256 闇夜を生む女
傭兵たちが森に侵入したのは、とある人物の指示を受けたのが理由でした。
私に挨拶しに来るよう、何者かに脅されていたみたい。
怯えて震えている傭兵を見れば、この人たちがなにかに恐れていることがわかります。
でも、いったい何に?
私に挨拶してこいと命令したその白い女が、よっぽど怖い人なのかな。
ちょっと気になるので、傭兵のリーダーさんに教えてもらいましょう。
「その女の人は、いったい、何者なん、ですか?」
「わ、わからない……白くて、恐ろしくて……それで…………」
「白い以外の、見た目の特徴とか、ありますか? 何才くらい、の人だとか」
「見た目……特徴……お、思い出せない……なにもわからないんだ。とにか恐ろしく感じたのだけは覚えているのに……オレたちはいったい、誰に命令されたんだ……!?」
頭を両手で押さえながら、顔を歪ませるリーダーさん。
何も覚えていないなんてこと、あるのかな。
だけど嘘をついているようには見えない。
「そうだ、本当はアルラウネの森を襲うことなんて、したくなかったんだ……ただのアルラウネじゃないというのは有名だったからな…………だけど、あの女の命令には、なぜか逆らえなかった…………」
傭兵の様子は、明らかにおかしい。
自分で何を言っているのか、よくわかっていないといった雰囲気です。
「思い出した………女から逃げようとしたら、捕まって、それで黒い何かが頭の中に…………」
その時、地面に影ができていることに気が付きました。
同時に、傭兵のリーダーが空を指さしながら口を開きます。
「あ、あそこにいるのはッ!?」
地面の影が、じわじわと広がっていく。
まだ太陽が昇っている時間だというのに、夜の帳が落ちてきます。
ゾワゾワといった不可解な感覚が、全身を駆け巡りました。
まるで鳥肌が立ったみたい。
植物だから、鳥肌なんて立たないのに……。
「あああああの女だァ! あの女が、オレたちを捕まえて、命令してきたんだァ!」
気が付いた時には、森は暗闇に包まれていました。
昼からいきなり夜になったみたい。
──なんだか、嫌な予感がする。
警戒しながら、ゆっくりと背後の空を見上げます。
そして、目が合ってしまった。
驚くことに、夜空に人が浮いていたのです。
しかも信じられないことに、その女を中心に、空に夜が広がっていました。
まるで紙に墨汁を垂らして、その黒い染みがじわじわと広がっていくよう。
その真っ黒な背景の中に、ポツンと白い人影がくっきりと浮かんでいます。
白髪どころか全身が真っ白のその女は、静かに私を見下ろしたまま。
吸い込まれるようなその視線に、私はまったく動けないでいました。
対して私の横にいる傭兵は、「ひいー!」と叫びながら地面にうずくまっています。
漆黒の闇をまき散らす謎の白い女は、たしかに不気味で怖い。
だけど恐ろしい反面、なぜか懐かしくも感じてしまう。
数年ぶりに実家に帰って、久しぶりに両親の顔を見たときみたい。
──それにこの女、似ている。
その白い女は、どことなく魔女王、そして魔女っこにも、雰囲気が似ている気がする……。
違うのは、その女は本当に真っ白だということ。
服はもちろんのこと、髪も肌も目も、すべてが白い。
天使のような神聖な気配を漂わせているというのに、周囲にどず黒いオーラを放っている。
そのアンバランス感に、不思議と目を奪われてしまった。
──あなたは誰ですか?
そう私が尋ねようとした瞬間、白い女が胸の前に両手を置きながらこんなことを言ってきました。
「え、このアルラウネかわいいんだけど……余の好みかも!」
目をキラキラさせながら、白い女が私の前まで降下してきました。
敵意を感じないその意外な行動に、つい拍子抜けしてしまいます。
というかこの人、翼がないのに浮いているよね。
魔女の浮遊魔法──ということは魔女っこと同じで、この人も魔女なのかな?
「そう身構えなくて良い。余は敵ではないからな」
白い女が地上に降りたことで、私の周囲は黒い靄に包まれていました。
森の木々が見えなくなるくらいの深い闇。
近くで見るとよくわかる。
この人は、真っ黒な闇のオーラをまとっているんだ。
こんなの初めて見た。
「ここまで美しく、そして強い力を持っているアルラウネは今まで一度も見たことがない。よくぞここまで立派に成長してくれた」
白い女が、私の顔に触れました。
避ける余裕は、まったくなかった。
いや、それだけじゃない。
どういうわけか、この人に触られること──なぜか嬉しくなってしまう自分がいる。
「あなたは、いったい、何者ですか?」
「なんだ、グリューから聞いていないのかえ」
グリュー?
