306 勧誘するアルラウネ
スフィンクスのクスクスさんは、闇の女神ヘカテの魔力に体を蝕まれていた。
そんな彼女を助けるために、私は『生命吸収』で闇の女神ヘカテの魔力を吸収しました。
「クスクスさんは、もう大丈夫、ですよ。だから安心して、ください」
「ど、どうなってるの!? 死んだと思ったのに、完全に治っちゃってるんだけど!!」
瀕死の状態だったクスクスさんが、勢いよく体を起こします。
すっかり元気になったみたいだね。
患者を治療して、笑顔にしてあげる。
聖女時代からそうなんだけど、患者さんに喜んでもらえると、つい私も嬉しくなってしまう。
「えぇ!? し、信じられない……命を代償に力を与える薬だったのに、それを治しちゃうなんて、アルラウネちゃん…………あなたはいったい何者なの!?」
「私は、ただのアルラウネ、ですよ」
元聖女のアルラウネだけどね。
「ううん、アルラウネちゃんはただのアルラウネなんかじゃないよ! とんでもなく美味しい蜜を出すし、この規格外の治療の力………まるで塔の街の紅花姫アルラウネみたい!」
クスクスさんが、私の顔をじーっと見つめてくる。
その紅花姫アルラウネっていうのは、私のことなんだよね。
「だけど、アルラウネちゃんは紅花姫アルラウネとは違う個体だよね? だって紅花姫アルラウネは大人くらいの大きさだっていう話だけど、あなたはまだ子どもだし……って、んん? なんかアルラウネちゃんの体が、大きくなっている!?」
闇の女神ヘカテの魔力を吸収したことで、私の変化が起きました。
光合成をした時と同じように、私の体が急激に成長する。
まず最初に下半身の球根が巨大化し、緑色の葉っぱと一緒に花冠が大きく広がりました。
同時に、人間部分も子どもから大人へと育っていきます。
急激に胸が膨らんだので、きつくなった胸元を蔓で巻き直します。
勝手に体が成長するこの感じ、いつ以来だろう。
最近はずっと子どもの姿だったけど、久しぶりに大人の姿になっちゃったね。
そして私の体が大きくなったことに驚いた壺ゴーレムが、鉢植えごと私の体から離れました。
あのまま一緒に合体したままだったら、きっと壺は割れていたはず。
あの壺ゴーレム、きちんと危機管理能力がついてるんだね。
「う、うそ……アルラウネちゃんのその姿、まるで紅花姫アルラウネみたい……!」
「……気のせい、ですよ」
「いやいやいや! いきなり大きく成長するアルラウネなんて聞いたことないし!」
「実は私、成長期なんです」
「それにしたって、急すぎでしょう! それにその大人の姿に、赤色の花冠は完全に紅花姫アルラウネと一緒…………って、ええぇええええ!?」
再度、クスクスさんが大声をあげます。
しかも私の腰の辺りを、目を見開きながら凝視している。
「さっきまで赤かったアルラウネちゃんの花が、白色になってるんだけど!?」
「あ、本当だ。真っ白に、なっちゃって、ますね」
「な、なんでぇ!?」
いまの私は、魔女っこを助ける際に闇の女神ヘカテの力を吸収した反動で、夜の間は色が白色に変わるようになっている。
そして私は、クスクスさんを助けるために、再度闇の女神ヘカテの力を吸収した。
その反動で、まだ夜ではないのに花冠が白色になっちゃったみたい。
しかも花冠だけではなく、髪の色も黄緑色から純白へと変わりました。
闇の女神ヘカテの力を吸収した、夜の私バージョンだね。
だけど、肌の色は昼間のまま。
闇の女神ヘカテのように、いまの私は褐色にはなっていない。
まだ完全に夜になっていないから、中途半端な変身みたいになっているようです。
「本当にどうなってるの!? あなた、絶対に普通のアルラウネなんかじゃないよね!?」
「……いえいえ、私はただの、アルラウネですよ。夜になると、白くなる、体質なんです」
赤いドレスから、白い衣に衣替えをしただけですよ。
服を着替えられない私にとって、花の色が変化するのは気分転換になって楽しいんだよね。
動揺するクスクスさんに向かって、私は改めて声をかけます。
「それで……クスクスさん」
「は、はいぃ!?」
私が視線を向けると、クスクスさんは体を硬直させました。
新米兵士が上司に声をかけられた時の反応に、ちょっと似ている。
「クスクスさんは魔王軍の、任務で公爵邸を、襲ったんですよね?」
「そ、そうです……」
「もしも、まだ公爵邸を、襲うつもりなら、私が相手になり、ますよ」
ここは聖女イリスの実家だ。
これ以上暴れるようなら、容赦はしませんとも。
「…………あたいはこれでも、誇り高きスフィンクス族の一員。魔王軍の魔族として、任務は絶対」
「そう、ですか……」
せっかく仲良くなれたと思ったけど、仕方ない。
私が公爵邸を守りたい理由があるのと一緒で、クスクスさんにも事情があるだろうしね。
敵になるんだったら、この場で無力化させてもらうよ。
私が蔓を伸ばそうとした瞬間、クスクスさんが言葉を続けます。
「でも……あたいは上司に邪魔者扱いされて、捨て駒にされた。どうせもう死んだと思われているし、仮に戻ってもまた捨て駒にされて殺されるだけ…………」
