第九話
アークは領主館の食堂で、遅めの昼食をとっていた。
メイリが炙り焼きにしてくれた鴨肉に、舌鼓を打っていた。
「これは美味い! 絶品だな!」
と上機嫌で褒めちぎる。
元々メイリは料理が上手い。有能メイドだ。
加えてこの鴨自体が良いものだし、熟成具合も完璧だ。
食欲をそそる桃色の肉を噛みしめると、肉汁があふれ出てくる。
歯応えも充分ありつつ、決して硬くはない塩梅。
もう遠い昔のように思えるが、伯爵家でのご馳走三昧の日々を彷彿する美味だ。
「こんな鴨肉、よく手に入ったな?」
テムリスが黄金竜のゴールドを元手に、食材もごっそり仕入れて帰ってくれたが、保存の効かない生鮮食品は真っ先に消費し尽くされていた。
「今朝方、クウガ様が届けてくれました」
「誰だ、そいつ?」
給仕に立つメイリが、葡萄酒を新たに注いでくれながら答えた。
しかし聞き覚えのない名前に、アークは首をひねる。
まあ、下々のことに興味がない(まして野郎なんて!)クズ領主なので、顔は見かけたことがあっても名前を知らないだけの可能性が高い。
「村の猟師ですね。腕前はかなり確かなようですよ」
「この村に猟師なんていたのか!?」
目の前に森があっても、魔物が徘徊するからと誰一人入ろうとしなかったのに。
だから村中総出で、悪魔の実をせっせと育てていたではないか。
「この村に流れてきてからは、やむなく農家をやっていたそうです。ですがアーク様が近隣の魔物を追い払ってくださったおかげで、猟師に戻る決心がついたとか。狩りの勘も最近ようやく戻ってきて、アーク様への感謝で一番の獲物を届けてくれたんですよ」
「おお、ようやくオレの話を聞く奴が現れたか!」
メイリの説明を聞き、アークは勝ち誇って快哉を上げた。
魔物たちの一部強個体が、“ヌシ”と呼ばれるのは伊達ではない。
連中は強さに比例した広さの縄張りを持っている。
そして、もし“ヌシ”が討ち果たされた場合には、他の魔物たちは怯えてその縄張りから逃げ去り、二度とは戻ってこないという習性があるのだ。
アークはサイト村に来た翌日に、“ヌシ”の雷獣公を斃している。
だから村のすぐ傍にあった奴の縄張りは、もはや安全地帯だとお布令を出していたのだ。
なのに愚民どもは信じようとせず、誰も森に入って確かめようとはしなかったのである。
これまでは。
「そのクウガとやら、見上げた勇敢さではないか!」
「アーク様がテムリス様にお命じになって食糧を振る舞って以来、村人の態度もかなり軟化してきてますからね。ケインズ様のような否定派の方々もまだまだ多いとはいえ、だいぶ空気が変わりました。それにクウガ様の無事を見て、冬に入ったら近隣の開墾を始めようという声も上がってますよ」
「そうか、そうか。決め手はオレの徳の高さだったか!」
「まあ、下心はどうあれアーク様が慈善を施されるなら、私もいちいち苦言を呈さずにすんで、助かりますね」
素直ではない口ぶりだったが、メイリまで珍しくアークを称賛した。
「コボルト族の方々に対する態度もそうです。アーク様が最初、助けてやる代わりに美女を差し出せとか息巻いていた時は、『●ん●ん壊死すれば面白いに』と思っておりましたが。結局はそんな無体はなさらず、シロ様をご典医としてお側に迎えるだけで、正直感心いたしました。たとえコボルト族の中に、アーク様好みの女性がいなかっただけだったとしても」
「ホント一言多いな、おまえ」
「シロ様を連れてきてくださって、私は素直に感謝しておりますよ?」
とメイリは自分の両手を広げて見つめ、少しうれしげにした。
シロは現在、領主館に典医として住まわせている。
メイリは同性の話し相手ができて喜んだし、巫女の治癒能力にも助けられていた。
意外かもしれないが、メイドというのは生傷が絶えない仕事だ。
包丁で指を切ることもあるし、薪を暖炉に運ぶのに擦り傷をこさえることもある。
毎日の洗い物や洗濯で、手が水荒れするのも、メイリは娘心にも気にしていた。
まして彼女は一人でアークの世話と館の管理をしているのだから、なおさらの話。
それが今はシロの治療のおかげで、貴族令嬢のような綺麗な手をしていた。
なおそのシロは本日、怪我人の治療に出かけている。
