46 炎の王
大ピンチです。
私のすぐそこにまでドラゴンの上位種である炎龍が迫っているの。
お茶会をしてもてなすことができないくらい格上の存在。
これは鳥さんの助言通り、隠れるのが一番だね。
もう毒花粉を浴びせるとかそういう相手ではない。
そのへんの雑草を引きちぎるように、蹂躙されてしまうのがオチだよ。
さあ、花になりきって隠れましょう。
全身を蔓で包み込んで、蔓の繭をさらに厚くします。
ついでに蕾も閉じちゃうよ。
だって怖いんだもん。
炎龍が近づいて来た。
せまい蕾の中で、私は身体をぎゅっと抱きかかえる。
炎龍が歩く振動のせいなのか、全身が震えているのがわかる。
いや、これは地面から伝わる振動のせいじゃない。
私が震えているのだ。
尋常ならざる恐怖の炎龍が私のところへとやって来ている。
いきなり燃やされてしまうかもしれない、それとも踏み潰されてしまうかもしれない。
もしかしたら食べられてしまう可能性だってある。
それが怖くて、恐ろしくて、もう泣いちゃいそうで。
蕾の底に少しずつ蜜が溜まっていった。
──ん、踏まれたら?
あれ、ちょっと待ってよ。
よく考えてみて。
花のまま踏まれたりしたら、それでもダメじゃない?
それかいきなり火を噴かれでもしたら、私燃えちゃうよ。
でも、こればっかりはもうどうすることもできないね。
今は目の前の炎龍様が私を踏まないでこの場を去ってくれることを祈るのみだよ。
蕾の中で神々に祈る私。
でもね、私はもう知っていたよ。
神様なんていないの。
いたらとっくに、私を救ってくれていたはずだからね。
何度となく祈ったのに、助けは来なかった。森で命をかけたサバイバルが続いたままだ。
だから、今度もそんな祈りは運命にへし折られてしまったの。
だってね、炎龍がいきなり話しかけてきたのだから。
「おい、そこのアルラウネ」
──────え?
炎龍が喋った。
まあこれは驚かないよ。だってドラゴンは魔族の一種。
人語を理解するのは当然だもの。
それよりも、なんで私がアルラウネだって知っているの?
そっちに驚いちゃった。
だって炎龍さん、あなたから見たら、私は蔓の塊にしか見えないんだよ?
たとえ蔓から体がはみ出ていたとしても、蕾を閉じている限り、ただの赤い花にしか映らないのだから。
「隠れていても無駄だ、早く出てこい」
どうしよう。出てこいって催促されているよ。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
いきなり炎龍から話しかけられるなんて誰が予想できただろうか。いや、無理でしょ。
このまま居留守とかしちゃダメかな?
「なんだ、美しい花だと聞いていたが、姿を現さないのならこのまま燃やしてしまうまでだ」
なんでございましょうか炎龍さん、いえ炎龍様。
私はすぐさま蔓の繭を解いて、蕾を開かせます。
ごきげんよう、ドラゴンさん。
やっぱり大きいですね。そして体がめちゃくちゃ燃えていましてよ。
灼熱に燃えて光り輝く尻尾も眩しい。
かなり圧迫感があるね。
スケール的にも、炎的にも、そして存在の強さ的にも。
炎龍が私の姿をじっくりと観察する。
地面に伸びている蔓、丸くて大きな球根、赤くて綺麗な花冠、そして雌しべである人の姿の私。
「なるほど、たしかに美しいアルラウネだ」
どうしよう。
炎龍に褒めてもらっちゃったよ。
意外と良い奴なのかな。ちょっと嬉しい。
「ごき、げんよう」
とりあえず挨拶をしましょう。
燃やされてしまわないよう、少しでも仲良くならなければ。
炎龍が小さく頷きながら大きな口を動かした。
「いや、ここまで美しくも可憐な植物モンスターは初めて見た。持ち帰って我が家の観葉植物にしたいと思えるほどにな」
うそ、ドラゴンの観葉植物?
そういえばミノタウロスにも似たようなことを言われた気がするね。
もしかして私、かなり大人気?
「蜜が旨そうとのことだったが、たしかにとても良い香りがしてくる」
こ、これはまさかのデザート兼愛玩用の観葉植物コースなの?
