2-4 良い狩人は動物に好かれるとかどうとか
木。木。木。木。木。木。木。
どこを見渡しても木。
ムゥは腕組みをし、考えられる中で一番の笑顔を作る。
「うん、迷った」
ワンチャンこれで許してもらえないだろうかと思ったが、もちろん現実はそう簡単にはいかない。
「迷ったああぁっ!?」
ムゥの予想よりも三割増しの怖い顔でイグニが詰め寄ってきた。大声に驚き、木々に止まっていた鳥たちが慌ただしく飛び立つ。
「つい十数秒前まで自信たっぷりに先導してたのなんだったんだよ!」
「空元気」
「そういうこと聞いてんじゃねーよ!」
「迷っちゃったのはしょうがないよ。森ってそういう所だし。くよくよしないで?」
「俺のせいで迷子になったみたいな言い方すんな!」
「見た目派手なのに細かいこと気にするのね」
「外見は関係ねーだろ。アンタが大雑把すぎる」
「だっていざとなったらアオタカで帰れるし」
狩人に支給されているアオタカは帰巣本能が強く、親に従順だ。雛から育てることによって狩人を「親」だと刷り込ませているため、鷹笛で呼べば大抵の場所ならすぐに来る。知能も高く、拠点を変えたとしても一週間、長くても一ヵ月程度で順応するという話だ。
(……あ、イグニはこっちに拠点移したばかりなんだっけ。だから道案内が必要なんだ。帰りのことも含めて)
ようやくイグニの事情に思い当たる。さすがに配慮がたりなかった。
「ごめん。引き受けといて今更だけど、方向感覚には自信がないんだ。でもちゃんと依頼はこなすし、イグニのことも連れて帰るから」
ムゥは素直に頭を下げた。
態度の急変に、イグニは面食らったような顔をする。
「アンタつかめない性格してるよな。無茶苦茶かと思ったら気が利くときもあるし。かと思ったらアホなことぬかしたり、急に真面目になったり」
ムゥはその場しのぎに笑っておいた。
イグニに対してどう接すればいいのか定まらないでいる。今回限りの関係なのだから悩む必要などない。当たり障りなくビジネスライクな態度に徹すればいい、はずだ。それなのにちゃんと猫をかぶれない。生来の気質である適当で不真面目でダメな部分がちょくちょく顔を出す。
(やな夢見たせいかな。調子悪いかも)
ムゥは束ねた髪の毛先を指に巻きつけて軽く引っ張った。
「っていうか、方向音痴なのに今までどうやって活動してたんだ? ソロだったんだろ」
イグニは手でひさしを作り、空を仰ぎ見ながら尋ねた。
「基本的に受けてるのは討伐とか、殺しても大丈夫な巨獣の素材調達だったし」
「血生臭いことばっかだな」
「生態調査の依頼を派手に失敗してから、ケリー・ケリーちゃんが穏便な依頼を回してくれなくなっちゃって」
「その依頼ってランク1から受けられるやつだろ。巨獣が普段何食ってるかーとか、排泄物採取したりとか、行動範囲の把握のために足跡調べたりする」
「そうそれ」
「えぇ……どうやったら『派手』に失敗できんだよ……」
イグニは頭を抱えてしまった。「派手」の詳細は伝えないほうが良さそうだ。
「ま、とにかく。討伐とかの対象になってるやつってさ、独特の気配とか匂いがするんだよね。だからそれを追って――」
「つまり、今まで野性の勘みたいなモンだけに頼ってやってきた……ってことか?」
ため息混じりの確認に、ムゥは笑顔を肯定の代わりとした。
「今回の依頼は私みたいな直感型でも役に立つと思うよ。ケリー・ケリーちゃんだって一応プロだし、役に立たない人間を推薦したりはしない。迷ったのは事実だけど、この近くで巨獣の匂いがする」
ムゥは表情を引き締め、視線をあたりに巡らせる。
はったりではなく本当に巨獣の匂いがしていた。巨獣の種類によって香りは違うが、総じて殺意を刺激する匂いがする。生態調査で派手な失敗をしてしまったのもそのせいだ。
今回の依頼は「特定生物の調査」という触れ込みだったが、実際には血生臭い案件だった。
