日報 新米聖女は聖光国から手紙を書き綴る 中編
引き続き、新米聖女ニーナ視点です。
あたしは新米聖女のニーナ。
正式な聖女となるためにミュルテ聖光国の聖都を訪れたら、そこで敬愛するイリス様を殺した真犯人である灯火の聖女ゼルマと遭遇してしまいました。
ストロベリーブロンドのこの女は、あたしが聖女見習いの頃からなにかとちょっかいを出してきた人です。
きっと、あたしがイリス様をお慕いしていたことを知っていたのでしょう。
何度も苛められた経験があるので、正直かなり苦手です。
でも、これまでのように、逃げていちゃダメだ。
イリス様に恩返しをするためにも、こんな性悪女には負けない!
「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません、ゼルマ様」
あたしが頭を下げると、ゼルマは「ふんっ」と己の髪をかきあげました。
「別に挨拶されても嬉しくないから。というか、あんたが聖都にいるってことは、正式な聖女になるってことなんでしょう。まったく、ガルデーニア王国の聖女はわたくし一人で十分なのに」
露骨に不快な表情をしているゼルマ。
そんな態度を取られても、あたしには言い返すことはできません。
なにせ相手は、ガルデーニア王国の聖女であり、第二王子である勇者の妻。
つまりは、王族の一員です。
しかも事と次第によっては、ゼルマは将来の王妃になる可能性が高い。
対してあたしは、聖女とはいえ平民出身です。
強い後ろ盾もないし、なにより身分が違う。
だからくやしいけど、この女に黙って頭を下げるしかないのです。
「ニーナはまだ半人前とはいえ、国の聖女が二人になれば便利よね。わたくしは王都を守護するので忙しいから、あなたにはこれからは最前線に出てもっと頑張ってもらわないと。魔王軍の四天王を倒した経験もあるみたいだし、それくらい問題ないでしょう?」
ニヤニヤと笑みを浮かべるその顔は、あからさまにあたしを邪魔者扱いしています。
きっとあたしがガルデーニア王国に戻ったら、魔王軍との最前線に送るつもりなのでしょう。
でも、あたしは平均的な聖女よりも弱い。
魔王軍の四天王を倒したのは、本当はアルラウネとなったイリス様です。魔王軍の幹部と戦うような力はあたしにはない。
だから塔の街以外の最前線に送られでもしたら、あたしの命はそう長くないかもしれません。
「もちろんガルデーニア王国の聖女として、精一杯勤めを果たさせていただきます…………ところでゼルマ様、そちらの方々はどちら様でしょうか?」
さきほどから気になっていたことを尋ねてみました。
聖女ゼルマの背後には、見たことのない顔の人がいたからです。
「そうね、ニーナも聖女ですし、紹介くらいはしてもいいわね。こちらはこちら帝国の第三夫人、儚妃様とその従者です」
ゼルマの隣にいる、車椅子に座っている女性に視線を移します。
風がないにもかかわらず、半透明の黄金色の羽衣がゆらりと動きました。
このいかにも高価そうな羽衣を身に纏っているこの方が、帝国の第三夫人ですか。
ゼルマが帝国の一行とミュルテ聖光国に出向いたことは、あたしも情報として知っています。ですから、そこまで驚きはありません。
でも、おかしいですね。
この帝国の儚妃様の右目に、見覚えのある植物が生えています。
あれはたしか、イリス様が魔女王キルケーに寄生させたヤドリギという植物。
見間違えるはずありません。
だってあのヤドリギからは、イリス様の光のオーラが溢れているから。
光魔法のオーラを視認するあたしのこの目にかけて言い切れる。
目の前の女に生えているあの植物は、イリス様のものと同一のものです。
ということは、この帝国の第三夫人の正体は、魔女王ということなのかも。
信じられない──でも、髪の色は白色だし、顔も魔女王と似ている。
イリス様の寄生攻撃で魔力が無くなったらしいから、それで変身魔法が解けてしまっているのかも。
「儚妃様は、女神の塔におられる、あのお方に、治療してもらったのよ」
女神の塔にいるあのお方。
そのお方の存在について、あたしはつい最近知ったばかりなので、名前をあげられただけで心臓の鼓動が早くなっていくのがわかりました。
「残念なことに、あのお方でも、この植物の呪いを解くことはできなかったわ。エリクサーをいただくことも叶わなかったしね」
エリクサーとは、千年ほど前に女神セレネ様が創造されたという、万能薬のことです。
未だにそんな古代の神薬が現存しているということすら、あたしは初耳でした。
「けれど、ここに来たかいはあったわ。あのお方のお力で、呪いの進行を止めることはできたみたいなのよ。おかげで儚妃様がこの植物に侵されて亡くなることだけは防げたわけ」
そこであたしは悟りました。
ゼルマは知らないのだろうけど、その儚妃様の正体は魔女王です。
つまり魔女王は、表の顔である帝国の第三夫人という立場を使って、あのお方に治療をしてもらっていたんだ!
