3-6 黒い女とピンクの大男
何から処理するべきなのかわからない。それでもとりあえず起き上がらなければ、とムゥは負傷していない方の手を地面についた。
「ほんと何やってんだよアンタはさぁ、もうっ!!」
身体をほんの少し浮かせたところで、イグニが助け起こしてくれた。口調とは裏腹に、怪我に障らないようそっと丁寧に手を添える。
「何って、余力がある人が生き残ったほうが」
「うるせー! 黙ってこれ飲んどけ!」
イグニは有無を言わさぬ勢いで、ムゥの口の中に何かを押し込んだ。舌に触れた瞬間にそれはほろほろと砕け、口中に青臭さと苦さ、まとわりつくような渋みが広がった。不味い。とても不味い。
しかし急激に痛みが引いていくのがわかった。あまりの不味さに痛みが吹き飛んだ、というわけではなさそうだ。
さらにイグニは口の細い瓶を突っこんできた。中からぬるい液体が容赦なく流れ込んでくる。
こちらはムゥにも覚えがあった。狩人用の回復薬だ。飲むと即座に自然治癒力が向上し、多少の傷であれば治してしまう。骨折までいくとさすがに時間はかかる。怪我の度合いによって味が変わるという話だが、先ほど入れられた不味い何かのせいで味はまったくわからない。
続けてイグニは、ムゥの肩にじゃばじゃばと盛大に液体を振りかける。キュウキから受けた爪の傷にひどく染みた。
これもムゥの知っている物だ。患部に直接振りかけるタイプの液状傷薬で、ムゥも一応持っている。
(ほんと色んな物持ってるなぁ)
ムゥはおとなしく回復薬を飲みながら感心した。回復薬のおかげで軽減はしたが、口の中はまだ嫌な味と香りが居座っている。
「最低でも一日は安静にしてろ! 武器がこんなんじゃどうせなにもできねーんだから」
イグニはただでさえ鋭い目をよりきつくして、ムゥに詰め寄った。
「あと、遅くなったけど、助かった。でも次にまたこんな危ねー真似したら本気で怒るからな!」
(もう充分怒ってるように見えるけれど……)
ムゥは回復薬と一緒に言葉を飲み込んだ。
「ふふ、ずいぶん可愛らしい子と一緒にいるのね」
聞き覚えしかない声が聞こえた瞬間、ムゥは冷たい手で背中を撫で上げられたような気がし、自然と背筋が伸びた。勢いよく姿勢を正したせいで肩が痛む。
「無理はしなくていいのよ。怪我をしているんですもの」
ムゥのかたわらに黒髪黒衣の狩人――オーンブルがしゃがみ込んだ。
最後に会った時と変わらず、同性でも見惚れるような優しげな美貌をしている。声も顔形も柔らかいのに、全体を覆う雰囲気には言いしれない剣呑さがあった。相対しているだけで息が詰まる。
初対面のイグニもそれを感じ取ったのか、黙って距離を取っていた。
「さて、何からお話しましょうか」
ノーブルな赤い口紅に彩られた唇が、笑みの形を作る。オーンブルは褒めるときも怒るときも同じように微笑む。メンターであった時からずっと変わらない。
ムゥが押し黙って審判の時を待っていると、大地を踏み散らすけたたましい音によって中断された。
協会所有の荷馬車だ。一般の馬車とは違い、改良された巨大馬が引いているので一目でわかる。
しかし、御者の男があきらかに普通ではなかった。
まず最初に、ピンク色に染められた全身鎧に目を奪われる。ヘルムはつけておらず、同色の亀の甲羅のような物を背負っていた。身長とほぼ同じくらいなので、約二メートルはあるだろう。
几帳面に編みこまれた長い髭のせいで正確な年齢はわからないが、二十代後半から、多く見積もっても三十代半ばくらいに見える。
ムゥたちの近くに馬車を停めると、ピンク鎧の大男は内股で駆け寄ってきた。
「もぉー、おーちゃんってばひとりでアオタカで飛んで行っちゃうんだものー」
どっしりとした低音とは裏腹に、過度に女性的で間延びした口調だった。個性的な格好をした大男にそんな口調で喋りかけられると、かえって威圧感を覚える。
