258 マンドレイクを生む女
私の正面には、紫色のペチュニアが生えていました。
綺麗な花だからという理由で、トレントがどこからか持ってきてくれたお花です。
そんなペチュニアの花を、闇のオーラが真っ黒に染め上げました。
その様子に満足したヘカテさまが、くすりと笑みを浮かべます。
「いまの余は仮の姿だが、そなたの仲間を用意するくらいはできる。見ておれ」
この森の植物は、すべて地中で私と繋がっている。
だというのに、ペチュニアとの根のネットワークが切断されました。
そうして、闇をまとった花が変化します。
地面がぶくぶくと小さく膨れ上がり、大きくなった根本の一部が地上へ姿を現しました。
根だけでなく、葉も大きく広がっていきます。
そしてペチュニアだった花は、見たことのない白色の花へと変化しました。
「……ヘカテさまは、いったい、なにを、したのですか?」
「余からアルラウネへのプレゼントだ。気になるのなら、引き抜いてみればいい」
彼女の視線が、白色の花へと向けられます。
何をすればいいかは、すぐわかりました。
私は警戒しながら、その花に蔓を巻きつけます。
そして、一気に引き抜く。
──ボンッ!
地面から勢いよく跳び出てきた根と、なぜか目が合いました。
なんと、引き抜いた根っこに顔がついていたのです。
根についている口が、大きく開かれ──
「ンギャァアアアア!!」
な、なにこれー!?
根っこが叫び出したんですけど!!
「これって、もしかして、マンドレイク?」
「アルラウネもひとりぼっちでは寂しかろう。番を作ってやったぞ」
い、いらないー!
いきなりマンドレイクを渡されても、困るんですけどー!!
というか、なんでペチュニアがマンドレイクになったの!?
そういえばマンドレイクって、アルラウネと同じでナス科なんだっけ。
ペチュニアもナス科だったから、マンドレイクになったってこと??
意味わかんないんですけど!
そもそも、マンドレイクというのはこのファンタジーな世界だけでなく、日本があった地球にも実在していた植物です。
ナス科マンドラゴラ属の植物で、ヨーロッパの一部に分布されていたはず。
とはいえ地球のマンドレイクはモンスターではなく、ただの植物です。動き出すことも、声をあげることもない。
だけど、この世界のマンドレイクは、モンスターとして存在している。
根っこを引き抜くと叫び声をあげ、周囲にいる人を気絶させてしまうというちょっと困ったモンスターなのだ。
「ンギャァアアアアアアア!!」
「う、うる、さい…………でも、それだけ、かも?」
いくらマンドレイクの声を聞いても、私は気を失うことはありませんでした。
まったくもって無害。
もしかして、このマンドレイクは人を気絶させる能力はないのかな。
まあ、めちゃくちゃうるさいから困るんだけど。
「というか、植物が、モンスターに、なった……?」
目の前で起こったことが信じられなくて、つい口に出して喋ってしまいます。
だってそうだよ。
植物がモンスターになるなんて、聞いたことがない。
前代未聞の珍事です。
だけど私の脳裏に、とある出来事がフラッシュバックします。
たしかに植物がモンスターになるのは、初めて見た。
でも、人間がモンスターになるところであれば、私は見覚えがある。
四天王であった姉ドライアドの『進化の種』を思い出します。
あの種を飲み込んだ者は、妖精であろうが人間であろうが、みんなモンスターになってしまった。
なんだか、あれに似ているような気がする……。
「余のマンドレイクがアルラウネに危害を加えることはない。ボディガードにもなるはずゆえ、仲良くするがいい」
ヘカテさまに視線を向けます。
植物を魔物に変化させてしまう存在。
この人はいったい、何者なんだろう……。
ひとつ、確信したことがある。
この真っ白な少女は、ただの魔族ではない。
炎龍様とか天使であるパンディアさんとか、そういった次元の存在だ。
もしかしたらあの闇のオーラは、神の領域の力──神域魔法である可能性だってある。
そうでないと、魔物を生み出すことなんて普通はできないと思うし。
そんな相手が、わざわざ私にプレゼントをしてきた。
ただより高いものはないというし、なんだか怖い。
「ヘカテさまは、私になにを、望んでいるの、ですか?」
「いまはまだ、なにも望まぬ。言ったであろう、今日のところは挨拶に来ただけだと」
ヘカテさまの腕が、私に伸びてきます。
そして愛しい我が子に対するように、頭を撫でてくれる。
「ガルダフレースヴェルグのようなまがい物と違って、余の望む個体がついに生まれた。余はそれだけで嬉しい」
ガルダフレースヴェルグ。
それは、以前私が倒した四天王の名前です。
聖女見習いを捕食することで、光魔法の力を手に入れた世にも珍しい魔族。
あの黄金鳥人と、ヘカテさまは何か関係があるってことなのかな。
「愛いのう、実に愛い。余のために、そなたも励むのだぞ」
そう言うと、ヘカテさまは私から離れていきます。
そして空中に浮遊しながら、こちらを見降ろします。
「魔物を生んだのは久しぶりじゃ。良縁が生まれたことだし、久しぶりに良い仕事をした」
「りょ、良縁!? あのう、マンドレイクを、見られただけで、私は満足、しました。だから、お持ち帰り、してくれ、ますよね?」
