300 聖女イリスの家庭事情
トゥルペ・エーデルワイス。
公爵代理として街を任されているその者は、私の姉でした。
そのことが初耳だったのか、魔女っこが商人のシュペックさんに質問をします。
「聖女イリスに、姉がいるの?」
「はい。ただトゥルペ様は、そのう──」
「なに? 約束なんだから、ちゃんと情報を教えて」
「──とても言い辛いのですが…………トゥルペ様は、私生児であらせられるのです」
イリスはエーデルワイス公爵夫妻の一人娘として生まれ、長女として育った。
だけどある日突然、イリスは次女になった。
そう──家に、腹違いの姉がやって来たのだ。
「トゥルペ様はイリス様とは違い、母親が平民です。イリス様が王家と婚約されたのをきっかけに、エーデルワイス公爵家へと迎え入れられたようです」
私は長女として、エーデルワイス公爵家の跡取りとしての教育を受けてきました。
でも勇者である第二王子との婚約が決まったことで、エーデルワイス公爵家には跡取りがいなくなってしまう問題が発生した。
その解決策として、お父様が私生児の実子を我が家に連れてきたというわけ。
当然、お父様に隠し子がいるなんて寝耳に水だったわけで、エーデルワイス公爵家はひと波乱ありましたとも。
でもこの時代、高位貴族に隠し子がいるなんてことは別に珍しくはなかったこともあり、お母さまは私生児の子どもを我が家に受け入れる決断をした。
そうしてやって来たのが、私の一歳上であるトゥルペ。
私のほうが年下だったこともあり、いきなり私は長女から次女になってしまったというわけ。
てっきり私は一人娘だと思っていたから、かなりビックリしたよね。
そんな腹違いの姉妹である私たち関係は、あまり良くないと思われることが多かった。
何も知らない第三者からすれば、それは当然のことだと思う。
だけど私とトゥルペの関係は、実はそこまで悪くなかったのだ。
なにせ私は王都の聖女大聖堂に住み込みで修行をしているのに対し、姉のトゥルペはエーデルワイス公爵領で隠れるように生活をしていたからね。
接点が少なかったこともあって、トゥルペとは顔を合わせたことは数えられるくらいしかない。
それにトゥルペは、そのう──ちょっと変わったところがあった。
そういうこともあり、我がエーデルワイス公爵は平民出身のトゥルペを大歓迎して、貴族教育を施していったというわけ。
だからシュペックさんが、私の姉が私生児であることをなんで言いにくそうにしているのかわからない。
私がイリスとして生きていた時、エーデルワイス公爵領の民は、私生児であるトゥルペのことを受け入れていたはずなのに。
そんな私の疑問を、シュペックさんが説明します。
「将来嫁入りすることが決まったイリス様に代わって、トゥルペ様はエーデルワイス公爵家の跡取りとして婿を取る予定でした。ですがイリス様が亡くなった直後、その話は破談となったのです」
えぇええ、破談!?
たしかトゥルペは、侯爵家の次男を婿に迎える予定になっていたはずだけど……。
「王命によって、一方的に婚約破棄が決定しました。その後もトゥルペ様と婚約を結ぼうとする家は出てこず、その理由はトゥルペ様が私生児だからではと民は噂しております」
まさか、イリスが死んでからそんなことになっていたなんて……。
でも、ちょっと待って。
いくらトゥルペが私生児だからって、ガルデーニア王国有数の大貴族であるエーデルワイス公爵の婿養子になりたいという貴族令息はたくさんいるはず。
それに、トゥルペの母親は有名な踊り子だったこともあって、容姿はかなり整っていた。
認めたくはないけど、イリスよりもスタイルは良かった。
婚約者候補も選り取り見取りだったはずなのに、いったいなにがあったんだろう。
王命によって婚約破棄が決まったっていうのも、あまり聞いたことがないよね。
「他にも、噂ではエーデルワイス公爵家は王家に弱みを握られているという話があります。エーデルワイス公爵は、灯火の聖女ゼルマ様に頭が上がらないとか……」
ゼルマは、あの魔女王と繋がっていた。
ルーフェが魔女の里でゼルマの名前を聞いていたから、おそらく間違いないはず。
そのゼルマが、エーデルワイス公爵家にちょっかいを出してるってこと?
