236 皇太子妃マライ・グランツヴァイスハイトの秘密
突如として現れたグランツ帝国の兵士たちを見て、私は悟ります。
ヤスミンが森で人の気配を見つけたと話していたけど、あれはこの帝国兵たちのことだったんだ!
そんな帝国兵の一人に、気になる人物がいました。
指揮官と思わしき女騎士の黄金の鎧に、皇帝一族の紋章が刻まれている。
あの紋章が刻まれた鎧を着ることを許されるということは、きっと彼女も皇帝の一族の誰かということ。
だけど皇姫フロイントリッヒェの話によれば、他の姫はみんな暗殺されていたはず。
なら、いったいあの女騎士は何者なんだろう。
「お前たちが、あのラオブベーアを倒したのですか?」
女騎士が、こちらに話しかけてきました。
どうやらあのクマパパの弟さんは、元々は帝国兵によって狩られていた最中だったみたいです。
そうして逃げて来た弟クマを、魔女っことアルミンが止めを刺したという形だったみたい。
「手負いとはいえ、ラオブベーアを倒すとはただ者ではありませんね」
私たちを詰問するように、女騎士が距離を縮めてきます。
その際に、女騎士の瞳が紫と青のオッドアイになっていることに気が付きました。珍しいね。
同時に、彼女の配下である兵士たち数十人も、一斉にこちらに足を向けてきます。
なんだろう、この帝国兵たちは何か様子がおかしい。
てっきり帝国の残党兵だと思っていたけど、少し雰囲気が変なの。
兵士一人一人がそれなりの達人レベル。
しかも、指揮官の女は帝族。
こないだの戦いの総大将は皇姫フロイントリッヒェだったわけだから、新しく派遣されてきた軍かもしれないね。
でも現在、両国は停戦している。
なら、こいつらは密かにガルデーニア王国に潜入している特殊部隊ということになる。
しかも、その部隊を皇帝の一族が直接率いている。ただごとではないよね。
いったい何が目的で森にいるんだろう……。
そんな私の心配など気づいていない子供が、大きく声を張ります。
「へへん。オレたちがこのクマを狩ったんだぜ! すごいだろう!」
アルミンは自慢するように女騎士に胸を張りました。
相手が帝族だということに気が付いていない様子。
なにか粗相をしてしまうんじゃないかと、お姉さんハラハラです。
「名前を聞かないと失礼だってさっき学んだばっかりだからな。オレの名前はアルミン。金ピカの姉ちゃんの名前は?」
「おっとこれは失礼。我が名はマライ・グランツヴァイスハイト」
──グランツヴァイスハイト、その名は皇帝の一族である証。
なぜこの女が、帝国の皇帝一族の苗字を名乗っているの?
いや、それだけじゃない。
帝国で『マライ』という名前には、聞き覚えがある。
たしか皇姫フロイントリッヒェのパーティーに参加していた帝国貴族に、そのような名前の令嬢がいた。
そういえば一度だけ挨拶をしたことがあったよ。
前に会った時は彼女の瞳はオッドアイではなかったから、気が付かなかったね。
「皇太子妃殿下、このような不審者にお名前を申し上げるのはおやめください」
と、帝国兵の一人が女騎士に耳打ちします。
「うっかりです。もう名乗ってしまったではないですか」
うっかりなのは女騎士だけでなく、お付きの兵士もだよね。
だってこの女騎士の正体が、皇太子妃だってことがわかったんだから。
なぜ皇帝一族だけにしか許されない紋章を付けていて、グランツヴァイスハイトという名前を名乗っているのか。
それは、この女騎士が帝国の皇太子に嫁入りしたからでした。
私がパーティーで見かけた時はまだ結婚していなかったはずだから、この五年くらいで輿入れしたのでしょう。
「まあ私の名前なんてどうでもいいですね。それより貴様たち、この辺りで金髪の男を見ませんでしたか?」
まさか、帝国兵たちも金髪の男を探しているの?
