第十一話
国王より預かった正規軍千人を率いるのは、法務大臣モラクサ自身だった。
軍務経験など皆無だが、今回は女子供を含めた三百人程度の寒村を襲撃・略奪するだけなので、誰が指揮をとろうが問題はない。
ド辺境のサイト村に続く街道も、小さなものが一本きりで、部隊を展開してこれを封鎖するのも現場に任せておけば簡単だった。
既に日は沈みつつあり、兵たちは地面を掘って竈を作り、思い思いに夕餉をとっている。
士気は高い。というか皆、浮かれ騒いでいる。
当然であろう。
明日は戦闘だといってもどうせ一方的な蹂躙になるし、その後にはご褒美の略奪タイムが待っているのだから(この時代、戦争に略奪は付き物で、戒めるような倫理観は遥か後世の発明でしかない)。
サイト村の住民が降伏するとは、誰も思っていない。
降伏する気にもならない無茶な条件を、モラクサが突きつけたからだ。
「好きなだけ殺して、好きなだけ犯していいんだよな、叔父貴?」
モラクサと一緒のテーブルに着いた大柄な青年も、血の滴る肉を噛みちぎりながら言った。
帷幕(司令部となる大テント)の中、二人で晩餐の真っ最中だ。
この男はゴンセル男爵といい、モラクサの甥に当たる。
学も教養もまるで身に着かなかった身内の恥だが、腕っ節だけはあったので、モラクサの推挙で騎士にしてやった。
勇敢と粗暴の区別もつかないような蛮人だが、実戦経験は豊富で、今回はモラクサに代わる実質的な指揮官として帯同した。
「ああ、おまえや兵の好きにするがいい。ただし、わかっているな? テムリスが隠し持つ青い陶磁器は、全て私のものだ」
「おう、おう、もちろんさ、叔父貴。そんな辛気臭えモン、俺は必要ねえ」
「おまえや兵が好きに暴れて、誤って割らないようにと私は注意しているのだよ。もしそんな不始末をしでかしたら、いくらおまえでもタダではすまさんからな」
「……わかったよ。兵にも厳命しておくから」
ゴンセルは不貞腐れた顔で言った。
モラクサは内心、ため息をついた。
軍務経験のない自分がわざわざ兵を率い、こんな僻地まで来なくてはならなかったのも、これが理由だ。
誰かに任せていたら、貴重なテムリスの蒐集物を兵どもが破損したり、最悪着服するのではないかと懸念したのだ。
名門貴族にして大臣に上り詰めたほどのモラクサからすれば、軍人など無知無教養なサルとしか思っていない。
まあ、とはいえここまで何か苦労があったわけではない。
王都から馬車でゆるりと半月、気分はまるで物見遊山だ。
モラクサは六十を超える老体だが、自身一人を世話させる使用人を二十人も引き連れているから、何不自由なかった。
法務大臣の職務だって、どうせ日ごろから腹心の部下に任せっ放し。
「王都での贅を尽くした暮らしもよいが、たまには旅をしてみるのも悪くない」
なんて思っていたくらいだ。
不満があるとすれば、今夜使うベッドくらいのものか。
街道封鎖で部隊を展開する必要上、いつものように宿場に泊まれない。
なので将軍クラスが戦地で使う、簡易ベッドを兵に用意させたのだが、これが硬い硬い。
仮にも行軍中とは思えないご馳走を甥と平らげた後、モラクサは渋々といった表情で、愛人兼務のメイドとベッドに入る。
「この硬いベッドだと、おまえの柔らかさがよけいに際立つな」
などと言って戯れかかる。
そして、今夜は早めに寝る。
明日、テムリスのコレクションを全て我がものにする夢を見ながら。
その甘美な夢が爆音とともに破られようとは夢にも思っていなかった。
モラクサはメイドと慌てて跳び起き、帷幕の外へ飛び出る。
いったい何が起こったのか? 今の爆発音は何か?
