239 ごきげんよう悪魔パパさん、私は娘さんのお友達ですよ
マライ皇太子妃の右目に宿っていた悪魔は、なんとヤスミンのパパでした。
正直いって、さっきから開いた口がなかなか閉じない。
まさか友達のパパを捕まえてしまっていたなんて、驚きです。
そんな悪魔ネビロスことヤスミンパパが、目から涙を流しながら叫びます。
「それよりも本当にヤスミンなのか!? ま、まさか生きていたなんて…………死んだと聞いてたんだぞ……!」
「え、あたし死んだことになってたの!? なんでよ!」
「ヤスミンがいた城が襲撃を受けて陥落したと報せを受けてから、もう一年近く行方不明のままだったんだぞ?」
「ちょっと帰り道がわからなくなっちゃって……というかパパはいまにも死にそうじゃん。捕まってるってことは、なにかしたんでしょ。あたしの友達になにしたの!」
敵だと思って捕まえた悪魔が、友達のお父さんでした。
えぇ、こんなことって、ある?
世間は狭いと思ったばかりだったけど、悪魔の世間も狭すぎでしょう……。
さすがにヤスミンパパをパクリとしてしまうわけにはいかないね。
「そうか、アルラウネはヤスミンの友達だったのか……知らなかったとはいえ、申し訳ないことをした。この通りだ」
謝罪してくれたのだし、許しちゃってもいいのかな。
友達のパパだもんね。しかたありません。
もう二度と私たちに攻撃をしないことを約束してもらい、蔓の拘束を解除してあげました。
「それで、なんでパパがこんなところにいるのよ?」
「パパはな、ヤスミンの仇を討ちにきたんだ……!」
命の危機が去った悪魔ネビロスさんは、観念したように皇太子妃の右目に宿っていた経緯を話してくれます。
「ヤスミンはガルデーニア王国の人間に殺されたと宰相様が言うもんだから、パパは怒り心頭になってな、ヤスミンの仇討ちをするためにガルデーニア王国侵攻作戦に名乗りをあげたんだ」
「やだな~パパは。早とちりだって。あたしは生きてるし、人間の街で楽しく暮らしてるのに」
どうやらこの悪魔パパは、魔王軍宰相に上手く踊らされたみたいです。
娘のヤスミンが行方不明になったのをいいことに、そのパパ悪魔を利用したのだ。
「宰相に、利用されて、いたのが、わかったなら、私たち、もう敵じゃ、ないですよね?」
悪魔パパに向かって淑女のようににっこりと微笑みかけます。
ブルブルと震えるパパさんは、「も、もちろんだとも娘の友人よ」とブンブンと頭を上下させました。
なら、教えてください。
「ガルデーニア王国、侵攻作戦って、いったい、何の話、ですか?」
「…………君は我が娘ヤスミンの友達だ。詳しく話してあげたいのだが、パパには無理なのだ」
申し訳なさそうに、悪魔パパが目を伏せました。
「帝国のやつらとは契約を結んでいる。計画内容を外に漏らしたら、契約反故のためパパは魂を捧げなければならない」
そういえば聞いたことがあるね。
悪魔は契約にはうるさいと。
「それにパパは捕まったとはいえ、誇り高き悪魔の将軍なのだ。むやみに部外者へ情報が漏れないように、他にも自分に契約をかしているのだよ」
「というか悪魔の将軍ってなに? パパは文官だったよね?」
なんと、悪魔の将軍ことネビロスパパは、ただの悪魔の文官パパでした。
将軍と名乗るにしてはそこまで戦い慣れていなさそうだったから、納得だね。
心臓をつかむ闇魔法も、動きが遅すぎて戦闘向きではないし。
ヤスミンはパパに向かって、ヤレヤレといったふうにため息を吐きます。
「将軍なんて名乗って、御祖父様に怒られてもしらないんだからね」
「だって、宰相様が今回の作戦中は将軍になったつもりでやっても良いっていうもんだから、パパ張り切ったんだぞ! それに義父様は隠居しているようなものだし、きっと少しくらい許してくれるさ……」
「まったく、パパはいつもそうやって調子に乗るんだから。あたし知らないよ~。絶対あとで御祖父様とママに怒られるに決まってるじゃん」
マライ皇太子妃のうっかりのように、悪魔ネビロスさんも自分の能力のことを明かしてくれたりもしたけど、あれは調子に乗っていたからだったんだね。
普通、自分の奥の手は秘密にしておくからね。そっちも納得です。
悪魔ネビロスさんがヤスミンのパパで、しかも将軍でもなんでもなくただの文官だった。
とはいえ、即死魔法は人間には脅威です。
普通の人間相手なら無双できそうだし、魔王軍の宰相に利用されるほどの実力は持っていた。
それに娘が行方不明なのをいいことに、娘の仇討ちだからと悪魔パパを人間にぶつけるつもりだったのでしょう。
そういえば悪魔パパは、マライ皇太子妃に「王都で召喚する手はずだったのでは?」と言っていました。
