ハッピーエンドはつまらない
小説大学小説学部小説学科。
小説がすべての指標となるこの大学に俺は在籍している。在校生は300人程度。
大学としては少ない方だけど、その分教育の質は高い。そのおかげもあって、学生の三人に一人、つまり百人程度が小説を出版している。
彼らは「出版組」と呼ばれ「非出版組」から尊敬のまなざしを向けられることになる。ちなみに教授たちはみな名のある小説家だ。
俺はまだ一回生なのでまだ出版はしていない。でも、俺も出版組の仲間入りを果たす。今日、そのための一歩を踏み出すことになる。
「……どうでしょうか」
俺は今、小説を読んでもらっている。
読者は芥川拓海先輩だ。
芥川先輩は日本中で人気のある小説家だ。特徴としてハッピーエンドの小説しか書かないということがあげられる。
後味が悪い微妙な、とかその主人公にとっては、などという枕詞さえつかない。純粋なハッピーエンドだ。彼の小説を陳腐だと嘲笑う意見もあるが俺はそうは思わない。一貫してハッピーエンドの小説しか書かない姿勢は人間として芯が通っていると思う。
彼は学内でも非常に人気が高い。彼に小説を読んでもらい、認められれば、出版すると多くの読者を獲得できるとさえ言われている。彼の本を読む速度は早い方で、三日あれば一冊読み終えるのだそうだ。
教授たちからの信頼も厚く、出版前の小説を芥川先輩に評価してもらうこともあるそうだ。
そんな芥川先輩に、初めて俺の小説を読んでもらっている。
芥川先輩は学内の9割が所属している文芸部の部室、その最奥にある椅子に深く座りながら、ページをめくる。
とても静かだ。芥川先輩は小説を読む時は無音でないと集中できないらしい。部屋には俺と芥川先輩以外は誰もいない。
タイトルは『アンチ・アビリティ』。
内容を一言で表すと、能力者対非能力者のサイバーパンクだ。
突然変異で現れた能力者を非能力者は迫害していたが、やがて人口の大半を占めるようになった能力者がかつて迫害された恨みから非能力者を攻撃する。
そんな対立構造にある世界で、非能力者である主人公は能力者の組織に潜入し、数多くの組織のリーダーを始末していく。
だがある日出会った組織は能力者、非能力者のどちらの組織にも無かった温もりを感じさせた。主人公は戸惑ったが、任務を失敗することは許されない。
そんな主人公の葛藤を描いた作品だ。
ちなみにオチは優しい能力者の組織を壊滅させた主人公は、感情を押し殺し、考えることをやめてこれからも能力者の組織を破壊して回るというバッドエンドだ。
重厚な世界観と主人公の心理描写が売りのエンタメの中で、正しさとは何かを問う俺の渾身の作品だ。
その最後のページを、芥川先輩は読み終えた。
「駄作だ」
ただ一言。
芥川先輩はそう言った。
「え、は?」
「まず世界観がよく分からない。全ての文化が退廃しているという描写があるのに、なぜ全世界で一番人気のあるアイドルが登場する。それに主人公に一貫性がない。行動原理がめちゃくちゃだ。非能力者組織に能力者抹殺マシンとして育てられたってのはいい。ならどうして能力者の子供を助けようとするんだ」
「それは……。アイドルの方は俺の趣味です。でも能力者の子供を助けるのはおかしなことではないと思います。あの時は恩を売っておいた方がいいと判断したんです」
「いいや違うな。あの場面では殺すべきだ。そして能力者の組織に入り人の温かさに触れることで、自ら犯した過ちに気づいた。その方がドラマチックだ」
