293 聖女が泊った村
その村は、地図には載っているけど、名前が書かれていないような小さな村でした。
田舎の雰囲気が漂うそんな村で、魔女っこは猫耳を生やしたまま村人と出会ってしまった。
魔女っこは、村の女の子に指を差されながら、こう言われてしまいます。
「ねえ、なんで頭から猫耳が生えてる? もしかして猫なの?」
「こ、これは……そのう…………」
頭を隠しながらあたふたとする魔女っこ。
でも、いまさらフードを被っても遅いよね。
「ねえねえ、それって本物? もしかして人間じゃないの? その猫耳、触ってもいい?」
「…………あ、アルラウネ~!」
ぐいぐいと迫ってくる女の子の圧に負けたのか、魔女っこが馬車に戻ってきて私の背後に隠れました。
でも、いまの私は小さな鉢植えアルラウネ。
私の後ろに隠れても、姿は丸見えなんだよね。
魔女っこは人見知りが激しいし、こういうのが苦手だから仕方ない。
しかも『人間じゃないの?』とまで言われてしまうと、魔女として村人たちから魔女狩りにあった時のことを思い出してしまったのかもしれない。
だから優しくしてあげようと蔓で魔女っこの頭を撫でてから、私は正面の村人に向き直りました。
問題なのは、この女の子とそのお母さんにどう対応するかだ。
なにせ、私は人間でない。
鉢に植わった小さなアルラウネなのだから、警戒されてしまうはず。
まあとりあえず、挨拶から始めましょうか。
「ごきげんよう」
「……………………」
女の子とお母さんが、唖然としながら私を見つめている。
なんだか驚かせてしまったようで、ポカンと口を開いたままだ。
「あのう、私たちは、旅の商人でして、怪しい者では、ありません」
女の子とお母さんの視線が、私を舐めるように観察する。
その視線は次に、馬車で御者をしているアマゾネストレントへと移りました。
アマゾネストレントは「こんにちは」とでもいうように、右腕を上げながら小さく会釈をする。
この数秒の間、さっきまで魔女っこの猫耳にはしゃいでいた女の子からは一言も声が発せられていない。
大丈夫かな、これ?
そう思ったところで、追い打ちをかけるように馬車の奥から妖精キーリが飛んできた。
「やっと村についたの? はやく休みたいんだけどー!」
「…………え、妖精!?」
お母さんがキーリを見ながら、驚愕の声をあげた。
馬の形をしている動く謎の木馬、猫耳を生やした謎の少女、鉢植えに入った喋る謎のアルラウネ、御者をする謎のトレント、そして謎の妖精とまでくると、どう考えてもただの商人には見えない。
──これは間違いなく、怪しまれているよね?
どうしたものかと蔓を絡ませていると、魔女っこが再び前に出てきました。
覚悟を決めた様子で、自らの猫耳をアピールしながらこう告げます。
「わたしの頭に猫耳が生えている理由。それは……」
女の子が、「それは?」と猫耳を見つめながら声を返しました。
魔女っこは小さく生唾を飲み込むと、猫耳と尻尾を見せびらかしながら言い放ちます。
「実はわたし、獣耳族なの……!」
猫耳が生えているのだから、このまま人間で押し通すのは難しい。
だから魔女っこは、獣耳族のフリをすることにしたみたい。
「わたしは獣耳族のルーフェ。塔の街から来た商人で…………このアルラウネは珍しい喋る観葉植物」
魔女っこの発言を聞いた女の子とお母さんが、納得したようにうなずきます。
「ねえママ、獣耳族だって? あたし初めて見た!」
「獣耳族の商人ってのは、随分と珍しい商品を持っているのねえ」
え、それで納得してくれるの?
なんか簡単に受け入れられてしまったんだけど!
