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ムゥは荒野で鎚を振るう-家族を奪った飛竜を打倒するため、令嬢は心身を対価に『巨獣狩り』となる-  作者: 甘酒ぬぬ
第2章

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2-9 国営組織の倫理観とは

(やっぱり広いお風呂はいいなあ)


 洗体室で身体を洗い終わったムゥは、目の前の大きな半円形の湯船を見て感嘆のため息をついた。

 Cの浴場は同時に四人まで入浴することができる。しかし今浴場にいるのはムゥだけだ。貸し切りにしているようで気分が良い。


 切り出した岩を組んで作られた浴場は野趣(やしゅ)に富んでいる。協会の地下に位置するため窓がなく、やや圧迫感があるのだけが残念だ。


 足先からそっと湯船に入る。無色透明でわずかに粘性のある薬湯が身体を包む。じんわりと肌を温められる心地が気持ち良く、目蓋(まぶた)を閉じればすぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。

 この浴場を使用したいがために指定の巨獣ばかり討伐する狩人がいる、というのもうなずける。


 ふと胸のあたりに違和感を覚え、視線を向けた。

 胸がせりあげられたように水面に浮き、綺麗に谷間ができている。そこに認識票がはさまっていた。指でつまんで目の高さまで持ち上げる。浴場の受付で支給された手拭(てぬぐい)以外で中に持ち込んでいいのはこれだけだ。


 武具を含めた所持品も汚染されている可能性があるため、受付に預けてクリーニングしてもらう。クリーニングはおおむね一時間程度かかり、その間狩人は浴場内にいる必要がある。といっても湯上りに着る服や休憩室も完備されているので別段不自由はない。


(ランク3の昇格任務は、おそらくジャッカル相当の巨獣の討伐。油断さえしなければ問題はない。ランク3になれば二つ名討伐を受けられる。もうすぐ、欠け角のオルランドに……)


 ムゥは認識票を指先で弾いた。


 思い返せばあっという間だった気がする。狩人になって最初の一年はとにかく必死だった。恩を売るために採算度外視で雑事を引き受けたり、人に好かれるために容姿や態度に気を使ったり。見知らぬ土地で一人で生きていくには周囲の協力が必要だった。

 二年目は少し余裕ができたせいで焦燥感に駆られた。コンビを組んで失敗したのもこの時だ。


(また余計な考えちゃう。ほんとダメだな)


 ムゥは両手を頭の上で組み、大きく上体を反らした。動きに合わせて胸が重く揺れる。深く息を吐くと気分が少しまぎれた。

 

 ガンッ! と浴場の引き戸が勢いよく開かれる音がした。あまりにも強かったのか反動で戸が跳ね返る。


「あ」


 短く声を上げたのは二人同時だった。


 湯の温度はぬるめのため、湯気はほとんどない。相手の姿がはっきりと視認できる。

 濡れてへたった赤髪と鋭さのある三白眼。適度に筋肉のついた細身の身体は、俊敏さを売りにする双剣使いのイメージ通りだ。


 まばたき三回分の後、イグニは開けた時以上の勢いで戸を閉めた。

 洗体室で誰かとぎゃあぎゃあ口論しているのが聞こえてくる。


(本当に混浴なんかさせる普通!?)


 浴場の同時使用に年齢性別の制限はない。つまり子供だろうと大人だろうと男だろうと女だろうと、四人までなら一緒に入ることができる。しかし大抵の場合、公序良俗にのっとった配慮がされる。普通は。普通ならば。


(ゆっくり浸かっていたかったんだけどな……)


 ムゥ自身は身体を見ることも見られることにも興味がない。混浴でも問題はないが、あの様子を見る限りイグニの方がダメそうだ。

 身体を隠そうにも、支給された手拭は髪を巻くのに使ってしまっている。髪が湯に入るのはマナーとして良くない。


 ムゥが湯から上がろうと(へり)に手をかけた瞬間、再び戸が開いた。今度は音がしないほどゆっくり静かな開け方だった。


「悪ぃんだけど、あと何歩で湯船か誘導してもらっていいか?」


 気まずさのにじみ出た声でイグニが提案する。腰と目には布が巻かれていた。

 おそらく、職員に洗体室から追い出されたのだろう。洗体室は使用後すぐに洗浄される。ようするに居座られると邪魔なのだ。目隠しの布は口論の末に唯一勝ち得たものだろう。


「あー、オーケー。しばらくそのまま前進して大丈夫」


 ムゥは口元を押さえて返事をした。こういうのを見ると悪い性癖が鎌首をもたげてしまう。


 イグニはぐちぐちと文句を垂れながらよたよたと不安げに歩みを進める。


「なんで浴場受付の段階で止めてくれなかったんだよ……」

「それはほんとにそう」

「まだか? まだ進んで平気?」

「うん。まだ平気。そうそう、そのまままっすぐ行くと――」


 ムゥの口角が自然とつりあがる。


「湯船に落ちる」


 無慈悲な言葉と同時に、縁につまづいたイグニは顔から湯船に倒れこんだ。激しく水柱が立つ。

 あまりに綺麗な着水に、ムゥは笑いをこらえることができない。


 昔からしょうもない悪戯が好きだった。今まで引っかける相手がいなかったため鳴りを潜めていたが、あんな無防備な姿を見せられてはやらずにいられない。


(ああ、イグニに対して態度がぶれるのは多分このせいだ。妙に素直でいじり甲斐がありそうというか)

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