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ムゥは荒野で鎚を振るう-家族を奪った飛竜を打倒するため、令嬢は心身を対価に『巨獣狩り』となる-  作者: 甘酒ぬぬ
第3章

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3-5 フルスイング

(オルランドも当然空を飛ぶだろうし、こういう手合いへの対策も真面目に考えないと)


 ムゥはキュウキへと視線を向けたまま、腰回りにつけたポーチをまさぐる。入っているのは、余分にもらった麻酔薬と、いつ購入したか覚えていない液状の傷薬くらいのものだ。改めて確認する必要などなかった。

「支度時間は四十秒。基本的に持ち物は最低限。必要があれば適宜(てきぎ)現地調達」というメンターのありがたい教えが染みついている。


 鷹揚(おうよう)とした羽ばたきだけで空へと上昇したキュウキは、見えない壁でも蹴るように後脚を動かした。すると爆発的な速度で推進し、ムゥの方へと頭から突っ込んでくる。一番最初に現れた時の攻撃はこれだろう。


(あの翼だけでどうやって浮いたり進んだりしてるんだろう。案外見た目よりも軽かったりするのかな)


 ムゥは直撃を避けるために全力で走った。

 しかしキュウキは翼の広げ方を変え、器用に追尾してくる。そのおかげでキュウキはいくらか減速したが、ぶちかましを食らうのは時間の問題だ。このままでは地面に倒され、スプリングボックよりもたやすく噛みちぎられる。


「ムゥ! 余裕があったら目ぇつむっとけ!」


 怒鳴るようなイグニの声が聞こえた。

 ムゥは心の中で二秒数えて目蓋を閉じる。


 目蓋越しでも感じる強く白い光。

 背中の方向から、かすかな地面の揺れと大きな落下音が聞こえる。


 首を回して見てみると、顔をしかめたキュウキが地面に腹這いになっていた。おそらく腹から落ちたのだろう。情けない落ち方といい、巨獣といえど、感情のようなものを表に出されるとなんだか少し可哀そうになる。


「えー……さっきも多少思ったけれど、こういうのアリ?」

「うちのメンターは『使えるものはなんでも使え。生きて怪我なく帰るのが優秀な巨獣狩りだ』って教えでね」


 メンターごとに様々な流儀があるようだ。教えに幅がありすぎる気もするが。


 イグニは、閃光と落下のショックでもがいているキュウキの背に飛び乗った。


「これさっき切れなかったよな。もう一回やってダメなら羽むしりとるか?」


 なんだかんだムゥの要望どおり翼を破壊しようと、イグニは翼角のあたりに剣を当てる。


 結果論になるが、この時イグニは目を攻撃してキュウキの視角を完全に奪ってしまうべきだった。同時にムゥも、攻撃できるチャンスを会話で浪費せず、即座に追撃を仕掛けるべきだった。緊張感が薄れていたのはいつからだろう。


 ムゥがそんな後悔をいだいたのは、キュウキの質量のある咆哮で吹っ飛ばされた瞬間だった。次は吠えさせない、などと思いあがった自分を殴りつけてやりたい。


 キュウキの全身の毛が刃物のように硬質化し、金属光沢を得る。先ほどの比ではない、もはやそれ自体が暴力と言っていいほど圧を持った大咆哮がキュウキの口から発せられた。


 空気が激しく波立ち、視界が歪む。

 イグニが翼にしがみついているのがおぼろげに見えた。

 さっきの咆哮の時もそうだったが、何か対策を講じているのだろう。この状況の中で、まったく動けないのと、数秒でも動けるのは生死を分かつ。


(集落に帰ったら頭下げて持ち上げて、イグニ大先生に『狩人必須の七つ道具』とやらを教えてもらおう)


 ムゥは平手で自分の頬を打ち、跳ねるように起き上がった。胸の奥からせり上がってくるものを感じ、地面に吐きつける。ただの胃液だった。


(吠えられてびびって吐くなんて情けない)


 ムゥはグローブの手の甲で口元を拭い、キュウキの姿を探す。


 キュウキは再び空にいた。まだ視力が回復していないのか、不規則な軌道を描いて飛んでいる。


 いや、不自然な飛行はイグニのせいかもしれない。

 イグニはキュウキの背中に直剣を突き刺し、それを支えにしてキュウキに乗っていた。もう片方の湾曲した剣で、翼や背中を無茶苦茶に切りつけている。

 キュウキがイグニを振り落とそうと飛んでいるため、攻撃箇所が定まらず、うまく力を入れることもできないのだろう。毛や羽がはらはらと舞っている。


(人にあれこれ言うくせに、自分も結構無茶するなあ)


 上空にいる限り、ムゥには手出しも手助けもできない。ムゥにできるのは、イグニが振り落とされないのを願うことと、落とされた時に受け止める覚悟を決めるだけだ。


(……違う。まだ試してみるべきことはあるはずだ)


 地面に転がり、ただの肉塊になってしまったスプリングボックに目がとまる。

 捕獲され、ハンティングトロフィーとしてどこかの好事家の家に飾られるはずだったこいつが、こんな姿にされたのは、果たして不幸な偶然だろうか。


 ムゥはバイロンから受け取った赤い麻酔薬を自分の武器に叩きつけた。瓶が割れ、鎚全体にうっすらと赤みがかった透明の液体がしたたる。


 無秩序に空中を駆け巡っていたキュウキが、ムゥがいる方向へと不自然に急旋回した。口の端から泡立ったよだれがだらだらと垂れ、金色の瞳を黒く塗り替えるほど瞳孔が大きく開く。


(この赤い麻酔薬にこいつを引き寄せる何かがある、と考えてよさそうかな)


