プロローグ
10話と少しのサクッと読める中編です。
ぜひご笑読くださいませ!
アークが十七歳の時、父であるフィーンド伯爵が病没した。
偉大――と呼び称される父だった。
剣聖にして常勝将軍。幾度とない内乱鎮圧や隣国との戦争、その全てで武勲を立てた。
葬儀には多くの貴族が訪れ、アークは涙を堪えて喪主を務めた。
そして弔問客がいなくなった後――
アークは部屋に帰って一人――
「ぃぃいやったああああああ、クソ親父が死んだあああああああああああああっっっ!!」
喜びのあまりにベッドの上で転げ回ってしまった。
おかげで緋色の髪はボサボサに乱れまくり、熱しやすい炎色の瞳はうれし涙でキラキラ。
イケメンを自ら標榜し、常に気取った仕種やポーズをとるアークだが、今は他人の目もなくガキみたいにはしゃぎ回る。
すると、
「不謹慎ですよ、アーク様。あと外まで絶叫、聞こえましたよ」
メイドの娘がノックもなしに部屋に入り、苦言を呈した。
名をメイリ。歳は十五。
今は半眼になっているが、金髪碧眼の凄まじい美少女である。
それも当然、彼女は森の民を父に持つ、ハーフエルフなのだ。
父親の血か全身華奢で、腰なんか折れそうなほどくびれているくせに、母親に似て乳も尻もご立派なものを持っている。
ここサロマン王国では(ハーフ)エルフは存在自体が珍しく、あわや奴隷商にさらわれそうになっていたところを、母子ともどもアークが助けてやった。
以来こうして側仕えしている。
母親の方は一昨年、夫に捨てられた心労過労が祟って亡くなってしまったが、メイリは変わらず忠勤してくれている。
のだが、とにかく口やかましいのだこのメイド!
「黙れ、メイリ! オレが今までクソ親父からどんな仕打ちを受けてきたか、おまえだって知ってるだろうがッ」
「それはそうですけど」
「一に武術、二に武術、頭がおかしくなりそうなほどの武術漬けの人生を、オレは物心つく前から強制されてきたんだ! ちょっとヘマするたびにクソ親父の折檻付きでなっ。『貴族とは王家の藩屏、健全な筋肉が国王陛下を守る』が脳筋親父の口癖だ! 藩屏って肉盾って意味じゃねーだろっ。バカに貴族が務まるかよ、オレに勉強させてくれって訴えても、親父には理解できないんだから詰んでるわな! お陰でオレは睡眠時間まで削って、隠れて自習しなきゃいけなかったんだぞ!? ふざっけんな!!」
地獄の日々を思い返すと、父親への怒りと恨みがふつふつと沸き上がる。
「オレは大貴族に生まれた者の特権として、領民どもを搾取して酒池肉林に耽る勝ち組人生を送りたいんだよ! オレの優れたズノーでサッソーと領地改革して、もっと金持ちになるためのデスクワークなら努力してもいいが、お国のために血と泥にまみれて戦争なんか絶対に御免なんだよ! 貴族ってのは民をコキ使うのが役目で、自分は後ろでぬくぬくと暮らしてるもんだろうが、違うか!?」
「アーク様って高貴なる者の義務って言葉、知ってます?」
「あーあーあー聞こえない!」
アークは両手で耳を塞ぎ、メイリの苦言を聞き流した。
「とにかく今日からはオレがフィーンド伯爵サマだ! もう二度と剣は握らねえ! 領民を馬車馬のように酷使して、上がってくる税金を一枚一枚数えるだけの夢の生活をするんだ!」
「腐り切った夢ですね」
「うるせえ! おまえも伯爵付きのメイド頭になるんだから、ちっとは主を敬う姿勢を覚えろっ。他に示しがつかないだろっ」
「誰も苦言を呈さなくなったら、アーク様なんてバカ殿一直線だと思いますけど?」
「オレさえ幸せな生涯を終えられるなら、そこで領地なんて滅んでもいい!」
