3-7 ひさしぶりのおかえり
「むーちゃーん! おかえりー!」
協会の扉をくぐると、数日ぶりに聞く、可愛らしい声に出迎えられた。
金に近い栗色の髪をした少女――ラーラは野うさぎのように軽快に飛び跳ね、ムゥに抱きつく。
負傷した肩に鋭い痛みが走る。しかしそれ以上に、ひさしぶりに感じるラーラの身体の重さと温かさが痛みをかき消し、ムゥを笑顔にした。
「ただいま、ラーラ。今日もおみやげ忘れちゃった。ごめんね?」
ムゥはラーラの頭を撫でながら、さりげなく観察する。ラーラの髪や服に荒れたようなところはなく、怪我などもしていないようだ。これといって様子におかしいところもない。誘拐の痕跡や後遺症はないように見受けられた。
「えー。またわすれちゃったのー?」
ラーラは頬をまあるく膨らませ、不機嫌に足をばたつかせた。
「こら、これでもムゥは怪我してんだから、あんま無理言うな」
一緒に協会に来ていたイグニが、ムゥに抱きついていたラーラを引きはがす。ふくれっ面のラーラが不満を口にする前にイグニは彼女に肩車をしてあげた。
普段とはまるで違う視界に、ラーラが歓声を上げる。不満はもう吹き飛んでしまったようだった。
イグニは子供のあしらい方が妙に手慣れている。弟か妹がいるのかもしれない。
馬車で一緒に帰ってきたオーンブルとユリウスは、キュウキの死骸の処理や所用があると言って、馬車置き場でいったん別れた。あとでジェレゾの店で合流することになっている。
「ケガ? ごめんね、むーちゃんだいじょぶ?」
ラーラは短い手を懸命に伸ばし、ムゥの頭を撫でる。
「大丈夫、ご飯食べて寝ればすぐに治るよ」
ムゥはラーラの手を握り、約束するように小さく上下に揺らした。
「ああっ、ムゥさん! 無事に戻ってこれたんですね!」
ムゥの姿を見咎めたケリー・ケリーが血相を変えて駆け寄ってきた。受付業務を中断してまでやってくるなど、職務に忠実な彼女らしからぬことだ。
「無事に、ってそんな大げさな。武器はあんな感じになっちゃったし、胸当てにもひび入っちゃったけど、見てのとおりそれなりに元気だよ」
イグニが引きずっている柄の折れた鎚と、踏みつけられた時の衝撃で亀裂が入った胸当てを指さし、ムゥは気楽に笑ってみせた。
「すみません、もっと早くあの赤い麻酔薬がなんなのかわかっていれば、もっと別に対処のしようが……いえ、それ以前に、依頼人の素性が怪しい依頼を斡旋してしまうなんて、なんてお詫びをしたらいいか……」
ケリー・ケリーは自分の服の襟元をつかみ、うつむいた。よほど強くつかんでいるのか、手が震え、色をなくしている。
「子供の見ている前でそういうのはちょっと、ね。お詫びの代わりって言ったらなんだけど、出どころの怪しい麻酔薬を使っちゃった件と、ランク2で二つ名巨獣と交戦しちゃった件の二つをどうにか執り成してくれると助かるかな」
ムゥはラーラの視線を遮る位置に立ち、ケリー・ケリーにそっと耳打ちした。
それだけでイグニは察したらしく、ラーラを肩車したまま協会内を適当にうろつき始めた。
「二つ名……? ああ、なんかもう問題が色々重なって頭が……」
ケリー・ケリーは眼鏡をはずし、指で揉むように眉間を押さえた。
「帰りの道中でオーンブル先輩からなんとなく話は聞いたけれど、いまいち私もよくわかっていないんだよね」
ムゥはぼんやりと宙に視線をやり、馬車でのやりとりを思い出した。
*****
「時系列順に話すのが一番わかりやすいかしらね」
馬を駆るユリウスの方を見つめながら、オーンブルは言った。ユリウスの背中では、髭と同様にフィッシュボーンに編まれた銀の髪が、夕日を受けて橙色にきらめいている。
いつ「教え」を破ったことを咎められるかとびくびくしていたムゥは、内心ほっと胸を撫でおろす。オーンブルとユリウスとの関係についても気になったが、下手につついて話が逸れても困る。
「私たちは協会からの特命で、『スルーア』という女を追っていたの」
がたっと何か大きな物音がした。馬車の車輪が石でも踏んだのかと思ったが、そのわりには車体が揺れていない。
オーンブルは気に留めた様子もなく話を続ける。
「その女は元々協会の研究員だったらしいのだけれど、協会の機密を盗んで逃げてしまってね。他国に情報が流出しては困るから、彼女が亡命する前に処分しろ、って」
「どうして先輩たちにそんな特命が? そういう仕事を専門におこなう人たちくらい、協会なら抱えていそうですけれど」
