292 聖蜜大好きクマ獣人さん
時刻は、草木が眠り始める夕暮れ。
私たちは、大テントで宴会を開いていました。
獣鬼マンタイガーの支配から獣耳族が自由になったことのお祝いです。
私や魔女っこ、キーリだけでなく、獣耳族と獣人族も全員が参加している。
みんな聖蜜を飲みながら、楽しそうに騒いでいるね。
そして私は、獣耳族ではなく、獣人たちの側で鉢植えを下ろしていました。
隣の席には、大テントに遅れて乱入してきたあの巨大なクマさんが座っている。
私はクマ獣人のコップに蜜を注ぎながら、声をかけます。
「まさか、クマさんと魔王城で、すれ違って、いたなんて、驚きです」
「ボクが魔王城に勤めていたときに、一度お見かけしたことがあったクマ。グリューシュヴァンツ様のメイドアルラウネですクマよね?」
「まあ、間違っては、いないです」
なんとあの獣人のクマさんは、私を魔王城で見たことがあったらしいの!
だから自己紹介をした際に、いきなり「魔王城のメイドさんですクマよね? お久しぶりですクマ」と言われて面食らってしまったのだ。
予想外の挨拶すぎて一瞬なんのことだかわからなかったけど、そういえば私は一時期、魔王城でメイドをしていたんだよね。
私が炎龍様に誘拐され、植物園での生活を経て魔王城でメイドアルラウネとして働いていたのは、もう2年も前のことになる。
よく私のことを覚えていたなと思ったけど、鉢植えに入った小さなアルラウネがメイド服を着ていた姿が衝撃的すぎて、忘れられなかったらしい。
「それだけじゃないクマ。ボクが覚えていたのは、アルラウネさんのその蜜の香りのおかげだクマ。ずっと美味しそうと思っていたから、覚えていたんだクマ」
「あはは、美味しそうって……私を食べる、つもりは、ないですよね?」
「食べないクマ! 食べるのは聖蜜だけクマ!」
そう言いながらクマ獣人さんは、私の蜜をペロペロと舐め始める。
獣人に限らず、やっぱりクマは私の蜜をペロペロしようとする変態しかいないの?
懐かしのクマパパを連想させるけど、このクマ獣人さんがクマパパと違うのは仲間に慕われていることかもしれない。
クマ獣人さんは、周囲にいる獣人たちに向かって聖蜜をかかげます。
「ほらみんな、アルラウネさんのありがたい聖蜜だクマ! これを飲んで忠誠を誓うクマ!」
クマ獣人の言葉に、同じクマ獣人の方々が呼応する。
私が大テントで給仕をしていたときに、聖蜜でお酌をしてあげたクマさんたちだね。
「クマ隊長の言う通りだ!」
「これからは獣人部隊の副隊長であった、クマ隊長の指示に従ってもらうぞ!」
「クマ隊長、万歳!」
すでに獣人は、私たちの敵ではなくなっている。
どうやら獣人も一枚岩じゃなかったみたいで、このクマ獣人たちは穏健派的な立ち位置だったみたい。
そして人間皆殺し派であった獣鬼マンタイガーは消え、この獣人部隊の副隊長であったこのクマ獣人さんが繰り上がって隊長となった。
つまりこのクマ隊長が、いまではこの獣人たちを率いている。
見たところ、残った獣人の中ではこのクマ隊長が飛びぬけて強そうだった。
そのせいか、過激そうな獣人たちも大人しくクマ隊長に従っているみたい。
しかもこのクマ隊長、私が見てきた獣人の中では抜群に性格が良いんだよね。
獣耳族の子どもとも仲が良いみたいで、獣人たちの良心だと言われていたようです。
「獣人にも、良い獣人がいるん、ですね」
「魔族にも良い魔族や悪い魔族がいるのと同じで、獣人にもいろいろな奴がいるクマ。植物も同じなんじゃないかクマ?」
「植物も? うーん……たしかに、そうかも!」
私がアルラウネになったばかりの頃、サークルクラッシャーのマンイーターがハチさんに運ばれてきたことがあった。
同じ植物モンスターだというのに、あのマンイーターは生意気で性格が悪いマンイーターだったよね。
その一方で、私の妹分であるアマゾネストレントは良い植物モンスターです。
人間にも魔族にも分け隔てなく接して、気が利く良い子。
様々な性格を持つ人間と同じで、植物にもいろんな植物がいるのだ。
だから私も、良い獣人とは仲良くしたい。
獣耳族のこともあるし、今後は友好的な関係を結べたら良いよね。
「今日は、特別サービス、です! 聖蜜の、飲み放題、ですよ!」
私が蜜を樽に注ぐと、大テント内にいる獣人たちが「ウォー!!」と叫びました。
みんなノリが良くて、こっちもつい張り切って蜜を配ってしまう。
てっきり獣鬼マンタイガーを倒した私のことを恨んでいる獣人もいると思っていたけど、どういうわけかそんな雰囲気はしなかった。
不思議に思っていると、クマ隊長が説明してくれます。
「獣鬼マンタイガー様は、恐怖で獣人部隊をまとめていたクマ。だから人望がほとんど無かったから、復讐しようとする獣人はいないクマ」