つまりマライ皇太子妃がガルデーニア王国の王都に到着した際に、悪魔パパを召喚して暴れる計画だったのでしょう。
だけど、それは不可能だよ。
だって王都には、聖魔結界が張ってあるから。
魔女であるマライ皇太子妃や魔族である悪魔ネビロスさんは、あの聖魔結界を越えることができない。
いくら皇太子妃と悪魔パパが強くとも、初代聖女ネメアが張った聖魔結界の前では何もできないはず。
だってあの結界は千年もの間、王都を守護してきたんだから。
魔王軍の四天王だって、結界を破壊することはできないはず。
とはいえ、そのことは魔王軍だけでなく魔女王も知っているはず。
なら、なんで今更そんな計画を練ったんだろう。
魔女であるマライ皇太子妃は、王都に足を踏み入れることすらできないのに…………。
疑問は残るけど、それよりもいまはこの二人だね。
悪魔の父と娘の再会を静かに見つめます。
「宰相様の話に乗ったせいで散々な目にあったが、こうして娘と再会できたのは幸運だ。ヤスミンが生きていて本当に良かった…………パパはもう二度とお前とは会えないとばかり思っていたから、だからぁ……ううぅ」
「ああもう、やめてよねパパ。友達も見てるんだから、恥ずかしいじゃない」
ヤスミンが死んだと思っていたのなら、あれだけ悲しむのもわからないでもない。
むしろ、父親にあそこまで想われているヤスミンが羨ましい。
──私のお父様とお母さまは、どうだったんだろう?
イリスである私は死んだけど、その際に家族はどんな反応をしたのか。
悲しんでいてくれれば、嬉しい。
だけど同時に申し訳なくなってくる。
私という聖女を誕生させたことで公爵家は教会に影響力を持つようになり、さらに私と勇者との婚約によって一族から王妃を出して、我が公爵家はガルデーニア王国で今後数十年に渡って不動の地位を得るはずだった。
それなのに、私は死んでしまった。
しかもクソ後輩によって、私は魔王軍と内通して国を裏切ったことになっている。
偽の情報とはいえ、裏切り者の聖女が出たことで公爵家に迷惑をかけたかもしれない。
そんな私が死んだことを、両親は悲しんだのだろうか。
真実を知らない両親は、なんてことをしたんだと言って逆上していたかもしれない。
それに私は、人間ではなく植物のモンスターになってしまった。
このアルラウネの姿で、両親と顔を合わせる勇気はまだない。
だからヤスミンのように、再会を喜ばれて親に抱擁されることは、私にはできないのだ……。
親子の感動の再会が終わると、気まずそうにヤスミンが冒険者パーティーのみんなに打ち明けます。
「いままで黙っててごめんなさいね。あたし実は、悪魔なの」
私はヤスミンが悪魔であることを、前から知っていました。
つまりこれは、私以外のみんなに対して言っているのだ。
この場には他に、魔女っこ、エルフのメルク、蜜で傷が癒えたばかりのアルミン、アルミンの姉であるアンナ、そしてチャラ男のカイルがいます。
驚く彼らに対して、ヤスミンは真摯にお願いをしました。
「悪魔であることは内緒でお願いね」
さすがにこんな場所に集まっているだけあって、ヤスミンの正体が悪魔であってもうろたえる人はいないようでした。
魔女っこは無反応。どうやら興味はないみたい。
メルクは静かにうなずいている。エルフである彼女は長生きしているだけあって聡い。もしかしたらヤスミンの正体に気がついていたのかもしれないね。
チャラ男は「最初からわかっていたけどな!」なんて胸を張っていました。そもそもチャラ男も同じ魔族だから当然です。
アルミンも「アルラウネの姉ちゃんの友達なら、きっと良い悪魔だろうから気にしないぜ」なんて嬉しいこと言ってくれている。さすがはアルミン。
だけど、姉であるアンナは違ったみたい。
「悪魔は人間の敵です。そのことを、悪魔であるあなたは理解していますか?」と、剣を抜きました。
人間と魔族の確執は、千年も前から続いている。
刷り込まれた認識は、そう簡単には消えることはない。
それは魔族も同じはず。
それなのに、ヤスミンは両手を広げてアンナに応えます。
「あたしたち魔族にとっても人間は敵よ。人間は残虐で野蛮な生き物だって教えられたもの。でも、いまのあたしはもうそうは思わない」
ヤスミンは冒険者組合から支給されたであろう、受付嬢のスカートの端をぎゅっと握ります。
「人間の街に住んでよくわかったわ。人間もあたしたち魔族と同じ、普通の生き物なんだって。ちょっと怖いことはあるけど、平和に生活していたいって思っている普通のやつらなのよね」
ヤスミンは仕事が休みの日は、よく私に会いに森へ遊びに来てくれた。
そこで、こんなことを私に言ったことがある。
