはやめた方がいい。あいつは並の魔物じゃない。例えば二百年前、初代国王が――」
「ああ、先生。忠告と講義は間に合っている」
「そうか? ……いやそうだな、これも干渉か。わかった、俺の差し出口だった」
ケインズはまたわびると、今度こそ酒場を立ち去った。
「どいつもこいつもオレが勝てねえって決めつけやがって」
ケインズに悪意はなかったから許してやったが、腹立たしいことこの上ない。
「久々にキレちまったよ。こうなったら何が何でも黄金竜を狩って、全員の鼻を明かしてやる」
「アーク様はしょっちゅうキレてるじゃないですか」
「どうかお考え直しくださいませ。お命を大事にしてくださいませ」
「アークくんもラブ&ピースに生きるニャ」
「うるせえ! おまえらも黄金竜を狩って帰ったオレに、惚れ直す心の準備しとけよ! 巨乳はお断りだってフッてやっから!」
メイリたちに止められれば止められるほど、ますます意固地になるアークだった。
◇◆◇◆◇
「今日は絶対ついてくんなよ、メイリ。さすがに守ってやる余裕ねえからな」
「……もし勝てないってわかったら、ちゃんと逃げてくださいよ?」
「わかってるよ。プライドより自分の命の方が大事だからな。オレの性格は知ってるだろ?」
「……アーク様はクズですもんね」
本気で心配しているからか、メイリのツッコミにもいつものキレがない。
アークは道中分の弁当だけ受け取って、意気揚々と屋敷を出発した。
一晩経った、早朝のことである。
「ぶっちゃけあの山まで歩くのが、一番面倒だわ」
そんな風に道中ずっとぼやき、愚痴りながら、延々と歩き続ける。
軍隊すら全滅させたという“ヌシ”と、戦うことへの恐怖や緊張感などは皆無。
昔からメンタルの強さは、誰にも負けない自信があった。
途中で弁当を平らげ、山に入る。
入ったら入ったで、今度は登山しながら黄金竜を探し出すのが面倒。
――と思っていたら杞憂だった。
耳を聾する巨大な足音ともに、あちらさんから襲撃に来てくれたのだ。
「なるほど、縄張りに入った奴絶対許さないマンか。そら入るなってケインズも警告するわ」
アークは不敵に微笑むと、腰の物を抜く。
〈華々しき稲妻の魔剣〉を両手に構え、迫る黄金竜と対峙する。
相手は凄まじい巨体だった。
まだ遠く、伏せたような格好でさえ、見上げなければならないほど。
長い首をもたげれば、体高がいったい何十メートルに達するのか想像もつかない。
四肢は短いが太く、怪力で、木々を根こそぎ蹴散らしながらやってくる。
ものの文献通り、全身ほぼ純金でできているなら、重量は途方もないだろう。
だから恐らくこの竜は空を飛べない。
羽も巨体に比してとても小さく、退化している。
無論のこと、それが侮る理由になりはしない。
これほどの巨体が地上を暴れ回れば、ちっぽけなアークなど足踏みがかすめただけで、衝撃で吹き飛ばされるだろう。
だからアークは大げさなほど横に跳んで、黄金竜の突進を回避する。
適当に振り回された尻尾でさえ、その先端は恐るべき速度で迫り、喰らえば一撃でバラバラにされてしまうだろう。
だからアークはまずは専守防衛に徹し、黄金竜の爪牙や尻尾の間合いを測り、攻撃の癖を見極め、目を観て心の動きを読む。
「ま、こんなものか」
そして早や見切るや、攻勢に転じる。
巨大な尻尾の横薙ぎを掻い潜り、振り下ろされた爪の一撃を跳んでよけると同時に、右前肢を足場に使って駆け上げる。
背中まで上ると、魔剣を叩きつける。
黄金でできた体は、さすが生身に比べてとてつもなく硬い。
が、金属としては柔らかく、アークの剣技ならば断つのは容易。
ただし、この巨体だ。刀身の半ばが入るまで深く斬りつけた格好でも、黄金竜からすればかすり傷程度のことであろう。
「いい剣だ、テッカ。こいつがなかったらさすがのオレも、挑もうとは考えなかったな」
滅多に人を褒めないアークが、追放鍛冶師と彼女が献上した謹製の魔剣を褒め上げる。
その「かすり傷程度」で、黄金竜が苦しみ絶叫していた。
魔剣の刀身が帯びた、強力な雷の魔力の仕業である。
金というのは、電気の伝導率が非常に高い。
そして全身ほとんどが黄金でできているこの竜も、内臓器官は肉でできている。
ゆえに「かすり傷」から注入された電撃が、巨体を伝って内臓各所まで届き、さしもの黄金竜も激痛に耐えられなかったのである。
「GUGAGOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON!」
のたうち、暴れる黄金竜。
アークもその背に立っていられず、軽やかに跳び下りる。
黄金竜が鎌首をもたげ、怒りで真っ赤に燃えた瞳をこちらに向ける。
常人なら恐怖で身が竦んだかもしれない。
しかしアークからすれば、憤怒で我を忘れたその状態は、まさにカモ。ますます心の動きを読みやすい。
尻尾の一撃をかわしては一太刀、迫る顎門をかわしては二太刀と、手痛いカウンターをお見舞いしまくる。
