270 黄色いバラの誓い
私、植物モンスターのアルラウネ。
この度、闇の女神ヘカテに憑依されていたルーフェを無事に取り戻すことができました!
気を失っている魔女っこを、蔓で優しく抱きしめます。
まさか魔女っこの体が女神に乗っ取られることになるなんて、予想だにしなかったよ。
なんとか上手く取り返せたけど、ヘカテの魔力が尽きかけていたのが幸いだった。
それに魔女っこの体を完全に奪われる前だったというのも、運が良かったかもしれません。
「マンドレイクも、良くやった、ね」
いつも魔女っこを気絶させまくっていたマンドレイクだったけど、今回は大活躍でした。
まあ本人は生まれたばかりの赤ん坊で、普段通り泣き叫んでいるだけで魔女っこを助けたっていう実感はないんだろうけど。
「えらい、えらいよ。こんなに活躍、したんだし、将来は綺麗な、お花のモンスターに、なるんだよ」
「ギャア、ギャア……」
──あれ?
なんかいま、マンドレイクが私の声に反応していた気がする。
マンドレイクがこんな控えめな反応をしたのは、これが初めてだよ!
気のせいかもしれないけど、もしかして喜んでいる?
「じー」
「……………………」
なんか、黙っちゃった。
やっぱり気のせいかな。
まだ子供だし、しかもモンスター。
言葉を理解しているわけないか。
それよりも──
「なんか、私も、強くなった、かも?」
闇の女神ヘカテの魔力を『生命吸収』で吸い取った。
そのせいか、白色のアルラウネになった時以上の力を、自分から感じることができます。
ヘカテの力を吸収したことで、闇の魔力を上手く扱うことができるようになった気がする。
そのおかげか、いまの魔女っこの中にヘカテの気配がないことも、手に取るようにわかる。
モンスターの潜在能力を高める闇の魔力の影響か、これまでにないほど体内の魔力が安定している気がするよ。
試しに、ちょっとお花を生やすくらいの力で、植物生成を試してみます。
「えいっ!」
右手を掲げます。
すると、ニョキッと巨大な樹木が地面から伸びてきました。
巨木はそのままニョキニョキと大きく育っていき、あっという間に50メートル以上の大木へと成長してしまいます。
「はは……これは、力加減が、難しく、なりそうだね」
いまの私が本気を出せば、この辺一体の地域を樹海に変貌させることだって不可能じゃない気がするよ。
そんな私のもとへ、背中から天使の翼を生やした友人が近寄ってきます。
「まさか無傷でルーフェさんを救いだすとは、驚愕したのでございますよ」
一時はパンディアさんと雌雄を決することになるかとヒヤヒヤしたけど、こうして関係が元通りになって、本当に良かった。
「しかも、憑依体とはいえあのヘカテを退けるとは、天使にでも難しいことでございます。あぁ、なんて素晴らしいのでございましょうか」
パンディアさんが、私の目の前に浮遊します。
天使って、翼を使わなくても魔女みたいに飛べるんだね。
「アルラウネさん、ワタクシ感激いたしました。今日のことは、生涯忘れないのでございます」
そう言いながら、パンディアさんは黄色いバラを胸に抱きしめました。
私がプレゼントした、あの黄色いバラです。
「友人とは、良いものでございますね。我が主以外に、こんなにも大切に想う存在がワタクシにできるなんて、思ってもいなかったのでございますよ」
「ちょ、ちょっと、パンディアさん……?」
パンディアさんが、私の手を包み込むように、優しく握ってきます。
しかも、友達にするにはちょっと艶めかしい手つきで。
「このままアルラウネさんを、聖都まで連れて帰りたい気持ちでいっぱいなのでございますよ」
「そ、それは、友達としては、どうかな?」
なんだろう。
パンディアさんが、ちょっと変かも!
今日までのパンディアさんは、信頼のおける友人という感じだった。
それが黄色いバラをプレゼントしてからというもの、まるで恋する乙女のような視線で私を見てくる。
「アルラウネさんからいただいたこのバラは、ワタクシの命をかけて生涯大切にするのでございますよ」
ギュッとバラを握りしめるパンディアさん。
その瞳からは、強い決意と、そして慈愛のような深い感情が見てとれました。
もしかして天使って、友達には恋人並みに尽くすとか、そういう種族だったりするの?
「そ、そんなに、気負わなくても、大丈夫ですからね。無くなったら、またあげますから」
パンディアさんは、私が初めての友達だと語っていました。
そのせいか、私に対する決意が重すぎる!
