第二話
「サロマ芋」という甘藷がある。
このサロマン王国の在来種で、領内の土壌であればたとえ荒地でもよく育ち、しかも世話が簡単で二期作まで可能という、他国が羨んで仕方ない主要農産物だ。
後世でいうところの栄養価に富み、これさえ食べればビタミンまで摂れる。
おかげでこの国は昔から飢饉知らずで、人口も著しく多い。サロマンを強国たらしめている要因は、このサロマ芋にあると言って過言ではない。
まさしく夢のような穀物だが、一つだけ問題がある。
糖質の爆弾なのだ。
おかげでサロマン国民は肥満体が多く、糖尿病に悩まされている。
サロマ芋を食べるしかない庶民ほど、貧乏人ほどその傾向が強くなる。
そしてサイト村の痩せた農地には、見渡す限りの悪魔の実が植えられていた。
「あああ……っ」と絶望の声を漏らすアーク。
へたり込んだまま、眼前に広がる農地に――悪夢の如き光景に凍りついていた。
そんな少年の肩に、テッカとミィが左右から手を置き、したり顔で説明する。
「この村はみーんなビンボーだから、サロマ芋以外は滅多に食べられないニャ」
「鍛冶は力仕事ですしミィも拳法家ですから、この通りプロポーションを維持できておりますが、たいていの村の女性は恰幅の良い方々ばかりですわ」
「村の食糧事情が改善しない限り、スレンダー美女なんて夢のまた夢ニャ」
あげくメイリまでここぞとばかりに追い打ちをかけてくる。
「スレンダー美女を侍らせるなんてサイテーの野望、ドブにでも捨てたら如何ですか?」
聞いてアークはブチ切れた。
雄々しく立ち上がり、皆に向かって怒鳴り散らす。
「だったらオレが改善してやらあ! 金を稼ぎまくって、他の食いもんを恵んでやらあ! そうしたら村の女もみるみる痩せて、オレ好みになっていくだろ!!」
スレンダー美女を侍らせる野望は絶対に譲れなかった。絶対にだ。
しかしテッカとミィは肩を竦めるばかり。
「ご領主サマのお言葉はありがたい限りですが――」
「そんな大金、こんな辺境でどっから稼ぐニャ? それができたら苦労しないニャ」
「ハァ? 宝の山が目の前にあるだろうが」
本気でわからないのかと、アークは呆れ果てる。
そして真っ直ぐに指を差す
村の向こう側に広がる――“魔の森”を。
「森にゃ魔物がウジャウジャいるんだぞ? 剥ぎ取った素材はメチャクチャ高く売れるんだぞ? つまりは宝の山ってことだろうが!」
アークは気取ったポーズでビシィィィッとキメて宣言する。
メイリが「ウザ……」と呟いたが、聞かなかったことにする。
さらにはテッカとミィまで全く感銘を受けた様子もなく、
「肝心の魔物退治が可能なのでしたら、ご領主サマの仰せの通りですが……」
「断っとくけど、ミィたちは絶対手伝わないニャ。ラブ&ピースに生きると決めたニャ」
「誰も一緒に来いなんて言ってないだろ。オレが食わせてやるって言ったんだ、オレ一人で狩りまくってやらあ」
本来は領民どもをコキ使い、自分は安全地帯でぬくぬく暮らしたいところだが、それをやったら前領主と同じ末路をたどるのがオチだ。
だったら金は自分で稼ぐ。毎日サロマ芋ばっかり食って暮らすとか、死んでも嫌だし。
そのおこぼれを領民どもに恵んでやって、自分好みのスレンダー美女が増えるなら、まあ良しとしよう。
アークは頭の中でそう計算していたのだが、テッカとミィはまだ承服できかねる様子で、
「一人で“魔の森”に行かれるだなどと、ご領主サマは魔物を舐めすぎなのでは……」
「きっと痛い目見るニャ。いや、痛い目で済めばいいけど、死んでもおかしくないニャ」
と異議を唱えてくる。
それは一応はアークの身を案じた忠言なので、怒りはせず代わりにこう答えてやる。
「おまえたちこそオレのことを舐めている」
胸を反らし、顎をしゃくり。
尊大に。傲慢に。
「オレを誰だと思っている? 剣聖マーカス・フィーンドから全ての術理を受け継いだ、唯一人の相伝者だぞ」
◇◆◇◆◇
前領主の住まいだった三階建てのお屋敷は、今は公民館として村の会合等で使われていた。
