3-3 巨獣ポスト草原版号外「怪奇! 草原を脅かす連続角折り魔」
巨獣は基本的に単体で行動するものが多い。そんな中、スプリングボックは五から十匹ほどの群れを形成して生活してる。
ムゥが草原で見つけたのも五匹の群れだった。どれも角はしっかりと生えている。捕獲対象として充分だ。
ムゥの主な狩猟場所である森と違い、草原にはほとんど遮蔽物がない。木は生えているが多くが低木で、ときおり目印のように朽ちかけた巨木が立っている。
ここからさらに東へ行くと「廃鉱山」という通称で呼ばれる乾燥地帯があり、ランク3以上でなければ立ち入ることができない。飛竜である欠け角のオルランドの生息域とされ、ムゥが目指す場所だ。
一定の距離までムゥが近づくと、草を食んでいたスプリングボックの臀部の白い毛が逆立った。それに連動するように、すべてのスプリングボックの顔がムゥの方へと向けられる。
次の瞬間、スプリングボックが全力で地面を蹴り、全員が違う方向へと走り去ってしまった。
名前の由来にもなっている高い跳躍など一切しない。一刻も早くこの場から逃れるため、アイデンティティをかなぐり捨てて脚を回転させる。
「……ムゥさんよー、ちょっと説明してもらってもいいっすかー?」
地面に腹這いになって潜んでいたイグニは、立ち上がりながら身体についた土や草を払い落とす。
「俺には、アンタのことを見てあいつらが全力で逃げたように見えたんだけど」
「そうだよ」
ムゥは堂々と首肯し、逃げるスプリングボックの背中を見つめた。もう豆粒ほどの大きさになっている。
やはり予想していたとおりになった。
最初は気のせいだと思っていたが、三日も続けて同じ現象が起これば確信へと変わる。
「そ・う・だ・よ~~~?」
イグニはただでさえ鋭い目を限界まで吊りあげ、わざわざムゥの正面に立ってにらみつけてきた。
「草食とはいえまがりなりにも巨獣が、たかだか人間の姿を見て全員血相変えて逃げ出すってどういうことだよ!?」
「あはは、どういうことだろうねー?」
ムゥは自分が最大限でき得る媚び媚びの笑顔と仕草で対応する。
「あぁ!?」
イグニの態度が軟化する様子はまったくない。
効果がないことに労力を割いても無駄なので、取りつくろうのはやめにした。
「集落出る時に、ちょっと問題が発生してるって言ったでしょ。それがこれ」
ムゥはため息をつき、指に髪を巻きつけた。自分の髪に触れるのは、「ムゥ」を名乗りはじめてからの癖だ。気を付けていても、ついやってしまう。
「多分三日くらい前からかな、私のこと見るとみんな逃げちゃって。数え間違えていなければ十八匹の角を折ってるから、スプリングボックの間で噂でも広まってるんじゃない」
顔を見なくともイグニが引いているのがわかる。
イグニは狩人にしては比較的一般人に近い感覚の持ち主だ。
狩人になるための「選別の儀」を越えると、だいたい皆どこかおかしくなる。もしくは、狩人になろうとする人間自体、最初からおかしい者ばかりなのかもしれない。
「あいつらからしてみたら、凶悪な通り魔的連続暴行事件だからな。そりゃ逃げるわ」
イグニは犯罪者でも見るような目を向けてくる。
ムゥには言い返す言葉がないため、軽く頬をふくらませて不機嫌さだけを示した。
「正直、俺ひとりでやったほうが簡単な気がするんだけど、キャリーってしてもいいんだっけ?」
狩人における「キャリー」というのは、寄生行為の一種だ。「実力のない狩人が、他の狩人に介護されて任務や依頼を達成すること」を指す。
法整備が進んでいなかったころに横行していたらしい。キャリーされた実力の伴わない狩人に足を引っ張られ、他の狩人が命を落とす、ということも多発した。
そのため現在は、本人やパーティの実力に見合った依頼を協会が斡旋する、という形式になった。
だが寄生行為自体については、今も昔も規制されていなければ罰則もない。一説によると、どこからどこまでを「寄生」と定義するか難しいためだと言われている。人によっては「協力」すらも「寄生」に見えるのかもしれない。
