水飲 街最強のA級冒険者は拒絶不可避の契約を締結する
ドリンクバーさん視点です。
ボクの名前はホルガー。
塔の街の冒険者パーティー『龍水の結晶』のリーダーをしているA級冒険者だ。
そんなボクのことを、なぜか「ドリンクバー」と呼ぶ者がいる。
そう、あのアルラウネだ。
そもそも、「ドリンクバー」とはいったいどういう意味なんだ?
なぜボクのことをそう呼ぶのかアルラウネに何度尋ねても、結局「ドリンクバー」の意味は教えてくれなかった。
「お水おいしい」としか返してくれない。
ボクにはホルガーという名前があるのに、いったいいつになったらアルラウネに名前を覚えてもらうことができるんだろうか。
だが、アルラウネにだったら、なんと呼ばれても文句はない。
彼女はボクたちにとっての命の恩人であり、英雄でもあるのだから。
紅花姫アルラウネは塔の街を魔王軍から守った救世主だ。
街の住民で彼女に命を救われていない者はほとんどいない。
モンスターであるアルラウネだけど、街の人間たちからすればもうモンスターでも魔物でもなんでもない。
種族は違えど、もう同じ街の仲間だ。
そんな街の英雄から「ドリンクバー」という称号をもらったと思えば、悪い気はしないな。
意味はわからないままだが、きっと栄誉ある言葉なのだろう。
むしろ誇っても良いかもしれないね。
そんなボクは最近、恋をした。
相手はそう、冒険者組合の受付嬢であるヤスミンだ。
自分で言うのもなんだが、A級冒険者であるボクはモテる。
顔もそれなりに整っているつもりだ。
そのせいか、言い寄って来る女の数は少なくない。
けれども、これまで気に入った女性と良い関係になることはあっても、深い間柄になることはなかった。
いろいろな女性と話したが、いま以上に胸を締め付けられるような想いをしたことはない。
そう、ボクは運命の恋に出会ったのだ。
「やあ組合長。ヤスミンはいるかい?」
日課である冒険者組合に訪れると、ひげ面の組合長が出てきた。
野郎の顔なんて拝みたくない。
早くヤスミンを呼んできてくれ。
「ヤスミンは今日、非番だぞ」
まあそんな日もある。
そういえば近いうちに身内が街に来るからその準備をしないとと言っていたが、その用事かもしれない。
「そういやホルガー。お前、ヤスミンのことは本気なのか?」
「本気だよ。こんな熱い想いは生まれて初めてだからね」
きっかけは祭りの夜、ダンスを踊ったことからだった。
いや、その日の昼間に、魔女に襲われたヤスミンを助けたのがきっかけだったかもしれない。
それとも、彼女をこの冒険者組合で雇って欲しいと紹介してあげた時からかもしれないな。
とにかく、あの祭りの夜から、ボクとヤスミンは友人以上の関係となった。
ボクに春が訪れたんだ。
季節が移るごとに、ボクたちの関係もより深まっていく。
日に日に胸の締め付けは苦しくなり、とうとう我慢できなくなった。
そして大晦日の夜に彼女を呼び出し、告白した。
だが、返事はまだない。
『考えさせて』というのが、彼女が唯一発した言葉だった。
ボクはいつまでも待っているとヤスミンに言ったけど、あれから十日以上が経過した。
自分から告白したのは、人生初めてのことだった。
そのせいで気になってしまい、こうして冒険者組合に様子を見に来たけど、不発だったな。
「ホルガーよう。とやかく言うつもりはないが、ヤスミンを泣かしたら承知しないからな」と、ひげ面の組合長は奥へと消えて行った。
ヤスミンが冒険者組合のみんなから可愛がられていることは知っている。
そのせいか、最近はボクに対して視線が厳しい。
だけど、そんな冒険者組合の職員ですら、ヤスミンのことを詳しく知っている者は誰もいない。
彼女には、人間の友達はいない。
唯一友達と認めているのは、なぜか森のアルラウネだけだ。
ヤスミンには謎も多い。
交流を深めていくうちに感じたのは、ヤスミンはボクに対して何か隠し事をしているということだ。
そういえばヤスミンはどこかの屋敷でメイドをしていたはずだが、もしかして平民ではなく貴族出身だったのだろうか。私生児という可能性もある。
だが、気になることはまだある。
ヤスミンが働いていた屋敷を調べてみたけど、この街には彼女を雇っていた家はひとつもなかった。