確かめようにも、周囲が暗すぎた。
既に真夜中のことであった。
篝火こそあちこちに焚いているが、それでは光量が不十分。
モラクサの目に映るのは、不寝番を除いて寝静まっていたはずの兵たちが全員、パニックになって右往左往している光景だけ。
「誰か! 状況を説明しろ!」
モラクサは声の限りに叫んだ。
だが新たな爆音にかき消された。
今宵は星が綺麗だった。
その夜空の一点が、キラリと冷たく輝いたかと思うと――“何か”が地上に降ってきて、野営陣地を爆撃したのだ。
モラクサの目では捉えることができなかったが、その正体はなんと隕石であった。
野営陣地に直撃したそれは、凄まじい破壊の力と爆風を巻き散らし、付近にいた兵たちをまるでオモチャの人形の如く吹き飛ばした。
気絶者が続出したが、彼らはまだしも幸運で、四肢や体の半分を消し飛ばされた者、死体すら残らなかった者も大勢いた。
兵たちは隕石を相手に何もすることができず、むしろ自分たちがなんの攻撃を受けているのかすら理解できず、ただ泣き叫んで逃げ惑い、あるいは地面に伏して己の無事を神に祈った。
もはや軍隊のていをなしていなかった。
「なんだ!? いったい何が起きているんだ!? 誰でもいいから説明しろっ!」
モラクサは金切り声で叫んだが――それも三度目の爆音にかき消された。
◇◆◇◆◇
ケインズは荒い息を整えようと努めたが、収まってくれる気配がなかった。
心臓は割れ金の如く鳴っている。
彼ほどの魔術師が、たった三度魔法を使っただけで、このザマだ。
それほど《隕石落とし》は、集中力を要する超高等魔法だった。
サロマンの魔術師ギルドでも会得できたのは、その開祖とケインズのみ。
二百年間でたったの二人。
「いいぞ、いいぞ。さすがやるなあ、ケインズ先生! 一方的な蹂躙ほど気持ちいいもんはこの世にないよなあ!」
傍にいたアークが、人の苦労も知らず大はしゃぎする。
ケインズたちは現在、敵陣地を一望できる場所にいた。
丘というには地面が物見櫓の如く不自然に隆起した、その頂上にいた。
他に周りにはメイリがいて、シロもいる。
辺りは真っ暗だが、敵陣地は煌々と篝火を焚いているため、狙いをつけるのに問題はない。
「さ、先生! ジャンジャカ盛大にやっちゃってくださいよ! あの人の皮を被った貪狼どもに、裁きの鉄槌をお見舞いしたってくださいよ!」
アークはよほど気分が良いのか、調子に乗ってヨイショしまくる。
まずは強力な攻撃魔法で奇襲をかけて欲しい――そう言い出したのもアークだった。
ヒュドラを討伐した時に見せた、ケインズの実力を知ってのことだ。
だからケインズも己に可能な、最大威力の戦術級魔法を行使した。
アークのことは鼻持ちならないが、戦うと決めた以上は、無駄に反発するほどケインズもガキではない。
第一、気に食わないという点では、村に略奪しにきた法務大臣や王国軍の方がより、殺意を禁じ得ないほど憎らしかった。
何よりケインズの攻撃魔法が敵兵を減らせば減らすほど、ともに戦う村人が安全になるのだ。
容赦や斟酌などあろうものか。
「だけど先生、あの帷幕に当てるのはナシだぜ? 法務大臣はオレの獲物だ、手出しは勘弁してくれよな」
「黙ってろ、クソ領主。気が散って狙いが狂う」
「ま、当たったら当たったで笑えるし、それでもいいけど!」
(今度、おまえの屋敷にも落としてやろうか?)