「そんな大口叩いていいの? それで失敗したら恥ずかしいよ?」
ムゥは身体を少し屈め、にやにやしながらイグニの顔を見上げる。
「誰かさんと違って、あんなの秒で捕まえられるに決まってんだろーが! いいか、感謝の準備をして隠れて見てろよ!」
挑発を素直に受け取ったイグニは、新しいスプリングボックの群れを探して駆け出してしまった。
ムゥは肩をすくめ、ゆっくりとイグニの後を追う。スプリングボックに見つかるとほぼ確実に逃げられてしまうため、ムゥにできるのは姿を隠すことしかない。
(いや、真面目に感謝の準備でもしようかな)
小さくなっていく、イグニの赤い髪とはためく黄色いマントを目で追った。双剣使いだけあってイグニはさすがに足が速い。
身体能力は適性のある武器に依存する。双剣に適性がある狩人は敏捷性が高い傾向にあった。ムゥが持つハンマー、元狩人で鍛冶師のジェレゾが使用していた大剣などの重量武器の場合は膂力が高い。
どういった理屈で武器の適性が決まったり、身体能力に影響が出るのかは忘れてしまった。最初の説明会の時にケリー・ケリーが話していた、ということだけは覚えている。
イグニが立ち止まったのが見え、ムゥはとっさにしゃがみこんだ。近くを見渡し、身を隠せそうな草が生い茂っている所までしゃがみ歩きをして移動する。
会敵したのは一匹のスプリングボックだった。なんらかの理由で群れからはぐれた個体のようだ。先ほど逃げたものたちよりもひと回りは大きい。
スプリングボックは自分よりもはるかに小さいイグニを見下ろすと、四本の脚で同時に地面を蹴った。そのまま垂直に飛び上がる。集落にある平屋程度なら飛び越してしまうほどの高さまで跳躍した。
着地すると、再び同じように飛んだ。壊れたおもちゃのようにぴょんぴょんと何度もその場でしつこく飛ぶ。
ムゥが最初に遭遇した時も同じことをやられた。
馬鹿にされているようでイラっとし、着地のタイミングを見計らって頭に一発お見舞いしてしまった。
あの時、叩く部位を脚もしくは胴体にしておけば、十八匹の尊厳を叩き壊されたものたちは生まれなかっただろう。
イグニは、三度の跳躍を見届けた後、腰につけた道具入れから何かを取り出した。スプリングボックが四度目の踏切りをした直後にそれを投げつける。
手から離れてきっちり二秒後、小さな太陽が現れたのかと思うほど強く白い光が発生した。両者の姿が光に飲まれる。
離れて見ているからこそ状況がわかるが、至近距離であったなら視界が完全に奪われていただろう。
視界のぼやけを感じ、ムゥが目をこすっていると、何か重量のあるものが落下するような音が聞こえた。
「おーい、終わったー!」
イグニの声も聞こえる。
意識的にまばたきをしてからイグニの方を見ると、何故かスプリングボックが倒れていた。イグニはそのかたわらで何か作業をしている。
「ええー?」
わずか数分の出来事に納得のいかないムゥは、不満の声をあげながら駆け寄った。
「な、簡単だろ」
見本のようなドヤ顔をし、イグニはスプリングボックの脚を縛りあげる。脚は本来曲がらない方向に折れていた。さっきの光のせいで着地に失敗したのかもしれない。
「いったい何したの?」
「見てたらわかるだろ。閃光玉投げて落としたんだよ」
「せんこうだま?」
「……知らないとか言わないよな?」
ムゥは満面の笑みを返した。
イグニも口元こそ笑ってくれていたが、完全に目が据わっている。
「ピンを引き抜いて投げると、中身が混ざって反応して強烈な閃光が出る玉のことな。簡単に使えてとっても便利な道具なわけ。普通は狩人なら誰でも持ってるの。協会でも道具屋でも売ってる」
「へー」
「へーじゃねーよ! アンタのメンター何やってんだよ! 狩人必須の七つ道具とか教えてもらってねーのか!」
「道具に頼るのは愚者のすることだって、オーンブル先輩が言ってた」