「ユリウスさんじゃないっすか!」
意外にもイグニが喜色をあらわにした。
「あら? あらあらあら。派手なツンツンがいると思ったけど、あんたイグニちゃんじゃなーい。やだーひさしぶりー!」
ユリウスと呼ばれた大男はイグニを抱きしめた。そのままイグニの身体が軽々と持ち上げられる。抱擁、というよりもベアハッグのようだ。
「ぎゃああああっ! ユ、ユリウスさん、痛いっ、みしみしいってる……!」
「『ユーリさん』とお呼び、って言ってるでしょ。っていうかあんた女の子大丈夫になったのね、よかったわー。あたしちょっと心配してたのよー」
(なんかごちゃごちゃしてきたな……)
ムゥはこっそり頭を抱えた。
急にオーンブルが現れて二つ名巨獣の頭を吹っ飛ばしたり、御者としてやってきたピンク鎧の大男がイグニの知り合いらしかったりと、状況が混みあってきている。結局スプリングボックの捕獲も失敗してしまったし、どこからどう手をつけていいのかわからない。
「ユーリ、じゃれるのは後にして、とりあえずそこの虎もどきの死体を荷台に積んでくれる? 元の依頼が駄目でも、これを持っていけば協会も否とは言わないでしょう。そもそも、得体の知れない依頼を通してしまった協会にも落ち度はあるのだし」
オーンブルがユリウスに指示を飛ばす。
ユリウスは「はいはーい」と軽い返事をすると、キュウキの死体を一人で引きずって荷台に乗せた。狩人であったとしても尋常ではない膂力だ。手慣れた様子で、死体が荷台から落ちないようロープで固定する。
「本当は躾を最初にしようかと思っていたのだけれど、その前に、いくつか伝えておかなくてはね」
ユリウスが作業を終えるのを見届けてから、オーンブルはムゥの方に向きなおった。
躾、という言葉にムゥの身体が反射的に硬くなる。きつい思い出しかない単語だ。
「遅くなってごめんなさい。道具屋の娘さん――ラーラ、といったかしら、無事に保護したわよ」
ラーラの行方と依頼主の素性を探るようムゥが頼んだ人物、というのが他ならぬオーンブルだった。しかしオーンブルは別件の依頼を抱えていたため手が回らず、その代わりに信頼のおける別の人間にお願いした、とムゥは聞かされていた。
「あ……いったいどこに……いやそんなことより、ありがとうございます!」
ムゥは肩の痛みも忘れ、オーンブルの両手を握りしめた。鼻の奥がつんと痛む。
ラーラのことは自分の落ち度だった。もっと普段から気にかけていれば、今回のことは未然に防げていたかもしれない。オーンブルが保護してくれたからよかったものの、ムゥの捕獲任務が失敗続きのせいで相手が痺れを切らす可能性もあった。
「それともう一つ。あなたは思い出したくないかもしれないけれど、あのベルゲルミルが関わっていたわ。『欠け玉のベルゲルミル』」
ひさしぶりに聞いた名前だった。名前まで思い出すことはなかったが、しばしばムゥの脳裏によぎった人物だ。麻酔薬の不正使用とその他いくつかの余罪によって狩人資格をはく奪され、ダハ集落から放逐されている。
「御者のふりをしてここに来ようとしていたみたいだから、ラッピング代わりに簀巻きにしてジェレゾにプレゼントしたの。今ごろ、『欠け玉』に替わる新しいあだ名が付けられているかもしれないわね」
オーンブルは口元に手を当て、上品に口角を吊り上げた。面白がっているのが見てとれる。
「帰りがてら、詳しく情報共有をしましょう。もちろん、私の教えを二度と忘れないように躾なおしもするけれどね」
馬車というだけでも憂鬱なのに、教育熱心な元メンターや頭のない巨獣の死体と一緒に帰路につかなければならないなんて。
ムゥはひどい眩暈に襲われたが、残念ながら気を失えるほど神経が細くはなかった。