あたしは車椅子に座っている第三夫人の顔を見ます。
顔の半分が植物に寄生されている彼女は、あたしと目を合わせるとニヤリと笑みを浮かべました。
まさか魔女王が、こんな堂々とセレネ教の本部に乗り込んできているとは思わなかった。
魔女は、聖女を狙って襲う。
これは民衆には秘密にされているけど、教会上層部の関係者だけに知らされている共通認識です。
そんな聖女の天敵である魔女のトップが、あのお方に治療をしてもらうなんて信じられない。
きっと教会の幹部だけでなく、あのお方は、儚妃様が魔女王だって気が付かなかったんだ。
せっかく魔女王を亡き者にするチャンスだったのに。
帝国の皇族の正体が魔女王だなんて言ったら、頭のおかしい奴だと思われるかもしれない。
それでも、あたしは真実を話すことにします。
「ゼルマ様…………言いにくいのですが、その方は」
あたしが続きを喋ろうとすると、車椅子を押していたもう一人の人物から殺気が放たれました。
つい萎縮してしまい、あたしは口を閉ざしてしまいます。
殺気を放ってきたこの男、見覚えがある。
たしかアルラウネの森で魔女王と一緒にいた丸刈り頭の男だ!
髪型がアフロになっているから、気が付かなかった。
ここで儚妃様の正体を告げようものなら、目の前のこの男に殺されるかもしれない。
それほどの殺気を感じてしまいました。
魔女王はイリス様のヤドリギで魔力が封じられているとはいえ、戦闘力は未知数です。
しかも護衛までいるとなると、この場でゼルマに真実を話すことは難しい。
どうしたものかと悩んでいると、ゼルマは「それじゃまたね、ニーナ」と去っていきました。
車椅子の魔女王とアフロの護衛も、ゼルマに続きます。
──これは大変なことになりましたよ、イリス様!
魔女王のヤドリギは解除されたわけではないみたいだけど、それでも命に別状はなさそうでした。
放っておけば長くはないと思っていたのに、あれでは死ぬ気配はないです。
しかもあのお方に治してもらったなんて……。
だけど、帝国の第三夫人という立場なら、それこそ天上のお方と会うことも可能なのでしょう。
あたしは権力とは縁遠い生活を送って来たけど、聖女になって王国の中枢の一員になったことで、そういうこともなんとなく理解できるようになりました。
緊張が解けたところで、あたしは常備している黒色の水筒を手にします。
──ゴクゴク。
ああ、やっぱり聖蜜は最高ですね!