「オイオイ、どうした? ただバカでっかいだけのトカゲじゃないんだろ? もっと底を見せてみろよ、底を!」
嘲笑とともに挑発するアーク。
ものの文献によれば、ドラゴンどもは人間の言葉を解する知能があるらしい。
そして、強烈なブレスを吐く。
「SHYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
黄金竜がこれでもかと顎門を開くと、そこから烈火を迸らせた。
とんでもない火勢だ。
前方一帯の森を焼き払い、百近い木々を一気に炎上させる。
喰らえば、アークなど一瞬で灰燼と帰していただろう。
あくまで喰らえばの話で、とっくに黄金竜の喉元にもぐり込んで、猛火の吐息をやりすごすと同時に一撃お返ししていたのだが。
「初代国王もバカだな! こいつは軍隊を連れていけば勝てるって奴じゃねえ。むしろ軍隊じゃあ絶対に勝てねえ」
たとえ一万人で攻めかかったところで、今のブレスを喰らえば戦死者続出、戦意消失、壊走を始めたところにブレスを乱射されて、全滅必至だ。
逆にアークは一万の兵と戦い、勝てる自信はない(当たり前すぎて認めるのに抵抗もないが)。
「でも、黄金竜にゃ負ける気はしねえわ!」
鎌首をもたげた黄金竜がアークを見る目に――怯えの色が、わずかに混じった。
◇◆◇◆◇
アークと黄金竜の激闘を、密かに見守る者がいた。
「すごいニャ、アークくん……」
と――一際背の高い木の上から見物し、脱帽しているのはミィだった。
こっそり後をつけてきていたのだ。
理由はシンプル、アークの身が心配だった。
そしてミィ以上に、メイリとテッカが心配で心配で堪らない様子で、朝から家の前をウロウロしていた。
そんな二人を見かねて、ミィが提案したのだ。
「もしアーク君が危険になったら、さらってでも連れ帰ってくるニャ。足の速さには自信があるニャ」
「あ、ありがとうございます、ミィ様っ」
「あなたが行ってくださるなら、頼りになりますわ」
「任せろニャ!」
と――気張ってきたはいいが、どうやら全くの杞憂だった。
アークのデタラメな強さに、ただただ舌を巻く想いだった。
同時に昔の血が騒いでならなかった。
ひたすらまだ見ぬ強敵を求め、王都で道場破りを繰り返していた時の、闘争心だ。
「ミィの中にまだ、こんな熱が燻ってたなんてニャ……」
思えば剣聖マーカス・フィーンドのことは、噂は耳にすれど手合わせする機会がなかった。
会うことさえ難しければ、挑むことのできる身分ではなかった。
その一子相伝者であるというアークを見れば、どれほどの実力者だったか想像できた。
いや、そもそも弟子のアークでさえ、自分が初めて見る剣の怪物だった。
「――でも、ミィだって……!」
そう思った時には、体が勝手に動いていた。
自慢の体術と敏捷性で、木から木へと飛び移り、戦場へと馳せ参じた。
「オイぃ、何しに来たんだミィ!」
「決まってるニャ! 加勢するニャ!」
驚くアークにウインク一つ、黄金竜へとまっしぐらに突撃する。
そんなミィを巨大な“ヌシ”は煩わしそうに、尻尾による打擲で追い払おうとした。
しかしあっさりと回避し、掻い潜って距離を詰める。
黄金竜が本気になって爪を振るうが、結果は同じ。ミィの影さえかすらせない。
この国の武人たちは一般に、剣や槍を巧く扱うことばかりに注力する。
しかしミィたち拳法家は、歩法を重視する。
アークもまた――師の教えが優れているのだろう――足捌きが巧みだった。
普段は泰然と構え、のんびりと歩き、そこから一気に加速する、緩急の付け方が良い。
だけど歩法に関してだけなら、ミィの方が上手だった。
猫人特有の足腰のバネを活かし、絶えずフットワークを駆使する。
緩急の落差が尋常ではなく、常人の目には残像さえ映るだろうほどだ。
アークが先に黄金竜との戦い方を示してくれたこともあって、尻尾や爪牙による攻撃がどれだけ激しかろうとも、ミィは尽く回避し続ける。
もちろん、あの烈火のブレスの対処法だって、アークが見せてくれたから恐くない。
果敢に拳と蹴りで攻め立てる。
黄金竜の左前肢を――あたかも鑿で削るが如く――ごりごりと抉っていく。
歩法を重視する拳法家だからこそ、まず相手の機動力を奪おうとする。
「やるじゃないか、ミィ! ラブ&ピースはどこに行ったんだ?」
「あれはミィが間違ってたニャ! 人生に必要なのはキック&パンチだったニャ!」
「ハハハ、いいぞ。そいつは実にオレ好みだ!」
アークほどの武人に褒められ、バカみたいにうれしくなって、子供のように張り切って戦う!
◇◆◇◆◇
「いいぞ、いいぞ。おかげでオレも楽ができる」
黄金竜を手こずらせるミィの敢闘を、アークは絶賛した。
勝てる戦いは好きだ。
楽に勝てる戦いはもっと大好きだ。
ミィの参戦のおかげで、前者が後者に変わった。
「領主ってのは忙しい身でな。時短で行かせてもらうぜ」
黄金竜がミィの対処でかかりきりになっている隙に、アークは気配を忍ばせる。
そして剣を鞘に納め――そのまま構えた。