60 森で迷子になりました
「アルラウネ、おはよう」
蕾が開くと、そこには魔女っこの顔がありました。
どうやら朝になったみたい。
他人の声をかけられて目を覚ますのはいつ以来だったかなと、ぼんやりと考えてしまいます。
今まで朝起きると一人ぼっちだったけど、誰かと過ごす早朝というのも良いものだよねと再認識しました。
そして魔女っこが目の前にいるということは、私はまだ生きているということだ。
良かった、私、まだ枯れてなかったよ!
「おはよう」と言葉を返します。
すると、魔女っこが不思議そうな表情で私を見下ろしていた。
「ちょっと気になったんだけどさ。アルラウネの葉っぱって、そんなに色薄かったっけ?」
え、葉っぱの色?
視線を下に向けます。
私の赤い花冠の下には、緑色の葉っぱがあるの。
その葉っぱが、なんだか萎びていた。
色がちょっとだけ抜けているような…………。
どどどどどいうしましょう?
私、枯れかけているよ!!
夢の中で水やりをされた気がしたけど、やっぱりあれはただの夢だったんだ。
現実の私は、まだ水不足に悩まされている。
せめて夢の中だけでもお水がほしいという私の要望が、あの夢を見させたに違いない。
緊急事態です。
一刻も早く、水分が必要だよ!!
「お水ほしい」
このままでは枯れてしまうから、早く水やりをして欲しいと魔女っこへ必死にお願いします。
「わかった。わたしもお腹空いていたし、川を探そう」
魔女っこは白い鳥さんに変身して、足でわたしを持ちながら飛翔します。
朝ごはんに蜜が欲しいと言われなくて良かったよ。
今の私には全く余力がないから、蜜を出す余裕なんてないの。
もしかしたら少しは気をつかってくれているのかな。
魔女っこさんよ。
植木鉢に入った瀕死の新芽アルラウネを、優しく育ててあげてね。
木の間を滑空しながら、白い鳥さんは少しずつ上昇していきます。
森のあちこちから、何かの生き物の声が聞こえる。
それは鳥のさえずりだったり、何かの動物の雄叫びだったりした。
そんな森の住民たちの声を聞き流しながら、白い鳥さんは浮上し続ける。
空の上に着きました。
森の様子を見回してみることにしましょう。
森に来るときに見えた塔の街が模型みたいに小さくなっているね。
街から離れたあたりに着地したせいか、今いる森から塔までの距離はかなり遠い。
なんだろう、街の近くの森はこの辺りの樹より明るく見える気がするね。
気のせいかな。
「アルラウネ、あそこ見て」
魔女っこが声を上げました。
塔の街とは反対方向の森に、大きな池のようなものが見えたの。
やったよ、お水だよ!
「お水、早く」
「いま向かっているから慌てないで」
魔女っこさんよ。
これが落ち着いていられるわけないよね!
だって池だよ!
お水の吸い放題だよ!
私ね、アルラウネになってからもう一年は経っているけど、未だに水の塊を目にしたことがないの。
魔女っこのバケツの水を除けば、今までで一番大きな水滴というと、私の花びらに溜まった雨水くらい。
だからね、池となればテンションはうなぎのぼりだよ!
そうこうするうちに、池のふちに着地します。
かなり大きい池だね。
どうやらすぐそこから、川と繋がっているみたい。
川下に水が流れていくのが見えるよ。
魔女っこが鳥の姿から人に戻る。
「わたしも喉渇いちゃった」
そう言いながら、魔女っこは両手で水を汲もうとします。
けれども、手を水面に近づけるとピタリと動きを止めました。
「……この水、あんまり綺麗じゃないね」
魔女っこの言う通り、池の水は濁っているみたい。
池の底が全く見えないからね。汚れているのかな。
「飲めそうにないかも……」
魔女っこが諦めたみたい。
人にはこの水は厳しいかもね。
でもね、植物の私はこれくらいなら全く気にしないよ。
植物的にはそんなに汚くないの。口から飲むんじゃなくて根で吸収するわけだしね。
だから早く水やりしてほしいのだけど。
「お水ほしい」
私の催促に、しぶしぶと魔女っこが池の中に両手を入れました。
それにしても、川があるのになんでこんなに濁っているのかな。
豊かな森に囲まれているのにね。
池をぐるりと見回していると、なんだか変なものを見つけてしまいました。
大きな動物の骨のようなものが岸辺に埋まっているの。
それだけじゃない。
たくさんの動物やモンスターの骨が、たくさん落ちている。
なんでこんなに骨ばっかりあるのかな。
そう思いながら魔女っこのほうへ視線を戻すと、池のすぐ近くから波紋が立っていた。
目を凝らしてみると、何か大きなものが水中で動いている。
ふと、尻尾のようなものが池から出ているのが見えた。
水の中にいる巨大な生き物が、ゆっくり魔女っこへと近づいていたのだ。
固そうな鱗、そして獰猛そうな二つの目が、池から浮かび上がる。
あれはもしかして、ワニじゃなくて!?
