295 獣耳族の商人ルーフェ
村長の家で夕食を終えた私たちを待ち受けていたのは、商売の話でした。
獣耳族の商人という設定になっている魔女っこは、村長と商談を始めます。
「我が村は麦しか取り柄のない、田舎の村でして──」
「……うん」
「いつも村に来てくれる行商人が謎の野盗に襲われて、仕事を休んでいるようで──」
「……うん」
「ルーフェさんがエーデルワイスまで麦を運べば、村の馴染みの商会があるので取り引きしてくれるはずで──」
「……うん」
「それで村の麦なのですが、これくらいでどうじゃろうか?」
「…………わたし、そんな大金は持ってない」
「では、足りない分は物々交換では、いかがじゃろうか?」
「…………わたしの商品は聖蜜しかない」
「せ、聖蜜!?」
「聖蜜ならたくさんあるから、あげてもいい」
「…………ええと、麦と聖蜜を交換してくれる…………いいえ、いただけるのですじゃ?」
「それでいいよ」
村長の顔が、鳩が豆鉄砲を食ったようになってる。
対する魔女っこは、まったくの無表情。
商売の知識がない私でもわかる。
これは素人同士の商談だ!
「──ではルーフェさん、そういうことで」
「…………わかった」
村長と魔女っこが握手をします。
商談がまとまったみたい。
どうやら私たちは村に聖蜜を提供して、村から麦を仕入れることになったようです。
うん、レートが凄まじいことになってるね!
いまや聖蜜は金のように超高価な物となっている。
それなのに、麦と同じ量の聖蜜を交換してしまった。
魔女っこの初めての商人デビューだったので何も口を挟まなかったけど、まあ初めてだったんだから仕方ないね。
それにこれは本当の商談ではあるけど、私たちは本当の商人ではない。
しかも他の商人であれば高額な聖蜜を仕入れる必要があるけど、その聖蜜の生産者は私だ。無限に聖蜜が出せるから、いくらあげても困ることはない。
この村にはお世話になったし、ちょっと多めに聖蜜をあげても問題ないのだ。
──それに、麦を仕入れられたのはラッキーかも!
この村の馴染の商会へ麦を運べば、そこで麦をお金に変えられる。
つまり、エーデルワイスの商会に伝手ができるというわけ。
エーデルワイスは、イリスの故郷。
実家であるエーデルワイス公爵家の情報を、その商会で仕入れることができるかもしれないよ!
ただ気になるのは、最近エーデルワイス周辺に野盗が出るという話です。
しかも村長曰く、その野盗は金品よりも食糧を狙っているらしくて、他の村の麦も襲われているとか。
エーデルワイスは大都市ということもあって、自警団だけでなく公爵家の騎士団も常駐している。
街の周辺の治安もかなり良かったはずなのに、野盗が出るなんて物騒だね。
まあ私たちであれば、野盗くらいなら怖くもなんともない。
たとえ道を野盗が塞いでいても、ウッドホースゴーレムが力ずくで突破できるからね。
だからこの村の麦は、私たちが責任をもってエーデルワイスまで運んでみせますとも。
商談がまとまった私たちは、村長の家の離れを借りました。
夜も遅くなったことで、離れの中は真っ暗。
明日も早いし、このまま寝ることにしました。
獣耳族のフリをしている魔女っこは、寝ている間も猫耳の変身を解かなかった。
私は魔女っこの猫耳を目の保養にしながら、蕾を閉じて眠りに落ちます。
翌日。
聖蜜と麦の交換を終えた私たちは、馬車に乗り込みました。
そして別れの挨拶をするために、村長が魔女っこに話しかけます。
「こんなにたくさんの聖蜜をいただけるなんて、村の代表としてお礼申し上げますのじゃ」
「ううん、これくらい別にいい」
「聖蜜は万病に効く万能薬にもなるという話、これで村の病人は救われますじゃ。それにしても、これだけ大量の聖蜜をどうやって手に入れたのですかな?」
「聖蜜を売るのがわたしの仕事。聖蜜売りは、わたしが始めた」
「ルーフェさんが、聖蜜を売り始めたのですか……!?」
「……そう、わたしが初代聖蜜売り。聖蜜がこれだけ有名になったのも、わたしのおかげ…………かも?」
そういえば、蜜を売ろうと最初に提案したのは魔女っこだった。
私の蜜が売られてしまうとわかったときは衝撃で開いた口が塞がらなかったけど、まさかガルデーニア王国中に広まってしまうとはね。
あの時はこうなるなんて、想像もできなかったよ。
だから魔女っこは聖蜜を売り始めた開祖で、有名にした張本人だっていうのは正しい。
ということは、魔女っこは『元祖聖蜜売りの商人』ってことだね。
聖蜜に関して言えば、最も由緒ある商人といっても過言ではないかも。
そんな魔女っこは、村長に紹介状を渡されます。
「これがあれば、エーデルワイスの街の検問もスムーズに済むでしょう。商会の方々も、ルーフェさんたちを無下に扱うことはないはずですじゃ」
私は魔女っこと一緒に、その紹介状を読みます。
それには、獣耳族の商人ルーフェがエーデルワイスまで麦を運ぶようこの村がお願いをしたことが書かれていました。
──うん、獣耳族の商人?