「そうだったん、ですね。無駄な戦いは、したくないので、助かりました」
「それに獣耳族から話を聞いたから、アルラウネさんがどうやって獣鬼マンタイガー様を亡き者にしたか、みんな知っているクマ。四天王よりも強いアルラウネに挑んで、地面の肥やしになりたい獣人は誰もいないクマ」
そんなわけで、恐怖政治を行っていた獣鬼マンタイガーに、忠誠心を示す獣人はいないみたい。
思えば、弟である獣王マルティコラスは部下からも慕われていそうだった。
獣鬼マンタイガーは弟と同じくらいの実力があるにもかかわらず、四天王になれかったのは、そういうところが原因だったのかもしれないね。
「でも、これからの獣人部隊は、クマ隊長が、リーダーになるん、ですね?」
「隊長はボクになったクマだけど、リーダーはボクじゃないクマ」
「じゃあ、誰が、リーダーなの?」
「リーダーはアルラウネさん…………いいえ、アルラウネ様だクマ」
「え、私!? な、なんでぇ!?!?」
クマ隊長はトロンとした表情で、私を見つめます。
「もう聖蜜がない生活なんて考えられないクマ。リーダーの座は譲るから、聖蜜をもっと欲しいクマ」
クマ隊長だけじゃない。
他の獣人たちの目つきも、なんか変な感じになっている。
私を狙うような鋭い視線が、みんなから発せられていました。
「前に聖蜜入りの瓶を飲んだことがあったクマが、アルラウネ様から直接もらった聖蜜は格別だったクマ。聖蜜のためなら、ボクはなんだってするクマ!」
この症状──じゃなくてこの感じ、なんだか見覚えがある。
そういえば私が蜜をあげすぎると、相手が蜜に夢中になって我を忘れることがあるんだよね……。
最近はこういうことはあまりなかったから、すっかり忘れてたよ!
「聖蜜がもっと欲しいクマ~!」
「ちょ、ちょっとクマ隊長、離れてください。ペロペロは、禁止です!」
蔓でクマ隊長を押しのける私。
なぜ聖蜜はこうも人を変えてしまうのか──まあ、今回はクマだけど。
でもクマ隊長、さっきなんでもするって言っていたよね?
なら、ちょっと良いこと思いついちゃった……!
「わかりました、クマ隊長。聖蜜をあげるので、私に協力、してくれますか?」
「するクマ!」
まだ内容は言っていないのに、すごい食いつきよう。
しかもクマ隊長だけでなく、他のクマ獣人まで私の言葉を待っている始末。
これだけやる気があれば、問題ないかも。
「では、お願いがあります。あなたたちの、計画通り、これからエーデルワイスへ、向かってください」
元々獣人たちは、魔王軍宰相の命令でエーデルワイスという街に侵攻する予定だった。
だけど私は、その計画を阻止したい。
だから、クマ隊長たちを利用しない手はないよね。
「ちなみに、人間を襲うのは、厳禁です。もしも人を襲ったら、あなたたちを、全員養分に、します……でも約束を守ったら、聖蜜を山のように、あげますよ」
「わ、わかったクマ! 山ほどの聖蜜、食べたいクマ!」
「たしかエーデルワイスに、行く前に、魔王軍の本隊と、合流するんですよね? そこでの情報を、私に流して、ください」
魔王軍宰相である氷龍は、王都侵略計画の一端として、王都南部にあるエーデルワイスを襲撃する。
でもその街は、聖女イリスの故郷。
このまま放っておいたら、故郷が滅ぼされてしまうかもしれない。
だからこそ、クマ隊長たちを密偵にして、魔王軍の動向を探るのだ。
「聖蜜のためなら、人間は襲わないクマ! 情報も渡すクマ! 蜜に誓うクマ!」
「うん、よろしい」
こうして私は、クマ隊長率いる獣人部隊を密かに配下にすることに成功しました。
聖蜜で買収したとも言えるけど、それは誤解です。
私は余った蜜を、クマ隊長たちにちょっと分けただけ。
そのお返しに、いろいろと便宜を図ってもらうだけなのです。
その過程で彼らが私に忠誠を誓ったとしても、それは私のせいじゃない。聖蜜のせいだ。
とにかく、これで懸念事項だった魔王軍の動向が手に入る。
魔王軍はエーデルワイスだけじゃなく、魔女王が捕われている王都にも向かっているみたいだからね。
その王都では、塔の街の領主であるマンフレートさんとフロイントリッヒェ皇女との結婚式が行われる予定になっている。
せっかくの晴れの舞台を、戦場にはしたくない。
なんとか穏便に済めばいいね。
翌朝。
獣耳族たちは新しい村を作るためにアルラウネの森に向かい、獣人たちは別路でエーデルワイスへと向かいました。
旅を始めて一日目の出来事としては、なかなか波乱万丈だったね。
おかげでほとんど移動できなかったけど、それなりに成果があったので良しとしましょうか。
森に新しい住人が住むことになったし、魔王軍に新しいお友達もできた。
これで心残りなく、旅を再開できる!