本来はアーク専用の典医だが、女性とヒトケタの子供限定で往診を許可しているのである。
なぜ男はダメかといえば、もちろん治療させるのが気分的に嫌だからだ。
もし食事事情の改善でシロのおっぱいが痩せたら、その時は囲うつもり満々だからだ。
村人に対しては「シロの治癒能力は貴重なものだが、亡き偉大な父の教えで女性には優しくするようにしている」「あと子供は村の宝だ」と、大嘘の弁明をしておいた。
それに村人たちの方でも、魔法に等しいシロの治癒能力を神の奇跡の如くありがたがって、「おいそれと診てもらえないのも当然の話」「むしろ女子供だけでも治してもらえるだけ、新領主は有情」と勝手に納得していた。
まあ、それも領主に対する村民感情が、メイリの言う通り好転していたからであろう。
加えてサイト村は――追放者ばかりという特殊事情のため――男女比が七:三と偏っており、女性を大切にするのが当然という風潮がある。
そしてアークが大満足で昼食を終えたころ、シロが帰ってきた。
しかもやけに騒々しいと思っていたら、
「怪我人がミィだと知っていたら、治療しに行かなかったデス!」
「黙れだニャ。アークくんに触発されて、ミィも魔物退治の日々を送ってるのニャ。つまりは騎士が領主サマのために、名誉の負傷をしたみたいなものだニャ。典医なら治して当然だニャ」
「じゃあ治してあげてもいいけど、ちょっとは感謝の色を見せて欲しいデス!」
「シロこそアークくんのために命を懸ける、ミィに感謝するニャ」
と口論しながら、ミィを連れて帰ってきた。
犬人と猫人は犬猿の仲だそうだが、どうやら本当らしい。
シロもミィも人懐こい性格をしているのに、この二人が顔を合わすとすぐ険悪になる。
「主サマ、聞いてくださいデス! ミィがひどいのデス!」
「アークくん、聞いて欲しいニャ! シロが横暴なのニャ!」
食後のお茶を待っていたアークに、二人が左右から訴えてくる。
シロがわーん! と抱きついてくれば、ミィが奪うようにアークの頭を抱き寄せて、それをシロがさらに奪い返すように抱き寄せて――とアークの側頭部に、そのたびに二人の実りに実ったおっぱいが押し付けられて、渋面にさせられる。
(なんでオレってこう女運がないの? 神様に見放されてるの?)
これが美人のスレンダーお姉さんだったら、二人に取り合われるなんて男冥利に尽きたのに。
「今日もモテモテ(笑)ですね、アーク様は」
「失笑しながら言う台詞じゃねえぞ、メイリ」
紅茶を淹れて戻ってきたメイリの皮肉に、アークはますます渋い顔になる。
いや――美女と美少女たちにいじられているうちは、まだよかった。
本当にムカつく事件は、その後からやってきたのだ。
◇◆◇◆◇
「大変ですわ、アーク様!」
そう叫ぶとともに、息せき切って馳せ参じたのはテッカだった。
「どうされました、テッカ様?」
「たった今、王都から使者がやってきて、村が滞納していた税を払えと、一方的に通告して参りましたわ!」
メイリが来意を訊ねると、テッカは息も整えようとせずまくし立てた。
ミィとシロまでぎょっとなり、冷静なのはアークだけ。
「ほーん。それを領主であるオレにでなく、なんでおまえに?」
「わかりません……。それに私一人に伝えたわけではなく、村に騎馬で現れるなり、皆の前で大声で触れて回ったのです。おかげで皆もパニックですわ」
「じゃあそのパニックにさせるのが目的だったんだろう。他に何かほざいてなかったか?」
「それが五年も滞納した罰で、十倍にして支払えと無茶な通告をして参りましたわ。もし払えなければ、村にある物を根こそぎ没収すると。それにも応じなかったら、軍で村に攻め入ると……」
「ほーん。ムチャクチャ言いやがるな。確かに税の滞納は村人の罪だが、それにしたって十倍払いも処刑も過剰すぎる。どこのバカがなんの権限でほざいてるんだ?」
「わたくしもそう思って使者に問い質したところ、法務大臣モラクサ卿のお達しだと……」
「しかも国王の裁可も既に受けている――ってところか?」」
「え、ええ。仰る通りですわ」
「オレが宮廷裁判で法務大臣に追放された時も、既に刑が確定していた茶番だったからな」