それなのに、ボクがヤスミンと初めて会った時、メイド姿の彼女はお腹を空かせて街を放浪していたのだ。
いったいどこから来たんだろうか。
他にも、ヤスミンは頭の帽子を何があっても外さないのも気になる。
彼女の頭部をボクは一度も見たことがない。
なんなら、組合長も見たことがないと言っていた。
あの大きな帽子の中身がどうなっているのか、とても気になる。
時折、彼女のふんわりとしたスカートが不自然に動くのも不思議だ。
いっそのこと、勇気を出して質問をしたくなるが、無理に尋ねるような野暮なことはしない。
彼女が話したくなるまで、隠し事は秘めたままにしておいて問題ない。
なぜなら、ボクは彼女のことを信じているからね。
「ホルガーという男はどこのどいつですか!」
突如、声が響いた。
冒険者組合に大柄の男が入ってきたのだ。
この辺じゃ見かけない男だけど、ひと目でわかる。
こいつはかなり強い。
「……ボクだけど」
なぜこの男がボクのことを呼んでいるのかはわからない。
それでも、ボクはこの街唯一のA級冒険者。
臆病者のように隠れることなんてするはずがない。
「お前ですか、うちの娘をたぶらかした男というのは」
「娘? ええと、どちらさまですか?」
「見てわからないかい? ヤスミンのパパだよ」
その男は、驚くことにヤスミンのパパだと名乗った。
家族が街に来ると言っていたのは、本当のことだったのか。
「君、うちの娘と付き合ってるのか?」
「ま、まだですが、ボクは付き合いたいと思っています」
「その話、ほ、本当だったのか……パパに黙ってどこの馬の骨ともわからない男と…………許せん」
ヤスミンの父親と名乗る男から、禍々しいオーラが発せられた。
かなりの魔力だ。
魔力量であれば、A級冒険者並みか、それ以上はあるかもしれない。
まさかヤスミンのお父さんがここまでの実力者だとは知らなかった。
「小僧、本気でヤスミンのことが好きなのか?」
「ええ、ボクは本気ですよ」
とはいえ、残念ながら、ボクたちはまだ友人の関係にある。
もう一歩距離を進めたいとは思っているんだけどね。
「なら、この書類にサインしてもらおうか」
ヤスミンの父は、テーブルの上に数枚の紙を置いた。
それは、契約書だった。
かなりの長文で、眩暈がしそうになるのを耐えながら一言一句読み進める。
要約するとこうだ。
・ヤスミンに故意に危害を加えない
・どういう関係になってもヤスミンを裏切らない
・拷問をしたり、身体の一部を切断したり、捕まえたうえで誰かに渡したりしない
・なにがあってもヤスミンを殺さない
・なによりもヤスミンのことを一番に考えて行動すること、というようなものだった。
ヤスミンを裏切らないとかならわかるけど、危害を加えないどころか殺さないなんて書かれているとは思わなかった。
そんなことするわけないのに。
もしかしてボクのこと、山賊かなにかと勘違いしているのだろうか。
「この書類にサインしなければ、パパは君が娘と交際することを絶対に認めない」
そこまで言われたら、書かないわけにはいかないだろう。
ボクはそれくらい、ヤスミンに本気だからだ。
裏切ることなんて絶対にしない。
まして殺すなんて…………さすがに心配し過ぎて親バカを疑ってしまうなあ。
「はい、サインしましたよ。それで、万に一つもありえないけど、もしもこの約束を破ったらどうなるんですか?」
「お前は死ぬ」
「…………え?」
「契約違反をした場合は、お前の魂は心臓ごとパパが握りつぶす。覚悟しろ」
そんな悪魔みたいな台詞を言いながら、ヤスミンパパは冒険者組合から出て行った。
怖すぎだろう…………。
あの目、契約を破ったら絶対にボクを殺すつもりだ。
間違いなくただ者じゃない。
やっぱり、ヤスミンは良いところのお嬢さんだったのか?
いったいあの契約はなんだったのかと、椅子に座りながら悩んでいると、再び来客がやって来た。
「ホルガーという男はどちらかしら?」
今度はなんだ。
入口から、やけにスタイルの良い女性が入ってきたぞ。
この辺じゃ見かけないな。
「…………ボクですが」
「あなたがヤスミンの恋人ね。話は聞いているわ」
「まだ恋人ではないのですが?」
「細かいことはいいの。自己紹介が遅れたわね、私はヤスミンのママよ」
まさかの、今度はヤスミンのママの登場だった。
いったい今日はどうなっているんだ?