一理ある。
俺は助けたことで後に「あの時殺しておけばよかった」と展開させたのだが、わかりやすいのは芥川先輩の言う展開だろう。
「なるほど。ありがとうございます。先輩の言う通りかも知れません。また練り直してきます」
俺は書き直すため文芸部室から出ようとした。まずは芥川先輩が持っている小説を受け取る―――。
「先輩?」
なぜか一向に小説が渡されない。
彼は小説を目の前にあった文芸部室部長の机に投げ捨てると、俺の方に向き直った。
「俺に2度言わせるな。これは駄作だ。捨てろ」
「……お言葉ですが捨てることはできません。指摘されたところなら修正しますし、さらに良くなります」
「修正が必要なのはさっき言ったとこだけじゃない。少なくとも358箇所は修正する必要がある。こんな駄文にも劣る駄文をよくも俺の前に持ってこれたな。書いた野郎の面を見てみたい。よっぽど下劣な面をしているだろうな。くだらない人生を歩んできたことが手に取るようにわかる。家庭環境もカスだろうな。分かったら出ていけ」
そう言うなり芥川先輩はスマホを取り出して誰かに電話をした。
「あ、もしもしー。拓海だけど。終わったからもういいよー」
そう彼が言った次の瞬間、文芸部室の扉が開いた。
「やっと終わったの? もー待ちくたびれたよタッくん!」
「てか時間オーバーしてない? まじ許せないんだけどー」
3、4、5。
一気に5人の女子が部屋に押し入ってきた。
そして彼女たちは芥川先輩と談笑し始めたのだ。
なんだこれ。何が起こってんだ。
頭の中が真っ白になった俺を他所に芥川先輩と女子たちは今日の予定なんかを話し合っている。
あー、なんかこれ。懐かしいな。この感じ。前にも経験したことがある。いつだったっけ。
そうだ。子供の頃だ。
小学生の時、俺は深夜アニメにハマった。きっかけはなんだったか覚えていない。でもとにかくその時は手当たり次第に深夜アニメを見ていたのだ。
録画していたアニメを見ていた時だった。その時見ていたのがなんだったのかは覚えてない。
母が近くを通った。
「何その気持ち悪いの。バカになるから見るの辞めなさい。もっと楽しいの見たらどう?」
その時、俺の脳内は真っ白になった。
何を言われたのか理解できなかったのだ。たっぷり3分程経ってからようやく様々な反論が頭の中を飛び回った。
気持ち悪くない。
見てもないくせに偉そうに。
これを理解できない方がバカだ。
面白いから。
アンパンマンでも見てたら?
他にも色々思ってたと思う。
自分の好きな物を否定されて、人格まで否定されたように感じたのだ。それは我慢ならない。我慢してはいけない。例え親であっても。自分自身のためだ。
そんなことが今まで何度かあったと思う。俺が見ているアニメ、本、映画、ドラマ。なにか気に入らない場面があると悪口だったり軽口だったりを放り込んでくるのだ。特に、負の感情を喚起させるようなシーンを見た時に。俺は、反論できたりできなかったりだった。
そしてその度に最後には今と同じことを考えた。
なんだったかな。
「おいまだいるのか。もう出ていっていいぞ。ほら」
俺は芥川先輩の言葉を聞いて部屋から出た。
小説を取り戻そうとは思わなかった。
家に帰り、すぐにPCを開く。
頭に浮かび続けている情景を一心不乱にキーボードで打ち込んだ。
クソ。クソッ。クソッ!
