2-5 獣に感情はあるか
イグニの首に、特徴的な毛色の猿がまとわりついている。
全体の体毛は濃いオリーブ色で、額に当たる部分がヘッドドレスをつけたようにそこだけ赤茶色になっていた。口まわりと足の一部も色が異なっており、白色の柔らかい毛が生えている。一般的な猿よりも小柄で、体長は40センチもなさそうだ。
ムゥは見なかったことにして、あたりを見回した。この猿が何かをしたとは考えづらい。まだ他に何かが潜んでいるはずだ。
「おいムゥ! 無視すんな!」
いまだ猿にべろべろ舐め続けられているイグニが怒声を上げた。
ムゥはこれ見よがしにため息をつき、仕方なくイグニの方に向き直る。
「目も当てられないくらいお熱いから空気を読んだのに。余計なお世話かもしれないけれど、野生生物って雑菌の宝庫だから後でちゃんと口すすいだ方が良いと思うよ」
「ご忠告どうもありがとう。こいつが今回の被害者だってことにちゃんと気付いた上でボケてるのか?」
イグニは額に青筋を浮かべ、顔に付着した唾液をマントでぬぐう。
「イクイクなんとかっていう動物の死骸が森のあちこちで見つかったから、その原因を突き止めて、もしも巨獣が原因ならその巨獣を排除する――っていうのが今回の依頼だよね」
ムゥは移動途中に聞いた内容をそらんじる。
「最初から名前覚える気なかったろ。イクイクじゃなくて『イクリルグエノン』な。国獣の一つなんだから覚えとけよ」
「こくじゅう?」
まったくピンとこない単語にムゥは顔をしかめた。
国を象徴する動物が定められていても不思議はないが、それをどれだけの国民が認識しているだろうか。
「建国神話に出てくるダタラ大帝のかたわらにいたっていう猿がコレだ。先代皇帝のペットだったってこともあって帝都じゃ結構高値で取引されてんだぜ」
「変なことに詳しいのね。猿マニアか密売業者だったの?」
「んなわけあるか。常識だよ常識」
(常識、かなぁ。国獣も建国神話も聞いたことはあったかもしれないけれど、いちいち覚えたりするかな。集落に帰ったらみんなに聞いてみよ)
ムゥが近寄ると、猿はイグニの頭の上によじ登ってしまった。歯茎をむき出しにし、きーっきーっと甲高い声を上げて威嚇する。
「んー、私は国獣サマに嫌われてるみたい」
ムゥは両手を上げて数歩後ずさった。
「この森には何年も通ってるけど、こんな目立つ毛色の猿なんて見たことなかったなぁ」
「巨獣狩りなんかやってたら普通の動物は近寄ってこないだろ」
「今のイグニには全然説得力ないけどね」
ハリネズミのような赤髪を手厚く毛繕いしている猿を見て、ムゥは小さく吹き出す。
イグニは首の後ろに手を当て、大きく息を吐いた。
「とりあえず、この猿が出てきた方向に行ってみようぜ。他にこいつの仲間とかいるかもしんねーし」
ムゥの返事を待たずに、イグニは茂みの中へと分け入ってしまった。
(さっきの水の奴が巨獣だったとして、猿を殺した証拠がなければこちらからは手が出せない。私一人なら無理矢理正当防衛を言い張ってもいいけれど、共同任務だしな。あっちにもペナルティが行く。……やっぱり人と組むのって面倒くさい)
ついつい出てしまいそうになるため息を飲みこみ、逆に深く息を吸い込んだ。
(この依頼さえ終わればもう組む必要はない。ぐちぐち考えるよりも身体を動かさないと)
ポニーテールの毛束を二つに分けて左右に引っぱり、ゆるみを直す。引きつれたような痛みがムゥの思考を明瞭にする。
イグニの後を追うと、高い木々のない林冠ギャップへと出た。数本の木が不自然に倒れている。
何故かイグニはその場に立ち尽くしていた。頭にしがみついていた猿の姿がない。
「どうしたの」
「見ないほうがいい」
イグニの肩越しに覗きこもうとすると、間髪入れず手で目を覆い隠された。
しかし、ムゥは見なくとも状況を把握した。濃い血の匂いがする。
「イグニ。気遣いはありがたいけれど、私たちはこれを調査しに来たんでしょう」
「……悪い。狩人なんだから見慣れてるよな」
イグニはゆっくりと手を下ろした。
目の前の光景と今朝見た夢が重なって見える。
確認できるだけで五頭のイクリルグエノンの死体が転がっていた。胴体が真っ二つに裂かれていたり、首がないもの、押しつぶされたかのように原型をとどめていないものもあり、正確なところはわからない。
イグニに懐いていた猿が死骸の一つにすがりついている。
「親子か、仲間か、恋人か。猿にも情があるのね」
感傷的な呟きがついて出てしまった。
ムゥは色々なものを振り払うように意識して息を吐く。
(ここまでの恨みを猿が買ったとは思えないけれど……)
ムゥは一番近くの、真っ二つに裂かれた死体を調べてみることにした。
身体に触ってみるとまだ温かい。殺されてからあまり時間は経過していないようだ。鋭利な刃物で切られたように胴体が上下に両断されている。
鼻を傷口に近づけてみると、やはり生臭い匂いがした。血の匂いとは違う。思い当たるところだと生魚の匂いが一番近い。
次に首なしの死体を見てみると、こちらはねじり切られたような痕跡があった。魚の生臭さはない。
どちらの死体にも捕食された形跡はなく、ただ殺傷されている。
「……なぁ、森の中に水棲生物っているか?」
圧死した猿のほうを調べていたイグニが妙なことを口にした。
「そっちこそ知能が消失してるみたいだけど大丈夫?」
軽口に対する返事はなかった。
代わりに金属同士が激しくぶつかり合う音がする。
ムゥを威嚇した時よりも甲高く大きな声で猿が叫んでいる。
「……『当該巨獣の排除』って、要するに『叩き壊しても構わない』ってことよね」
鎚を肩に担ぎ、ムゥは笑う。
左右で形状の大きく異なる剣を構えるイグニの前には、金属光沢を有した青黒い鎧のような甲殻を纏い、二本の巨大な鋏脚と三対の肢を持つ陸棲の甲殻類――ローバークラブが立ちはだかっていた。
グエノン……オナガザル科オナガザル属に含まれる動物の総称。
ローバークラブ……ヤシガニの別名。カニといいつつヤドカリの仲間。人によっては閲覧注意な外見。