「ある生物の死骸が森で散見されたため、その原因を突き止め、もしも巨獣が原因ならば当該巨獣を排除する」
――こういった調査依頼は高確率で違う地域から流入した巨獣が原因だ。欠け角のオルランドやジャッカルの件もある。どこかで生じた異変がこの森にまで伝播しているのかもしれない。
「巨獣の匂い、ねぇ」
イグニは半信半疑といった表情で周囲を見渡す。
ムゥがこの話をして理解を示したのはジェレゾだけだ。狩人になってから身に付いた能力だったため、当然他の狩人も持ち得ていると思っていた。
「この場所を中心として、あたりを探ってみよう」
ムゥは背負った鎚を手に持った。肩慣らしに軽く振りまわす。鎚は柄を含めると約1.5メートルほどあるため、横振りをすると木に阻まれてしまう。
「……ちょっと待て」
イグニは強めの力でムゥの肩に手を置いた。
「今、『あたりを探ってみよう』って言ったよな。まだ武器は抜く必要ないよな?」
「ここに戻ってこられるように目印をつけておこうと思って。危ないからちょっと下がってて」
「危ない?」
いぶかしげな顔をしているイグニの背中を押して退去させ、ムゥは森の木々を見定めた。葉振りが悪く、軽く折れやすそうな木に目星をつける。
「さっきから質問ばっかでわりーんだけど、ムゥさんはどのようにして目印をつけようとしていらっしゃるんでしょうか?」
イグニがムゥの正面に回りこんできた。
引かれるか怒られるかするんだろうな、という空気をムゥは感じ取る。
「そこらへんの木をへし折ろうと」
「わりぃ、もっかい言って」
「木をへし折る」
「いやいやいや、急に知能が消失したのなんで?」
「知能あるよ。試行錯誤した結果の最善策だって」
木の幹にナイフで傷をつけたり、布を巻き付けたりなど、方向音痴なりに対策を講じてきた。その中でもっとも効果的だったのがこの方法だった。進行方向にむかって木を倒しておけば、どの方角が調査済みなのか一目でわかる。
「俺マジで組む相手間違えたかもしんねー……」
イグニは肩を落とし、諦めたように下がっていった。
ムゥは気を取り直し、見繕った木へと近付く。
二歩足を進めたところで、視界の端に何か光るものが見えた。
次の瞬間、じゃっ! という耳障りな音が響く。
ムゥは反射的にその場にしゃがみこんだ。ふわりと浮いたポニーテールの毛先に何かが触れる。木の幹が切り込みを入れたかのように深くえぐれた。切り口には透明な液体が滴っている。
(水?)
ムゥは転がるようにしてその場から離れる。数秒遅れて、めきめきと音を立てて木が倒れた。葉と土煙が舞う。
「おい何やってんだよ!」
「違う、私じゃあない!」
鎚を構え、何かが射出された方向を鋭く見据える。一見すると、木と、腰の高さほどの茂みしかない。
ポニーテールを触ってみると、しっとりと湿っていた。生臭く、若干のぬめりがある。
「イグニ! 透明な水の塊みたいなのが飛んできて木を切り倒した! そっちは何か見えなかった!?」
「いや、俺の所からは何も――」
ムゥはがちりと歯噛みをして舌打ちを押し殺した。
イグニが悪いわけではない。相手の射程範囲内に入っていたことに気付けなかったのが情けない。
ムゥは倒れた木の枝を手折り、しごいて葉をすべて落とした。腕ほどの太さの枝を投げ槍のように茂みにむかって投擲する。
茂みががさりと動き、何かが飛び出してきた。
黒っぽい影はムゥ――の横を通り過ぎ、イグニの方へと一直線に向かっていく。
「は?」
間抜けな声を上げるイグニの顔に黒っぽい影が飛びついた。
黒っぽい影――珍しい毛色の猿は、ためらいなく自分の唇をイグニのそれに押しつける。キスだけでは飽き足らず、猿はべろべろとイグニの顔中を熱烈に舐めまわす。
イグニの悲惨な悲鳴が轟いたのは、それからきっちり五秒後のことだった。