「それじゃ、改めて──出発!」
森の外に待機させていたアマゾネストレントと合流し、馬車を出発させます。
フライハイト大平原の街道へと戻り、そのまま北東へと進む。
旅の一日目にキーリとマンドレイクが誘拐され、獣耳族を獣人から解放して、魔王軍幹部の獣鬼マンタイガーを撃破した。
これだけのことが一日であったんだから、さすがにこの先の旅は穏やかな旅路になるはず。
だからなのか、二日目は特に問題も起きずに旅を続けることができました。
ウッドホースゴーレムが引く馬車が、カタコトと街道を進む。
そうして、そろそろ夕方になるといった頃に、小さな村が見えてきました。
魔女っこが、嬉しそうに声をあげる。
「アルラウネ、村だよ!」
私たちの旅路で訪れる、最初の村だ。
途中に獣耳族の集落に寄り道をしたこともあって、余計に感慨深い。
「見たところ、普通の村、みたいだね」
人口100人程の、小さな村。
畑に囲まれた集落には、数十件の家がポツンポツンと建っています。
どこにでもあるようなただの村なのに、どこか懐かしい感じがする。
この村、なんだか見覚えがあるような……。
頭をくねらせていると、魔女っこが尋ねてきます。
「もう夕方だし、今日はここに泊る?」
「そう、しようか。思った以上に、移動できたし」
ウッドホースゴーレムの馬力は、規格外だった。
普通の馬の何倍も速く走れるウッドホースゴーレムのおかげで、獣耳族の集落に立ち寄った分のロスはすでに解消されています。
慣れない旅で魔女っこも疲れているだろうから、今日はゆっくりと休みたい。
「でも、こんな小さな村に、宿はあるの、かな?」
「わたしに任せて。あそこに人がいるから、ちょっと聞いてみる」
魔女っこが、第一村人を発見しました。
見たところ、10代前半くらいの女の子と、そのお母さんってところかな。
二人の前に馬車を止めると、母親が「え、これって、馬なの……?」と唖然とした表情でウッドホースゴーレムを見つめてくる。
そうなんです、この子は一応、馬のつもりでいるんです……。
でも、おかげで二人の足が止まった。
すかさず魔女っこが馬車から降りて、女の子の前に移動しながら「こんにちは」と挨拶する。
母親ではなく女の子のほうへ声をかけたのは、やっぱり子ども同士で話しかけやすいんだろうね。
「すみません…………あのう……この村に、宿はある?」
魔女っこが、女の子に尋ねました。
しかし女の子は何も返答せずに、口をあんぐりと大きく開けたまま、魔女っこの頭部をじーっと見つめている。
魔女っこが首をかしげると、頭の上で何かが揺れた。
それを見た女の子が、魔女っこの頭を指差しながら驚きの声を発します。
「この子……猫耳が、生えてるっ!」
え、猫耳!?
たしかに魔女っこの頭の上には、白くてモフモフの猫耳が生えている。
そういえば獣耳族のフリをした際に、生やしたままだったね。
魔女っこは慌てるように両手で頭を押さえ、「すっかり忘れてた……」と、困った顔をしながらこちらを振り返ります。
つい今朝まで、獣耳族と獣人たちと過ごしていたから、魔女っこも猫耳姿に慣れてしまっていたみたい。
だからこそ、どこかで魔女っこに言うつもりだった。
人間の街に行く前に変身魔法を解いて、猫耳と尻尾を戻したほうがいいよと、教えてあげるつもりだった。
でも、猫耳姿の魔女っこがあまりにも可愛いから、まああとで言えばいいかって思っちゃったんだよね…………。
ごめんね、ルーフェ。
なんとか猫耳のまま、乗り切って!
次回、聖女が泊った村です。