「優れたズノーでサッソーと領地改革する発言、どこに消えたんですか」
「オレは『オレを大好きな奴』が好きなんだ! もし領民どもがオレを神の如く崇め奉るなら、ちょっとは大事にしてやってもいいっ」
「一度ひどい目に遭えば面白いのに」
アークがクズ発言を連発し、そのたびにメイリが苦言を呈しまくる。
これがこの二人の毎日だった。
しかし普段なら「イラッ」とするところが、今日はほとんど気にならない。
目の上のタンコブだった父マーカスが早死にしてくれて、アークの前途にはバラ色の人生が待っているに違いない。
そう思えば、鷹揚な気分になれたのだ。
そして一週間後――アークは宮廷裁判の被告席に立たされていた。
「フィーンド伯爵アーク。貴様は領地の税収を過少に申告することで、王家への納税額を不当に減らしていた。これは立派な横領罪である」
法務大臣のジジイが、厳格ぶったツラをしてそう告げた。
「冗談ではない! 私が亡き父の後を継いだのはほんの一週間前のこと! 領地経営に携わる機会など一度も与えられなかった! それでどうして不正を行うことができるだろうか!」
アークは育ちの悪さを隠した、よそ行きの言葉遣いで訴えた。
(あんのクソ親父がよお! どうせ横領なんて大それた話じゃなくて、どんぶり勘定してたツケが来たんだろ? 何が剣聖だよ、何が常勝将軍だよ、何が藩屏だよ! まず領地経営のこと疎かにしてんじゃねえよ脳筋があああああっ)
内心そう憤っていた。
だから、
「貴様は己の罪を、亡き父に被せようというのか!」
「被せるのではなく、事実その罪は愚かな父のものだと訴えている!」
法務大臣に批難されても、堂々と父を罵り、己の潔白を訴えた。
この場に居並ぶ宮廷貴族や廷臣たちから、悪魔の子を見るような目で見られても、平然と分厚い面の皮で跳ね返していた。
しかし事態はアークの思わぬ方向へと転ぶ。
「財務大臣アイランズ卿、証言を」
法務大臣が一人の男を証人席に召喚した。
亡き父親が親友づき合いしていた宮廷貴族の、アイランズだ。
歳も同じ四十一。卑屈な性根が目つきに出ている、ネズミを彷彿する小男。
財務大臣を務めるだけあって政治に敏く金勘定が得意で、武力バカだった父が領地経営について相談していたというか、ほとんど丸投げで任せていたのを憶えている。
またこのアイランズと法務大臣のモラクサは、ともに「宰相派」と呼ばれる連中で、この国の貴族社会でも最大派閥を形成している。
国王を傀儡にすることで栄耀栄華を極める、まさに佞臣と呼ぶしかない国賊どもだ。
アークも日ごろから羨ましく――もとい、けしからんと眉をひそめていた。
そのアイランズが声を張って証言した。
「亡きマーカス卿が今わの際、親友である私に打ち明けてくれたのです。嫡子であるアーク卿が不正を繰り返していると! それで私は己が正義感に懸け、また財務大臣の権限を以って調査に入り、多数の証拠をつかみました。見てください、ここにアーク卿自身の手による横領の指示書が! こんなにも!」
(はあああああああああああああああああああああああああ!?)
まるで身に覚えのないことをまくし立てられ、アークは目をひん剥いた。
しかも法務大臣のジジイはいけしゃあしゃあと、
「証拠が出てきた以上、アーク卿の罪は明らかである」
(指示書なんて書いた覚えはねえよ! 筆跡鑑定してから言えよ!)
「本来ならば死罪とすべきだが、アーク卿はまだ若く、初犯でもある」
(ナニ慈悲ぶってんだよ、冤罪野郎がよぉ! オマエラ「宰相派」同士だし絶対アイランズとグルだろ!? グルだよなあ!?)