国王を傀儡にして国法さえ捻じ曲げる「宰相派」どもの、やりたい放題だ。
あの時の怒りをふつふつと思い出して、アークは物騒な笑みを浮かべる。
そして、無造作に席を立つ。
「どちらへ行かれるのですか?」
「オレの剣を持て、メイリ。ちょっとその使者の首、刎ねてくる」
「『ちょっと』で王国の使者を殺さないでください。阿呆ですかアーク様は」
「ええー。賢い選択だと思うけどなあ」
顔色も変えずツッコんでくるメイリに、アークは不満タラタラで答える。
テッカが「使者殿はもうお帰りですわ」と言わなかったら、本当に手打ちに行っていた。
一方、ミィとシロも執り成すように、
「いくらその使者がムカついても、ぶっ殺したらそこで交渉決裂だニャ」
「十倍払いは大変デスけど、主サマは黄金竜を討って儲けたお金があるデスよね? それに物納が許されるなら、酒場のご店主が仕入れてきた備蓄が十年分、あるデスよね?」
「もったいないけど、それで済ませるべきだニャ。ここはラブ&ピースの一手だニャ」
「業腹デスけど、アタシもミィと同じ考えデス」
「おまえらは認識が甘いな」
二人の熱心な説得を、アークは一蹴した。
「都合五十年分の税を払ったら、黄金竜の稼ぎなんて全部パーだ。本当に根こそぎにされるぞ」
これは軽く計算してみただけでわかる事実だった。
「そうしたら元の極貧村に逆戻りだ。いや、状況はもっと悪い。今は経済恐慌の真っ最中で、明日食う物にも困ることになる。大勢が首を吊るぞ」
「「え……」」
聞いたミィとシロが真っ青になった。
メイリが「自分で恐慌、起こしたくせに」とツッコんだが、アークは聞こえないふり。
とにかく、これも脅しでもなんでもない事実だ。
先の税の計算同様――二人は為政者の観点も学もないから――事態の深刻性に気づけないのも仕方がないが。
ケインズ辺りに検証させれば、アークの言葉の正しさがわかるだろう。
「モラクサのジジイはな、端からサイト村を赦すつもりなんてないんだよ。今ごろとっくに、軍隊が村の傍まできていると思うぜ? 事実上の略奪部隊だ。領主のオレじゃなく村人どもに大声で伝えて、パニックを助長したのがその証拠だ。村を混乱させておいて、明日明後日にも攻めてくるんじゃないか?」
「じゃ、じゃあ、みんなで逃げないとデス……」
「急いで家財をまとめるように、皆に通達して参りますわ」
「逃がさねえよ。オレがジジイならな」
「「「えっ……」」」
テッカもまだまだ認識が甘いようなので、アークは懇切丁寧に教えてやる。
「こんなド辺境まで軍隊を動かすにも、アホほど金がかかるんだよ。だから今までは、税の滞納もお目こぼしされてたんだよ。こんな貧乏村を懲らしめて、根こそぎ略奪していったところで、費用対効果が割りに合わなすぎるってな」
「ではなぜ急に、法務大臣は動いたのですの?」
「オレが来てサイト村が羽振り良くなったって、誰かがお漏らししたんだろうなあ」
それが誰かは、ここで追及しても意味がないのでしない。
「わかったか? 村人どもが家財をまとめて逃げ出したら、大損なんだよ。空になった村に襲撃かけても意味ねんだよ。だから奴らに逃がすつもりは絶対ねえ。今ごろとっくに街道は封鎖されてるはずさ。“魔の森”ン中に逃げ込むのは自殺行為だしな。連中もバカじゃない、その準備が整ったから使者を送ってきたんだよ。オレはダルいけど、確認して来たらどうだ?」
「「「…………」」」
テッカ、ミィ、シロが一様に息を呑み、顔面蒼白となる。
事態の深刻さが――サイト村が今置かれている危機が、はっきり理解できたようだ。
平然としているのはメイリだけ。
アークのことを一番よく知る彼女だけが、信頼の目でこちらを見ている。
その期待に応えるためにも、アークは命じた。
「まずはおまえたちで手分けして、村がどんだけヤバいか、全員にしっかり状況説明してこい。オレが行くと、感情的になって理解しようとしない愚民が絶対にいるからな。おまえたちの話なら素直に耳を傾けるだろ。ケインズ先生に検証させても説得力が増すだろう」
テッカたち自身も真剣に耳を傾け、何度もうなずいた。
「その後で村の主だった連中を、この屋敷に集めろ――」