それをアークは問答無用で接収し、自分のものにしてしまった。
身の回りの世話はもちろん、メイリに任せる。
そうして一泊した後、アークは朝日を浴びて意気揚々と“魔の森”へ出発する。
「危ないからおまえはついてこなくていいんだぞ、メイリ」
「危なっかしいからついていきますよ、アーク様」
ハーフエルフのメイドは小生意気にも口答えすると、アークの装束に物申したげな空気を醸す。
実際、アークは長剣一本を腰に佩くだけで、鎧の類は一切着けない。
完璧に“魔の森”を舐め腐ったスタイルだ。
一方、メイリもリュックを背負っている以外はいつものメイド服姿なので、これから魔物退治に出かけるようには全く見えない二人である。
貴族の坊ちゃまが愛らしいメイドを連れて、微笑ましいピクニックに行くところだと言われた方が、誰もが信じるだろう。
アークとメイリは森に入ると、獣道すらない場所をずんずんと奥へ進む。
幸い木々の間隔はかなり広く、歩くのにさほどの不自由はない。
ただしそれは、巨大な魔物が行動を阻害されずに襲ってくることも、意味しているのだが。
「アーク様は魔物と戦ったことはありませんよね?」
「ないな! クソ親父はいっぺんオレに戦わせてみたくてしょうがなさそうだったがな。魔物なんてそう都合よく出没するもんじゃないから、結局機会がないきりだった」
まあだからこそ、魔物の死体から採れる素材は稀少で、高価で取引されるわけだが。
「じゃあ魔物がどれくらい強いかなんて、アーク様にもわかるわけないじゃないですか」
「ものの文献によると、一匹が騎士一人分の強さに相当するらしいぞ」
「当てになるんですか、その文献?」
「なるわけないだろ! 騎士っていったって、コネでなった貴族の坊ちゃんからクソ親父が一目置くレベルの奴まで、強さがピンキリなんだ! そんなテキトーな基準を恥ずかしげもなく出してる時点で、眉唾文献だよ」
「じゃあ得意げに引用しないでくださいよ」
「もっとまともな文献も読んだぞ。この森に棲む魔物の中には、“ヌシ”って呼ばれる強個体もいるらしい。土地一帯を縄張りにしていて、他の魔物が絶対ケンカを売らないそうだ」
「その“ヌシ”とやらは騎士サマ何人分くらいって書いてあったんですか?」
「こっちも強さはピンキリあるそうだがな。あの山が見えるだろ、メイリ」
アークはかつて読んだ文献内の地図と、実際の地形を照らし合わせながら、サイト村の北東にある小さな山を指し示す。
「およそ二百前、サロマンを建国した初代の王が――オレはスゴイって万能感に満ちてたんだろうな――調子コイて“魔の森”を領土にしてやるぜって、軍隊率いて攻め込んだらしい。で、あの山を縄張りにしている“ヌシ”の黄金竜と戦って、全滅したんだとさ」
「強さの単位が騎士じゃなくて軍隊」
日ごろはメイドとは思えない横柄な言動がデフォのメイリが、これには首を竦めて恐がった。
「その文献、本当に当てになるんですか?」
「こっちは確かな歴史書に記されてる事実だ。当てになる」
アークが断言すると、メイリも納得した。
バカに貴族は務まらないと思っていたアークは、理解のない父親に隠れ、睡眠時間を削ってまで自主的に勉強しまくっていた。
メイリはその姿を見ているから、アークがどれだけ博識かは知っているし、真剣な話をした時は疑ってこないのだ。
そしてアークも、メイリが粗忽さとは最も遠い人間であることを疑っていなかった。
だから彼女がいきなり足を止めた時、自分もまた散歩気分をやめた。
腰の物に手をかけ、メイドの次の反応をじっと待つ。
エルフの血を引くメイリの尖った耳が、ぴくぴくと動いていた。
青い瞳が遠くを映していた。
「アーク様――あちらに猪のような魔物が、五匹います」
「わかった」
アークにはまだ何も見えないし聞こえないが、気配を忍ばせてそちらへ向かう。
すると、確かにいた。
一角猪と呼ばれる魔物どもが、額から生やした巨大な角で木の根を掘り起こし、エサにしていた。
アークも実物を見るのは初めてだが、昔読んだ図鑑でその名と姿は知っていた。
