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1-1 鎚使いの女

 女は(しげ)みに身を隠しながら、ある生物の様子を(うかが)っていた。


 体高はおよそ三メートル。盾のような大きなくちばしが特徴的な灰色の巨鳥だ。首の周りの羽だけが白く、つけ(えり)を思わせる。

 人間のふくらはぎに届かないほど浅い川の前で、巨鳥はじっと水面を見つめている。

 

 女は綺麗に整えられた眉をひそめ、ポニーテールに結んだ薄茶色の毛束を引っぱるように握りしめた。

 まったく面白くない。かれこれ十数分、動かない巨鳥を動かずに観察している。


 しびれを切らした女は背負っている武器の柄に手を伸ばす。

 円柱形の金属の塊に、木製の柄が付いただけのシンプルな(つち)。ただし大きさは規格外。打撃部分の金属は女の胴周りよりも太く、ワイン樽のようだった。とうてい年若い女に――男であっても背負うことすら困難な代物だ。


 女が右足を踏み出したのと同時に、巨鳥が動いた。

 何者かの気配に気付いたのではない。水中に魚影を見とがめ、身体ごと突っこむ勢いでくちばしを川に突き刺した。

 僥倖(ぎょうこう)にくちぶえを吹きたくなるのをこらえ、女は地面を蹴った。巨大な武器を背負っているとは思えない身のこなしで一気に距離を詰める。巨鳥の頭めがけて、地面と水平に鎚を振りぬいた。


 (浅い……!)


 女は手ごたえの軽さに舌打ちをする。

 鎚は巨鳥のくちばしをかすめただけだった。が、接触した部分にぴしりとひびが入り、小さな破片がぽろぽろと地面に落ちた。規格外の大きさは伊達ではない。


 巨鳥は「ぐぎゃぎゃぎゃぎゃっ!」と汚い声で鳴き、せっかく捕まえた魚を吐き出した。目の前の闖入者(ちんにゅうしゃ)に対し、上下のくちばしを打ち鳴らして威嚇(いかく)する。拍子木(ひょうしぎ)を強く叩きつけたような鋭い音が森中に響く。


 ただの隙でしかなかった。

 女は武器の重量に振りまわされることなく、冷静に逆袈裟(ぎゃくけさ)に鎚を振りあげる。打撃面の中心が正確にくちばしを捉え、二度と威嚇音を出せないほど粉砕した。くちばしのかけらと血とよだれをまき散らし、巨鳥の身体が仰向けにどうと倒れこむ。

 力なく地面に広がった翼をブーツで踏みつけ、女はとどめの一撃を振りおろした。肉が潰れ、頭蓋が砕ける感触が手に伝わってくる。


 ふっと女の脳裏にある光景がよぎった。

 何よりも愛しい幼い弟の頭に、ゆっくりと牙が吸いこまれる。恐怖に歪む顔が圧力によってひしゃげ、眼球と血と乳歯が飛び散り――


「……っ、くっさ!」


 強烈な異臭によって女の意識は現実へと引き戻された。

 巨鳥の総排出腔(そうはいしゅつこう)から糞尿が漏れ出ている。嗅いだもの全員が吐き気を催すであろう激臭に、女はたまらずえずいてしまう。


 良いのか悪いのか、獲物の頭を砕いていると月に一度ほどこうして昔のことを思い出す。どうせなら幸せだったころの記憶にしてほしいのに、もっとも新しくもっとも凄惨(せいさん)な映像ばかり再生する。殺された無念を晴らしてくれ、というメッセージなのかもしれない。おかげで、胸の中にはいつでも新鮮な殺意がある。


(えーっと、首の羽と……あとなんだっけ?)


 女は鼻を手で覆いながら、もう片方の手でベルトポーチをあさった。中からメモを取り出して確認する。


(依頼があったのは、巨鳥(シュービル)の白羽根と盾くちばし……やば)


 血で赤く染まった白羽根と、鎚で徹底的に叩き壊してしまったくちばしを見やり、女は頭を抱えた。


 生物の弱点は頭だ。頭を叩けば大抵の奴は動かなくなる――メンターである先輩狩人にそう教えこまれたため、考えるよりも先に身体が動くようになってしまった。戦闘経験のまったくない小娘だった自分を、独り立ちできるまでに育ててくれた先輩狩人にはもちろん感謝している。が、脳筋にしてくれと頼んだわけではない。


(あー、ランク3が遠のいたかも)


 女は首からさげた認識票を指先でいじる。薄く小さな金属の板には「コールランク2 ムゥ」と彫られている。


(とりあえず羽だけでも持って帰ろう)


 女――ムゥは思考を切り替え、巨鳥の首周りの羽を手あたり次第にむしり始めた。

 胸部を固定するブレストプレートの息苦しさも相まって思わずため息が出る。


 巨獣専門の狩人――「コール」になってから早三年。いまだ目的のスタートラインである「ランク3」にすら届かないでいた。


 ムゥは気休めに赤い羽根を川の水に浸した。うっすらと血が溶けて薄い帯になって流れていく。

 水面に自分の顔が映る。

 少女だったころとは違い、丸くふくよかだった頬は削ぎ落したように細くなった。母親譲りの怜悧(れいり)な美貌は損なわれていないが、荒事ばかりこなす生活のせいで目元が険しくなってきている。


 指で押さえて目尻を下げたりしていると、突然地面に大きな影が差した。

 雨でも降るのかな、とムゥは空を仰ぎ見る。


 日差しをさえぎったのは雲ではなく、一匹の飛竜だった。

 全長15メートル超。かぎ爪のついた皮膜の翼。爬虫類を思わせる硬質な鱗に覆われた身体。先端にかえしのような内向きのトゲが生えた太い尻尾。二本一対の螺旋(らせん)状にねじれた角を冠し、(わに)にも獅子にも見える醜貌(しゅうぼう)


「『欠け角のオルランド』……!」


 ムゥは心臓がぎゅっと収縮し、全身の血が沸き立つのを感じた。鎧の下に刻まれた傷がじくじくと痛む。

 はるか上空を飛んでいても決して見間違えることはない。右の角が半ばから折れているのが何よりの目印だ。


 コール協会から「二つ名」を与えられ、討伐すべき対象として認定された巨獣。

 四年前、両親を踏みつぶし、まだ八つになったばかりの弟を喰い殺した憎き仇。

 まるで地上を這う生き物をあざ笑うかのように、悠々と青い空を泳いでいる。


(なんであいつがこんな所に……!?)


 協会の調査によると、大陸の東に行けば行くほど強大な力を持った巨獣が生息している。我が物顔で空を飛ぶ「欠け角のオルランド」の本来の生息域はここからはるか東、廃鉱山のある地帯のはずだ。


 ムゥは鎚の柄を強く握りしめた。

 目視できる距離に仇がいるというのに、あいつの元にむかう翼も、打ち滅ぼす力もないのがただただ悔しい。

 協会の規定により、ランク3以上でなければ二つ名の討伐任務は受けられない。狩人として活動できる区域もランクによって厳格に制限されている。希少な武器に選ばれた狩人を無駄死にさせないための措置だ。


(お前が(ムゥ)に、ムスタファにしたように、必ずその頭を叩き潰し――)


「くそっ! 止まりやがれこのクソ犬がああああああっ!!」


 ムゥの決意をかき乱すほどの叫び声がどこからか聞こえてきた。

※シュービル……ハシビロコウの別名。


お読みいただきありがとうございました。

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