こんな嫌な体験をしたんです、聖蜜を飲んでいないとやってられません。
せっかくですし、ミュルテ聖光国の人たちにも聖蜜の素晴らしさを広めてあげたいですね。
こんなに美味しい物を食べたことがないなんて、人生の半分は損していますから。
心が落ち着いたところで、ふと先ほどの光景を思い出します。
「そういえば、魔女王が着ていたあの黄金色の羽衣」
──あの羽衣から、前にドライアドの四天王と戦った時に見た『勇者の兜』と同じオーラが見えた気がする。
ミュルテ聖光国に着いてから、十数日が経ちました。
教皇聖下から待つようにと言われて、ずっと待たされています。
このままじゃ冬が終わって、春になっちゃうよ。
しかも、あたしが聖都の宿で待ちぼうけをしている間に、ゼルマたち一行は帰国することになりました。
一応、聖女ゼルマはあたしの先輩聖女でもあります。
不本意ではあるけど、あたしは聖魔結界を越えて街の外まで見送りにいきました。
ゼルマは、車椅子の儚妃様、その護衛のアフロ男と出発の準備をしていました。
彼女たちを見送るのは、あたしを除けばミュルテ聖光国の教会関係者だけです。
その中の一人の聖騎士が、車椅子の儚妃様に近付いていきました。
見るからに老騎士といった雰囲気のヨボヨボのおじいちゃんです。まるで枯れ木のように朽ち果てそうなのに、不思議と力強い気配を感じます。
「ゴホッゴホッ……それでは約束通り、例の物をお返しいただけますじゃろうか」
「にゃはは、そういう約束だったねー」
車椅子の儚妃様が黄金色の羽衣を脱ぎます。
光の粒子を放つその羽衣を、そのまま教会の聖騎士へと手渡ししました。
「確かに受け取りましたじゃ。ですが、これ以後は……」
「わかってるよー、魔力も封じられたままだしね。でもさ、むしろこんな大切な物を魔王軍から取り返してあげたんだから、わたしに感謝して欲しいくらいだよー」
儚妃様と聖騎士が何の話をしているのかは、あたしには理解できません。
だけどやっぱり、あの黄金色の羽衣からは、前に見た勇者の兜と同じ色のオーラが見える。
女神様の聖遺物みたいに綺麗な光……。
その後、ゼルマたちは、馬車に乗って旅立ちました。
儚妃様の正体が魔女王だとしたら、ここで逃がしてしまうことになる。
聖女として、そしてイリス様のためにも、あの人類の敵を取り逃がすことはできません。
だからこそ、聖騎士にそのことを告げようと思っていた──
でも、あたしはそのことをやめてしまいます。
この聖騎士は、あの儚妃様と何やら取り決めをしていた様子でした。
聖騎士の意思は彼個人の感情ではなく、おそらく教会の決定そのもの。
あたしみたいな平民出身の聖女が知らされていない何かを、先ほどの会話から感じてしまった。
それがなんだか怖くて、あたしは言い出すことができなかった。
イリス様、すみません。
あたし、ゼルマだけでなく、魔女王に対しても何もできませんでした。
聖女になったとはいえ、あたしはまだ一人では何もできない。
弱い自分が嫌いです。
イリス様みたいに、もっと強い力が欲しい……!
でも、ただでは転びませんとも。
あたしが見たこの情報は、手紙に書いて必ずイリス様にお知らせします。
イリス様のご判断に、あたしは従いますからね。
それからイリス様宛の手紙を書いているうちに、冬はさらに深まりました。
これまでの出来事を包み隠さずにすべて書き上げたところで、ついに教皇聖下からのお呼び出しが来たのです!
宿を出たあたしは、出迎えの馬車に乗り込みました。
車内から外の様子を眺めていると、ドーム状の石造りの建物が見えてきます。
あれはセレネ大聖堂。
大陸を実質的に支配しているセレネ教の最高指導者である教皇聖下がお住まいになる、聖なる宮殿です。
滞在中の聖都観光で、あたしが何度か訪れた場所でもあります。
そもそもですが、あたしは正式な『聖女』として認定を受けるために聖都にやって来ました。
その『聖女』認定をするのは、教会の最高指導者である教皇聖下です。
にもかかわらず、その教皇聖下がいらっしゃるセレネ大聖堂を、馬車はあえて素通りしました。
馬車はそのまま、聖都の中心にそびえる『月の女神の塔』へと到着します。
月に届いてしまうほど高いことからその名前がつけられたという話だけど、本当に高い。
下から見上げたら、体を反りすぎて首が痛くなってしまいましたよ。
