294 聖女イリスの話
たまたま立ち寄ったその村は、聖女イリス時代の私が13歳の頃に訪れたことのある場所でした。
村長がイリスの名前を呼ぶたびに、なんだか恥ずかしくなってしまう。
だって本人は、ここにいるんだから!
しかも、魔女っこもイリスのことを知りたがっているのが、余計にむず痒くなってしまう。
せめて魔女っこに聞かれなければ、もう少し冷静でいられるのに。
いったい村長は、どんな話をするつもりなの?
変な話じゃなければいいんだけど……。
そんな私の葛藤を知らない村長は、静かにイリスの昔話を語り始めます。
「この村があるのは、エーデルワイス公爵領。そして聖女イリス様は、エーデルワイス公爵の娘なのです」
「公爵令嬢ってこと? 聖女イリスは貴族だったんだ」
くっ……ついに魔女っこが、イリスが貴族出身だということを知ってしまった。
つまり、もしも魔女っこにアルラウネの正体が聖女イリスだということがバレてしまうと、同時にアルラウネが元公爵令嬢の貴族だったということも明るみになってしまう!
私は元公爵令嬢の聖女だったというのに、いまや半裸でアルラウネをやっている。
だから、もしも魔女っこにバレたらと思うと、恥ずかしい……!
森のアルラウネとして無知を装って子どものような振る舞いをこれまで何度もしたというのに、それをしていたのが元公爵令嬢の聖女だったなんて魔女っこに知られた日には、私は意気消沈してその場で枯れてしまうよ。
それとも、いまのうちに貴族らしい振る舞いをしておくべきかな?
でも今さら貴族らしい振る舞いをしても、もう手遅れなような……。
「エーデルワイス公爵はガルデーニア王国南部の大貴族。この数百年の間に、聖女イリス様以外にも、何人も聖女を輩出している、名門なのですじゃ」
エーデルワイス公爵家は、私の実家です。
この村がエーデルワイス公爵領になるってことは、なんだか里帰りをしようとしているみたいになっているね。
それに、アルラウネの森からたった一日でエーデルワイス公爵領まで移動したっていうのがビックリ。
さすがはウッドホースゴーレムだと褒めてあげたいけど、馬の何倍もの速さで走る木馬は怪しすぎるから、これからはスピードを落として移動したほうがいいかも。
「ワシが初めて聖女イリス様の名前を耳にしたのは、イリス様が5歳の頃でした。まだ聖女見習いであったにもかかわらず、領内ではすでに名が轟いていたのですじゃ」
「聖女イリスは子供の頃から有名だったの?」
「そうですじゃ。イリス様は初代聖女ネメア様の再来とも呼ばれ、5歳の時にすでに聖女に近しい力を持っていたという話でしたのう」
私は5歳の時、王都のエーデルワイス公爵家の屋敷から、聖女大聖堂へ通いで修行を行い始めた。
まさかその頃から、領内の農民たちにイリスの名前が知られていたなんて、初めて知った。
──こういうことは、誰も教えてくれなかったなあ。
私が聖女になって有名になるにつれて、こういったことを教えてくれる人は少なくなっていった。
それこそ私が聖女として担ぎ上げられるたびに、他の人たちは私をまるで女神を見るような目で崇めていく。
だから赤の他人である村長が、昔のイリスの話を忖度なく教えてくれるっていうのは、イリスであった私にとっては珍しいシチュエーションなのかもしれない。
「我々のような田舎の平民では、イリス様をお目にかかることはありませんでした。でもイリス様が11歳になられて正式に『聖女』として認定されたときには、周囲の村と一緒に祝福の祭りを開いたのですじゃ」
「なんでイリスと会ったことないのに、村長たちまでお祭りをしたの?」
「イリス様のお父上であるエーデルワイス公爵が、めでたいことだからとお喜びになられて、領内のすべての村に食糧と祝い金を配給したのですじゃ」
え、なにその話?
初耳なんですけど!!
私の聞き間違いでなければ、私が聖女になったお祝いに、領内すべての民がお祭りを開いたみたいなこと言っていたけど──いったい、どういうことなの!?
「イリス様は、エーデルワイス公爵領の民にとっても誇りなのですじゃ。ですから村をあげて、イリス様をお祝い申し上げた。エーデルワイス公爵も村々に支援をしてくださった。良いことずくめだったのじゃよ」
「エーデルワイス公爵は、領民想いの人だってこと?」
「それもあるじゃろうけど、ワシはきっとイリス様想いのお人なんじゃないかと思っているのう」
──まさか、お父様がそんなことをしていたなんて!
私は10歳の頃から聖女大聖堂に住み込みで修行していたこともあって、それからはずっと親元から離れて過ごしていた。
聖女になってからはそれこそ忙しくなってしまい、両親と親子としての会話をすることはほとんど無くなってしまった。
だから私が聖女になったことで、領内すべての村で祭りをするように命じるほどお父様が喜んでくれていたなんて、知らなかった。
──あれ、なんだろう?
胸の内側がジーンとしてきて、目から蜜が零れてきそう。
お父様は、いまも立派に政務を取り仕切っているのかな?
お母様は、相変わらず趣味に没頭しているのかな?
他の家族や使用人たちも、みんな元気にしているかな?