「よって流刑が妥当であろう。フィーンド家は男爵に降爵、領地は没収、アーク卿は辺境に追放とする。ただし亡き父君の赫々たる武勲に免じて、サイト村を領地に賜ると国王陛下の仰せである」
(裁判前からとっくに処分決まってんじゃねえかこの茶番がよおおおおおおおおおっ)
結局、アークはろくに抗弁の機会を与えられず、兵士どもに引っ立てられた。
途中、証言席の脇を横切る時、アイランズに声をかけられた。
「フィーンド家の領地はそっくり私が賜ることになっている。君と君のマヌケな父親の代わりに、この私が郎党も領民も大切にしてあげるから、安心したまえ」
と嘲笑された。
「『宰相派』の佞臣ども! テメエら絶対まともな死に方しねえからな!!」
アークには負け犬の如く遠吠えすることしかできなかった。
今はまだ。
◇◆◇◆◇
「クソウ、完全にハメられた」
王都にあるフィーンド家の町屋敷で、アークは怒り狂っていた。
聞いているのはメイリだけ。
伯爵家に仕えていた家令ら使用人たちも、騎士ら郎党たちも、裁判から帰ってきたらみーんなトンズラかましていた。
「アイランズの奴め、とっくに全員懐柔してたんだ。きっと領地の方も同じだ。なにせクソ親父があいつに統治を丸投げしてたからな! 遅かれ早かれ、伯爵領を乗っ取るつもりで準備をしてたんだろうよっ」
これではアークがいくら無実を訴えても、アイランズに懐柔された嘘の証人や偽の証拠が、後から後から出てくるだけに違いない。
全ては領地経営という貴族の基本を怠った、脳筋親父が悪い。
まして武者修行漬けの日々をずっと強制されていたアークでは、この策謀を防ぐことはできなかった。
「アイランズめ! 法務大臣のジジイめ! 善人ごかしたあいつらの顔面をぶん殴ってやりてえ! オレを死刑にしなかったのも別に慈悲じゃなくて、国を何度も救った英雄の手前、国民感情を逆撫でしたくないって賢しい計算だろうさ。流刑なら温情があったって見えるもんなあっ。貴族にとっちゃ実質殺されてるけどっ」
「じゃあお父君のご威光のお陰で、守ってもらえたんじゃないですか」
「そもそもあの戦争馬鹿がまともなら、今オレは窮地に陥ってねえんだよおおおおおおおっ」
誰が感謝するかと舌を出して叫ぶアーク。
それから一転、がっくりと肩を落とし、
「明日にはこの屋敷も出ていかないと、牢獄送りだ……。サイト村とかいう聞いたこともないド辺境で、オレは果たして生きていけるのだろうか……。屋敷中が虫だらけだった日には、秒で卒倒するぞオレ……。嗚呼、悲劇だ……」
「アーク様は神経図太いですし、平気だと思いますけどね」
「おまっ、人が落ち込んでる時に言葉のナイフで抉るなよっ」
アークが抗議をわめき散らすと、メイリは大きなため息をついて、
「情けないことばっかり言ってないで、さっさと顔を上げて前を向いてください。言っておきますが、不幸自慢大会やったら私の圧勝ですからね? 安い同情はしませんよ?」
「なんだとぉ!?」
「私の父親だって負けじとクソ野郎でしたよ。村の同胞の反対を押し切って、お母さんと結婚したんです。だけどお母さんは人間ですから、普通に年をとります。それを父は私たちの前で、『容色が衰えた』『こんなの詐欺だ』と何度もほざきやがったんです。村のエルフどもも『そら見たことか』と笑いやがって。あげくお母さんは父に離縁され、私たちは森を追放されました。私がまだ六歳の時の話ですよ?」
「ぐっ……」
口ごもるアーク。
身の上話は母親の方からさらっと聞いていたが、そこまでひどかったとは言っていない。
そして、まだ幼子だったメイリと、女の身で娘を守りつつ流浪を続けたその母親が、どれだけ艱難辛苦の連続だったかは、アホでも想像できる。
実際、アークがメイリたちをひろった時、二人は浮浪者同然の格好をし、飢えきっていた。
「でも私たちは、アーク様に保護していただけました。綺麗な服も、温かい食事や寝床も、真っ当な仕事も与えられて、人がましい生活をさせていただきました。お母さんは流浪時代の無理が祟って亡くなってしまいましたけど、アーク様のお陰で私はちゃんと看取ることができましたし、立派なお墓まで立てていただきました」
おわかりですか? ――とメイリは澄まし顔で講釈垂れる。
「『捨てる神あれば拾う神あり』といいます。たとえ追放されたって、命があるなら再起はできます。殺されたも同然なんて情けないこと、仰らないでください」
なんという上から目線!