「あなたに用があるのよ。ヤスミンとこの先も仲良くするつもりなら、この書類にサインして欲しいの」
そこには、さきほどヤスミンの父を名乗る男が持ってきた契約書と同じようなことが書かれている書類があった。
要約すると、先ほどとまったく同じようなことが書かれていた。
ヤスミンを一番に大切にして愛すること、故意に危害や乱暴を加えないこと、命を奪ったりしないことなど、似たようなことがずらりと書いてある。
絶対にそんなことするわけないのに、この人もさっきのヤスミンの父親と同じでそれだけ娘が心配なのだろう。
もうすでに、ヤスミンのことを害さないという契約書を書いたばかりだ。
それにヤスミンのことは大切にするつもりだから、もう何も悩むことはない。
「あら、何も言わずにサインをするなんて、なかなか見込みのある男ね」
「いえ、それほどでも…………それで、万に一つもあるわけないですが、もしもこの契約を破ったらどうなるんですか?」
「あなたは死ぬわ」
「………………え?」
「契約を破った瞬間に、あの世行きよ。そうなりたくなかったら、ヤスミンのことを大切にすることね」
女が席を立ちあがる。
「もしもその万に一つのことが少しでも起こった場合は、私があなたの魂を消滅するまで拷問し続けるから、そのつもりでいて」
そう言いながら、ヤスミンの母を名乗る女は冒険者組合から去って行った。
「………………え、こわ」
ヤスミンの母親は、ヤスミンの父親よりも怖かった。
きっと恐妻家だ。
ヤスミンのところは女系一族なのかもしれない。
ボクも気をつけないと。
「それにしても、あの二人はいったい何だったんだ?」
ヤスミンの両親は、どちらも悪魔のような恐ろしいことをボクに告げて来た。
娘のために、契約書を書かせる親なんて聞いたことがない。
だけど、同時に思う。
もしかしたら、ヤスミンはとんでもなく良家の娘さんなんじゃないだろうか。
それこそA級とはいえ、平民出身の冒険者であるボクが、本来であれば一緒になるなんて思えないほどの。
たとえば、それなりの貴族のご令嬢とか。
ヤスミンは使用人であるメイドの服を借りて、家出をしたのかもしれない。
初めてヤスミンと出会った時、彼女はお金を持っていなかった。
世間知らずのお嬢さんだと思えば、ありえる話だ。
そう考えれば、あれほど念入りに契約書を書かせて来るのも納得はできる。
ボクの心臓を担保にしなければならないほど過激な内容なのは、契約にうるさいことで有名な悪魔のようだけど。
だが悪魔であれば、恋人になる契約書をボクに書かせるはずがない。
魔族である悪魔が人間と交流を持つなんて、ありえないからね。
もしもヤスミンが悪魔であれば、きっとボクは何度も命を狙われていただろう。
けれども、ヤスミンがボクを攻撃したことは一度もない。
何度も機会があったのにだ。
まあ、そもそも悪魔が人間の街に住むことなんてありえないか。
しかも冒険者組合の受付嬢をするなんて、天地がひっくり返ってもないね。
なにをバカなことを考えていたんだろうね、ボクは。
「ちょっとホルガー!」
今度は誰だと思ったところで、さきほど訪れた二人の娘さんが登場した。
そう、ボクの想い人である、ヤスミンだ。
「もしかして、あたしのパパとママがここに来なかった?」
「ああ、来たよ…………」
変な契約書をボクに書かせたんだ。
「そっか、大変だったね」という言葉を期待して、ヤスミンと目を合わせる。
すると、思いがけない言葉が彼女から紡がれた。
「なら話は早いわね」
ヤスミンは笑顔で、机の上に一枚の紙を置く。
恐る恐る、ボクはその書類に目を向けた。
「ホルガーにお願いなんだけど、この書類にサインして欲しいのよ」
というわけで、ドリンクバーさんことホルガーのお話でした。
最後に渡された契約書が何なのかは、ご想像にお任せいたします。もしかしたら、いつか明かされるかもしれませんが。
ちなみにですが、もしも契約を破ってしまうと、どうやら恐ろしいことになるようです……!
次回、第一回、魔女っこの家庭教師は誰だです。