やかましいアークに苛々する気持ちを抑え、ケインズはどうにか集中力を捻出する。
そして四度、隕石で敵陣地を蹂躙したところで、片膝つく。
「……今ので撃ち止めだ。魔力が尽きた」
「ご苦労、先生!」
とアークは調子よくねぎらうと、今度はシロに向かって命じる。
「テッカとミィに伝令せよ――もう勝った気で油断しまくった、クソ親父だったら『軍人の風上にも置けねえ』って絶対殴ってるマヌケどもに、そのマヌケの代償を支払わしてやれ! 我が猟犬として、敵陣地のたるみ切った腹を散々に食い破ってやれ!」
一言、「突撃開始」と言えばいいものを、格好つけたポーズでいちいち大仰な台詞回しをするところが、ケインズは本当に気に食わない。
メイリも「ミィ様を猟犬呼ばわりしたら、キレると思いますけど?」とツッコんでいる。
一方、丘の麓で待機していたテッカとミィは、シロの伝令を受けて出撃する。
周囲には村の男たちと、協力を申し出てくれたコボルト族の戦士たちが合わせて百人ほどいたが、彼らは残る。
「頼んだぜ、二人とも!」
「だがご無理はなさらぬよう、人族と猫族の偉大な戦士よ!」
「この戦いが終わったら俺、ミィさんに告白するつもりだから!」
「ギャハハおまえじゃ釣り合わねえよ!」
と激励だか野次だかわからない声援を浴びながら、たった二人で駆けてゆく。
敵陣地へまっしぐら。まさしく猟犬の如く。
大混乱中のそこへたどり着くと、声も発さず斬り込んでいく。
テッカの武器はハルバートだった。
それも長い柄まで総アダマンタイト製の、超重量級。
テッカはそれを両手で構え、軽々と振り回す。
敵兵どもを三人まとめて叩き飛ばし、返す一撃で二人まとめて撫で斬りにする。
とんでもない膂力だった。
それもテッカに言わせれば当然、鍛冶師だからだ。
鍛冶仕事は筋力が要る。
偉大なご先祖も言っている。「ドワーフに膂力で負けるような者は鍛冶爵家の名折れ」と。
だから一族の鍛冶師たちは全員、筋肉を鍛えに鍛えているし、ドワーフよりも力自慢。
そして現役最高の鍛冶師であるテッカは、一族で一番の怪力の持ち主であった。
己の手で鍛えたハルバートを嵐の如く振り回し、敵兵どもを当たるに幸い薙ぎ払う。
「なんだ、こいつは!?」
「敵だ! 敵がここにいるぞ!」
とテッカの夜襲に気づいた王国兵が、迎撃のために集まってくるも、ものともしない。
全身をほぼ隙間なく鎧った総ミスリル製の甲冑が、ナマクラ刀を弾き返し、逆に折る。
槍衾の中にさえ、テッカは委細構わず突撃し、無傷のままハルバートで逆撃する。
(わたくしにはアーク様は元よりミィほどの武勇もございませんが、それを埋め合わせる武具がございますわ! 己で鍛えて己で用いる、これもまた鍛冶師の本懐!)
まさに一騎当千の武者働きであった。
対してミィの武器は、己の肉体であった。
鍛え抜かれたという点では、テッカの装備と同じ。違いは自前か外付けか。
拳打の一撃で敵兵の顔面を陥没させ、蹴打の一撃で敵兵の脛骨をへし折る。
身の毛もよだつほどの殺人拳で、略奪者どもを次々とあの世送りにする。
「グハハ、拳法家とは珍しい! だが所詮は泰平の世で生まれた健康体操よ! 実戦場では何も通用せんことを教えてくれるわ!」
などと全身を鎧った騎士が襲ってくるが、ミィはものともしなかった。
掌打によって衝撃を浸透させて、内臓をグチャグチャに潰してやるだけ。
(ミィを怒らせたら恐いニャ。ジェノサイド&ジェノサイドだニャ)
殴って蹴って、目に付く全てを皆殺しにする。
王国兵どもの反撃は一切、受け付けない。
鍛え抜かれた歩法で全てかわす。
もし昼間のことだったら、影さえ触れさせなかっただろう。
まさに万夫不当の大活躍であった。
◇◆◇◆◇
「何をやっておるか、グズどもが! 弱卒どもが!」
モラクサはまだ金切り声でわめいていた。
未だ混乱収まらない野営陣地に向かって、誰にも届かない叱責をわめき散らしていた。
あの謎の爆撃(ケインズの隕石)はもう来なくなったというのに、今度は直接的な夜襲を受けて、兵どもがその対処にてんやわんやになっているのである。