「そなたのためにマンドレイクを生んだのだ。余の言うことが聞けないわけではなかろう?」
有無を言わさぬヘカテさまの威圧感に、私はひるんでしまいます。
この人の命令に背くことはできない。
モンスターとしての私が、そう言っている。
「さてと。このままアルラウネと遊んでいたいところだが、余も忙しい。続きはまたの機会にしようぞ」
空に広がっていた闇夜が、ヘカテさまを中心に凝縮していきます。
一点に集まった闇の中に、彼女の体が消えていきました。
「また会おう。愛い我が子よ」
そうしてヘカテさまは、いなくなりました。
真っ暗になっていた夜空も、明るい昼の景色に戻っています。
「転移……いや、瞬間移動?」
どうやってヘカテさまが消えたのか、想像もつかない。
少なくとも、瞬間移動に準ずる魔法は、この世界には存在していません。
つまり、彼女は私の知らない魔法を使ったということ。
植物を魔物に変えたように、神の領域の魔法を使用したのだ。
「ヘカテさまは、どこに、消えたん、だろう?」
炎龍様は、魔女王キルケーを探すために、とある人物が動き出したとパーティーで教えてくれました。
その人物がヘカテさまであるなら、彼女は魔女王を探しているということ。
なら、行方不明になっている魔女王を見つけるのが、彼女の目的なのかもしれない。
ヘカテさまの雰囲気は魔女王と似ていたし、近しい間柄であることは間違いなさそうです。
まあヘカテさまのことは、おいおい考えるとして──
「この子、どうしよう?」
「オンギャァアアアアアアアア!!」
私の蔓の中で、叫び続けるマンドレイク。
かなりうるさいし、どうしたらいいのかわからない。
このまま地面に植え直しちゃおうかな。
そう思っていたところで、近くの茂みが動きます。
どうやら森のパトロールに出ていたキーリとトレントが帰ってきたみたい。
「ただいまー! って、アルラウネさま、なにそれ!?」
トレントの横で飛んでいるキーリが、私の蔓に抱かれている存在に気が付きました。
泣く子をあやすように蔓で落ち着かせていたんだけど、なかなか静かになってくれないんだよね。
本当に埋め直しちゃうよ?
「それ、マンドレイクじゃん。なにでここにいるの?」
「それには、深い、事情が、あって……」
どうやって説明しようか悩んでいると、マンドレイクが再度叫びます。
「ンギャァアアアア!!」
「ひぃぁっ……」
──バタリ。
妖精が、地面に落下しました。
キーリが気絶したのです。
「え、キーリ…………?」
マンドレイクの叫び声を聞いた者は、気絶してしまう。
聞き続ければ、命を失う場合もあるとか。
私には効果がなかったから、てっきりこのマンドレイクはうるさいだけの無害なモンスターだと思っていた。
でも、違った。
私には効果がないだけで、他の人は気を失ってしまうんだ!
キーリが倒れたことで、トレントがあわあわとしています。
どういうわけか、トレントにはマンドレイクの叫び声は効果がないみたい。
もしかしたら、植物モンスターには効かないのかもしれないね。
そうであるならと、私はトレントに声をかけます。
「キーリを、遠くに、避難させて!」
トレントがキーリを拾って、森の奥へと退避しました。
これで良い。
問題は、このマンドレイクだ。
このまま叫び続けられると、かなり困ったことになる。
こうなったら、もう地面に植えるしかないよね?
それで泣き止んでくれればいいんだけど。
私が地面を掘ろうと、蔓を伸ばした瞬間。
空から声が聞こえてきました。
「ただいまアルラウネ。それ、どうしたの?」
魔女っこです。
街に出かけていた魔女っこが、帰ってきたのだ。
魔女っこは空に浮かびながら、不思議そうに首をかしげていました。
私が持っているマンドレイクが気になっているみたい。
いや、それよりも──
「ルーフェ、逃げて!」
「オンギャァアアアアアアアア!!!」
マンドレイクの絶叫が森に響き渡ります。
スン……と、魔女っこが気を失いました。
そして、だらんとした魔女っこの体が、そのまま地面へと落下していきます。
ま、魔女っこぉおおおおおおお!!
とっさに蔓で魔女っこをキャッチします。
ふう、危なかった。
危なかったけど、このままではいけない。
マンドレイクがいるだけで、森は文字通り阿鼻叫喚状態です。
このマンドレイク……いったいどうすればいいの?
生まれたばかりのマンドレイクを、このまま放置することはできない。
ヘカテさまからもらったばかりだし、森に放すこともできない。
それはそれで、かわいそうだしね。
なら、どうするか。
誰にも頼れないのなら、私がなんとかするしかないよね。
私がこの子を、育てるしかない!
同じ植物モンスターのよしみで、立派なマンドレイクにしてみせますとも!
マンドレイク:ナス科。別名、マンドラゴラや恋なすびなどとも呼ばれています。ファンタジーではお馴染みのマンドレイクですが、空想上の植物ではなく実在します。とはいっても、根を引き抜くと悲鳴をあげられることはありません。毒草ではありますが、中世ヨーロッパでは鎮痛薬や催眠薬などとして使用されていたそうです。
次回、マンドレイク育成計画です。