263 天使と〇〇
出会ってはいけない二人が、私の目の前で出会ってしまいました。
パンディアさんは、親の仇と相対したように一方的に殺気を放っています。
全身から光のオーラを放出させて、いまにも怒りで爆発してしまいそう。
天使である彼女がここまで感情をあらわにするのは、初めて見ました。
対するヘカテさまは、手でしっしっと虫を追い払うような仕草をしています。
不快そうな表情をしているけど、パンディアさんのような溢れんばかりの感情はない。
むしろ冷めた目で、空に浮かんでいる天使を眺めています。
ヘカテ──それは、魔女っこに似た雰囲気を放つ、謎の白い人。
パンディアさんが天使であることを知っているだけでなく、これほどの殺意を向けられる人物。
ヘカテさまが何者なのか、私の中で疑問が深まるばかりだよ。
だけど、これはヘカテさまの謎を紐解くチャンスかも。
少なくとも、パンディアさんはこの真っ白い人の正体を知っていそうだからね。
そう思ってパンディアさんに視線を向けたところで、嫌な予感がします。
「ワタクシの友人であるアルラウネさんから嫌な者の気配がしておりました。それはヘカテ、あなたのせいだったのでございますね」
「余の子どもから余の気配がするのは当たり前のことであろう。なあアルラウネよ?」
──え、子ども!?
私、ヘカテさまの子どもになった記憶はないんだけど!
「あのう、ヘカテさま?」
視界の端に、流れるような白色の線が映ります。
魔女っこと同じ、真っ白な髪。
まるでルーフェが近くにいるような錯覚がする。
「このアルラウネに流れる力のすべては、余から生まれたもの。余に似て、愛い魔物のたたずまいを感じるであろう?」
ヘカテさまは私の顔を腕で包み込み、我が子のように優しく抱擁します。
もちろん、私の頭を撫でるのも忘れていません。
そして、ヘカテさまからいい子いい子されたことで、私の中に不思議な感情が芽生えます。
──嬉しい。
ヘカテさまの愛情を、その行動の節々から感じる。
彼女の声を聞くだけで、安心してしまう。
私の頭が撫でられるたびに、魔物としての私の本能が喝采を始めます。
ヘカテさまに対する好意的な感情が、私の中で大きく広がっていく。
魔物としての、モンスターとしての私の体と感情が、彼女にすべてを捧げよと号令を発しているのがわかりました。
──このままじゃ、危ない。
甘い誘惑が、私の全身を駆け巡っている。
私の人間としての理性が、それらに必死の抵抗を試み始めます。
「ヘカテ! ワタクシの友人から、離れるのでございます!」
パンディアさんの天使の翼が大きく開かれる。
それぞれの翼の先に、光が集中していきます。
「聖破光線」
六枚の翼から、破滅的な光のビームが放たれました。
私も聖女イリス時代にはよく使っていた光魔法です。
天使も聖女のように光魔法が使えるみたいだけど、それを六個も同時に発動するとは、さすが天使。
並の聖女では不可能なことを、いとも簡単にやってのけている。
光魔法単体での力は、聖女以上なのは間違いないでしょう。
これが天使の力。
人を超越したその力に、私は生唾という名の蜜を飲み込みます。
「ちょっと眩しいのう、余は不快だ」
パンディアさんから伸びた光線は、ヘカテさまの体へと正確に重なります。
でも、ヘカテさまの体を光が貫くことはありませんでした。
たしかにパンディアさんの光線は、ヘカテさまの純白な肌に当たっている。
だというのに、そのまま体を破壊するはずだった聖破光線は、ヘカテさまの体に触れた瞬間に消失してしまいました。
「いま、なにかしたか天使よ? 余は日焼けすらしていないぞ」
聖破光線は、あのクマパパですら一撃で倒してしまうほどの高位の光魔法。
そんな光魔法の六連撃をまともに直撃しているのに、ヘカテさまはまったくの無傷。
なにもなかったかのように何食わぬ顔をしながら、私の頭を撫で続けています。
──というか、なんなのこの状況。
なんだかパンディアさんとヘカテさまが、私を取り合っているようにも思えるよ。
え、私、どうしたらいいの?
正解がわからなくて、動けないんだけど!
「天使といっても、この程度か? 余の敵ではないな」
「これくらいの攻撃で倒せるなら、苦労はしないのでございます」
「なら、つまらない相手だが、この体が慣れるまで遊んでやるとしよう。余のために働くがよいぞ天使」
「…………屈辱でございます!」
──やめて、私のために争わないで!
かつて、一度は言ってみたいとその台詞を発したことがあったけど、あの時とは状況が違い過ぎる。
穏便に、大人しく、静かに、争うのをやめて欲しい……。
「アルラウネさん、申し訳ないのでございます。あなたを傷つけることになるかもしれないですが、これもすべては人間の世を守るためなのでございます」
パンディアさんが両手を挙げる。
すると、天から巨大な光の柱が降りてきました。
──まさか、この魔法は!