わざわざ「狩人」に一般人の始末をさせる理由がわからなかった。
狩人の武器は人間相手に振るうには過剰火力過ぎるし、隙も大きい。かといって、一般流通している武器は勝手が違うため、狩人ではうまく扱えない。
要するに、狩人は対人に向いていないのだ。素手での組み打ちであれば、基礎的な身体能力が勝っているため多少の分はあるが、技術でたやすくひっくり返される程度の差でしかない。
「その機密、というのが巨獣の兵器転用に関する資料だったのよ。『特定の巨獣を誘引する薬剤の精製法』とか、『巨獣を捕獲し、手のひらサイズで持ち運べるようにする道具の設計図』、とかね」
「……先輩、機密の内容を言っていいんですか?」
「あらあら、私としたことがどうしましょう」
オーンブルの落ち着き払った態度は、この世の何よりも白々しいという言葉が似つかわしい。
「おーちゃんってばイジワルねぇ。素直にお仕事手伝って、ってお願いすればいいじゃなーい」
口をはさんできたのはユリウスだ。見た目と口調のギャップにまだ慣れない。
「まあとにかく、相手が巨獣を使役する可能性があったから、私たちに白羽の矢が立ったのよ」
「はぁ……それで、その、スルーアって人ですけれど、なんの関係があるんです?」
話がまわりくどいため、ムゥはつい尋ねてしまう。
その直後に、オーンブルの性質を思い出し後悔した。
オーンブルは自分の想定どおりに物事が進まないと不機嫌になるタイプだった。話を急かされることも当然嫌いだ。非常に面倒くさい。決して本人には言えないことだが。
「……あの時は私も驚いたわ」
まるでムゥの不安を煽るように、少し溜めてからオーンブルは口を開いた。
「あなたから捜索を頼まれた女の子と、処分すべき女が、一緒にいたんですもの」
「もーヤダ替わってー。おーちゃんの喋り方って全然説明に向いてないんだからあ。聞いててじれったいホント!」
手綱をイグニに押しつけ、ユリウスが御者台から移動してきた。車体が大きく揺れる。
「つまり、スルーアって女がラーラちゃんを誘拐した犯人だったってわけ。スルーアには逃げられちゃったから、動機と目的はわかんないんだけどね。で、どうやらベルゲルミルも共犯っぽいのよねー。『女にそそのかされて利用されただけだ』なーんてあの短小ランサーは言ってるけどぉ。っていうかベルゲルミルってドクズよね! アタシはおーちゃんから話聞いただけなんだけどー、女の子に巨獣用麻酔薬飲ませてどうこうしようなんてほんッとサイテー!」
自信たっぷりでしゃしゃり出てきたわりに、ユリウスの話もオーンブルに負けず劣らずわかりにくかった。とにかく雑音が多い。
(もう自分でまとめよう。スルーアがラーラ誘拐の主犯で、ベルゲルミルもそれに加担している。で、ベルゲルミルが御者に成り代わってここに来ようとしていたことから推測するに、私が指名依頼されたスプリングボックの捕獲についてもスルーアが関わっている――でいいのかな。さっき先輩が言ってた『特定の巨獣を誘引する薬剤』っていうのも、あの赤い麻酔薬と関係あるよね。けど、目的がまったく見えてこないな……)
「ユーリ、うるさい。最後のはただのあなたの感想でしょう。今回の件とはなんの関係もないわ」
「感想くらいいーじゃない。おーちゃんのもったいぶったまわりくどーい言い方よりマシよ!」
ふと気付くと、オーンブルとユリウスが言い争っていた。
ムゥからしてみれば正直どっちもどっちだ。
「甚だ心外だわ。正確な情報伝達を心がけているだけよ」
「どこが正確なのよ。偏った教え方ばっかりするからメンター資格はく奪されちゃったくせに!」
「はく奪ではないわ。私自ら辞退したのよ。近頃の狩人は、私の薫陶に耐えられない軟弱者ばかりなのですもの」
「薫陶じゃなくてただのパワハラ! ねえ、むーちゃんの時だってそうだったんでしょう!?」
突然ユリウスから話を振られ、ムゥはとっさに言葉が出てこない。
ここで素直に「パワハラでした」などと言えるわけがなかった。しかし薫陶という高尚な行為であったと認めるわけにもいかない。
「……あー、この人がムゥのメンターだったわけね。色々納得したわ」
オーンブルの恐ろしさを知らないイグニがぽつりと漏らす。その呆れたような声色から、言外に匂わせているものはあきらかだった。
「ユーリ、あなたの教え子は口の利き方を知らないようね」
オーンブルの赤い唇が、綺麗な三日月を形作る。
その後、どうやって集落までたどり着いたのかは覚えていない。