あのクソ後輩め…………私の婚約者であった勇者を寝取ってそのまま私を殺しただけでは飽き足らず、私の実家まで手を出そうとしているなんてね。
商人の噂になっているくらいなんだから、本当にゼルマがエーデルワイス公爵家の弱みを握っているのかも。
でもウチは脱税もしてなければ、違法行為もしていなかったはず。
それなのに、なんでお父様はゼルマに頭が上がらないんだろう?
でも、なんだろう。
なにか大事なことを忘れているような気がする……。
シュペックさんは、話を続けます。
「エーデルワイス公爵は、国王陛下にトゥルペ様の結婚をお許しいただけるよう、いろいろと根回しをしているようです。その一つが、聖蜜の献上でした」
そのため、エーデルワイス公爵は街の商会に聖蜜を大量に入手するよう厳命を下していた。
そんなときに私たちが聖蜜を持ってきたから、『ピルツ商会』は大喜びをしていたってわけね。
とりあえず、エーデルワイス公爵家の現状についてはわかりました。
思ったよりも、エーデルワイス公爵家はよくない状況にいるみたい。
姉のトゥルペの婚約破棄について、そして王家との確執について、ゼルマとの関係についてなど、いろいろと問題があるようです。
そうしてシュペックさんから話を聞き終わると、それまでずっと神妙そうな顔をしていた魔女っこが静かに顔を上げました。
そのまま、ゆっくりとシュペックさんに尋ねます。
「ねえ、ちょっと教えて欲しいんだけど」
「はい。なんでしょうか、ルーフェさん?」
「私生児って、どういう意味?」
もしかして魔女っこ──私生児の意味が分からなくて、話が途中で止まってた!?
たしかに私生児って言葉は、魔女っこは初耳だったかも!
唖然とするシュペックさんと私。
それでも優しいシュペックさんは、魔女っこに丁寧に私生児の意味を教えてくれたのでした。
その後、商談を終えた私たちに、シュペックさんは追加の情報を教えてくれます。
「これはまだ入ったばかりの情報なのですが、ガルデーニア王国西部の情勢がなにやらきな臭いようです。西部から人の流入が続いており、エーデルワイスは日に日に人口が増えています」
ガルデーニア王国の西部というと、山岳地帯がある辺りのはず。
聖女イリス時代にも何度か訪れたことがあったけど、西部でなにかあったのかな?
それから『ピルツ商会』を後にした私たちは、シュペックさんに紹介してもらった宿屋に泊ることにしました。
厩舎にウッドホースゴーレムを預けて、部屋へと向かいます。
この宿屋の一階は食堂になっていて、二階以上が宿泊用の部屋になっているみたい。
マントを被ってモンスターだとバレないように、私とトレント、そして妖精のキーリはなんとか二階にある宿泊室へとたどり着くことができました。
でも、一階で食事を取るのは不可能。
だから魔女っこにお願いをして、二階まで夕飯を持ってきてもらうことにします。
私たちには、『ピルツ商会』で得た大金がある。
お金を多めに払ったら、宿屋の人は快く受け入れてくれたのだ。
パンをかじりつく魔女っことキーリ。
対して私とマンドレイクは、鉢植えに水やりをしてもらいました。
あぁ、お水おいしい。
でも、そこで気が付いてしまいます。
トレントって、普段食事はなにを食べてるの?