家族がどうしているのか。
アルラウネになってからずっと気になっていたことだけど、あまり考えないようにしていた。
私が家族のことを知る手段はなかったわけだし、もう二度とイリスとして顔を合わせることができなかったから。
それでも、こうやってエーデルワイス公爵領に近付いて、お父様の話を聞いてしまうと、無性に家族が恋しくなってしまう。
──会いたい、な。
会いたいけど、実際に会うとなると、話は変わってしまう。
私はもう人間ではない。
イリスであった面影も、顔つき以外はなくなってしまっている。
髪は眩い光のような金色ではなく、薄緑色になってしまった。
腰から下には花冠や葉っぱが生えており、その下には大きな球根がある。
その球根の口で、ご飯だって食べられるのだ。
さらに下には根っこが生えており、この根っこさえ残っていれば、私は何度だってよみがえることができる。
もう、完全に人間じゃない。
聖女になったイリスのことを喜んでくれた家族の話を聞いたいま、前以上に家族に会うのが辛い。
自慢の娘が植物モンスターになったことを知ったら、両親がどう思うのか、想像したくないからだ。
光魔法に目覚めたあの日から、私はずっと周囲から期待されて育ってきた。
失望されるのは、慣れていない。
だから家族と会うことは、私にはできない──。
「──そうして、聖女イリス様が13歳の時、我が村に立ち寄ってくださったのですじゃ!」
いつの間にか、村長の話はこの村での内容になっていた。
私が国内の村に立ち寄った際にすること。
それはいつも、決まっている。
「聖女イリス様は村の病人をすべて癒してくださいました。かくいう私も、聖女イリス様に肩こりと腰を治してもらいましたのじゃ。腰痛が酷くて農作業が辛かったのに、いまではこの通りですじゃ!」
村長はいまも、現役で農作業をしているという。
私は村長のような軽度な症状の人から重病人まで、村にいるすべての人間を治癒した。
それが聖女であるイリスにとって、やるべきことだと思っていたから。
「イリス様の光魔法は神秘的で、病はすべて治りました。村人はみんな大喜びでしてのう、それこそイリス様を崇めるような者まで出たのですじゃ」
村長は食卓に並んでいるパンを手に取りながら、話を続けます。
「ですから、イリス様がこの村にやって来られたことを後世に残すため、イリス様のお名前から頂戴して、パンをアヤメの形にすることを願い出たのですじゃ」
この世界でも、『イリス』は植物の『アヤメ』という意味がある。
だからこの村のパンは、アヤメの形をしているんだ。
──そうだよ、思い出した。
私がエーデルワイスにいる時、村の者から献上品が届いたことがあった。
アヤメの形をしたそのパンを、私は不思議に思いながら口にしたのを覚えている。
あれは、この村のパンだったんだ。
村長はそれからも、イリスについての話を魔女っこに語ります。
聖女イリスが第二王子と婚約した話、その第二王子が勇者となり魔王軍と戦った話、勇者たちが魔王軍四天王を倒したという話、そして──。
「6年前、聖女イリス様は亡くなられました。魔王軍との戦いで、命を落としたと聞いていますじゃ」
でも、それは事実ではない。
私が死んだ理由、それは──婚約者であった勇者と、後輩の聖女見習いであったゼルマに裏切られて、殺されたからだ。
「ワシが知っているイリス様の話は、これくらいですじゃ。誰もが知っている話ばかりで、あまり参考にはならなかったじゃろうか?」
「……ううん、わたしが知らないイリスの話もあった。話してくれてありがとう」
村長の話を聞いた魔女っこは、満足そうな表情をしている。
魔女っこは、どこまでイリスのことを知っているんだろう……。
「この先にエーデルワイスという大都市があるのじゃが、そこは聖女イリス様のお生まれになった街──そこにいけば、聖女イリス様のことがもっとわかるはずじゃろう」
「エーデルワイス……やっぱりそこにいけば、聖女イリスについてわかるんだ」
この村から王都に向かうには、エーデルワイスを通る必要がある。
それにエーデルワイスには、魔王軍の部隊が集結しつつある。
次の目的地は、もう決まったようなものだね。
話を終えた村長が一通の手紙を取り出して、魔女っこに渡します。
「皆さんがこれからエーデルワイスに行くのなら、この手紙を息子に渡してくれないかのう?」
「村長の息子はエーデルワイスに住んでるの?」
「出稼ぎをしているのですじゃ。エーデルワイスにある、アヤメのパン屋に行けば、息子に会えるはずじゃ」
「……わかった」
一宿一飯の恩があるからね。
魔女っこも断れなかったみたい。
「それとなのですが……ルーフェさんが商人なのを見込んで、商談のお話があります」
「…………え?」
村長さんにそう言われた瞬間、魔女っこの体が硬直しました。
魔女っこが商人のフリをしているのは、あくまで聖蜜を運んで王都に行くまでの方便。
実際に魔女っこが商人のように振る舞えるかは、別の話なんだよね。
だからほら、いきなり商人扱いされて、魔女っこも慌ててるよ。
「しょ、商談!? わたしが、商談??」
「はい、ルーフェさんは獣耳族でありながら珍しい商品を扱っているようですし、行商人として名高いとお見受けしましたのじゃ。ですから、この小さな村のために、是非ともお力添えをして欲しいのですじゃ」
さっきまで食事が並んでいたテーブルの上が片付けられ、代わりに書類が広げられます。
「それではルーフェさん、商談を始めましょうかのう」
「え…………え、え? ええええぇええ!?!?」
混乱する魔女っこをよそに、村長は話を続けます。
魔女っこの初めての商談が、いま始まろうとしていました。
次回、獣耳族の商人ルーフェです。