私はこの魔法を知っている。
正確に言うと、知識として名前だけ知っていた。
聖女だけが読むことのできる教会の禁書。
神々の伝承が載っているその本に、かつて天使が使ったとされる救世の神話が書かれていました。
天使だけが使うことができるという、超常の魔法。
地形さえも変えてしまう大魔法によって、天使は魔物の軍勢から人々を守ったのだと。
「人類を守護する女神の天使として、ワタクシはここで引くわけにはいかないのでございます」
パンディアさんの天使の翼に、光のオーラが集中します。
それらは瞬く間に巨大な光の翼へと成長し、空を覆い尽くしました。
一枚一枚の翼が、塔の街くらいの大きさを誇っています。
アルラウネの森の一部をすっぽりと覆い隠してしまうほどの光の翼が、空から私たちを見下ろしました。
「天使の翼抱擁」
神々しく輝く巨大な天使の翼に、目を奪われてしまいました。
──す、すごい!
神話の中でしか存在していなかった伝説の光魔法が、目の前で発動している。
元聖女として、こんなの見たら興奮しないわけないよ!
しかも私は、歴代でも最強と言われるくらい、聖女としての力を持っていました。
それだけ修練を積んだということもあるけど、だからこそ他の聖女よりも女神や天使への憧れは強い。
私はいまではパンディアさんのことは友達だと思っているけど、これからもそう思えるか自信がなくなってしまう。
それほどまで、私は天使の御業に心を射抜かれてしまいました。
憧れずにはいられない。
ヘカテさまによって引っ張られていた魔物寄りの精神状態から、聖女イリスへと引き戻される。
「これが、天使の光…………なんて、綺麗、なんだろう……!」
もしも私が聖女として死ななかったら、この魔法を使うことができただろうか。
何年も何年も修行すれば、この高みにたどり着くことができたのだろうか。
聖女としての私の体は、もうこの世には存在しない。
いまの私は光魔法を使おうとしても、植物を成長させることしかできないのだ。
だからこそ、困ってしまう。
この葛藤を、私は解消することができないのだから。
もしも聖女に戻ることができれば、私はこの天使の技を再現しようとしたことでしょう。
自分で言うのもなんだけど、私は聖女としては優秀なつもりでした。
それだけの規格外の力が、聖女イリスにはあったはず。
その結果、人として死んでも、こうして魔物となって生きながらえているんだから。
空を覆い尽くす巨大な天使の翼が、動き出します。
ふわりと、優しく包み込むように天使の翼が収縮する。
そして、森の一部が弾け飛びました。
「わ、私の、森がっ!」
地面ごと吹き飛んだ木々が、空中で塵へと変わります。
六枚の光の翼が、森をその存在ごと浄化しているのだ。
私の植物の体は、私が元聖女であることもあって光魔法を無効化する。
だけど、それは本体である私の体での話。
体と繋がっている森までは、光魔法を無効化することはできないみたい。
──でも、さすがにこれは私もヤバイかも。
四天王の黄金鳥人である光冠のガルダフレースヴェルグが使った最強の光魔法滅消の御神光冠でも、私には効果はなかった。
でも、あれは人間が使える最強の光魔法ではあるけど、いま目の前に広がっている天使の魔法はそれを軽く超越している。
光魔法を吸収するこの植物の体であっても、耐えられる自信がない。
それほどの威圧感が、空に広がっていました。
「前にグリューが申していた天使の魔法か。余は思い出したぞ」
パンディアさんが現れてからずっと不快そうにしていたヘカテさまの表情が、急変します。
面白いものを見たかのように、くすりと笑いました。
「やはり下界は良い。ここまでの見世物を観覧できるのだからな……ゆえに、余が対処しよう」
ヘカテさまは、私の頭を抱きしめます。
我が子を守るように、強く優しく。
「愛い我が子を、傷ものにされたらたまらんからな」
ヘカテさまが、指をパチンと鳴らします。
それだけ。
それだけで、眩しかった空は、元に戻りました。
「闇窖──余に傷をつけるつもりなら、天使ではちと足りないようかのう」
指を鳴らしたのと同時にヘカテさまの頭上に生まれた、黒い点のような小さな穴。
信じられないことに、その穴にすべてが呑み込まれてしまったのです。
パンディアさんが放った、巨大な天使の翼──天使の翼抱擁がすべて。
天使だけが扱うことできる、神話の光魔法。
ヘカテさまは、それを一瞬で消してしまった。
これはおそらく、闇魔法。
魔族にしか使えない、光魔法とは対極の魔法。
だけど、こんな凄い闇魔法は初めて見た。
闇魔法という領域を遥かに越えている。
炎龍様が使った神域魔法を彷彿させるような、神の領域の力。
「ヘカテさま……あなたは、いったい?」
「申したであろう、余はすべての魔物の味方であると」
ヘカテさまの正体。
それを私は、まだ推し量ることはできませんでした。
次回、ヘカテの祝福です。