「ねえ、トレント。あなたは、なにか食べないの?」
私の質問に対して、妹分であるアマゾネストレントは頭を左右にフリフリします。
そして、お腹をポンッと叩きました。
どうやらお腹がいっぱいだから、何も食べるつもりはないみたい。
いったい隠れて何を食べていたんだろう。
気になるな…………。
「それに、しても──」
このメンバーで、人間の宿屋に泊っている状況ってのが、かなり新鮮だよね。
アルラウネである私、魔女であるルーフェ、妖精のキーリ、妹分のアマゾネストレント、そして鉢植えのマンドレイク。
みんな森で生活することに慣れている面々だけど、その反面、人里での暮らしには誰も慣れていない。
思えば、随分と遠くまで来たものだよね。
塔の街があるアルラウネの森から出発して、エーデルワイスまで来ちゃったんだから。
しみじみとしていると、パンを食べ終わった魔女っこが私の葉っぱを引っ張ってきます。
「ねえアルラウネ。明日はどうする?」
「そうだね…………」
エーデルワイスは、魔王軍に狙われている。
あの野盗の正体が魔王軍であれば、近いうちにこの街を狙ってくるはずだ。
これまでエーデルワイスは、何度か魔王軍の侵攻を受けたことがある。
私が聖女イリスとして、街の防衛のために戦ったことだってあった。
でも、それはすべて小競り合いみたいなもの。
魔王軍の本隊がガルデーニア王国の内部まで来ることは、ほとんどない。
なぜなら魔王軍との前線は、国境沿いの西にあるからだ。
西南部の国境はマンフレート・トゥルムブルク辺境伯が守る『塔の街』が防いでいるうえに、西部には天然の要塞である山岳地帯が南北に伸びている。
しかも山岳地帯の手前には、ガルデーニア王国と友好的な関係を結んでいるケルバー公国だって存在しています。
小国ながら武力で名高いケルバー公国は、これまでずっと魔王軍の攻勢から国を守り続けてきた。
もしもエーデルワイスが魔王軍の本格侵攻を受けるとなると、西南部にある『塔の街』か、西部にあるケルバー公国のどちらかが陥落した時になる。
仮にどちらかが抜かれても、国境とエーデルワイスの間には城塞都市が存在しています。
それらすべてが陥落する未来が訪れるまでは、エーデルワイスが魔王軍に全面的に攻められることはないのだ。
そういうこともあって、エーデルワイスに近付いている魔王軍は少数精鋭のはずです。
これまでもずっとそうだったから、今回もおそらくそのはずだろうね。
私が神妙な顔をしていると、魔女っこがこうつぶやきます。
「ねえアルラウネ。明日のことなんだけど」
「もしかして、行きたい、ところでも、思いついた?」
「うん。わたし、エーデルワイス公爵代理に会ってみたい」
えぇえ、魔女っこ!?
まだエーデルワイス公爵に会うことを諦めてなかったの??
しかもエーデルワイス公爵は留守にしているから、この街には公爵代理しかいないっていうのに。
「公爵代理のトゥルペ・エーデルワイスって人は、聖女イリスの姉だって言ってた。わたし、聖女イリスの姉に会ってみたい」
「ルーフェ……」
目つきをみればわかる。
魔女っこの決断は硬いみたい。
「…………わかった。明日、エーデルワイス公爵家に、行ってみようか」
「うん!」
でもね、魔女っこ。
私たちは、あくまで旅の商人。
いくら公爵代理とはいえ、いきなり会いに行っても、会えるような立場の人じゃないんだよ。
だから先に、念を押しておきましょう。
「私たちは、公爵代理と会う約束を、してないんだから、あまり期待しちゃ、ダメだよ?」
「わかった」
しかし翌日。
意外なことが起きます。
エーデルワイス公爵家へと向かおうと準備をしていた私たちに、そのエーデルワイス公爵家からなぜか使者がやって来たのです。
使者は魔女っこに対して、こう言い放ちます。
「獣耳族の商人ルーフェを、エーデルワイス公爵代理のもとへお連れする!」
そう──イリスの姉であるトゥルペから、魔女っこに呼び出しがかかったのだ。
次回、魔女っこ、はじめての公爵邸訪問です。