命を代償にする薬を飲ませるような上司だ。
部下の命を軽く扱うのであれば、また同じことをしてもおかしくはない。
顔を暗くしているクスクスさんを見て、後輩の聖女見習いに裏切られた時のことを思い出します。
信じていた仲間に裏切られてひとりぼっちになる辛さは、よく知っている。
上司に見捨てられて捨て駒にされたクスクスさんが、かつての聖女イリスと重なる。
まるで自分を見ているようで、なんだか放っておけないね。
だから、つい自然と言葉が出てしまいます。
「なら、私と一緒に、くる?」
「え…………?」
「魔王軍なんて、やめて、森に来ればいいよ。そうすれば、もう自由だよ?」
「も、森……?」
アルラウネの森は現在、住民を募集している。
獣耳族たちも移住してきたし、いまさらスフィンクスが一人増えても問題ない。
「私の森に住むなら、私がクスクスさんを、守るよ」
「魔王軍を辞める……そんなの、考えたことなかった」
クスクスさんは考え込むようにうつむいて、真面目な顔になります。
私はそれ以上は何も言わずに、黙って彼女を見守る。
そしてしばらくすると、クスクスさんが顔を上げました。
「あたいは誇り高きスフィンクス族の一員。上司から受けた最後の任務も、命をかけてしっかりとやり遂げた。だから……もう、ちょっとくらい休んでもいいよね」
クスクスさんは、憑き物が落ちたようにすっきりとした表情になっている。
どうやら覚悟を決めたみたい。
「どうせ魔王軍に戻っても、上司に睨まれているあたいに命はないだろうし、そもそもアルラウネちゃんはあたいの命の恩人だからね。これ以上は敵対しないよ」
「じゃあ!」
「でも、条件があるよ……」
クスクスさんは私に近付くと、真剣な表情で告げます。
「さっき飲ませてくれたアルラウネちゃんの蜜……あの蜜がね、欲しいんだ」
「……私の蜜?」
「うん! アルラウネちゃんの蜜がね、どうしても飲みたくて体が抑えられないんだよ! あの蜜をくれるなら、森にだってどこだって行くよ!」
そ、そっか。
魔王軍を辞めてもいいと思えるくらい、私の蜜がそんなに欲しいんだ……。
公爵邸を襲おうとしたクスクスさんを平和裏に止めようと思って蜜を飲ませたけど、もしかしてちょっと飲ませすぎちゃったかな…………。
私は蔓に蜜を付けて、クスクスさんにプレゼントします。
犬のように尻尾を左右に振って、喜ぶ姿が目に入りました。
スフィンクスも嬉しい時は、尻尾が動くんだね。
こうして、スフィンクスのクスクスさんが森の一員となりました。
魔王軍からの亡命者ってところかな。
クスクスさんの身の安全を守る必要があるけど、獣耳族と一緒に保護してあげれば問題はないはず。
子アルラウネたちがたくさん生息しているアルラウネの森ほど安全な場所は、そうそうないはずだからね。
「あぁ~! この蜜の味、癖になっちゃう! あたい、こんなに美味しいもの、生まれて初めて食べたよ!」
「喜んでもらえて、良かったです……」
「人間を襲うことなんて、どうでもよくなっちゃうくらい幸せな気分! この蜜、最っ高だね! でも、アルラウネちゃん…………気になったんだけど、なんでアルラウネちゃんはそんなに人間の肩を持つの?」
「……え?」
「アルラウネちゃんは、魔王軍からこの人間の屋敷を守ろうとしているように見えるよ。でもさ、植物モンスターであるアルラウネちゃんとこの街は、なにも関係ないじゃん」
「か、関係は…………」
アルラウネとしての私は、エーデルワイス公爵邸とはまったく関係はない。
それでも私は、イリス・エーデルワイスとして生を受けて、この街の領主の娘として育った。
そんな故郷に、私は数年ぶりに里帰りをしている。
だからたとえ嘘だとしても、『関係ない』なんて口にはできない。
「私は……このエーデルワイスの街とは、無関係じゃない」
その瞬間、中庭から「え……?」という声が聞こえてきました。
クスクスさんの声ではない。
いつの間にか、中庭に誰かが迷い込んできたようです。
だけど、その声を聞いて驚いてしまう。
だってその声は、あまりにも聞き覚えのある声だったから。
振り返ると、中庭の入り口に、一人の女性が立っていました。
オレンジ色の髪で、歳は二十代半ばくらい。
絹のドレスを身に纏った彼女は、屋敷の主であることを象徴するような美しい装いをしている。
しかも最後に会った時と同じで、あのチューリップの耳飾りをしていました。
それでいて、どことなくイリスに似た雰囲気の顔つきをしている。
実家であるエーデルワイス公爵邸に来たから、いつかこうやって顔を会わせることになるとは思っていた。
それでも、クスクスさんに意識を集中しすぎたせいで、近づかれるまで気づかなかった。
私は彼女の名前を、心の中でつぶやきます。
──トゥルペ。
エーデルワイス公爵代理であり、聖女時代の家族。
血を分けたイリスの姉が、中庭から私のことを見つめていました。
次回、魔女っこ、はじめての部下を持つ その3です。