書いてやる。書き上げてやる。あの野郎にふさわしい小説を。
1週間が経った。
俺はあの日から小説だけに取り組んだ。学校の講義は全て休んだ。
生きるのに必要なことをする時間以外は、全て小説に捧げた。
そうして出来たのは5万字の小説だ。長編ではなく、短編だ。
タイトルは『ハッピーエンド』。
これを持って俺は大学へ向かった。
そして再び、文芸部室を訪れた。
アポイントメントは取ってある。部室の中に入れば、待つのは芥川先輩ただ1人。あれだけ俺の小説をバカにし、俺の人格まで否定したクソ野郎のくせに小説は読むようだ。ふざけた男だ。
『
「うん。いいんじゃないか」
芥川先輩は最後のページを閉じると、笑顔でそう言った。
彼は俺の小説をこれでもかとこき下ろしたが、実は彼が言ったことは俺自身も薄々感じている事だった。一時は湧き出る感情に脳を支配されたけど、時間が経つにつれ彼の言ったことが清涼剤のように全身に溶け込んでいった。
俺自身もこの小説には満足している。最高の作品だ。
「ありがとうございます。これも芥川先輩のご指導ご鞭撻のおかげです」
「礼には及ばない。俺もお前には期待してたんだ。俺の厳しい言葉にも強い反発心によって、最高の作品を持ってこられる、とな」
「まったく。先輩には敵いませんね!」
』
「……俺の名前を使ってるとか色々言いたいことはあるが、これでおしまいか?」
芥川先輩はページをめくるとそう言った。
紙はまだ残っている。しかしそこにはあるべき文字がない。
「厳しい先輩の言葉に耐え、アドバイスを真摯に受け止め、自分の力に昇華する。素晴らしい脚本だ。最高のハッピーエンドだと思う。タイトルもいい。『ハッピーエンド』とタイトル付けするにはちょっとインパクトが薄いがな。だが途中で終わってるのは頂けない。エピローグがいるだろうが」
芥川先輩はやれやれといったふうにため息を吐いた。
「3つ。言いたいことがあります」
「お、なんだ言ってみろ。くだらない事だったら承知しねーぞ」
「まず、勝手に名前を使ってしまってすみません。それは後ほど修正させていただきます」
「たりめーだ。いくらなんでも酷いっつーの」
「2つ目です。この作品は未完成です」
「そうか。それならさっさと続きを持ってこい。もしやまだ書いてないのか? 話になんねーぞ」
「3つ目。その小説のタイトルは正確には『ハッピーエンド』ではありません」
「無視かよ。じゃ正式にはなんて言うんだ」
「『ハッピーエンドはつまらない』です。そしてこの作品はこれから完成するんです」
俺は文芸部室の椅子に座っている芥川先輩に近づいた。あたかも続きを書くために小説を受け取ろうとして。
芥川先輩は深く椅子に座ったままだ。普段と何ら変わらない表情をしている。
俺は右ポケットに手を入れてナイフを握った。
ナイフはするりとポケットから脱出し、芥川先輩の左肩を貫いた。
芥川先輩は痛みに反応して声を出そうとした。俺は左手で口を塞いで叫ばれるのを防いだ。芥川先輩に乗りかかり、左肩をナイフで刺した。次に右の太もも、左の太もも。
そうして動けなくしてから俺は芥川先輩の体中を刺していった。
「この小説は、こう締めくくられる。俺のすべてを、否定した男を、めった刺しにして、俺の尊厳を取りもどす。まさにハッピーエンドだ! 素晴らしいだろ。だいたい、何がそんなに、気に食わないんだ! お前なんかたいしてすごい人間じゃねえくせに! 女侍らせていい気になってんじゃねえよ! 偉そうに。馬鹿にしやがって。今までさんざん馬鹿にしやがって! どれだけ俺のことを否定すれば気が済むんだ。子供のころからずーっとだ! ふざけやがって。クソクソクソ!」
あの時、そうだ。思い出してしまった。母親に人格を否定された時。
俺はこう思ったんだ。
殺してやる。
――――――
「って話はどうでしょうか?」
俺はニッコリ笑顔で芥川先輩に尋ねた。
「いやこえーよ」
ファミレスにいるからか芥川先輩は抑え目の声で突っ込んだ。
「ですよねー。あっははは」
「あと内容がめんどくさくね? なんか無駄に何重構造になってるし。ぶっちゃけあんま意味わかんねーって言うか」
「ま、今思いついた話ですからね。そんな真剣に考えなくて大丈夫ですよ」
「あっそ。なら今度はもっと面白いの頼むわ」
彼の名前を使ったにも関わらず、その事を指摘しないということは今日の彼はかなり機嫌がいいようだ。どうせこの後何か予定でもあるのだろう。
「分かってますよ。芥川先輩」
俺はフッと笑ってジンジャーエールを飲んだ。
それから、右ポケットに手を入れた。
僕はハッピーエンドも好きです。
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