2-6 異説・猿蟹合戦
「アンタ、巨獣を前にするとほんと怖い顔するよな」
ムゥの方をちらりと一瞥してからイグニはローバークラブの側面に回りこんだ。携えている武器のイメージ通り敏捷性に優れている。
ローバークラブは枝のように伸びた触覚をひくつかせた。体高こそ2、3メートルだが鋏脚と長い肢のせいでより大きく見える。特に鋏脚が凶悪なサイズだ。体高と同じくらい大きい。左右両方を合わせると巨大な盾のようになり、頭胸部を隠すことができる。猿だけでなく人間をねじり切ることも押し潰したりすることも容易だろう。
「そう? いつも通り笑っているつもりだけれど」
ムゥは一直線に駆ける。ローバークラブの正面に最短距離で向かう。
頭を叩くには、あの物騒きわまりない鋏脚を処理しなければならない。
(カニの頭ってどこだろ。あの目っぽい赤いやつがついてる所でいいのかな)
ムゥが素朴な疑問に頭を悩ませていると、先にイグニが攻撃を仕掛けた。逆手に持った三日月型に湾曲した剣を横薙ぎに振るう。肢の節を狙って放った一撃は金属音を立ててあっさりと弾かれる。
「関節でもダメなのかよ!」
イグニは忌々しげに吐き捨てつつ、すぐに次の行動に移る。スライディングの要領で腹の下に潜りこんだ。左手の片刃の直剣を突き刺すが、鉄板を重ねたような装甲に跳ね返される。
「げー。肢のほうがまだやりようがあるな」
イグニはローバークラブとの相性の悪さに辟易する。押し潰される前に腹の下から素早く離脱した。
ローバークラブは地団駄でも踏むように、鋭い爪の生えた肢をイグニに向かって振り下ろす。
単調な縦方向の攻撃であるためよけることは難しくない。しかしかすりでもすれば、地面に穿たれた穴と同じものが身体に空くことになる。
一向に当たる気配がなく業を煮やしたのか、ローバークラブは威嚇するように鋏脚を大きく掲げた。高い位置から左右の鋏脚を続けて繰り出す。髪や服がはためくほどの風圧と、空気を裂く重く低い音が生じる。
イグニは苦もなくその攻撃をかわした。はずだった。鋏脚が地面を打った振動が思った以上に大きく、イグニの身体がよろめく。
ローバークラブは嬉しそうにハサミの先端をカチカチと打ち鳴らし、鋏脚を横に払った。
「アシストさんきゅー」
場に不釣り合いな軽い調子で感謝を送り、ムゥはローバークラブの肢を踏み台にして高く跳躍する。無防備になった頭部目がけ、全体重を乗せて鎚を叩きつけた。
鈍く響く低音。頭部を庇うように差し出された鋏脚によって阻まれる。渾身の打撃は表面の甲殻をわずかに欠けさせただけだった。
完全にイグニを狙いにいっていたはずなのに、ムゥの攻撃を防ぐためだけに両方の鋏脚を信じられない速さで引き戻した。よほど頭を殴られたくないらしい。
「まぁ、そんな簡単にはいかないか」
ムゥは鋏脚を蹴り飛ばした反動で後方へと離脱する。手ごたえ自体は充分あったが途中でクッションのようなものに攻撃が吸われる感じがした。材質か構造か、ただ硬いだけというわけではないらしい。
ローバークラブはムゥを追撃せず、肢を虫のように小刻みに動かしてイグニを正面に捉えた。前進しつつ、先ほどのムゥ攻撃を再現するのかのように鋏脚を叩きつける。衝撃で地面がかすかに揺れた。当たれば圧死した猿と同じ末路を辿るだろう。
「なんでこっちに来るんだよ!」
イグニは武器を収め、全力で走って逃げる。攻撃を紙一重でよけるのは得策ではないことがわかった。それに、目や口に攻撃を通さなければ双剣でダメージを与えることは難しい。
突然、ローバークラブが動きを止めた。口に大量の白い泡が溜まっている。
ローバークラブの行動に思い当たるところがあったムゥは叫ぶ。
「気をつけてイグニ! こいつの吐く水吐くほど臭い!」
「絶対他にもっと伝えるべき重要な情報あるだろ!?」
叫び返したイグニは何かに足を取られて前方に倒れた。地面が浅くくぼんでいる。同じようなへこみが周囲にいくつもあった。ローバークラブの足跡のようだ。
イグニが体勢を崩したのと同時に、ローバークラブの口から白い何かが発射された。反動でローバークラブの身体がわずかに浮いて後退する。
白い何かは、真横から見ると線、真上から見ると湾曲した刃のような形をしていた。転んだ拍子にまくれ上がったイグニのマントがすっぱりと切り裂かれる。そのまま勢いは衰えることなく、進路上にあった木の幹を深くえぐった。折れてはいないが幹の三分の一まで傷口が達している。
ムゥがへし折ろうとしていた木を倒し、猿の胴体を上下に切り裂いたものの正体がこれだ。
「頭以外を叩くのは不本意だけれど、っと!」
イグニに気を取られているうちに、ムゥはローバークラブの側面に移動していた。三対ある中で最も太い肢の節に鎚を打ちつける。立ち止まってくれたおかげで容易に狙いを定めることができた。
乾いた小気味の良い音を立てて、本来曲がらない方向にローバークラブの肢が折れた。うっすらと青みがかった透明な液体が飛び散る。鋏脚に比べると圧倒的に脆い。念のためにもう一度鎚を叩きつけ、肢としての機能を完全に奪っておく。
続けて残りの肢もへし折っていく。最初に折った物よりも細いため簡単な作業だった。
二本折った段階で巨体はバランスを崩した。片側の肢をすべて折ると、その場で地面を掘りかえすことしかできなくなった。