メンターだった弓使いのオーンブルから教えてもらったのは「生き物の弱点は頭だから、とにかく頭を狙え」ということくらいだった。七つ道具のうちの一つもムゥは知らない。
「そりゃ師匠がそんなんなら、弟子もこんなんになるわけだ……」
イグニは大袈裟に頭をかかえ、これ見よがしにため息をついた。
(なんか悪口言われた気がする)
「あ、そうだ。こいつに普通の麻酔使っちまったけど、あの赤いやつも追加でかけとく?」
スプリングボックの様子を見てみると、完全に眠っているようだった。脚が折れた上に縛られているにもかかわらず、微動だにしない。
恐ろしい即効性だ。協会が規制するのも頷ける。
「うん。依頼主のご要望らしいからね」
ムゥは赤い麻酔薬の瓶をスプリングボックの身体に投げつけた。
瓶は簡単に割れ、赤い液体が体毛に染みていく。不思議なことに色はつかなかった。その代わり、ほんの微かだがどこかで嗅いだ覚えのある匂いがした。
「おい雑! かかったらどうすんだよ!」
「え、ごめん。こうやって使うんじゃないの?」
「……間違ってはいない。間違っては」
(普通はこうじゃないんだ)
イグニはちょくちょく言外に匂わせる。わかりやすい匂わせであるため、察するのに苦労はないが、正直時々面倒くさい。
「やっぱり麻酔って狩人にも効くの?」
「そりゃ効くんじゃねーの? 俺らよりも図体のでかい巨獣ですら一瞬でこんなんになるんだから。人間なら死ぬかもな」
「ふーん。実はさ、昔、麻酔薬盛られたことがあるらしいんだよね」
言ってしまってから、ムゥは自分の口を手で押さえた。どうしてイグニにその話をしようと思ったのかわからない。
「らしいって……」
「いや、その時のこと全然覚えてなくって。急にすごい眠気がしたと思ったら、なんか色々あって、色々あった、らしい」
覚えていないのは本当だった。このことが決定打となり、コンビを解消した。わざわざ他人にするような話ではない。
「……もしかしてアンタ馬鹿?」
「だって全部あとから聞かされた話だから、その、実感がないっていうか」
「はあ、アンタ本当に変なエピソードばっかりなのな。んなことより、狼煙上げとけよ。荷馬車来るまで時間かかるからな」
イグニのほうから話題を変えてくれた。ムゥの態度から何かを察したのだろう。
(あれは、ただ気分が悪くなるだけの話だ。そんなの聞かされたって、イグニだってきっと困る)
普段あまりしない失態に、ムゥは落ち着かない。
協会から支給された狼煙玉を落としてしまった。その拍子に玉に刺さっていたピンがはずれ、地面に接触すると大量の煙が発生した。太い煙の柱となって空に向かって立ち昇っていく。
さっきイグニが説明してくれた閃光玉と作りが似ているようだ。
「がっ、ごほっごほっ! おいムゥ、今日なんか調子悪いのか! もしそうなら先に言えよな!」
イグニは口元をマントで覆い、手で煙を払いのける。
「ごめん! こういうの使うの慣れてなくて、ちょっと手が滑っちゃって――」
理屈でなく本能で身体が動いた。
イグニのマントをつかみ、えぐるほど強く地面を蹴って後方に飛び退る。
入れ違いになるように、大きな何かが斜め上方向から飛び込んできた。
イグニの抗議の声は、最初の一音以外はすべて、大地を壊すようなすさまじい衝突音によって殺された。
狼煙の白い煙を汚すように土埃が立ち込める。薄茶色のシェード越しに、四足動物と思しき巨大な黒いシルエットが見えた。
肌が粟立つ。ムゥは意志をもって鎚の柄を握りしめ、黒い影に向かって走った。鎚を横に薙ぎ払う。土埃が切り裂かれる。ムゥの手に、何かの肉を潰した感触が伝わってきた。
背筋に悪寒としか言いようのないものが走る。ムゥは鎚を振りぬかず、途中で止めた。肩から転がるようにして右方へと退避する。
イグニの方に、ぽーんと塊が飛んできた。湿った音を立てて地面に落ち、濁った瞳でイグニのことを見つめる。
それは、首から下が引きちぎられ、口元がひしゃげたスプリングボックの頭だった。




