324 今だけは妹として
私、植物モンスターのアルラウネ。
だけど、今だけは元聖女のイリス・エーデルワイスとして、姉のトゥルペと再会しました。
トゥルペに抱擁されたことで、これまで私の中につっかえていた塊が、春の日差しを受けた氷のように解けていく。
この心地良い気持ちは、いったいなんだろう。
久しくこんな気分は味わったことがなかった。
魔女っこと一緒に抱き合った時とも、何か違う。
いったい何だろうと思ったところで、トゥルペの腕が動いた。
「イリスちゃん……本当に、生きてきて良かったですわ」
けれども姉の腕は、私の頭の手前でピタリと止まる。
その瞬間、昔の記憶がよみがえります。
私とトゥルペは姉妹とはいえ、母親が違う腹違い姉妹。
しかも出会った時には、すでに私は11歳だった。
かたや、生まれながらにして公爵令嬢の聖女。
かたや、平民の血を身に宿す公爵令嬢になったばかりの私生児。
いくら私たちが仲の良い姉妹になったとはいえ、幼少の頃から一緒に育った本当の姉妹とは、少しばかり関係が違った。
耳飾りをプレゼントをしあう仲ではあったけど、物心つく前から一緒に育った姉妹というわけでもない。
貴族の姉妹としての関係は育んできたつもりだけど、私と魔女っこのように濃密な関係は築いていなかった。
だからトゥルペに、妹として甘えたことも、ほとんどなかった。
「ねえ、トゥルペ……?」
「……なんですの?」
先ほどのトゥルペの行動。
その意味を悟った私は、こちらから甘えることにしてみます。
「ちょっと、お願いが、あるんだけど……」
「イリスちゃんの頼みなら、なんだって叶えてみせますわ! また公爵家に住みたい? それとも聖女としての名声を取り戻したい? エーデルワイス公爵家の全権力を以て、その願いを叶えてみせます! なんだったら、またイリスちゃんとしてここで生活しても……」
「そんな難しい、ことじゃない。もし私のことを、まだ妹だと思って、くれているなら……頭を撫でて、くれない?」
「……っ! そんなこと……お願いされなくとも、いくらでも撫でてさしあげますわっ!」
柔らかく、そして優しい感触が、私の頭に触れる。
撫でられたその感覚からは、トゥルペの愛情が感じられた。
妹として、姉に甘える。
イリスであった頃は、ここまで堂々と甘えたことは一度もなかった。
でも、聖女でなくなって、人間でもなくなったせいかな。
アルラウネとなったことで、それまであったプライドとか貴族的な立場とか、そういった邪魔なものが完全に消え失せている。
今だけは、妹としてここにいられる。
その安心が、私に幸福感を堪能させていた。
「私……トゥルペがお姉ちゃんで、本当に良かった」
「イリスちゃんが、わたくしのことを『お姉ちゃん』と呼んだ!? これは……夢? わたくし、感動いたしましたわ!」
同じ血を分けた兄弟だとしても、命を奪い合っている人たちもいる。
この国の第一王子と、第二王子である勇者は、王位を争って対立していた。
そういった血なまぐさい兄弟関係だってあるのに、私はこうして家族に受け入れられた。
人でなく、モンスターになったのにもかかわらずだ。
どれだけ私がトゥルペに感謝しているか、わからないだろうね。
こんな姿になっちゃった自分のことを、また受け入れてくれるか……本当に心配だったんだから。
「ですが、本当に信じられませんわ! まさかイリスちゃんが、本当に生きて戻ってくれるなんて……無事で良かった……あっ」
トゥルペが、しまったというような顔をした。
私の下半身を見ているのだ。
腰には赤い花びらが広がっており、その下には葉緑素いっぱいの葉っぱ。
さらに下は、ふっくらとした球根がたたずんでいる。
しかもその球根には、もう一つの口までできているのだ。
人間的には、こんな姿になってしまった人のことを『無事で良かった』と言うのには、ちょっと疑問があるよね。
しかもそれが家族で、妹ならなおさら。
気まずい空気になる前に、なんとかしないと。
「大丈夫! この体、見た目以上に、すごいんだよ! 燃えても、切られても、何度でも再生するし、光合成も気持ちいいし、根から水を吸収するのもおいしいし、いまはすっごく、気に入っているんだから!」
「そ、そうですか……? まあイリスちゃんがそういうなら……」
あ、ダメだ。
トゥルペが泣きそうな目になっている。
これ、私が何を言っても、不憫な妹を見る姉という状況になっているね。
私が見栄を張っているようにしか見えないよ。
とりあえず、いったん話をそらせよう。
「トゥルペは、私の正体が、イリスだって、疑っていたよね? いつから、そう思っていたの?」
「昼間、イリスちゃんはお庭でこうおっしゃっていましたね。『私はこのエーデルワイスの街とは、無関係じゃない』と」
「やっぱり、あの時かー」
「あの言葉が妙に引っかかっていたのです。それに……そもそもアルラウネの顔は、イリスちゃんとそっくりだったわけですから」