それってもしかして、グリューシュヴァンツこと炎龍様のこと……?
「あやつが出かける前に、それとなくキルケーを倒したというアルラウネに興味があると伝えておいたから、てっきり話が通っていると思ったのだが……余の勘違いだったか」
そういえばこないだのパーティーで炎龍様が、魔女王キルケーを探すためにとある人物が動き出したと話していました。
しかもその人物は、私にも興味を持っているのだとか。
その人物が、この人なの!?
ええぇえええ!?
まさかこんなに早く現れるとは思ってもいなかったよ。
というかこの人、どちら様なの?
魔王軍のお偉いさんということはわかるんだけど。
「キルケーのところに行く前の寄り道のつもりだったが、来て正解だった。こんなにも愛いアルラウネに出会えたのだから」
女の手が、私の顎を優しく撫でる。
その行為に、なぜか喜びを感じている自分がいる。
いったいどうして……?
「余の挨拶は、受け取ってくれたかえ?」
「挨拶、ですか?」
「あそこに転がっているエサのことよ。余からのプレゼントだと思うがいい」
女の視線の先には、傭兵のリーダーがうずくまっていました。
ということは、もしかして……。
「さあ、遠慮はいらん。早くそなたの糧とするが良い」
やっぱり傭兵のことだったー!
え、もしかして傭兵をここに寄越したのは、私に食べさせるため?
私がモンスターだから、他の魔物のように人を食べると勘違いしてるってこと??
まさか挨拶がそういう意味だったとは……。
人間のことをエサ呼ばわりする女。
間違いなく、人間じゃない。
なんだったら、魔女でもない気がするよ。
「余の前だからと言って緊張することはない。ほれ、手伝ってやろう」
白い女が、人差し指をひゅいと動かします。
すると、傭兵が操り人形のように私の前まで歩いてきます。
「体が勝手に動いて……い、いやだァ!」
「うるさいエサは、余は好かん。黙るがいい」
女が命令すると、傭兵の口がピタリと閉じられます。
そして私の下の口の前に、供物のように跪きました。
どうやら傭兵は、気絶しているみたいだね。
「余からの挨拶代わりのプレゼントだ。受け取ってくれると、余は嬉しい」
「え、いや、そのう……」
私、人食いアルラウネじゃないんです!
この見た目のせいでそう勘違いされた時期はあったけど、人に優しい植物モンスターなんですよ!
「申し訳、ないのですが、私、人はちょっと……」
「そうか、好みではなかったか。まあすべての魔物が人を食うわけじゃないゆえ、仕方ないか」
何も気にした様子がないその女は、「もう離れてよい」とひとり言を呟きます。
その言葉に反応するように、傭兵の頭から黒い影がぬるりと出てきました。
──シャドウデーモンだ!
シャドウデーモンは戦場に出現するモンスターです。
主に死体に取り憑いて体を動かすことができるのだけど、それを生きた人間に憑依させて操っていたんだ!
人にモンスターを寄生させて、エサにしようとしていた。
どう考えても、人ではない。
おそらく高位の魔族……もしかしたら、残る四人目の四天王とかかもしれない。
「エサがいらないというのなら、欲しいものを言うがいい。余がプレゼントしてやろう」
「…………なぜ、見ず知らずの私に、そこまで、してくれるん、ですか?」
「余は強い者が好きなのだよ。こんなに強いモンスターは初めて目にした。それに、キルケーを殺さずにいてくれたことも感謝しているのだ」
「あなたは、魔女王キルケーの、仲間ですか? もしかして、あなたも、魔女?」
「余は魔女ではない。だがキルケーもアルラウネも、余にとっては愛い存在である」
女は私の顔を寄せて、抱きしめます。
そして我が子に接するように、優しく頭を撫でてくれる。
「人間に襲われ、精霊や妖精にかどわかされ、さぞ気苦労したことであろう。だが、もう安心するがいい。これからは余が守ってやろう」
私の体を、闇が包み込む。
それを受け入れようとする気持ちと、拒絶しようとする気持ちが、体の中で反目し合っていました。
魔物としての私が、この人を受け入れろと熱望している。
だけど聖女としての私が、それに待ったをかけます。
「……教えて、ください。あなたは、何者、ですか?」
「余はヘカテ。そなただけでなく、すべての魔物の味方じゃよ」
次回、魔物を生む女です。