魔女っこが頭に生えている猫耳を押さえる。
そして小声で、私に囁きます。
「わたし、このまま獣耳族のフリを続けないといけないの?」
「紹介状に、書かれちゃったから、いまさら、辞められないね」
「そ、そんなぁ…………」
魔女っこの猫耳が、シュンと項垂れます。
これで魔女っこは、エーデルワイスの街でも獣耳族として振る舞うことが確定しました。
私としては、魔女っこの猫耳をまだまだ堪能できるわけだし、悪い話じゃないね。
最後に、村長がこう告げてきます。
「エーデルワイスに行くのなら、ワシの息子に会うと良いですじゃ。きっとルーフェさんたちの力になってくれるでしょう」
エーデルワイスでは、やることがたくさんある。
だから協力者が増えるのは、こちらとしてもありがたい話だね。
「ではルーフェさん、そしてアルラウネさんに妖精さんにトレントさん──お元気で」
「……村長も元気で」
こうして私たちは、村を後にしました。
ウッドホースゴーレムが引く幌馬車が、麦畑を進みます。
旅が、また始まったのだ。
私は馬車内の荷物を眺めながら、魔女っこに話しかけます。
「まさか、麦を仕入れる、ことになるとは、思わなかったね」
「…………うん。でも商人になったみたいで、ちょっと楽しかった……!」
魔女っこの表情を見ればわかる。
商人の気分が味わえて、楽しかったみたい。
たとえ村長との商談が交渉と言えるようなものでなかったとしても、魔女っこにとっては初めての商談に変わりない。
人見知りの魔女っこにしては頑張っていたし、相手の村長も悪い人ではなかった。
あの村に立ち寄ったことは、魔女っこにとっては良い経験になったはず。
魔女っこが少しでも成長できたと思うと、姉としても嬉しい限りだね。
「こういうのは初めてで緊張したけど、無事に商売ができた。わたし、もしかしたら商人の才能があるのかも……!」
「うんうん、そうだね。ルーフェは、すごいよ」
魔女っこの頭を蔓でよしよしと撫でます。
猫耳がもふもふしていて、気持ちいい。
「パンディア先生に勉強を教えてもらったおかげで、算数もできた。勉強したことが実際に使えて嬉しかった」
「うんうん、そうだね。ルーフェは、えらいよ」
どさくさに紛れて、魔女っこの尻尾を蔓で絡めます。
魔女っこが獣耳族の商人になったおかげで、猫耳も尻尾も触りたい放題。
村長には感謝しないと。
「…………ねえ、アルラウネ……ちょっと、くすぐったい」
そう恥ずかしそうにつぶやく魔女っこの顔があまりにもかわいかったから、つい蔓で魔女っこを抱きしめてしまいます。
人はかわいいものを目にしたとき、衝動的に抱きしめたいと思ってしまうことがある。
それをキュートアグレッションというけど、それは植物にも存在する現象みたい。
私が魔女っこを蔓で絡めとると、今度は魔女っこが私の鉢植えを抱きしめてきました。
そして、懐かしいことをつぶやきます。
「こうやって蔓と絡まっていると、アルラウネと森で野宿していたときのことを思い出す」
二人でドリュアデスの森に来たばかりのころは、着の身着のままの生活をしていた。
それがいまや、馬車を持って商人ごっこをしながら旅をしている。
人生、未来がどうなるかはわからないものだね。
それからしばらくの間は、平和な旅が続きました。
夜には小さな町に立ち寄って宿を取ったり、道端で野宿をしたりもした。
魔女っこも、初めての遠出を楽しんでいるようでした。
でも、ひとつだけ気がかりなことがある。
エーデルワイスに近付くにつれて、旅人から野盗の噂をよく耳にするようになったことです。
村長が言っていたことは本当だったみたいで、行商人だけでなく、近くの村の畑も荒らされているみたい。
しかも数日前は遠方にいたその野盗は、日に日にエーデルワイスへと近づいて行っているようでした。
まるで野盗の目的地もエーデルワイスであるかと思えるように、徐々に街に迫っている。
そうして目的地であるエーデルワイスがそろそろ目前になった頃。
噂の野盗が、私たちの前にも現れたのです。
エーデルワイスへと向かう街道を進んでいると、進行方向に馬車の行列が止まっているのが見えました。
私たちと同じで、エーデルワイスへと向かう商人の馬車みたい。
問題は、その馬車の行列が、何者かに襲われていること。
「ねえアルラウネ。もしかしてあれって、噂の野盗?」
「そうみたい、だね。でも、あれって──」
あの野盗。
ただの野盗じゃないかも。
次回、エーデルワイス公爵領です。