「愚かな村人どもの百人や二百人、攻めてきたところでなんとするか! 貴様らそれでも本職の軍人か! 気概と能力を見せてみろ!」
などとモラクサは怒鳴りつけるが、これは完全に思い違いである。
まず攻めてきているのはたった二人だし、ただの村人ではなく化物じみた戦士たちだ。
だが闇夜のせいで、実態が把握できない。
戦場全体を俯瞰すべき指揮官がこの体たらくでは、前線の騎士や末端の兵らにまともな対応ができるわけがない。
まさかたった二人にいいようにやられているとは露も思わず、敵影を探して右往左往。
まだ動ける兵が八百人近く残っていても、そのほとんどが遊兵と化している。
モラクサは知らぬことだが、もちろんこれはアークの狙い通り。
なまじか数で攻めるよりも――テッカとミィの実力に信頼を置いた上で――二人だけで出撃させた方が、モラクサたちの混乱が長く続くと計算したのだ。
さらにもちろん、先にケインズの《隕石落とし》による爆撃と蹂躙があったからこそ、二人とも安全に突入できたのは言うまでもない。
その一方、モラクサの状況にも動きがあった。
「遅れてすまねえ、叔父貴! 無事か!?」
と甥のゴンセル男爵がおっとり刀で、騎士たちを引き連れ、駆けつけてきたのだ。
「これはどういうことだ!? 今いったい何がどうなっているのだ!?」
「すまねえ、叔父貴。それが俺たちにもさっぱりなんだ」
クソの役にも立たない騎士たちに、モラクサはかえって頭の熱がスッと冷める。
自分だけでもしっかりせねばと思い直す。
そして、ゴンセルたちに向かって指示を出す。
「このまま防戦一方では埒が明かん。攻勢に転じろ」
「そうはいうが、叔父貴。この暗さで敵がどこにいるかもわからないのに、闇雲に攻めるわけには……」
「敵の位置は判明しているだろうが! 街道をまっすぐ行けばサイト村だろうが!」
「あっ、なるほど」
(こんな簡単なこともわからんのか、バカどもが! 匹夫の勇しか持たぬ蛮人どもが!)
軍務経験のないモラクサの方がまだ知恵が回るという状況に、暗澹たる気持ちに陥る。
「今はとにかく兵をまとめ上げるのに集中しろ。どうせろくに迎撃もできておらんのだ、指揮系統の掌握に努めろ!」
「わ、わかった、叔父貴」
「そうしたら兵力を半分にわけて、一隊をこのまま防衛に残し、もう一隊で村を焼け。女子供はそこに残っているはずだ。ここに攻めてきている村人どもも、家族の危機とわかれば退却するはずだ。そうなれば思う壺、改めて全兵力でサイト村を攻囲してやればいい」
「わ、わかった。だけど本当に火を点けていいのか? テムリスの蒐集品はどうするんだ?」
「背に腹は代えられんわ。せめて青い陶磁器が焼かれる前に、村人どもが降伏してくれることを祈るしかない」
半分は諦め、だが半分はあくまで執着しつつ、モラクサは兵の掌握に騎士らを走らせた。
そして、その指示が末端に行き渡るまで煩悶とするほど時間はかかったものの、王国軍は確実にまとまりを取り戻していった。
部隊が攻守二つにわかれることも成功した。
その攻撃部隊をゴンセル男爵から任されたのは、ルッマーンという屈強な騎士だった。
平民上がりで、あちこちに遜る必要がある分、ゴンセルより思慮分別はあるものの、戦場において猪突猛進しか取り柄がない点では、上官と大同小異の男だ。
ルッマーンは愛馬を駆ると部隊の先頭で兵を率い、街道を驀進させた。
未だ村人どもの陣容がわからない以上、どこかに伏兵を仕込んでいるかもしれないし、いつ妨害に現れるかもしれないが、ゴチャゴチャ考えるよりも先を急いだ。
(どうせ兵力ではこっちが圧倒しているんだ。だったら勢いを殺さない方が大事だ)
と匹夫なりに、過去の実戦で培った経験則を活かした格好だった。
そんなルッマーンと攻撃部隊だが、ほどなく不思議なものを目の当たりにした。
街道を扼す土塁が、前方にそびえ立っていたのである。
昼間に周辺を哨戒させた兵からは、こんなものがあったなどと報告を受けていない。
だとすればこの土の壁は、一晩の間にいきなり出現したというわけか?
