310 エーデルワイスの聖女 その1
私、植物モンスターのアルラウネ。
昔は聖女と呼ばれて、国のみんなから慕われていました。
そんな私は現在、故郷であるエーデルワイスの街を森で覆い尽くしています。
「なんだか、大変なことに、なっちゃったね」
街で暴れる壺ゴーレム100体を止めるために、私は大森林の支配権を使って地面から一斉に樹木を生やした。
『絞め殺しの木』として有名なガジュマルは、エーデルワイス公爵邸から街のほうへと広がっていく。
ガジュマルは亜熱帯から熱帯地方に分布するクワ科の木のことで、幹や枝から垂れ下がる気根が複雑に絡み合い、独自の樹形を作ることで知られている。成長したガジュマルが他の樹々を覆い尽くし、その様子から『絞め殺しの木』として呼ばれ、ジャングルのような景色を生み出すことがありました。
そんなガジュマルの気根が、エーデルワイスの街の建物に絡みつき、次々と呑み込んでいく。
一瞬のうちに、石造りの街が巨大な森に変貌していきました。
遠い公爵邸の庭から、見ていてもわかる。
これ、ちょっとやりすぎちゃったかも……!
ガジュマルの森が街を侵略していく光景を目にした公爵代理が、呆然としながら口を開きます。
「エーデルワイスの街が、森になっていく!? これ、本当に計画通りなんですの!?」
「……もちろん、ですよ。すべて、私の計画通りに、進んでいるので、安心してください」
姉であるトゥルペの視線が痛い。
確実に、私のことを疑っているよね。
ふと、幼少期のイリス時代を思い出す。私が聖女として領内の病人を治しに治しまくっていた際、トゥルペはこうして私のことを心配してくれたことがあった。
まだ子どもだったこともあって、私は光魔法の使い過ぎと睡眠不足によって、あとで体調を崩してしまったんだよね。
あの時、トゥルペは「やっぱり!」と頰を膨らませて私のことを叱っていた。つい、その時のことを思い出してしまう。
姉はいつも、私のことを心配してくれた。
だからアルラウネの正体がイリスであったとしても、きっと手を広げて受け入れてくれるはず。
そうは思うんだけど、現在進行形でエーデルワイスの街を森にしてしまっている手前、ちょっと言いだしにくいよね。やっぱりこのまま、私の正体については黙っていよう。
「すべて作戦、通りなので、これから街に、行ってきます」
「街へ!? 歩けないのにいったいどうやって……?」
「私は、木の根を通じて、別の場所に、体を生やすことが、できるんです」
もう完全に聖女の発言ではないけど、植物生活が長い私にとっては慣れたものだよね。とはいえ、イリス時代の家族の目の前で、こういうことを言うのはまだ抵抗あるかも。
でも、いまはそんなこと言ってる場合じゃない。
私がエーデルワイスを守らないと!
「じゃあ、ちょっと、行ってきます」
蕾を閉じながら、姉の顔を見る。
最後に「行ってきます」とトゥルペに言ったのは、何年前だったかな。
あのときは、二度と「ただいま」とは言えなかった。
だけど、今度は大丈夫。必ず仕事をやりとげて、ここに戻って来るから。
街へと伸びたガジュマルに分身アルラウネを生やす。
そして体を転移させる瞬間──蕾の外から、姉の声が聞こえた。
「いってらっしゃい……きちんと、帰ってくるのですよ」
「…………うん」
──転移。
目を開くと、そこはガジュマルに覆い尽くされたエーデルワイスの街の中心街でした。
公爵邸から見えていた以上に、街は森に変わっていた。
これ、いったい誰がやったの?
本当に私がやったのかな。ちょっとガジュマルを伸ばしたつもりくらいだったんだけど、思っていた以上に私の力は進化していたのかも。
そういえば今の私は、闇の女神ヘカテの力を吸収して、白色のアルラウネになっていた。女神の力の影響もあって、とんでもないくらい出力が上がっていたみたい。こりゃ困ったね。
でも、大丈夫。森は、いいものですよ。緑って目に優しいし、とっても素敵だよね。
むしろエーデルワイスの街には、緑が足りなかったんだよね。私はそこに、一滴の緑を生やしてあげただけ。緑化計画ってやつだね。
きっと街のみんなも、緑が増えて喜んでくれているはず……。
「街が森になったぞ! いったい何が起こってるんだ!?」
「あの樹、動いてるぞ。まさか新種のモンスターか?」
「あぁ、家が木に覆い尽くされていく……」
「みんな逃げろ! 街の外れはまだ無事みたいだぞ!」
「あの立派だった公爵邸が、ジャングルみたいになってる。この街も、いずれああなるのか……」
「あっちの通りで、壺が暴れてるぞ! どうなってるんだこの街は!?」
「天変地異だ……女神セレネ様、お助けください……」
うーん。やっぱり、思っていた以上に大事になってるね。
これくらいなら、『塔の街』であれば大騒ぎにならないはずなんだけど。あの街の人は、私の行動に慣れていたし。
でもエーデルワイスのみんな、安心して。ガジュマルは人を襲わないから!