 ムゥは腹の奥底に落とし込むように深く息を吸った。こちらに流星の勢いで進んでくるキュウキに鎚の先を向け、自分がもっとも遅滞なく動きだせるように振りかぶる。

 

「おいおいおいっ! ほんと馬鹿じゃねーのか馬鹿ばかバカばーかっ!!」


 キュウキの背にいるイグニが何か頭悪くわめいている。そんな余裕があるなら、もっと真剣にキュウキの背中にダメージを与えてほしい。


「狩人はみんな、一番最初に自分の命を賭けるような馬鹿ばっかりでしょ」


 後ろ側の足に体重を乗せ、スウィングの瞬間をぎりぎりまで待つ。早すぎれば弾かれるし、遅ければ噛み殺されるか圧殺される。完璧なタイミングで当てられたとしても、勝てる保証はどこにもない。


 それでもムゥは鎚を振った。大きく足を踏み出し、地面と水平に鋭く振り出す。

 インパクトの瞬間、腕だけでなく身体のすべてが悲鳴を上げた。想像をはるかに凌駕(りょうが)する重量に身体と心が持っていかれそうになる。


(こんな虎ごとき倒せなくては、オルランドの前に立つ資格すらない)


 ムゥは獣じみた怒号を上げ、鎚に力を乗せた。鎚の柄が見たこともないくらいしなり、奇怪な音を立てている。

 キュウキと目が合った、気がした。瞳孔の開ききった瞳から感情を読み取ることはできない。


 不意に圧力ががくっと減る。

 三日月型をしたイグニの剣の切っ先が、キュウキの瞳の中に吸い込まれた。威厳のない甲高い悲鳴が耳にこびりつく。

 

 ムゥはもう一度()え、さらに相手を押し込むようにして大きく鎚を振りぬいた。砕けた牙の欠片やよだれ、血など、あらゆるものが舞う。


 柄が断末魔(だんまつま)を上げて折れた。ムゥの手に残ったのはささくれた木製の棒だ。「俺に会いたくてわざと壊してンのか」とジェレゾにまた面倒くさいことを言われる。


 キュウキの巨体がどうと音を立てて倒れた。咳きこむほどの土埃が舞いあがる。顔を見てみると、上顎から太い鼻筋にかけてまでが潰れており、舌が力なく口の外に垂れていた。


 ムゥは大地に引き寄せられるように身体がかたむき、したたかに尻を地面に打ちつける。全身の毛穴から汗がどっと吹き出した。呼吸がうまくできず、はっ、はっ、はっと肩で息をしてしまう。


「馬鹿っつって悪かった。アンタ、マジもんの馬鹿だわ」


 イグニが手を差し伸べた。大きな外傷は見られないが、服があちこち切れている。キュウキの硬質化した体毛のせいだろうか。


「何それ、けなしてるの? それとも褒めてるつもり?」


 ムゥはどうにか苦笑を浮かべ、イグニの手を取った。強く握りしめる。


「ムゥ?」

「乱暴にするけどごめん」


 最後の力を振り絞り、ムゥは思いきりイグニの身体を投げ飛ばした。手だけを掴んで人体を投げるのは難しい。それでも、どうにか攻撃範囲内から出すことはできた。


「ムゥ!!」


 肩の骨が砕ける音が聞こえた。爪が深く食い込んでいる。

 生温かく血の匂いがする息と、獣臭いよだれが顔にかかった。ぐちゃぐちゃになったキュウキの顔からは、純然たる殺意が見て取れる。


(確殺するのを忘れるなんて、本当に今日はダメみたいだ)


 ムゥは自分に残された最後の武器である木の棒を握りしめた。こんなものでも、目ぐらいは潰せるかもしれない。

 恐怖もなければ後悔もなかった。二人まとめて殺されてしまうよりはよほどいい。


 キュウキは前脚を高く振り上げた。人間など軽く引っかくだけでも死んでしまうというのに、全力で叩き潰すつもりなのだろう。

 その強者の矜持(きょうじ)(あだ)になるとも知らずに。


「悲しいわ。私の教えを忘れてしまったの、ムゥ」


 囁くような声音が、しっかりとムゥの鼓膜を揺さぶった。しっとりと優しく、心臓を撫で上げるような声。


 振り上げたキュウキの前脚の肉球に一本の矢が突き刺さった。手の甲までしっかりと貫通している。

 

「生物の弱点は頭」


 空間を裂くようなうなりを上げて矢が飛来した。連続して三本の矢がキュウキの金色の瞳を正確に射貫く。その衝撃はキュウキの巨体をたやすく浮かせ、ムゥの身体から引きはがした。


 特徴的な声色と尋常ならざる弓術の両方を持ち得ている人間を、ムゥは一人しか知らない。


「オーンブル、先輩……」


 ムゥは震える声で呟く。生きた心地がしなかった。キュウキよりもよほど性質が悪い。

 どうしてここにいるのか、どうやって来たのかなど聞きたいことは山ほどあるが、それ以上に、純粋な恐怖がムゥの頭の中を埋め尽くした。


「一度殺すと決めたなら、確実に死に絶えるまで攻撃の手を休めないこと」


 名前を呼ばれた黒髪黒衣の狩人は口の端をわずかに持ち上げた。身長ほどもある大弓の弦を引き絞り、キュウキの頭に照準を合わせる。


「教えを忘れたらどうなるのか、覚えているわよね、ムゥ」


 オーンブルの手から矢が離れた次の瞬間、キュウキの頭がはじけ飛んだ。

 比喩などではなく、本当にはじけ飛んだ。

 脳味噌と体液をぶちまけ、砕けた頭蓋や皮膚、硬質化した体毛など、キュウキを構成していたものが飛散する。


 再会を祝した血生臭いクラッカーに、ムゥはただ絶句するほかなかった。

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