「人間って、悪いやつらばかりじゃないみたいね」と。
最初は人間に怯えまくっていたヤスミンだったけど、いまではそんなことはない。
街の住人として、人間と同じように平和に暮らしているのだ。
「人間が大昔、魔族にしてきたことをあたしは忘れることはできないわ。それは人間であるあなたも同じでしょ…………だけどあたしはもう、人間だからと敵だと思うことは止めにしたのよ」
ヤスミンは腕を組んで仁王立ちしながら、アンナのことをじーっと見つめます。
「人間も魔族も悪いやつはいるし、良いやつもいるわ。それがよくわかったの。アンナは良い人間だと思ってたけど、違った?」
「アタシは良い人間よ。魔族から人間を守る、天才美少女剣士で……」
「あたしも良い悪魔よ。だから、ここには人間を襲う魔族はどこにもいないわ」
事実、ヤスミンが塔の街で人間を傷つけたことは一度もない。
まあヤスミンが暴れても、すぐに冒険者に倒されちゃうんだけどね。
ヤスミンはだたのメイドさんで、戦闘力は皆無だから。
「あなたの弟がアルラウネを信用しているみたいに、あなたもあたしのことをちょっとでも信じてくれないかしら?」
「…………ああっ、わかったわよ。弟もアルラウネに懐いているし、魔物にも人間寄りなやつがいるっていうのはわかっていたわ」
アンナは剣を鞘に納めながら、ヤスミンに指を向けます。
「でもあなたがアタシたちを裏切って人間に敵意を見せたら、その時は容赦しないから。それまではあなたたちを見張らせてもらうわよ」
そう言って、アンナはぷいっとそっぽを向きました。
どうやらヤスミンのことを敵ではないと信じてくれるみたい。
対して、その場で仁王立ちしたままのヤスミンは、「ねえアルラウネ」と私のことを呼びました。
「あたし決めたわ。魔王城にはまだ帰らない…………街にこのまま残って、もう少し人間のことを見ていたいの」
「ヤスミンが、それでいいと、思うのなら、協力するよ」
「ありがとう。人間って面白いわね。見た目以外は、あたしたちと何も変わらないなんて、知らなかったわ」
実は私も見た目はモンスターだけど、中身は人間なんだよね。
そんなことをヤスミンには言えないけど、私にとってこの悪魔の少女は大切な友人の一人。
だからヤスミンが人間のことを知ろうと思ってくれたのは嬉しいし、協力は惜しまないよ。
「パパの聞き間違いかな? いまヤスミンが、このまま人間の街で暮らすと言ったように聞こえたが?」
ヤスミンパパである悪魔ネビロスさんが、信じられないというように娘を見ていました。
悪魔パパは、娘であるヤスミンに手を伸ばします。
「パパと一緒に帰ろう。ママも家で待ってるぞ」
「あたし帰らないわよ。仕事だってあるし、それに街には……」と、ヤスミンは恥ずかしそうにもじもじします。
そういえば街のお祭りの夜に、ヤスミンはドリンクバーさんと一緒に踊っていたよね。
あれからドリンクバーさんとは仲良くしてるみたいだし、なにか進展があったのかな。
「まさかヤスミン……お前、街の人間になにかされたのか!?」
「ち、違うわよ! まだあの男とはそんな関係になったわけじゃないから!」
「男だって? まさかヤスミンお前、人間の男と……」
「か、勘違いしないでよね。誇り高き悪魔族のこのあたしが、人間の男を好きになるなんてありえないんだから!」
「パパの目が届かない所でいつの間に…………ゆ、許さんぞぉ。よくも娘をたぶらかしおって。パパがその男の心臓を握りつぶしてやろう……!」
人間に危害を加えないと宣言したばかりだというのに、殺害予告を出す悪魔パパ。
どうやら人間と魔族の共存は、そう簡単にはいかないみたいです。
ドリンクバーさんの心臓が潰されないことを祈るばかりだね。
感動の再会をしたばかりのヤスミン親子は、今度は口喧嘩を始めている。
ギャーギャーと騒ぐ親子の真横を、魔女っこが無言で通り過ぎます。
そうして私の前まで来ると、蔓を手に取ってこう言いました。
「アルラウネ、そろそろ帰ろう」
──そうだね、帰ろう!
魔女っこのお墓参りも済んだ。
依頼を受けていた、帝国兵の調査や、森の実態調査もほとんど終わっている。
なら、もうこの場所にいる必要はない。
廃墟になった村にこのまま留まるのは、魔女っこの精神衛生的にもよろしくないしね。
冒険者稼業は、もう終わりです。
短い間だったけど、楽しかった。
魔女っこの小さい手を、私は蔓で握り返します。
「私たちの、森に、帰ろう!」
もうこの村に、魔女っこの家はない。
でも、いまの魔女っこには新しい家がある。
私たちがゼロから作ったあの森こそが、私たちの帰るべき家なんだから。
次回、魔女っこ、はじめての里帰りです。