「よく見つけたぞ、メイリ。さすが森の民。さすが狩猟民族。おまえのクズ親父の血も役に立つもんだ」
「だったらアーク様も、クソお父上から習った剣技を早く役立ててください」
互いに実父を恨んでいるという点で共通する二人が、互いの神経を逆撫でし合う。
そんな遠慮のない関係性にアークは心地よさを覚えつつ、剣を抜き放って前に出る。
もう気配は消さない。
ズカズカと魔物どもへ近づいていく。
一角猪も一匹、また一匹とこちらに気づき、敵意と食欲で瞳をギラつかせた。
雄叫びを上げて、五匹が一斉にアークへと突撃してくる。
「なるほど、一匹が騎士一人相当」
突進してくる速度と迫力は、軍馬のそれに勝っている。
巨大な角は、人間の胴体くらい簡単に風穴を開けてしまうだろう。
逆に硬そうな剛毛と分厚い皮下脂肪に覆われた体は、さぞや斬り辛いに違いない。
重甲冑をまとい、ランスを構えた騎士が、人馬一体となって突撃してくる――まさにそんな様を彷彿させる魔物だった。
それも王都で定期的に行われる馬上槍試合の、優勝候補クラスの近衛騎士たちと同等の強さをアークは感じとる。
「ま、こんなものか」
アークは片手でぶら下げていた長剣を、両手に持ち直した。
そして一角猪が迫る端から、剣を振るうこと五度。
魔物どもの五つの首が、ほとんど同時に刎ね飛んだ。
アークは返り血すら浴びていない。
のんびり歩いているかのような風情で、魔物どもの脇を抜けて、しっかり残心をとっている。
「お見事です、アーク様」
ちゃっかり木の陰に隠れていたメイリが、安全を確認するやのこのこ出てきた。
「というか魔物がザコすぎましたね。口ほどにもない」
「いや強かったよ!? 馬上槍試合の優勝候補クラスあったよ!?」
「? ではどうしてアーク様が圧殺できたのですか?」
「オレが超強いからって発想がなんで出て来ないわけ!?」
「またそんなイキり散らして……大人になってから黒歴史化しますよ?」
「オレもう十七歳のオトナぁ!」
「世間知らずのアーク様では仕方ありませんが、それを世間では『イキり』といいます」
「というかオレがクソ親父に殴られながら、地獄みてえな剣術修行させられてたのは、メイリも見てただろ!? それでオレが強くなれてなかったら、オレ可哀想すぎるだろう!?」
「事実、私はアーク様のことを憐みの目(笑)で見てましたが?」
「おまえ、ちょっと剣貸してやるから、こいつらの死体を試し切りしてみろよ! アホみたいに硬いから! それをいとも容易く両断したオレの凄さの片鱗がわかるから!」
「申し訳ございません。ナイフとフォークより重いものを持つのはちょっと……」
「メイドの台詞じゃねえ!」
どうしてもアークの強さを信じようとしないメイリに、ムキになって解説する。
「こうな? 力任せに斬るナマクラ剣技じゃなくて、速さと鋭さで断つ太刀筋とか体遣いってやつがあるのよ! これが身に着くまで、クソ親父に何度も殴られて修正させられてただろ? おまえも見てただろ?」
正確な体遣いを体に覚えさせるため、カタツムリが這うような速度で剣を振る修行を、メイリの前で実演してみせる。
メイリも「ええ、見てましたね。憐みの目(笑)で」とまるでその時を再現するかのように、生温かい目つきになる。
「もういいっ。こいつらの素材を回収するから、ひろえ」
「申し訳ございません。ナイフとフォークより重いものを持つのはちょっと……」
「そのジョークももういいっ」
アークはわめきながら、落ちた魔物どもの首から角だけを斬り落とす。
魔物は死後も全身に強い魔力を残留させる。
だから皮を剥いでも骨を採っても、魔道具や霊薬の触媒に使える。
一方、魔物は体のどこか一部位に、特に強い魔力を宿す特質がある。
一角猪なら角、恐蜥蜴なら爪という具合だ。
「魔力凝縮素材」とも呼ばれるそれらは当然、他の部位よりも有用で稀少――高く売れる。
アークが角だけ斬り落としたのも、たった二人で死体を全部持って帰るのは不可能だから、効率を重視したわけである。