しかもお母さんが「こんな観葉植物、初めて見たわ。なんだか魔物みたいだけど、都会ではこういうのが流行っているのね」なんて言いながら、私の葉っぱを触っている。
もしかして私のことを商品だと勘違してる!?
私が聖女からアルラウネになってから早三年、いろいろなことがあったけど、売り物と間違えられたのは初めてかも……。
呆然とする私とは違って、獣耳族のフリをすると決めた魔女っこの表情は吹っ切れていました。
女の子とお母さんに向かって、魔女っこはこう尋ねます。
「わたしたち、宿をさがしてる。この村に泊れるところってある?」
「小さな村だからねえ。宿なんてないよ」
「そう…………」
「でも、それならウチに泊まるといいよ。その代わり、旅の話を聞かせてちょうだい。ついでにウチの子に、あなたの猫耳を触らしてもらえると助かるよ」
魔女っこは苦悶の表情を浮かべながら、応えます。
「…………はい」
猫耳を触らせることについては、我慢したみたい。
昔の魔女っこだったら、絶対にイヤだと言っていたのに、成長したね。
こうして私たちは、この女の子とお母さんの家に厄介になることとなりました。
村の中心にある、ひと際大きな家まで案内されます。
馬車を下りた私たちは、そのまま家の中にお邪魔しました。
すると、さっそく一人の老人に歓迎されます。
「いらっしゃい。ワシはこの村の村長じゃ」
まるでゲームに出てくるNPCのように自己紹介してくれたのは、なんと村長さんでした。
どうやら私たちを案内してくれたお母さんは、この村長さんの息子のお嫁さんだったみたい。
それでいて魔女っこの猫耳を触りたがっていた女の子は、村長の息子夫婦の子ども──つまり村長のお孫さんだったようです。
でも、なんでだろう。
この村長さんの家も、それどころか村長さんの顔も、なんだか見覚えがある気がする……。
魔女っこは私が入った鉢植えを持ちながら、こう自己紹介します。
「わたしはルーフェ、旅の新米行商人。こっちはわたしの妹のアルラウネ」
「……鉢植えに入った妹さんですか。初めて見ました」
村長は、変わり者だった。
モンスターである私たちを、普通に歓迎したのである。
不思議に思った魔女っこが、村長に問います。
「村長はアルラウネに驚かないの?」
「実はここから西にある塔の街では、森の大精霊として名高い紅花姫アルラウネの聖蜜が有名なのですじゃ。ワシらは田舎者なのでよく知らないのですが、都会で受け入れられているのですからアルラウネはきっと良いモンスターなのでしょう」
なんだろう。この村長、野生のアルラウネに襲われないか心配だよ。
私以外のアルラウネに出会っても、いまみたいに歓迎しちゃダメですからね!
私が村長を心配するなか、魔女っこは気にせずに紹介を続けます。
「こっちは森の妖精のキーリ。で、あっちはトレント。これは新入りのマンドレイク。みんなわたしの家族」
「最近の行商人は、個性が豊かな家族で旅をするのですねえ」
「獣耳族の商人は、これくらい当然」
「そうなのですか。獣耳族とは初めてお目にかかりましたが、変わった家族をお持ちの種族なのですねえ」
田舎の村人だからと良いことに、嘘八百を言いまくる魔女っこ。
この村の獣耳族に対する印象が間違ったものになってしまうかもしれないけど、あながちすべてが嘘というわけでもないんだよね。
だって獣耳族は私の仲間になったわけだし、ある意味では家族といってもおかしくはないのだ。
その後、偽獣耳族の商人として名乗ることに成功した魔女っこは、村長の家で夕食をご馳走になりました。
夕食は質素ながら、小さな村にしては豪華にも見える。
私たちを歓迎してくれるみたいだね。
村長から差し出されたパンを魔女っこが食べるのを見ていると、ふと何かを思い出しました。
無意識のうちに、私は声を漏らします。
「その、パンの形……」