どうしましょう、ワニが魔女っこを狙っている!
「逃げて!」
私が叫ぶのと、ワニが大きな口を開けながら魔女っこへ突撃してきたのは同時でした。
ワニは池の泥水を巻き込んで、バシャンと水中から姿を現す。
それでも私の声にすぐ反応したおかげか、魔女っこの体が空の上へと浮かび上がるほうが少し早かったみたい。
咄嗟に黒魔法の空中浮遊を使ったのでしょう。
間一髪のところで、ワニの牙から逃れることができたみたい。
さすがは魔女っこ。
何度も私の蔓の罠から逃げ続けてきただけのことはあるね!
でもその代わり、泥水を被ってしまったみたい。
魔女っこの顔が泥だらけ。
目にも泥が入ったみたいで、空中で右往左往しているよ。
ワニに視線を向けてみます。
こいつはワニ型モンスター、グルコロコディール。
大型トラックくらいの大きさがある巨大ワニだね。
きっと池の岸に落ちている動物の骨は、このワニにやられたのでしょう。
こんな大きなワニに襲われたら魔女っこどころか、たいていの生き物は一口であの世行きだよ。
ワニさん怖いねーと心の中で呟いていたら、なぜか体が傾きました。
なんで?
と思った時には、私の体は池に引きずり込まれていたの。
池から巨大ワニが飛び出してきたときに、泥水の大波が起きていた。
その波は私の位置まで届いていたようで、そのまま引き波によってバケツがさらわれていたの。
えぇええええ!?
ちょ、ちょっと待ってよ!
私の心の中で叫んでいるうちに、どんどんと池の中心部へと流されていきます。
気がつくと、私は池に浮いていました。
しかも周囲にはいつの間にかワニさんたちが大集合していたの。
魔女っこという獲物を狙って、池のあちこちから集まって来ちゃったんだね。
どうしましょう。
ワニに囲まれて怖すぎるのですけど。
ついでにね、このバケツ、ちょっと沈みそうな気配がするの。
木製のバケツだから少しは浮いてくれているんだけど、このままだと水没してしまうかもしれない。
というか、その前にワニに食われるよね…………。
魔女っこぉおおおお!!
助けてぇええええ!!
そんな魔女っこは「目が痛い……アルラウネ、どこ?」と叫びながら、目をかいていた。
まだ視界が回復していなかったみたい。
そして私の正面には、大きなワニさんが挨拶をするように泳いできました。
あら、ごきげんようワニさん。
今日は良いお天気ですね。
いきなりですがわたくし、ワニさんに大事なご報告がありますの。
わたくし、動物ではないのです。
植物なのです。
ワニさんはお肉が好物と伺っております。
だからワニさんがわたくしを食べても、きっと美味しくはないはずなのです。
ですからその大きなお口は閉じて、他の動物が水を飲みに来るのを待ちましょう。
ちょ、ちょっとワニさん、お待ちになさってくださいませ。
なぜわたくし目掛けて突撃してきているのですか?
というかそちらの他のワニさんも、わたくしに飛び掛かってきそうなのですが。
もしかしたあなたたち、ベジタリアンなの……?
菜食主義のワニさんとか聞いたことがないのですけど!
わたくし、お肉ないのですよー!
絶対勘違いしてますよー!
私の必死のお願いもむなしく、二匹のワニさんが私に飛び掛かってきました。
再び大波が私を襲う。
た、食べないで―!
残る全ての力を振り絞って、毒花粉を撒きます。
おかげでワニさんは急転回してくれて、ひとまず丸呑みされることからは避けられたみたい。
でもね、代わりに私、溺れちゃったの。
────ぶぐぶぐぶぐぶく。
ワニさんが起こした水流によって、水中に沈んでしまった。
え、どうなるのこれ!
水の中ってさ、ワニさんだらけじゃないの?
というか完全に魔女っことはぐれちゃったよ。
そんな大ピンチのなかだけど、一つだけわたしは幸せなことがありました。
ここは池の中。
ついにあの水不足から解放されたの。
あぁ、今にも死にそうだけど、ちょっとだけ生き返ることができたよ。
お水おいしい……!!
死の淵に沈みながら、私はお水の偉大さを再認識するのでした。
そして同時に、生への執着心が再点火されます。
こんなところで溺れ死ぬわけにはいかない。
ワニに食べられるために、あの大火事から生き残ったわけじゃないんだからね!
絶対にここから脱出してやります。
私はぶくぶくぶくと池の底に沈みながら、大型のワニさんが回遊する光景を目に焼きつけつつそう誓うのでした。
お読みいただきありがとうございます。
次回、アルラウネの川流れです。