実際、このガジュマルのせいで怪我をした人は、誰一人としていないはず。被害は、街の景色がちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、変わっただけだから。
「まずは、壺ゴーレムを、なんとかしないとね」
隣の通りに分身アルラウネを生やして、転移する。
目を開けると、壺ゴーレム数体が街の人を襲っているところでした。
「みんな、伏せて!」
人を襲おうとしていた壺ゴーレムに向けてガジュマルを伸ばし、締め付けて破壊する。さらに爆発しそうになっている人の前にガジュマルの壁を作って、身を守ってあげる。そのうえで私は残った壺ゴーレムをガジュマルで叩きつけて、粉々にしました。
ふう。これで一安心。
次は、壺ゴーレムに殴られて倒れている人の安否確認をしないと。
「大丈夫、ですか?」
「いたた……大丈夫です…………え!? 木から人が生えてる!?」
いまの私は、ガジュマルの木から人間部分の上半身だけを生やしている状態です。
街にガジュマルを広げた結果、地面から体を生やさなくても分身アルラウネを生やすことができているの。おかげで、いまの私は上半身だけで事足りているのだ。
しかも下半身の球根がないこともあり、いつもみたいに怖がられてはいないみたい。下の口は、ちょっとやんちゃな見た目をしているからね。
「頭から、血が流れて、いますね。これを、飲んでください」
「その甘い香りと色は、まさか聖蜜!?」
「はい、口を開けて……あーん」
私は蔓を使って患者さんの口を開き、続けて蜜をたっぷり付けた蔓を患者さんの口内に突っ込みます。
ゴクリと蜜を飲み込んだ音が聞こえる。彼の頭の傷は、綺麗さっぱり治っていきました。
「これで問題、ありません。もう大丈夫、ですよ」
「傷が治った!? なんて甘くて、美味しい味なんだ! しかも蕩けるような気分に……もっと蜜が、蜜が飲みたい……」
とろんとした表情になっているその人に、ニコリと笑みを向けます。
エーデルワイスにいるせいか、つい聖女イリス時代にしていたように、患者だと思って優しく対応してしまった。
「そのお顔……ま、まさかあなたは……!?」
私が助けたその人が声を上げたのと同時に、街に広がったガジュマルの感触から、他の場所で暴れている壺ゴーレムを感知します。
この場はもう安全のはず。私は次の場所に転移しました。
──転移。
「なんなんだ、あの手足が生えた変な壺は!」
「騎士様でもあの壺を倒せないなんて……」
「おい、見ろよ! 樹から人が生えてきたぞ!」
「暴れる壺の次は、上半身裸……いや、半裸の女が樹から生えてくるって、本当に何が起こってるんだ!?」
「というかあのお顔、どこかで見たことあるような……」
「すごいぞ! 樹が壺を壊したぞ!」
「あの頭に花を咲かせた女が、樹を操っているのか?」
「なんて強さだ……それに、美しい」
「倒れた騎士様を助けてる……あの女、敵じゃないのか?」
「もしかしてドリュアデスの森にいるっていう、精霊ドライアド?」
「いや、そんなことより……あのお顔ってもしかして……」
──転移。
壺ゴーレムを破壊し、倒れた街の人たちを治療し終えた私は、次の現場へと転移します。
そうして再び、壺ゴーレムを倒して、怪我人を治療する。
それを繰り返し、次々と場所を移動していきます。
転移して人を助けるたびに、少しずつ街の人たちの反応が変わっていった。
樹から上半身を生やしている私に怯える人は減っていき、むしろ尊敬の眼差しを向けられることが次第に増えていく。
そして十五回目の転移で、壺ゴーレムの爆発に巻き込まれた人の治療をしました。
あのまま放っておけば命はなかっただろうけど、私が駆け付けたからにはもう安心。
私の蜜を飲ませると、患者さんの千切れた手足が再生していきます。爆音に気づいてすぐに転移したかいがあったというものだね。
そんな一仕事を終えた私を、数十人の人間たちが取り囲みます。
「すごい、あの怪我を完全に治したぞ!」
「絶対、もう助からないと思っていたのに……」
「樹から生えている女が怪我人を治して回っているって噂は、本当だったのか」
「こんな神秘的な光景を見たのは、あのお方以来だよ」
「あれ、あなたのその顔って……」
その瞬間、周囲の人の視線が、私の顔に注がれるのがわかりました。
みんな私の顔を見たまま、硬直している。
そして、誰かが小さく声を上げました。
「え…………聖女、さま?」
ガジュマルは観葉植物として育てることもできます。ふっくらとした見た目が可愛らしくて、個人的にとても気に入っていたりします。
次回、エーデルワイスの聖女 その2です。