よくこんなに高い塔を建てられましたね。
千年もの間、ずっと建設を続けているという話だから、未だに高さが増しているのかも。
こんな規格外な物を造れるセレネ教ってすごい。
そんなセレネ教の最高指導者が、女神の塔の一階であたしを待ち構えていました。
塔の中へと入ったあたしは、「お久しぶりでございます」と教皇聖下へと声を掛けます。
この滞在中に、教皇聖下にはきちんと挨拶を済ましていました。
それなのに、あたしの『聖女』認定は先延ばしになっていた。
それはなぜか。
対外的には教皇聖下が『聖女』を認定することになっているけど、実のところ、それは正しくないのです。
「では行きましょうか、聖女ニーナ」
教皇聖下は、上へと視線を向けます。
その視線の先が、はるか上層階なのを悟ってしまい、無意識のうちにため息が出ました。
──いったい何階分、階段を上ればいいんだろう。
目算だけど、この塔は百階以上ある気がする。
もしかしたら、その何倍もあるかもしれない。
セレネ教の教義的にも、偉い人はきっと高い位置にいる。
こんなに高い塔は初めてだから、足がもつ自信がないですよ。
気を落としながら、教皇聖下がおられる広間へと移動します。
けれども、他の従者たちは、広間の手前で止まりました。
どうやらこの先に進むのは、あたしと教皇聖下の二人だけみたいですね。
そして教皇聖下と二人きりになったところで、不思議なことがおきました。
あたしたちがいた床全体が光り輝き、なぜか体が一瞬浮いた感覚がしたのです。
「着きましたね。せっかくです、聖女ニーナ。外をごらんなさい」
いったい何が起きたのかわからないでいると、教皇聖下が窓のある場所へと案内してくれました。
そこで、あたしは自分の身に何が起きたのか理解します。
「え…………下に、雲が見える……」
眼下には、先ほどまであたしが暮らしていた聖都の街並みが見えました。
いつの間にか、あたしたちは雲よりも高い位置にある塔の上層部に移動していたのです。
「転移陣は初めてでしたね。これも女神様のお力ですよ」
この世には、まだ理解できないことが存在している。
その事実を、女神様のお力と共に再認識してしまいます。
あたしの理解を飛び越える出来事に動揺しているうちに、目的地へと辿り着きました。
「さあ、扉をお開けなさい。あのお方がお待ちです」
実は、本当の教会の最高指導者は、教皇聖下ではない。
その存在そのものが秘匿され、教会の幹部でも一部の者にしか知らされていないほどの高位の存在。
そして、この摩訶不思議な女神の塔の実質的な支配者であり管理人。
「ここが巫女の間です。聖女ニーナの先輩である聖女ゼルマ、そして聖女イリスも、ここであのお方から『聖女』の認定を受けたのですよ」
教皇聖下に促され、あたしは扉を開きます。
黄金色に輝く重厚な扉の先には、細かい彫刻が施された柱が並んでいました。
その最奥に、玉座のように荘厳な椅子が設置されています。
この塔の王であることを示すその玉座には、一人の女性が座っていました。
後ろからついて来た教皇聖下が、彼女に向かって頭を垂れました。
あたしも同じように、頭を床につけます。
教皇聖下ほどの人ですら、対等に話をすることすらできない。
それほどの存在のお方は、この世に一人だけです。
数秒後、玉座に座る女性があたしたちの存在に気が付きました。
そしてつまらなそうに、こちらへゆっくりと顔を向けます。
「あなたがセレネ様の新しい娘ですね」
凛としたその声を聞いた瞬間、鳥肌が立つ感覚がしました。
さっきから胸の鼓動の音がうるさい。
心臓が爆発しそう。
これまであたしが出会った中で最も尊い人物と対面したことで、神経が擦り切れてしまいそう。
あたしの目の前にいる人は、世界各国のどの国家元首よりも力がある。
それこそ、世界を束ねる教会の教皇聖下よりも。
つまりそれは、人類で最も権力を持っているということになります。
セレネ教の真の最高指導者は、あのお方と呼ばれる一人の女性。
女神セレネ様の代弁者とされる、この“女神の巫女様”なのです。
ゼルマをミュルテ聖光国へ運んだのは、大賢者オトフリートになります。
空飛ぶ風魔法で無事にゼルマたちを送り届けた大賢者オトフリートは、仕事を終えたことで先にガルデーニア王国に帰ったので、魔女王の正体は知らないままです。
次回、新米聖女は聖光国から手紙を書き綴る 後編です。