日報 新米聖女は聖光国から手紙を書き綴る 前編
新米聖女のニーナ視点です。
あたしは新米聖女のニーナ。
アルラウネとなったイリス様の言いつけを守っていたら、いつの間にか黄翼の聖女として王都で名をはせるようになってしまいました。
あたしには、イリス様のような強い光魔法の才能はない。
ただの平民の聖女見習いだったのに、いったいなぜこんなことになってしまったのでしょうか。
今日もあたしは、王都を不在にしている灯火の聖女ゼルマ様の分も、王都でせっせと働いています。
そんな王都ではいま、大美容ブームが到来しています!
聖髪料が、貴族平民問わず大流行しているのです。
しかも塔の街から追加分を運んできたシスターさんが、流行を変な方向へと向かわせました。
「聖髪料は美容の女神である、塔の街の大精霊アルラウネ様によって生み出されたものです!」
「精霊のように美しい髪を100年以上保てます!」
「美容の女神アルラウネ様を拝めば、効果は倍増です!」
と、シスターさんが王都の民を煽りに煽ったせいで、王都で美容の女神アルラウネ信仰が芽生えてしまったのです。
元々、聖蜜食堂のおかげで王都の平民にとって聖蜜が当たり前の存在になりつつあったという下地はありましたが、シスターさんによって聖蜜はさらなるステージに上ったのでした。
聖蜜がガルデーニア王国の人間に受け入れられれば、ゆくゆくはモンスターのアルラウネとなったイリス様も受け入れてもらえるかもしれません。
「こうしてはいられませんね、あたしも頑張らないと……こんにちは、シスターさん」
「あなたは黄翼の聖女、ニーナ様!」
「あたしにもその演説、手伝わせてください」
これでもあたしは王都でも名高い、魔王軍の四天王を撃破した新米聖女です。
そんなあたしが、アルラウネの聖蜜を宣伝すれば、どうなることかは明白でした。
「これはただの蜜でありません、不思議な力を持った聖なる蜜です。皆さんも毎日飲みましょう!」
あたしが民にそう訴えれば、王都の人たちは「わかりました聖女様!」と快くあたしの話を受け答えてくれました。
以前、命を助けてあげた孤児のみんなも、聖蜜を広める一翼をになってくれています。
彼らのおかげで、貧民街のみんなの心は一変しました。
なんと、聖蜜を生みだすアルラウネのことを第二の女神のように祈っているのです。
人類の神であるセレネ教の女神、セレネ様以外の神を信仰することは、邪教だといわれて迫害されるかもしれません。
ですが、そのセレネ教の関係者ですら、いまや聖蜜のファンとなっています。
この盛り上がりを簡単には押さえつけることはできないでしょう。
また、あたしのお友達の男装の女商人メルケルさんの食堂は、いまや王都での聖蜜の聖地のような場所になっています。
聖蜜パンケーキは、いまや王都のシンボルとでもいうべき大人気商品です。
お忍びで食べにくるお貴族様すらいるようですからね。
王都の平民の間で広がっていた聖蜜運動は、次第に貴族にも伝わります。
そして、アルラウネ信仰をただの流行から王都中を巻き込む大流行に変えたのは、とあるお貴族様のお言葉でした。
とある舞踏会で蝶々様と呼ばれる大貴族のご婦人が、「聖蜜には若返りの効果があるみたいなのよ」と言ったことがすべての発端です。
その蝶々様は聖髪料にハマってしまってアルラウネ信仰にたどり着いただけでなく、とある蜜好きの新米聖女の勧めによって聖蜜を主食にしてしまったのです。
すると、お肌の張りが良くなっただけでなく、若返ったような気がするとつぶやいたのでした。
蝶々様は元々、王都の女性の間では流行の発信源となるようなお方のようです。
そんな蝶々様の言葉に影響されたご婦人方が聖蜜を買い漁り、今では聖蜜は塔の街での何倍もの値段まで上がっています。
ですが、この盛り上がりは未だ止まる気配がありません。
噂では、お隣のグランツ帝国にまで聖髪料が売れているらしいとか。
イリス様がお作りになった物ですし、評判になるのは当然のことですね!
