2-3 残された者たち
「また野郎と組むなンざ学習能力がねぇのかな、ファティマお嬢ちゃんはよ、っと」
遠慮のない力で額を爪はじきにされ、ムゥの視界に白い星がちらついた。
ムゥはじんじんと痛む額を押さえ、自分に危害を加えた相手をきつく睨みつける。
筋肉質な赤銅色の肌と、太さと長さがランダムなドレッドヘアが野性的な印象を与える三十歳前後の男だ。相貌自体は美青年と言っていいほど整っているが、目の下の深い隈が険のある顔にしてしまっている。
「ジェレゾさん、その名前で呼ぶのやめてくださいって言ってるじゃないですか」
ムゥは露骨に嫌な顔をしてみせた。
目の前の男はまったく気を遣う必要のない相手だ。ダハ集落に運ばれた時からの付き合いになる。
狩人として活動していく上で非常に重要な存在で、顔を合わす回数も多い。自然と相談相手にもなってくれていた。
「せっかく親にもらった名前だろ。大事にしたほうがいいンじゃあねぇの」
ジェレゾの喋り方には少し訛りがある。低音で響きのある声と相まってガラが悪い。
「言われなくてもわかってますよ、そんなこと」
ムゥは自分と相手との間にあるカウンターに拳を叩きつけ、感情的な声を上げてしまう。
ジェレゾはムゥの神経を逆撫でするのが得意だった。反応を面白がってわざとやっている節がある。
「ハリネズミ頭の新顔な、俺ン所にも来たぜ。追い払うつもりで吹っかけたってのに、景気良く言い値を置いていきやがった。世間知らずのボンボンだろうな、アレは」
ジェレゾはダハ集落の中で最も優秀な鍛冶師だ。ただし悪徳としても有名で、ランク3の狩人の約半年分の稼ぎという法外な料金で武器の補修と強化を請け負っていた。しかも人を見て金額を変えたりもする。
「なんでそんなことしたんですか……」
「双剣使いは嫌いなンだよ。昔からそりが合わねえ」
ジェレゾは心底嫌そうに舌を突き出し、視線を店の壁にかけてある巨大な両手剣の方へと向けた。青みがかった黒色の刀身には、太陽の意匠と古代文字が刻まれている。かつてジェレゾが狩人だった頃に使っていた物らしい。
極めて優秀な狩人であり、史上最速でコールランク4へと到達したそうだ。協会が定めた最高ランクは「5」だが別枠のような存在であるため、実質ランク4が狩人としての一つの到達点だ。
「世間知らずは前の奴より厄介だぞ。犬みたいにすぐ懐いて入れ込むからな」
ジェレゾはくつくつと咽喉を鳴らして意地悪く笑う。
ムゥが以前に組んだ相手は単純に下心のある男だった。ジェレゾが色々と手を回してくれたため、今もこうして狩人を続けていられる。
「じゃあ愛想悪くしろってことですか」
「その極端から極端に走る思考どうにかしろよ。もし組むならうまく転がせってこと。ま、お嬢ちゃんには荷が勝ちすぎるだろうがな。男を手玉に取るには勘と才覚と経験がたりねぇンだよ」
「はいはい、どうせ力不足ですよ。つまんないお説教はいいですから、早く武器を渡してください。もうとっくに直してくれてるんでしょう?」
ムゥはジェレゾの眼前に手を突きつけた。
愛想笑いやおべっかがいらないのは楽だが、それ以上にジェレゾという人物自体が厄介だった。
「まったく可愛げもねぇなあ。最初の頃はわざわざ、馬鹿な野郎が喜ぶような馬鹿な女の振りして、喘ぐ真似までしてくれてたってのに」
「やめてください昔のことは! だいたい演技するなって言ったのジェレゾさんじゃないですか!」
ムゥは瞬間的に頭に血がのぼるのを感じた。カウンターを叩き壊すつもりで腕を振りあげたが、ジェレゾがにやついているのが見えてやめた。
狩人になりたての頃は金も信用も後ろ盾もないため、自身を担保にする他なかった。かつての自分のおこないに恥じるところはないが、こうやってからかわれると精神にくる。ジェレゾは話題の選び方がことごとくゲスい。
「こんなモン振り回す手で殴られちゃたまンねぇからな。ほらよ、もってけ」
ジェレゾはカウンターの下から巨大な鎚を取り出した。金属部分は黒鉄色に輝き、ジャッカルに付けられた傷やへこみもなくなっている。
ジェレゾは仕事だけは完璧にこなす。しかし常に露悪的であるため素直に感謝を言わせてくれない。
「いい加減復讐なンざやめて嫁に来いよ。お前ひとり養う金くらいあるさ」
この本気かどうか定かでないプロポーズを聞くのはもう何度目になるのか。
修理の依頼をする時も武器を受け取って帰る時も、服を脱がされる時も服を着て去る時も。同じ調子、同じ文言をジェレゾは口にする。
「自分の身の振り方はあいつを叩き殺してから考えます」
「そういう思いつめた態度が見てられねぇからしつこく言ってンだよ」
「お節介ですね。なんでそんなに私に構うんですか。可愛げのない不感症の小娘の何が良いんです?」
「顔と胸と尻」
「聞かなかったことにします」
「冗談だよ。オッサンがみっともなくガキに懸想してるだけさ」
ジェレゾの言葉はいつでも本心が見えない。
少なくとも心配してくれているのは本当だろう。
「……なぁ、俺のこと恨んでンだろう。俺たちがあの時あの飛竜を倒していれば、そもそも手を出さなければ『欠け角のオルランド』とかいう二つ名は生まれなかった。お前とその家族は今も平和に暮らしていた」
欠け角のオルランドがその名前で呼ばれる前の話だ。討伐対象であった飛竜の片角を折ることしかできず、結果壊滅させられたパーティにジェレゾは参加していた。交戦中に谷に転落したジェレゾを除いて全滅し、その遺体は食い荒らされていた、と協会に保存されている資料には記されている。
「そう思ったことはもちろんあります」
ムゥはしっかりとジェレゾの目を見て言った。
巨獣は人の肉を食うと狂暴・狡猾化し、積極的に人間を襲うようになる、という通説があった。今現在、二つ名を与えられている巨獣はすべて過去に人間を食ったことがある。
「でも、知ってますよ。残された人間がどれだけつらいか」
狩人としてある程度安定して稼げるようになった今なら他の店という選択肢もある。武器の質は多少落ちるが、金銭以外に消費するものはない。
にもかかわらず性格的に気に入らないジェレゾとの時間を持ち続けているのは、残された者として通じるものを感じたからだった。たとえそれが化膿するだけの傷の舐めあいだったとしても。