2-7 蟹の正しい締め方
「すっげー。今回は完全にアンタの手柄だな」
気付くと隣にイグニが立っていた。泥や血やローバークラブの体液で薄汚れている。
「イグニが囮になってくれたからね。で、見た通り足止めはできたんだけど、どうしようか」
ローバークラブは錯乱したように鋏脚を振りまわしている。頭部も攻撃範囲内のため迂闊には近寄れない。折れているとはいえ、肢には鋭利な爪も生えている。息の根を止めるまで油断はできない。
「このまま大人しくなりゃいーけど……」
イグニの呟きを聞きいれたのか、不意にローバークラブが動きを止めた。鋏脚以外のすべての肢が根元からぽろりと取れる。
ムゥとイグニは顔を見合わせた。
「イグニ、あれどう思う?」
「……なんかヤバそう」
「だよね。逃げよ」
ムゥとイグニは同時に左右に散る。
二人の間を裂くようにローバークラブが突進してきた。二本の鋏脚の力だけで地面を削りとりながら前進している。肢がすべてあった時よりもその動きは速い。口からは絶え間なく泡が漏れ出している。死に物狂いであるように見えた。
ローバークラブは鋏を深く地面に突き刺して勢いを殺し、胴体を横滑りさせて無理矢理動きを止めた。土煙がもうもうと立ちのぼる。身体を引きずった跡が轍のように残った。
鋏脚を細かく動かして角度を調整し、再び発進する。イグニにむかって。
「やっぱ俺かよ!」
イグニは短くなったマントをうっとうしそうに脱ぎ捨てた。地面を思いっきり蹴りつけ、身体を投げ出すように転がってよける。
地面に落ちたマントはローバークラブに轢かれてぼろぼろになり、土と一緒に耕された。
急停止と方向転換ができないローバークラブはそのまま木にぶつかるまで突き進む。
(さいわい私のことは眼中にないみたいだけれど、イグニではあの甲殻は破れない。でも下手に近付くと巻きこまれて轢かれるだけ)
ムゥが出方を窺っていると、イグニが妙な行動に出た。自切したローバークラブの肢の関節を縄で固定し、肩に担ぐ。ちょっとした槍ほどの長さがある。
「調子に乗ってんなよこのクサレガニがあああっ!!」
イグニは全身を弓なりに曲げ、右腕を勢いよく振り切って肢をぶん投げる。放たれた矢のような速度でまっすぐに飛ぶ。
ローバークラブは馬鹿の一つ覚えのようにイグニに向かってきていた。自分の方に飛来してくるものなど気に留めず前進し続ける。
左右の鋏脚の合間を縫って、イグニの投擲した肢が泡だらけの口に到達した。突進の勢いが手伝った形となり、イグニの投げた力と相まって深く突き刺さる。
「刺さる確証なんてなかっただろうに、無茶するのね」
ダメ押し、とばかりにムゥは肢の根元を鎚で叩いて押し込んだ。力の伝達を可視化したかのように、一筋のひびが殻に走った。
ローバークラブの口から、青みがかった液体が泡と共に大量にあふれ出る。ローバークラブの突進は止まったが、鋏脚と触覚がまだびくびくと動いていた。
ムゥはローバークラブの口に刺さった肢を駆けのぼる。深い赤色をした複眼と目が合った、気がした。
いつもしているように、両手で握った鎚を頭部に向かって振り下ろす。力を込める必要がないほど容易く砕けた。他の生物のように脳が飛び散るようなことはなかった。
ローバークラブの動きが完全に停止する。
「終わったあああぁぁぁ……」
イグニは武器を放り出し、地面に仰向けに倒れた。
その様子が遊び疲れた子供のようで、ムゥは思わず笑ってしまう。
「お疲れさま」
「今回俺、全っ然役に立たなかったなぁ……」
「そうね、ランク3様」
ムゥは意地悪く笑い、イグニが首から下げている認識票を引っぱる。
イグニは慌てたように認識票を奪い返し、上体を起こした。
「冗談。ちょっといい?」
ムゥはその場にしゃがみこみ、顔をイグニの首元に寄せる。一つ、確認しておきたいことがあった。
「は……え? 何!?」
「……汗臭い獣臭い生臭い」
ムゥは匂いを嗅いで後悔した。様々な悪臭が混じり合い、さらに一段階上の強力な激臭になっている。
「『臭い』は性別年齢問わず全人類がマジで傷付くやつだからやめて……」
イグニは本気でショックを受けたようにうなだれた。
「ごめんごめん。悪口を言いたくてこんなことしたんじゃあなくて、なんでイグニばっかり狙われてたのか気になって。さっきの猿の匂いでもしみついてるのかなーと」
ムゥとイグニの違いは性別を除けば「匂い」だと考えた。
理由は定かではないが、ローバークラブはイクリルグエノンを狙って殺している。猿――イクリルグエノンにべったりと懐かれていたイグニから、「標的」の匂いを感じ取り、執拗に追いかけていたとしても不思議ではない。
(でも巨獣が殺したくなるような匂いってなんだろう。そもそも本当にローバークラブが犯人なのかな。ここの数匹をやったのは確かだと思うけれど、あの巨体でどうやって森全域の猿を殺してまわっていたんだろう。目撃情報がまったくないのも不自然だ)
ここまで考えたところで、ムゥは思考を意識的に手放した。
真相はともかく、今回の依頼は片付いた。また何かあったときに考えればいい。
「――あ、そうだ。あのカニのでけーハサミの部分持って帰りたいんだけど、ハンマーで折れる?」
イグニは急に立ち上がり、気安く提案してきた。
「試してはみるけれど、なんに使うの?」
「ジェレゾのおっさんが武器の強化に使うから持って来いって。カニが犯人で手間がはぶけてよかったよ。しっかし、高い金払わせた上に素材まで調達してこいとか鬼だよなーあの人」
(お金以外も要求されるんだ)
少なくともムゥにとっては初耳だった。ジェレゾとの関係は知られて困ることではないが、胸を張って言えることでもないので口を出さずにおく。詮索されるのは面倒くさい。
鋏脚の節を鎚で叩くと、肢と同様に折ることができた。実際に持ってみると重厚そうな見た目のわりに軽い。軽量で斬撃・打撃に耐性があるなら防具の素材としても適していそうだ。
木の影にイグニに懐いていた猿の姿が見えた。一定の距離以上、近寄ってこようとはしない。
イグニが近付くと、おびえたような声を上げて茂みの中へと消えていってしまった。
「……あいつにとっての『恐怖の象徴』みたいなもんを持ってたら、そりゃ逃げるか」
イグニは首の後ろに手を当て、小さく息を吐いた。
この仕草をしているのをよく見る。困ったときの癖なのかもしれない。
(あの猿、これからどうやって生きていくんだろ。仲間を殺した仇がいなくなっても、何も戻ってはこない。巨獣の死骸がひとつ、転がっただけ)
ムゥは自分の頬を強くつねり、物理的に感傷を追い出した。余計なことを言ったり考えたりするのは昔からの悪い癖だ。
(次の依頼をこなせばランク3。今考えるのはそれだけでいい)