「おや、アルラウネ殿はわかりますか? これはこの村に伝わる、特別製のパンなのですよ」
「花の形の、パンなんて、珍しい、ですね」
「ほお、よくお気づきで。さすがは花の魔物であるアルラウネ殿なのでしょうか」
そのパンは、とても変わった形をしていました。
花びらを模している部分には、網目のような模様が作られている。
もしかして、この花は──。
「アヤメですか?」
「…………まさか、そこまでおわかりだとは驚きました。その通りです、このパンはアヤメを模したパンなのですよ」
いくらパンをアヤメに似せようとしたところで、本物の花のように見えるわけがない。
ましてやアヤメだと気づくことはないはず。
それでも私がこのパンをアヤメだと見抜いたのには、理由があった。
このパン──前に一度、見たことがある。
「村長……なぜパンを、アヤメの形に、したのですか?」
私がそう言うと、村長は待っていましたというように、高らかに声をあげる。
「よくぞ聞いてくれました! ここは麦畑に囲まれた、なんの変哲もない田舎の村ですが、自慢できることがひとつだけあるのですよ!」
村長はコホンと咳払いをして、昔話をするように語り始めます。
「実は十年前に、聖女様がこの村に立ち寄りまして、我が家に泊って行かれたのです!」
「聖女が、十年前に……?」
その言葉を聞いて、私の脳裏に電流が走ります。
十年前のガルデーニア王国には、聖女は私一人しかいなかった。
──そうだよ。
この村、そしてこの村長の顔、それにさっきのパン──私は、この村を知っていた。
「なんと我が村に、あの聖女イリス様がお立ち寄りになられたのですじゃ!」
すっかり忘れていた。
私はこの村に、一度だけ来たことがあった。
しかも十年前というと、勇者一行の旅をしたときじゃない。
もっと前に、私はこの村に来たことがあったんだ!
「イリス様がここに立ち寄られたのは、南の帝国へ行く道中だったようです。大雨にあわれた聖女様ご一行は、たまたま立ち寄ったこの村でお休みになられたのです」
徐々に記憶が思い出されていく。
当時、私は13歳だった。
すでに聖女として認定されていた私は、外交の一環でグランツ帝国へと向かう最中だった。
その途中で、この村に一晩だけお世話になったのだ。
「聖女様は当時、13歳であられました。ワシの孫娘とちょうど同じ年齢ですね」
そういえば、いまの魔女っこも13歳だったはず。
奇しくも、13歳の時に私が泊った村に、13歳となったルーフェが訪れた。
そして、それに気づいたのは私だけではない。
それまでずっと黙っていた魔女っこが、身を乗り出しながら口を開きます。
「聖女イリスがこの村に泊った…………ねえ村長、それは本当!?」
「もちろん本当ですよ、ルーフェさん。もしかしてウチの孫娘と一緒で、ルーフェさんも聖女イリス様のファンですかな?」
「…………ファンかどうかはわからないけど、わたしも聖女イリスのことはずっと気になってた」
──ルーフェ。
やっぱり魔女っこは、イリスについて気になっていたんだね。
そうじゃないかなとは思っていたけど、こう改めて目の前で言われると、なんだか胸の奥が変な感じがする。
「わたし、聖女イリスには会ったことがない。だから村長──聖女イリスのことを、わたしに教えて!」
「……もちろんいいですとも。ただしワシが知っていることだけになりますが、それでもいいのならお話いたしましょう」
「お願い。わたしは、聖女イリスのことを知りたいの」
「では、お話いたしましょう…………ワシが初めてイリス様のお名前を知ったのは、かれこれ十年以上前のことで──」
村長がイリスの昔話を語り始める。
魔女っこはそれを興味深そうに、耳を傾けました。
そんな状況に、私はなんだか恥ずかしくなってしまう。
聖女時代の私の話を、魔女っこに聞かれる。
それが無性に、照れくさかった。
次回、聖女イリスの話です。