さらに事態は加速します。
グランツ帝国が塔の街に侵攻をしたけど、それを聖女ゼルマがたちまち治めたというのは、王都でちょっとした話題になりました。
運良く帝国の国境付近の村で光魔法による治療を行っていた聖女ゼルマは、帝国軍侵攻の噂を聞くや否や、帝国に一人で出向いて和平を結んでしまったようです。
おかげで塔の街では死傷者が出なかったと、国王陛下もお喜びになっていました。
この帝国の領土侵犯の事件と共に、聖髪料の知名度はさらに上がります。
その原因は、王都へやって来た帝国の皇女フロイントリッヒェ様のお言葉がきっかけでした。
『わたくしと塔の街の領主マンフレート様との結婚を認めていただければ、帝国はガルデーニア王国に対してこれまで以上の良き隣人となることでしょう。それにわたくし、ガルデーニア王国のことが大好きなのですよ。聖髪料は毎日使っていますし、わたくしに影響された帝国臣民たちもガルデーニア王国の聖髪料の文化を積極的に取り入れておりますのよ』
塔の街といえば、いまや聖蜜と聖髪料の一大産地です。
その塔の街の領主との結婚を、帝国の皇女が望んでいる。
あの帝国軍の侵攻は、盗まれたバロメッツの奪還ではなく、実は聖髪料が真の目的だったんじゃないかと噂が流れるのにそう時間はかかりませんでした。
帝国が欲しがるほどの物。
聖髪料の価値は、天井知らずとなりました。
「美容の女神アルラウネ様をお祈りいたしましょう!」
教会の端っこで、シスターさんがお祈りを始めました。
一緒にお祈りしているのは、平民だけではなく貴族のご婦人もたくさんいます。
なかには、髪の毛がフサフサになっているおじさんたちも見かけました。
シスターさんは彼らに、木造りの小さな像を手渡ししていきます。
ちょっと良いですかと、あたしもシスターさんからその像を受け取ります。
それは、小さなアルラウネの姿をした木製の人形でした。
「このアルラウネ様像を持って毎日お祈りすれば、聖髪料と聖蜜の効果も倍増です。病気平癒、美容効果、アンチエイジングに若返り、さらには育毛効果に、開運招福、武芸上達に商売繫盛、はたまた良縁成就までアルラウネ様はなんでも効果がありますよ!」
そう言ってアルラウネの人形を高値で売るシスターさんは、商才がありました。
平民だけでなく、なぜか兵士や貴族、聖女見習いや神官などの教会関係者までアルラウネ人形を購入していきます。
そもそも、教会内で、女神セレネ様以外の存在を祈ること自体、異例中の異例です。
さすがにこれはやりすぎではないかと、ちょっと心配ですね。
いまはまだ、本部から注意を受けるくらいで済んでいますが、このまま何事も起きなければいいのですが。
それから数日後のことです。
あたしは王都の聖女見習いの本拠地である、聖女大聖堂へと訪れていました。
「聖母様からの急な呼び出しなんて、いったい何の用なんだろう。もしかして、シスターさんと一緒に聖蜜のことを演説したのがバレて、そのお叱りなんじゃ…………」
不安で体を震わせながら、大聖堂の階段を上ります。
すると、階段の踊り場に飾られている一人の女性の絵が目に入りました。
前にここに来た時にも見た、初代聖女ネメア様の肖像画です。
ネメア様は1000年程前に女神セレネ様の力によって聖女として目覚め、その子孫は勢力を拡大させていまのガルデーニア王国となりました。
この初代聖女ネメア様の再来と呼ばれていたのが、聖女イリス様です。
長い大陸の歴史上でも、初代聖女ネメア様に匹敵するのは、イリス様ただ一人だと言われていました。
でも、なんだかこの場所、少し寂しいですよね。
イリス様が初代聖女ネメア様に並ぶのであれば、ここにイリス様の絵画がないのは不自然です。
今度こそ、聖女イリス様の肖像画を大聖堂に飾るよう聖母様に直談判しないと!
「ニーナ、今日は良く来てくれましたね。さあ、ここにお掛けなさい」
部屋に入ると、聖母様があたしに椅子に座るように促してくれます。
今日は聖母様お一人のようですね。
とはいえ、聖母様はガルデーニア王国の聖女と聖女見習いを統括する最高責任者。
元聖女なこともあり、かなり迫力もあります。
いつも目力が強くて、すごく怖いんですよね……。
「あなたをここに呼んだのは他でもありません。実は──」
「聖母様、申し訳ありません! 聖蜜のアルラウネ信仰のことについては、あたしがすべて、悪いんです!」
あたしは即座に椅子から飛び上がり、床に頭を付けながら謝罪の体勢へと移行します。
やはり、聖女であるあたしが聖蜜の演説をしたことを怒るつもりなんだ。
せっかくアルラウネとなったイリス様が王都のみんなに受け入れてもらえそうなところまで来たのに、ここで聖母様に釘を刺されたらすべてが水の泡になってしまう。
だから、今回だけは、どうか許してください!
