1-3 捕獲なにそれおいしいの?
「――ちょ、ちょっと待てって! お願いだからやめろやめてください! ほんとやめてやめてやめて死んじゃうって捕獲依頼なんだよ捕獲! 捕獲ほかくほーかーくっ! ほんとマジでやめてくれっ!!」
ジャッカルを確殺しようとムゥが再び鎚を振りあげると、何者かに羽交い絞めにされた。
姿は見えないが、口汚く叫んでいた声と同じだ。ということは今しがたジャッカルの前肢を切った双剣の男だろう。
男の手並みは見とれるほどだった。ジャッカルに気取られることなく忍び寄り、すれ違いざまに手を振るような気軽さで前肢を切り落とした。三日月の形をした刃のきらめきがまだ目に焼きついている。
ムゥはゆっくりと鎚を下ろし、両手を顔の高さに上げた。
すぐに拘束が解かれる。
「巻きこんだ上にこんなことしといてアレだけど、あんた顔に似合わず滅茶苦茶だなぁ」
ムゥの前に現れたのは、ハリネズミのようなスパイキーショートと三白眼が特徴的な赤髪紫眼の男だった。年齢はムゥと同じくらい、二十歳前後に見える。
髪型以上に格好も個性的だった。クロースアーマーの上にヒョウ柄のハーフマントを羽織っている。髪色も含めてほぼ全身が危険色だ。あまり隣を歩きたくない。
「それはどうも。よく言われる」
ムゥは笑顔を作り、顔の横で小さく手を振ってみせる。糞のせいでグローブがまだ臭う。
「さっきは助けてくれてありがとう」
姿勢を正し、ムゥは男にむかって丁寧に頭を下げた。
「はじめまして、だよね。私はムゥ。見ての通り狩人だけれど、あなたは? もし記憶違いだったらごめんなさい。集落であなたを見たことがない気がしたから」
コール協会が狩人の支援のために作った集落はいくつもある。ムゥが拠点としているのは、今いる森からほど近い「ダハ」と呼ばれる集落だ。狩人自体の数が少ないため、同じ集落にいれば自然と顔見知りになる。
ちなみに「巨獣専門の狩人のことを『コール』と呼ぶ」とコール協会では定義しているが、同音異義語が多いせいでいまひとつ浸透していない。「巨獣狩り」や「狩人」と呼んだり自称したりすることがほとんどだ。
「ああ、わりぃ。最初に名乗っとくべきだったな。俺はイグネイシャス。同じく狩人だ。ちょっと訳あって最近よそから移ってきてな」
危険色の男は首の後ろをさすりながら居心地が悪そうに言った。
あまり詮索されたくないのかもしれない。高ランクを除いて、狩人は拠点を変えることをほとんどしない。狩人としての生活に慣れることに精いっぱいで、他のことに費やす金も余裕も時間もないからだ。
「えっと、いぐにゃーす……?」
「長いからイグニでいい」
言い間違えられることに慣れた素振りで言い、イグニは倒れているジャッカルに近寄った。ジャッカルの臀部に細い針のようなものを突き刺し、切断した前肢を布できつく縛って止血する。見ていて不安になる痙攣をしていたジャッカルの身体が十数秒後にはおとなしくなった。
「何してるの?」
「何って……見たらわかるだろ。捕獲準備だよ」
「ほかく?」
「いきたままつれてかえること!」
幼い子供に教えるように、一字一句はっきりとイグニは発声する。
「捕獲の意味はわかるよ。どうして捕獲なんてするの?」
「どうしてって、そういう依頼だからだよ。協会がなんに使うのか知らねえけど」
「そんな依頼受けたことないよ」
「ランクいくつ?」
「2」
「じゃあ俺と同じだな」
「捕獲って難しくない? 頭叩くとだいたい死んじゃうし」
引きつったイグニの顔には「マジかこいつ」と書いてある。
「……なんで捕獲依頼やったことないのかわかったわ。つーか頭以外を叩けよ」
「えー。だって逆にさ、頭叩かない鎚なんて意味ある?」
「俺が知るかそんなこと!」
ムゥが隣で作業を眺めていると、イグニが急に顔をしかめた。
「なんかこいつ変な匂いすんな……」
ジャッカルの口が開かないように縄で結んでからイグニは鼻先を近づけた。臭気をまともに吸ったせいで激しく咳きこむ。
「さっき怯ませるためにシュービルの糞をぶつけたからだと思う」
「……色々すごいなアンタ――いや、ムゥ、だっけ?」
「うん。あ、そうだ。同じ集落ならまた会うかもしれないし、よろしくね、イグニさん」
ムゥはグローブをはずし、右手を差し出す。
イグニは握手の代わりに清潔な布を投げて寄こした。
「さっきは返り血浴びせて悪かったな。それでよければ使ってくれ。あと、名前は呼び捨てでいい」
(グローブ越しとはいえ、糞を握った手を触るの嫌だったかな)
川の水面を鏡代わりにして、ムゥは髪や肌をもらった布でぬぐう。思った以上に返り血まみれだった。
巨獣を切るとあんなに血が出るのだと始めて知った。鎚を使っていると身体に血を浴びることはあまりない。先輩狩人は弓使いだった。こちらも流血沙汰になることは滅多にない。
「こいつを運ぶために今から狼煙で協会の荷馬車呼ぶけど、一緒に乗ってくか?」
「んー、馬車はちょっと苦手で、ね。でもありがとう。またね、イグニ」
少し考えた振りをしてからムゥはやんわりと断った。馬車には良い思い出がない。
ムゥは認識票と一緒に首から下げた鷹笛を吹いた。風の抜ける音だけがする。協会の説明によると、鷹笛の音色は鳥類にのみ知覚できるものらしい。
狩人の移動には主に自分で育てたアオタカを利用する。アオタカと呼ばれているが厳密には鷹ではない。家畜化した鳥の巨獣だ。狩人になるとまず最初に、認識票、アオタカの雛、専用の鷹笛の三つがコール協会から支給される。
数分も経たないうちに一羽の巨大な鷹に似た鳥――アオタカがやって来た。つかまるための吊手と認識票が脚に取りつけられている。
ムゥは手を大きく振り、もう一度イグニに別れを告げた。
イグニはまんざらでもなさそうな顔で手を振り返す。
アオタカにつかまり飛び立った時、ムゥの顔から作り笑顔は消えていた。