もっと気軽に考えてくれても良いのにね。
「いいえ、ワタクシはアルラウネさんを殺す気で挑みました。そんな私のことを、敵であったというのに友達だといって受け入れてくれたアルラウネさんの慈悲の心に、感銘を受けたのでございます。まるで女神様のようにお優しいのでございますよ」
「さすがに、それは言いすぎ、ですよ」
天使に女神様みたいだって言われるのは、さすがに照れるよね。
私は元聖女だから、女神様のようにと例えられることがたまらなく嬉しいのだ。
「というか、パンディアさんが、本気で私を殺そうと、していなかった、ことくらい、気づいていましたよ」
「…………さすがアルラウネさん、気がつかれていたのでございますね」
「光魔法の天使の翼抱擁には、驚いたけど、パンディアさんの、奥の手は、隠したまま、だったから」
たしかに神話級の光魔法には、度肝を抜かれました。
だけど、パンディアさんはあれ以上の攻撃をしてこなかった。
まだ奥の手の、神域魔法という絶対の技があったにもかかわらず。
パーティーで見せてくれた、あの神域魔法【聖歌】は、私には効かなかった。
でも、神の領域ともいわれる魔法が、まさかそれで終わりだとは思えない。
パンディアさんは人類の守護者として、何百年も魔王軍と戦っていたという。
炎龍様とも知らぬ仲ではなかったみたいだし、きっと自分と同じ神域魔法の使い手にも通じるような、必殺技を隠し持っているのではないかと私は睨んでいます。
だから奥の手である神域魔法を使わなかったことが、パンディアさんが私を本気で殺そうとしていなかった証拠だと思うの。
「たしかに、パンディアさんとは、命のやり取りを、しました。それでもパンディアさんの、心遣いは、私に届いて、いましたよ」
「アルラウネさん……!」
パンディアさんの天使の羽が、バサリと動きました。
そして彼女自身の顔を、すっぽりと隠します。
翼で顔を隠すその一瞬、赤く頬を染めるパンディアさんの顔を、私は見逃しませんでした。
いつも無表情の天使が、乙女のように顔を真っ赤にして恥ずかしがる表情。
すごく良いね……!
「ワタクシ、このバラに誓うのでございます。将来、アルラウネさんが困ったことがあれば、なにがあっても一度だけ手を貸すのでございます」
「…………ありがとうございます、パンディアさん」
私の手を握って包み込んでいる彼女の手を、蔓で握り返します。
いまのパンディアさんの発言は、教会の思惑と違う結果になったとしても、私を手助けしてくれるという意味。
女神様に仕える天使のパンディアさんにとって、最上級の約束事のはずです。
だから、一度だけという回数制限だとしても、これは本来であればあり得ないことなのだ。
天使が主である女神に逆らうことなど、あってはならないのに。
私は元聖女だけど、いまは植物モンスターになっている。
そして教会にとって、モンスターはなにがあっても敵という認識です。
私が森で静かに暮らすためには、パンディアさんの力を借りる必要がいつか来るかもしれないね。
「その時は、よろしく、お願いしますね」
こうして私は、天使の助力を得ることができました。
まさか聖女であった私が、神話の中の登場人物であった天使とお友達になるなんてね。
人生、なにが起こるかわからない。
死んだと思ったらアルラウネになっちゃった私が言うんだから、間違いありません。
それからしばらく、私とパンディアさんは、手と蔓を握り合っていました。
今回の一件で、パンディアさんとこれまで以上の深い絆を結ぶことができた。
初めて出会った時はなんだか怪しい人だと思って警戒していたけど、まさかこんなにも純粋な人だとは思わなかったよ。
まあ人じゃなくて、天使だったけどね。
二人の友情を確認し合ってからしばらくすると、パンディアさんがこう切り出してきます。
「アルラウネさんには、尋ねなければならないことがあります」
重い口を開くように、パンディアさんは続けます。
「最初にあなたと会った時、聖女がモンスターに吸収された成れの果てだと考えておりました」
初めて出会った日に、パンディアさんから言われた言葉を思い出します。
『見たところワタクシと同じように女神セレネ様に愛されているようですが、堕ちてしまってはただ虚しいだけでございますね』
あれは、清らかであったはずの聖女が敵の手に落ちて、魔物になってしまったことを憐れんだ発言だったんだね。
「モンスターが聖女の血肉を食べ、その力と知識を自分の糧にした──そう思っていたのですが、それは間違いでございました。まさか逆に、モンスターの体を支配してしまうなんて……」
いまのパンディアさんは、私の精神がモンスターではなく人間だということに気づいている。
そして、おそらくその正体も……。
「女神の神器を創り出し、初代聖女ネメア以上の光魔法の使い手であり、そしてなによりもその顔」
私の顔をじっと見つめるパンディアさん。
もう隠し通すことはできないのだと、悟ります。
「アルラウネさん──いいえ、あなたの本当の名前は、聖女イリスでございますね」
パンディアさんの目を見ながら、私は背筋を伸ばしました。
森のアルラウネとしてではなく、元聖女として凛とした振る舞いでしっかりと答えます。
「…………はい。わたくしが、イリスです」
その答えに対して、パンディアさんは特別驚いた反応はしませんでした。
小さく、「やはりそうでしたか」と口を動かします。
「聖女イリスは規格外な力を持っているとは思っていましたが、まさかここまで成長するとは御見逸れしたのでございます。そんなあなたが、なぜ──」
一瞬、躊躇するように口を止めるパンディアさん。
そして静かに目を瞑り、再びゆっくりと目を開きながら私のことを見つめます。
「なぜ死んだはずのイリスが、こんなところで植物モンスターになっているのでございますか?」
次回、聖女イリスが天使に出会った日です。