「それで余計に、怪しいと思ったんだね」
私がその言葉を言ったのは、トゥルペと再会した瞬間だったはず。
つまり再び顔を合わせたときから、姉は私のことをイリスではないかと疑っていたわけみたい。
「それに、街を森で包んでしまうような規格外なこと、イリスちゃんならやってしまいそうだと思ったのですわ」
「……私、そんなことしないよ」
「いいえ、します! いつも驚くような光魔法を使って、みんなを驚愕させていたのはどこの誰ですか? まったく、困った妹を持ったものです」
そう言うトゥルペの顔は、見たこともないくらいほころんでいた。
「必死にエーデルワイスを守ろうとする姿も、かつてのイリスちゃんと重なっておりました。ただの旅のアルラウネがする行動には、違和感がありましたわ」
「エーデルワイスは、イリスの故郷、だから……」
「だとしても、街を森に変えてしまったのは、やっぱりどうかと思いますわ」
「それに関しては、本当にごめん、なさい……」
「……もうっ! 死んだと思っていたイリスちゃんがこうして帰ってきたのですから、謝ることは何もないですわ。おかげで街は救われ、死者もゼロ。街が森になったのと引き換えとはいえ、奇跡のような成果です!」
街を森にしちゃったのは、ちょっとやりすぎちゃったね。
やっぱりきちんと剪定をして、人が住める環境しないとヤバそう。
後でしっかり綺麗にしておかないと。
「まったく、お父様が街に帰ったら、驚いて腰を抜かしてしまいますわ!」
「……お父様」
「イリスちゃんも、お父様たちが戻ってくるまで、エーデルワイスにいるのですわよね?」
「そ、それは……」
「きっとお父様たちも、イリスちゃんと会ったら喜ぶにきまっていますわ! たとえアルラウネになったとしても、わたくしのように受け入れてくれます。だから安心してください!」
トゥルペは、私がお父様たちと再会することを不安に思っているんだと、勘違いしたみたい。
それもあるんだけど……私はこのまま、エーデルワイスにいるつもりはない。
「ごめんなさい。私は、ここにはいられない」
「……ど、どうしてですか? せっかく家に戻ったというのに」
「私には……仲間がいるから」
魔女っこのルーフェ。
妖精のキーリに、妹分のアマゾネストレント。
私から生まれたマンドレイクだっている。
今の私には、仲間とでもいうべき、新しい家族がいるのだ。
「そういえば、あの獣耳族のルーフェさんは、ずいぶんとイリスちゃんを可愛がっていたようですわね」
「ルーフェは、私にとっても、大切な存在だから……」
「…………わかりました。妹が姉離れしてしまったのは悲しいですが、それよりもアルラウネとなったイリスちゃんを受け入れてくれた方がいたことに、姉として感謝いたしましょう」
魔女っこと出会わなければ、今のアルラウネはいない。
きっとあの森で、一人で空しく枯れていただろうね。
「ですが、せめてこの耳飾りだけは、イリスちゃんにお返しいたしますわ」
「ううん。私はもう、この街にはいられない。だから……この耳飾りも、トゥルペが持っていて」
トゥルペの手のひらにある、アヤメの耳飾り。
蔓を使って、耳飾りごとトゥルペの手を握らせる。
「イリスは一度、死んだ……だから、今のアルラウネは、もうその耳飾りを、持つわけにはいかない」
「…………」
「それに、トゥルペがイリスの、耳飾りを持って、いてくれると、嬉しい。私たちが今も姉妹である、証しとして、預かっておいて、くれない?」
「イリスちゃんは、もうイリスとして生きるつもりは…………ないのですね」
「うん……私はもう、アルラウネとして生きるって、決めたから」
しんみりとした、静かな時間が二人の間を流れていく。
背後の扉から、いつ誰が入ってくるかわからない。
魔女っこが、今にも戻ってくるかもしれなかった。
おそらくこの姉妹の時間は、そう長くは続かない。
この部屋を出たら、次に姉妹として再会できるのはいつになるかわからなくなる。
もしかしたら、二度と来ないことだってあった。
だからこそ、この瞬間を大切にしよう。
いつまで続くかわからないこの時間のことを、記憶の宝箱に大事にしまう。
きっと私は、この時のことを生涯忘れない。
そう思える確信があった。
沈黙が続くなか、廊下から誰かの足音が聞こえた。
魔女っこが、私を呼ぶような声も聞こえた気がした。
けれどもそれらの声は、他の誰かの声にかき消され、遠くへ離れていく。
この部屋に誰も近づかないよう、トゥルペが事前に手を回していたんだろうね。
再び周囲が静かになったところで、トゥルペが大きく深呼吸をした。
そして覚悟を決めたような目つきで、私に尋ねました。
「それで、話してくれますよね?」
「……なにを?」
「イリスちゃんに何があったのかを、わたくしに教えてくださいませ!」
次回、イリスちゃん観察記録帳 No.58です。