「…………なにをしているのですかニーナ、頭を上げなさい」
「で、ですが!」
「あなたを呼んだのは、聖蜜のことではありません。もちろん、あなたが塔の街のシスターと何やら活動しているのは知っております。ですが、あの程度ではセレネ教の信仰は揺らぎません。それに──」
聖母様は、懐から小さな瓶を取り出します。
そういえば聖母様の髪は、以前お会いした時とは比べられないくらい輝いていました。
50歳とは思えないくらい、若々しい髪質に見えます。
「わたくしもこの聖髪料を愛好しているのですよ。使うと、なんだかとても懐かしい気配がするのですよね。まるであの子の光魔法を思い出すわ……」
聖母様は、壁に飾ってある肖像画を眺めます。
この部屋にも、初代聖女ネメア様の肖像画が飾られていました。
ネメア様の顔は、どことなくイリス様に似ています。
きっと聖母様も、あたしと同じことを思ったのでしょう。
「あの子に懐いていた貧相な子供が、いまやこんな立派な聖女になったのです。イリスも天上の国であなたを見守ってくれているはずですよ」
そうですね。
イリス様は塔の街で地面に根を張りながら、あたしを見守ってくれているはずです。
あたしがしっかりしないで、誰がイリス様の汚名をそそぐことができるの。
しっかりしないと!
「そこでニーナ。あなたにはミュルテ聖光国へと出張していただきます」
ギロリと、聖母様が刺すような視線をあたしに向けました。
「これで晴れてニーナも正式に聖女の仲間入りとなります。大丈夫、イリスをはじめ、歴代の聖女が誰しも訪れることになっているのですよ」
聖女見習いから聖女として正式に任命してもらうには、セレネ教の本部があるミュルテ聖光国に行かなければならないのです。
これまでの聖女(仮)は、これで卒業できる。
それに、ミュルテ聖光国で『聖女』として認定してもらうことで、あたしは大陸全土の民に『聖女』として認められる。
そうなれば、今以上の発言力が手に入るはず。
イリス様のためにも、あたしはまだまだ上に行く必要があります。
それこそ、イリス様を亡き者にした、あの聖女ゼルマよりも……。
こうしてあたしは、ミュルテ聖光国へと旅立ちました。
ガルデーニア王国の王都を北上して、大陸の端の港から船で移動します。
魔の者を浄化するという聖海と呼ばれる不思議な海を渡ると、陸が見えてきました。
ガルデーニア王国と並ぶ、世界最古の大国、ミュルテ聖光国です。
ミュルテ聖光国はドーナッツのような形の島国で、その島の中心の湖には、一つの街が浮いていました。
それこそが、世界の中心と呼ばれるミュルテ聖光国の都、そして大陸を支配するセレネ教の本部がある聖都です。
ガルデーニア王国の王都にもある聖魔結界を抜けると、白色を基調とした綺麗な街並みが目に入りました。
「これが聖都…………ということは、あれが本物の女神の塔ですね」
ミュルテ聖光国に入国した時から見えていた、その巨大な塔を見上げます。
雲を突き抜けるその塔は、塔というにはあまりにも巨大でした。
塔の街にあった女神の塔は、この塔を元に造られた模造品にすぎないことを、理解してしまいます。
『月の女神の塔』と呼ばれるこの建造物は、その名の通り空にも届きそうな長さで、下からではてっぺんが見えません。
この世界の人類が建造した建物の中で、最も高い建造物だという話だけど、納得でしかないです。
セレネ教では、この塔の最上階に、天界から地上へ降りて来た女神セレネ様が住んでいると伝えられています。
主神であるセレネ様にこんなにも近づけたなんてと、感動で目が潤んできてしまいました。
目元を拭こうとハンカチを手にしたところで、それを止めます。
これはイリス様からいただいた大切なハンカチ。
軽々しく使ってしまって、汚すことなんてできない。
だってこれは、あたしとイリス様を繋ぐ、大切な思い出の品なんだから……。
イリス様のハンカチを懐にしまい、別のハンカチで涙をぬぐったところで、視線を感じました。
振り返ると、そこには驚くべき人物が立っていたのです。
「あら、ニーナじゃない。まさかこんなところであなたと会うなんてね」
そこには、ストロベリーブロンドの髪の女がいました。
白をベースとした布地に黄金の刺繍の祭服。
その服を着ているということは、あたしと同じでこの女が『聖女』であることを表しています。
そしてあたしは、この女の名前を良く知っている。
「先輩であるこのわたくしに挨拶もないなんて、失礼ではなくて?」
こちらを見下すような視線には、耐えられる。
それよりも我慢できないのは、この女が堂々とお日様の下を歩いていること。
あたしが敬愛するイリス様を裏切り、その手で殺した張本人。
仇敵である灯火の聖女ゼルマが、あたしの目の前で不適な笑みを浮かべていたのです。
次回、新米聖女は聖光国から手紙を書き綴る 中編です。