ミノタウロスの時は抵抗してやろうという気概が私には残っていた。
ミノタウロスなんかに隷属して、蜜を舐められ続ける人生なんて絶対にごめんだったからね。
でもこの炎龍相手には、そんな反抗精神は既に灰となって霧散してしまっていた。
まともに戦っても、私では勝ち目がないからね。
この大きさじゃ毒花粉を吸わせたとしても、効き目は薄いでしょう。
となると毒蜜という手があるのだけど、どうしよう。
さすがの毒蜜でも、この巨体のドラゴンを一口で死に誘うことができるかというとちょっと不安だね。
ということは、少しずつ毒で冒していくことが無難かも。ただしそのためには、私はこの炎龍にいくどとなく舐められてしまうはめになるのだけど。
捕まって舐められることさえ我慢すれば、たとえここで炎龍に囚われの身となっても、いつかは倒すことができるかもしれない。もしかしたら、また私が生きる道は残されているかもしれないよ。
炎龍が覗き込むように、私に顔を近づけてくる。
そして鼻から大きく息を吸った。
私の腰から生えている赤い花冠が風圧によってひらひらと揺らめいた。
「なるほど、瞳から蜜が零れているのか。其方の見た目は我の好みだが、蜜はさらに我を楽しませてくれそうな匂いがする」
炎龍の口から大きなよだれが落下した。
地面に付着したよだれはそのまま発火し始める。
なんて恐ろしいよだれなの。
って、ちょっと待って。
よだれなのに燃えているのですけど。
てことは、私がこの炎龍に舌で舐められたら、私燃えちゃうんじゃない?
そんな恐ろしいペロペロがこの世に存在していたなんて……。
それじゃ蜜は一口しか食べられることはないよ。
炎龍を毒蜜で倒すこともできなければ、私が生き残ることもできない。
やっぱり炎龍のデザート兼愛玩用の観葉植物にはなりたくないね。
「だが不思議だ。其方がディックコプフを倒したというのはにわかには信じられぬ」
え、今なんとおっしゃりました?
ディックコプフ?
なんなのその言葉。
全く聞いたことないのですが。
会話の流れ的に、もしかして名前のことかしら。
そんなお方、存じ上げてはいないのです。もしかしてなにかの間違いではないでしょうか、炎龍様。
「人、違いです」
私は花ですけど。
「そんなことはない。部下のミノタウロスが報告しにきたのだから間違いはないであろう」
部下のミノタウロス!?
もしかして、あのミノタウロスのリーダーだった眼帯ミノタウロスのこと!?
あの眼帯ミノタウロス、そんな名前だったんだ。というか名前があったんだね。
いや、私が知っているわけないよ。
だって自己紹介とかしないで舞踏会が始まったからね。
だから私が眼帯ミノタウロスの名前を知っていたほうがおかしいって。
それに魔族の名前は独特でよくわからないよ。
あのミノタウロスたちの知り合いということは、やっぱりこの炎龍は魔王軍ということかな。ちょっと大きさも強さも規格外すぎてびっくりだけど。
ということは、もしかしてディックコプフさんこと眼帯ミノタウロスが最後に呟いていた「グリューシュヴァンツ様」って、この炎龍のことじゃないの?
お名前から強そうなお方だとは推測していたけど、ここまでとは想像が足りませんでした。
というかミノタウロスの上司が炎龍って間飛ばしすぎじゃない?
もっと中間管理職の魔族いるでしょ。
なんでいきなり社長みたいなお方がやって来てんのさ。
だってさ、どう見ても私たち勇者パーティーが倒した魔王軍の幹部より強いんですけど。
本当、どなたなんですか。
幹部なのは間違いないと思うけど。
私、そんなお偉いお方に来られてしまったら恐縮してしまいますの。
わざわざ当方までお越しいただきありがとう存じます。
ミノタウロスのディックコプフさんでしたっけ。
彼ならここにはおりませんよ。
たしかあっちのほうへ行きました。
部下のミノさんたちと一緒に、どこかへ去っていったのです。
だからここにはいませんよ……?
だってわたくし、ミノさんたちなんて食べてなんかいませんからね。
牛肉よりも熊肉のほうが好みでしての。
「せっかくこの森まで来たのだ。勿体ないが致し仕方ない。ついでに一仕事して行こう」
お仕事ですか。
ご苦労様です。
ちょっと気になるのですが、私には関係ありませんよね……?
「逃げ帰って来たミノタウロスから全てを聞いた。お前は我の部下であるディックコプフの仇である」
────へ?
「ゆえにここで死んでもらおう」
炎龍が口に炎を蓄えだした。
あれ、私、もしかして仇討ちされようとしていない?
しかも全部知られているし。
誤魔化すことはできないみたい。
あの後詰めミノタウロスから情報が漏れたのね。まさかミノタウロス一匹逃がしただけでこんなことになってしまうなんて…………。
「ご、ご慈悲は、ないのですか?」
「我は大事な部下を失った。そのため其方の命を持って償ってもらおうことで、あやつの無念を晴らそう」
なに、この仲間想いのドラゴンは!
魔王軍ならもうちょっと悪い感じでいてよ。
わざわざ仲間のために私を探しに来ないで、もっと遠くで暴れていてよ!
「さらばだ、美しき花の魔物よ」
炎龍様。
私、まだ死にたくないです。
炎に焼かれて灰にもなりたくないのです。
なんだったらデザート兼愛玩用の観葉植物になっても良いです。
毒蜜だって封印します。
だからですね、お願いいたします。
どうか、どうか────
お、お許しをぉおおおおおお!!
お読みいただきありがとうございます。
次回、どうか私をその大きな舌で舐めてくださいませです。







