2-10 男女二人。浴場。何も起きないはずがなく
「アンタなぁ!」
イグニがお湯から顔を上げると水圧で目隠しが流された。湯船にゆらゆらと浮かぶ布を慌ててつかみ、ムゥに背を向ける。
「あはは、ごめんごめん。本当に見えてないのかなーと思って」
「そんなせこい小細工しねーよ!」
「っていうか無理に湯船に入らなくても。目隠ししたまま、私が出ていくの待てばよかったじゃない。そろそろ出るつもりだったし」
目隠しをし直したイグニは額を押さえて押し黙ってしまった。突然のことで完全に思考停止していたのだろう。
「あ……じゃあ、もう出ていくのか?」
「いいえ」
ほっとしたように尋ねるイグニに対し、ムゥは間髪を入れずに否定した。
「なんでだよ!」
「目隠ししてるんだからいいじゃない」
「不便だし……それに色々あるんだよ!」
「じゃあ目隠しはずしてどうぞ」
「……女は平気な顔して嘘つくって知ってる」
「ん、意外と疑り深い」
「前の集落で散々な目に遭ったからな」
目隠しをしていてもわかるほどイグニは険しい表情をしている。
「それって、前の集落で何があったか聞いてほしいってこと?」
「なんでそうなるんだよ」
「わざわざ意味ありげにチラつかせるから」
「曲解っていうんだぜそういうの」
「じゃあ勝手にあることないこと想像して吹聴するけど」
「アンタ急速にタチ悪くなったな」
「もういい加減猫を被る必要もないかな、と思って」
「言うほど被れてねーし。頭のおかしい片鱗は最初から見えてたからな」
「『イグネイシャスさんは以前いた集落で三件の結婚詐欺を働き、総額二千万をだまし取り、その他公文書偽造や恐喝・窃盗などの余罪も多数――』」
「わかった話すから! マジで適当なこと言いふらすなよ!」
イグニは首の後ろをひっかき、何かを思い出すように顔を斜め上の方へと向けた。
「俺の実家ってそこそこ太くてさ」
「いきなり自慢?」
「最初から水差すなよ。聞く気あるのか?」
「失礼、続けて」
「……ま、とにかく、帝都だと割と有名なわけ」
(ジェレゾさんの読みは当たってたのね)
ムゥは顔に手を当て、ジェレゾの言っていたことを思い出す。
世間知らずのボンボン。まさにそうだ。一度一緒に仕事をした程度の相手に馬鹿正直に素性を話すなど警戒心がなさすぎる。これではこの先あと数回は騙されるだろう。
(私には関係ないけれど)
「で、前にいた集落で変な女につかまっちまったんだよ。もちろん最初は変だなんて思わなかった。その集落に出資してる貴族の娘で、協会で巨獣の生態とかの研究もしてるって言ってたから」
「つまり美人局に引っかかったと」
「いや、金取られる方がまだマシだった」
「もっとひどいの?」
「薬盛られて監禁された」
イグニは淡々と答えた。あまりに抑揚がなかったせいで、ムゥはしばらく言葉の意味を消化できなかった。
「……あ、あー、そっち系ね。それは、なんていうか、ご愁傷様」
ムゥは当たり障りのない相槌をひねり出す。軽い気持ちで聞くような話ではなかった。目隠しさせてることも申し訳なく思えてくる。
(実家が太いのと監禁はどうつながるんだろう。話しぶりからして営利目的の監禁じゃあないんだろうし)
イグニの話にはまだ何か裏がありそうだ。これ以上つつくと面倒なことになるかもしれない。
「女性不信になりそうな話だったけれど、それを私に喋ってよかったわけ?」
「喋れって言ったのは……いや、言われてはいないか。アンタはさ、認識票見てもなんの反応もしなかったろ」
「ランク3いいなーとか、噛みそうな長い名前だなーくらいは思ったけど」
「うっかり姓まで登録したせいでさ、わかる奴にはわかるんだよ」
「ふーん?」
ムゥは裕福な家庭で育ってはいるが所詮は小規模都市の豪商だ。主要都市の上流階級については詳しくない。
それ以前にイグニの素性などどうでもよかった。お金がいくらあろうと仇は討てない。
(しかし、言わなくていいこと言っちゃうタイプなのね。もしこれで私が興味を持って、姓について調べたらどうするんだか)
ムゥは気付かれないようにこっそりとため息をつく。イグニの脇の甘さが気になった。騙されるのは数回では済まないかもしれない。
「だいたい、今だって俺に興味ないだろ。せいぜい『からかったら面白そう』とかって思ってるくらいで」
「それに付け加えて、『人は良いけれど女性経験があまりない世間知らずのボンボンなんだろうな』、くらいには思ってる」
「丁寧な補足どうもありがとう」
イグニはふんっと顔をそらしてしまった。
「でもさ、私を信用しているのか侮っているのか知らないけれど、もうちょっとぼかして話すべきだったんじゃあないの?」
ムゥは意識的に声音を低くし、ゆっくりと言葉を紡いだ。
相手に揺れが伝わるようにお湯をかきわけ、イグニの方に近付く。
「今後、私がその監禁女みたいにならない保証はないでしょう」
水の動きに気付いたイグニはぎこちなく後ずさる。
距離が空きすぎる前にムゥは手を伸ばし、認識票を通した紐を指に引っかけた。そのまま軽く引っぱってイグニの動きを止めさせる。
想像力に訴えかけると男は勝手に走る、と言っていたのは宿屋の女将のクレメンスだ。本業の他に娼婦の取りまとめもやっている。手っ取り早く資金を稼ぐためにその手のことを色々と教えてもらった。傷のせいで客がつくことはなかったが。
触れるか触れないかくらいの所まで身体を寄せる。
イグニが露骨に及び腰になった。
「おい、ムゥ。冗談は……」
困惑しているイグニの口に認識票を押し当てて黙らせる。
そろそろネタばらしをしてもよかったが、できるだけ高く昇らせた方が落差があって良い。
ムゥは目隠しの布の上側に爪の先を差し入れた。きっちりと結ばれているためなかなか指が入らない。爪と指の先で押し広げるようにし、人差し指の第一関節まで布の内側に忍び入れる。
「イグニ」
耳元に唇を寄せ、ほとんど吐息のような声で名前を呼ぶ。
イグニの咽喉がなまめかしく動くのが見えた。
(今だ!)
ムゥは顎を引き、額と額とを強く打ちつけた。
ごっ! という脳に重く響く音がし、何の備えもしていなかったイグニは一撃で仰向けに倒れこんだ。派手に水飛沫が上がる。
近年稀に見るほど綺麗に頭突きが入った。ムゥは顔のにやつきを抑えきれない。
ジェレゾにも試してみたことがあったが、相手の勘が良すぎて逆に手痛い一撃を額に食らった。
「いってえええええええええええっ!! いきなり何してくれてんだムゥ!!!!」
起き上がったイグニが水と怒声を吐き散らす。額にはしっかりと赤い跡が残っている。目隠しはまだちゃんとついていた。
「あはははは! もっとちゃんと警戒したら? そんなんじゃ本当にまた監禁されるかもよ」
気が済んだムゥはさっさと湯船から上がる。思ったより長湯をしてしまった。
「それじゃ、どうぞごゆっくり」
目隠しで見えないイグニに向かって手を振り、休憩室の方へと移動する。
一人残されたイグニは目隠しをはずし、視線を下に向けてため息をついた。
お読みいただきありがとうございました。
いいね、ブックマーク、★評価、感想などいただけますと執筆の励みや参考になります。
本作品をどうぞよろしくお願いいたします。