「あー、重い重い。追加のお手当はいただけるのでしょうか」
「ちゃんとやるから黙ってやれ」
下ろしたリュックへ角を入れながらブツクサ不平を垂らすメイドに、アークは突っ立ったまま手伝いもせず命じる。
ところが――メイリがいきなり、角をひろう手を止めた。
「だからサボるな」とアークは言いかけて、呑み込んだ。
メイリがじっとしたまま、尖った耳だけぴくぴくと動かしていたからだ。
「新手が来ます。大きくて……とてつもなく速い!」
メイリが真剣になって警告するが早いか、足音と風切り音がもう迫ってくる。
矛盾するようだが、重くて軽やかな足音だった。
つまりは巨体を持ちつつも、俊敏に疾駆できる膂力があるということ。
ただそれだけで危険極まる存在だということ。
アークは慌ててそちらへ振り向き、剣を構えた。
馬よりも二回りは巨大な、ネコ科の猛獣が迫っていた。
闇のような漆黒の体毛。
太く、それでいてしなやかに動く四肢。
爪牙は一本一本が短剣のように長く鋭い。
しかし真に警戒すべきは別。
巨体に比して狭い額から、バチバチと放電していた。
魔物は足を止めるや、そこから激しく稲妻を打ち放った。
アークたちのすぐ足元へ着雷し、地面を黒焦げにした。
まずは一発、威嚇をカマしてきた。
「こいつ、雷獣――いやこの巨体からして“ヌシ”か。雷獣公か!」
実物を見るのはアークも初めてだが、かつて文献で得た知識から類推する。
「おまえはそこから一歩も動くなよ、メイリ!」
「仰せに従いますが、それで怪我したら責任とってくださいね」
「そんだけ減らず口を叩ければ合格だ」
パニックになって逃げ出せば、その背中を稲妻に打たれるだろう。
が、メイリは大丈夫。
アークは安心して前に出る。
雷獣公の全ての注意を一身に引きつける。
同時にアークも魔物の目をひたと見据える。
雷獣公が凶猛にガン開きして圧をかけてくるが、絶対に視線を逸らさない。
一般に剣士は、戦う相手の「全身を一度に観る」修練を積む。
それで相手の肩の付け根や膝などから、剣を振る動作の出始めを観察できれば、その太刀筋がどんなに速くても一寸先に見切ることができる。
だが剣聖マーカスは、アークにそうは指導しなかった。
なぜなら達人の域にある剣豪たちは、逆手に取ってくるからだ。
動作の出始めが存在しない、特殊な体遣いや太刀筋を編み出しているからだ。
相手の「全身を一度に観る」癖をつけていたら、それらの秘剣を逆に見切ることができないからだ。
ゆえに父マーカスはアークに教えた。
「相手の体の動きを読むな」と。
「読むべきは相手の心の動き」「ゆえに相手の目を観ろ」と。
そのマーカス流の奥義を、アークは実践していた。
雷獣公の目をひたと見据え、心の動きを観ていた。
どんなに強力でも所詮は畜生、手に取るように読める。
雷獣公は今、アークのことを舐めている。
無遠慮に近づいてくる愚か者を懲らしめるため、稲妻で打ち据えてやろうと考えている。
(だから、ここ)
アークは横に一歩ズレる。
一瞬遅れて、さっきまでアークがいた場所に稲妻が落ちる。
人類が到達可能なスピードで、電撃を見てから避けることは不可能。
しかし魔物がいつ、どのように打ち放ってくるか――心の動きが読めていれば、こうして事前に動いてかわすことができる。
アークならば簡単にできる。
二度、三度、雷獣公が立て続けに稲妻を放ってくるが、尽く回避し、彼我の距離を詰める。
まるで知人を訪ねるように。散策でもするみたいに。
のんびりと。優雅に。
肉薄された雷獣公がようやくアークのことを「危険」だと理解し、牙を剥き、本気で跳びかかろうとするが――もう遅い。
「ま、こんなものか」
アークは機先を制し、剣を振るう。
雷獣公の太い首が刎ね飛ぶ。
アークは返り血さえ浴びずに、脇をのんびり抜けて残心。
「なるほど文献通りだ、“ヌシ”の強さもピンキリあるな。雷獣公はまともな騎士百人分ってところか」
アークにとっては一角猪と大差なかった。