そんなバカな話があるものか?
頼りになるのが月明りだけで、最初見間違いかと思ったほどだ。
しかし近づくにつれて、その土塁は圧倒的な迫力と実感を伴って、ルッマーンら攻撃部隊に立ちはだかった。
そして壁の上に村人どもがワラワラと現れ、矢の雨を降らせてきたのである。
敵の中にはなんとコボルトまで混じっていた。
麾下の兵らがたちまち恐慌を来たし、ルッマーンら騎士たちが慌てて応戦を命じる。
しかしそびえ立つ土塁が邪魔して、一方的にやられるばかり。
ルッマーンは知らない――
この土塁はシロたちコボルト族の巫女が、大地の精霊に祈りを捧げ、地面を隆起させた代物である。
巫女の力は当意即妙なものではないため、大地を高く、分厚く、しかも横にしっかりと長く盛り上げるのに、三時間もかかってしまった。
だが確かに一晩のうちに、恐ろしく静かに、壁を出現せしめたのである。
さらにはコボルト族の男たちも手伝って、土塁の前に落とし穴を掘りまくっていた。
暗視能力を持つ彼らだから可能な、夜間作業であった(ついでにいえば、アークやケインズのいた物見櫓めいた丘も、シロたち巫女が造り出した非天然物だ)。
全てアークの指示であり、もし王国軍が破れかぶれになってサイト村を襲ってきてもよいように、ここで足止めして一方的に蹂躙する作戦であった。
「怯むな! 夜間の弓矢などまともに当たるものか! 落ち着いて壁をよじ登れ!」
ルッマーンは真相を知らないなりに、持てる戦場経験を振り絞って指示を出した。
そして実際、弓矢というのは、急所に刺さるでもなければ人を殺せるものではない。
兵らだって革鎧を着ているし、それを貫通できるほどの弓力や技術を持つ者が、畑仕事しか知らない村人どもにどれだけいるだろうか?
数だって村人どもの方が遥かに無勢のはずで(コボルトどもがいたので自信が揺らぐが)、闇雲に射られたところでルッマーンたちの損害は軽微なはずだった。
そう、鏃に毒でも入っていなかったら!
これもルッマーンは知らない――
アークが弓の素人たちを殺戮者に仕立て上げるため、九頭大蛇の毒腺を触媒に、大量の毒矢をテッカに作らせていたことを。
コボルトの地下集落で青い陶磁器を見つけた時点で、今宵の作戦を思い描き、周到に用意させていたことを。
ゆえにこの矢は、体のどこかをかすめただけで人を殺せる。
王国軍の兵たちがバタバタと死んでいく。
「い、いくさで毒を使うなど、卑怯だぞ~~~~~っ」
ルッマーンは土塁の上に向かって絶叫した。
それが彼の末後の台詞となった。
ルッマーンの二の腕を矢がかすめ、ヒュドラの猛毒があっという間に全身を回った。
「略奪しに来た連中が寝言をほざくなよ!」
「卑怯はどっちか、胸に手を当てて考えてみろよ――ってウチのクズ領主なら絶対言うぜ?」
「バアアアアアアアアアカ!」
と土塁の上から降り注ぐ罵詈雑言を、聞かずにすんだことだけがルッマーンの幸運だった。
指揮官を失った攻撃部隊は、ほどなく壊滅した。
◇◆◇◆◇
モラクサの元に残った守備部隊も、ひどい目に遭っていた。
テッカとミィに散々にかき回され、討ち取られ、なお自分たちが誰にやられているか実態をつかめず、あちこちで同士討ちまで起こる始末だった。
二人の常識外れの戦闘力と、夜戦の恐ろしさであった。
もしモラクサが真っ当な将軍であれば、そして青い陶磁器への執着を捨て去ることができれば、とっくに撤退に踏み切る状況であった。
ただし、机上の空論というものであった。