これが不幸自慢大会優勝候補の貫禄か!
ぐぎぎ……とアークは歯軋りさせられる。
だけど怒鳴り返そうとは思わなかった。
代わりにこう確認した。
「……おまえ、オレを慰めてくれてんのか? 励ましてくれてんのか?」
「自分の良い方に解釈しすぎじゃないですか?」
そう言いながらも、メイリはプイッとそっぽを向いた。
頬も赤かった。なまじ肌が白いから隠せないのだ。
つまりは照れ隠し。図星である。
そんな素直ではないけど、思い遣り深い少女に対し、アークは――
「慰めるならもっと優しい言葉でよちよちしろやボケエエエエエエエエエッ」
「きゃあああああああああああああっ」
その小さな頭をわしづかみにし、金糸の如く繊細な髪をワシャワシャかき回す。
「ひどい……。汚された気分です……」
「うるせえ! バーカ、バーカ!」
子供みたいな憎まれ口を叩きながら、アークはさっさと部屋を出ていこうとした。
それをメイリが手櫛で髪を整えながら、引き留める。
「アーク様、いったいどちらへ?」
「こんなトコにいられるか! オレはさっさと村へ向かうことにする」
「もう日が沈みますよ? 出発するなら明日朝では?」
「誰かに後ろ指差されながら都落ちするくらいなら、オレは夜逃げを選ぶ」
とてつもなくカッコ悪い台詞を、アークはビシッと決めポーズで告げる。
だけど、もう顔は落とさない。
メイリの言う通り、前だけ向いて進むことにした。
「畏まりました。仕方ありません、急いで準備にかかります」
「はぁ? おまえ、何言ってんの?」
「私がしないと、アーク様に旅の準備なんかできないでしょう? 生活能力皆無なんですから」
「そうじゃなくて……まさかおまえもついてくる気か?」
メイリほど有能で、珍しいハーフエルフで、しかも容色優れたメイドならば、いくらでも待遇の良い就職先を見つけられるはずだった。
しかも母親の墓だって、この王都にあるのだ。
落ちぶれた主人について、ド辺境までついてくる必要などなかった。
そんなの、一緒に落ちぶれるようなものだ。
なのに――
「一生アーク様についていって、無限にお給金を吸い取り続けるつもりですが何か?」
などとメイリは憎まれ口を叩く。
彼女は早や旅支度をはじめ、アークの衣装棚を整理していたから、どんな顔をして言ったのかはわからなかった。
アークは苦笑い半分で言った。
「バカな奴だよ、おまえは。本当に……」
「きっとご主人様の悪影響ですね」
メイリは荷物棚の整理にしゃがみ、ご主人様に尻を向けたまま返事をした。
その無礼をアークは許し、拳をにぎって宣言する。
「オレは決めたぞ、メイリ――」
自分の人生に、バラ色の未来なんて用意されていなかった。
結局どこまでも茨の道しかなかった。
でも、構うものか。
「オレは自分の力で、栄光の再起ロードを歩いていく! 辺境暮らしはやっぱりゴメンだからな、だったらそのサイト村とやらを世界の中心にしてしまえばいい。オレの実力と優れたズノーで大発展させて、オレはそこで王となる!」
「ハイハイ、アーク様は気宇壮大でいらっしゃいますね」
「喜べよ、メイリ。そうなったらおまえは王の女官頭だ。超高給取りだ」
「ハイハイ、楽しみにしてますね」
「あとアレだな! 財務大臣とか法務大臣とか、オレを追放した『宰相派』の奴らには全員、オトシマエをつけさせなきゃな!」
「ハイハイ、アーク様は地獄みたいに執念深いですからね」
作業中とはいえ尻を向けたまま生返事をするメイリ。
だがアークは気にせず、己が野心を語り続けるのだった。
それが確たる自信の表れか、ただの道化の妄言かは――神のみぞ知る。