実力よりコネや門閥が優先されがちなこの国に、真っ当な将軍などほとんどいない。
大貴族としてあらゆるワガママを押し通してきたモラクサに、執着を絶つことなどできない。
だからここまでやられて、まだ撤退していない。
未練タラタラ、麾下の兵が無様にやられていく様を、手をこまねいて眺めている。
そんなモラクサを、笑いにくる者がいた。
誰あろう、アークである。
血と叫喚の巷となった戦場を、まるで知人でも訪ねるかのように、のんびりとやってくる。
怪我もなく、返り血さえ一滴も浴びていない。
敵陣の真っただ中を通ってきた姿とは思えない。
ただ彼がぶら下げた剣が――刀身に稲妻をまとってなお――夥しい量の鮮血を滴らせていることが、どれだけの兵を斬り殺してここまで来たかを物語っていた。
「よう、ジジイ。あのクソ裁判以来だなあ?」
ニタニタと嘲りの笑みを浮かべて、アークがひたひたとやってくる。
一度は追放してやった男が、復讐のために帰ってくる!
「きっ、斬れ! 斬ってしまえぃ!」
モラクサは慌てふためき、周囲にいる護衛の騎士たちに命じた。
彼らとて精鋭であり、右往左往するだけの雑兵どもとは違う。
何より甥のゴンセル男爵がいる。この場では非常に頼もしい蛮勇の持ち主だ。
「グハハ、愚かな領主が独りでのこのこと現れよって! 俺の剣の錆にしてくれるわ!」
その甥が喜び勇んで騎士たちを率い、まとめて斬りかかっていく。
一方、アークは何を思ったか剣を鞘に納めた。
かと思えば、極端に前傾姿勢の抜刀術の構えをとった。
そして剣光一閃――騎士全員の首が、一度に刎ね跳んだ。
「なっ……」
もはや魔法めいた剣技の凄絶さに、モラクサは絶句するしかない。
これがかの剣聖の後継者――その言葉の重みを理解させられた。
同時に、己の末路もだ。
率いてきた千人の兵は、完全に恐慌状態。
護衛の騎士もたった今全て失った。
使用人たちなど戦で役に立つはずもなく、とっくにどこかへ逃げ散っている。
モラクサを守ってくれる者は、もう誰もいない。
「ま、こんなものか」
アークが――この戦の勝者が傲然と言い放ち、とうとう目の前までやってくる。
「ま、待てっ。いや待ってくださいっ」
「命乞いかあ? 大丈夫だって。殺しゃしないって」
アークはモラクサの胸倉をつかみ上げて嗤った。
助かる!? とモラクサは歓喜に震えた。
「そう、喜べよ。おまえにゃお手紙をせっせと書いてもらわにゃならん」
「……手紙?」
「王都へ向けて『私は無事です』『サイト村が気に入って、みんなで楽しくやってます』って、安心させてやらないとなあ? 大丈夫だって、オレがちゃーんと検閲してやるって」
アークがそうやって時間稼ぎをして、何か企んでいるのはミエミエだった。
「虐待とかもしないから、安心しろって。オレは善良で有名な男なんだ。畑を貸してやるから、自分の食い扶持は自分で作れよ。サロマ芋は美味いぞぉ?」
農作業がどれだけ重労働かは、モラクサも知っていた。
あくまで他人事として、民草を憐れんでいた。
肉体労働なんか一度もしたことがない、しかも六十を超える老体の自分が耐えられるとは、到底思えなかった。
「社会勉強ってやつだよ、大臣閣下! 民草の苦労を我が身で味わうのもいいもんだぞ? ま、オレは一度も味わったことなんかないけどなあ!」
アークの哄笑がモラクサの頭の中で、悪夢のように木霊する。
モラクサは悟った。
自分の人生はもう終わったのだと。
殺されずにすむと喜んだ、それが甘すぎたのだと。