本当に大人気だね、金髪の誰かさん。
私たちの視線がアルミンに集中します。
金髪の男というよりは、男の子ならここにいますよ。
「子供ではありません」
まあ、そうだよね。
ちなみに、金髪の優男はいないけど、金髪の大男はいます。
チャラ男でいいのなら、いつでもお譲りしますよ。
「もし見かけたら、すぐに我々に知らせなさい」
それだけ言うと、皇太子妃は興味を失ったようにきびすを返そうとします。
けれども、立ち去ろうとした皇太子妃の足が止まりました。
魔女っこに視線を向けると、思い出したように口を開きます。
「思い出しました。そこの白髪の子供……手配書で見たことがありますね」
ビクンと魔女っこの体が震える。
まさか自分の話題になるとは思っていなかったのでしょう。
怯える顔つきで、魔女っこは皇太子妃に視線を向けました。
「間違いありません。この子供は、帝国から逃げ出した白髪の魔女です」
そういえば魔女っこは、グランツ帝国で魔女狩りにあって、ガルデーニア王国に落ち延びてきたんだっけ。
そうしてこの村に落ち延びてきた。
あれから三年も経ったのに、まさかこんなところで帝国兵に魔女っこが見つかってしまうなんて!
「貴様は生きて捕えろと指名手配されています。大人しくお縄にかかってもらいましょう」
急展開です!
魔女っこが、帝国兵に捕まっちゃうよ!
「……またわたしから、幸せを奪うつもり?」
魔女っこの髪がふわりと浮かび上がります。
髪が逆立つように、魔女っこの力が外に溢れ出していました。
「わたしはただ、お父さんとお母さんと静かに暮らしていただけ。魔女だからっていきなり襲ってきたのは、どこの誰?」
「魔女は帝国の敵。犯罪者を帝国兵が処罰するのは当然のことです」
「わたしたちは犯罪者なんかじゃない。それにあのまま帝国で平和に暮らしていたら、お父さんもお母さんも殺されることはなかった。全部、あんたたちが悪いんだ」
ひと通り喋り終わると、魔女っこは黙ったまま皇太子妃を睨んでいました。
両陣営とも、緊張感が増しています。
もしかしなくても、一触即発ある感じだよね?
そんな状況のなかで、メルクが思い出したように教えてくれます。
「思い出したわ。あの女、帝国のS級冒険者の『舞剣のマライ』だわ」
どうやらあの皇太子妃は、冒険者界隈では二つ名持ちの有名人だったみたい。
メルク曰く、貴族出身のS級冒険者であるマライは、帝国最強と名高い金虎皇子に見初められて、結婚することになったようです。
金虎皇子については、私もよく知っている。
彼に見初められるくらいだから、かなりの実力者なのでしょう。
S級冒険者まで上り詰めているのが、その良い例だね。
「それに、見たところあの女の正体は……」とメルクが言おうとしたところで、魔女っこが「わたしに言わせてください」と声を被せてきました。
そのまま魔女っこが、帝国の女騎士へと指を向ける。
「言いたい放題言ってくれたけど、それはあなたも同じ。隠しても無駄。わたしにはわかる」
「魔女の子供ごときに、なにがわかりますか?」
「わかるよ……魔女が犯罪者だっていうなら、あなたも犯罪者だってこと」
魔女っこは女騎士に指を突き立てます。
「人間の兵士を引き連れているけど、あなたの本当の正体が魔女だってことくらいは、わたしにだってわかる」
──それ、本当なの?
この女騎士の正体が魔女。
魔女を見破ることができるメルクの反応から見ても、それは間違いないみたい。
信じられない……だってあの女騎士は、帝国の皇太子妃なんだよ?
それが魔女だというのは、相当まずい事態なんじゃないのかな。
動揺しているのは、なにも私だけではありませんでした。
「皇太子妃殿下、魔女とはいったい……?」と、帝国兵たちがざわつき始めます。
「無礼な!」「皇太子妃殿下が魔女なわけあるか!」「撤回しろ!」と、声を荒らげる兵士たち。
皇太子妃の秘密について、兵士たちは誰も知らなかったんだ。
それでも、帝国兵たちに一石が投じられたのは間違いない。
だからなのでしょう。
女騎士であるマライ皇太子妃が、無表情のままするりと剣を抜きました。
「うっかりです。まさか魔女と見破られるとは」
──スポンッ!
帝国兵の首が、十個同時に、空へと舞い上がります。
「え、皇太子妃殿下?」「これはいったい……?」
と、残りの帝国兵たちが驚きの声を発しました。
「知られてしまっては、大事な部下とはいえ生かして返すわけにはいきません。死んでください」
マライ皇太子妃の周囲に、十本の剣がふわりと浮遊していました。
──剣が浮いてる?
どういう仕組みなのか、踊り狂うように空を自由に駆ける剣たちが、次々と帝国兵たちを斬殺していきます。
三十名程いた帝国兵たちは、一瞬のうちに全滅してしまいました。
しかもその全員の首がない。
えげつないことするね、この皇太子妃は……。
「また部下を消すことになってしまいました。うっかりです。これではまた、旦那様に叱られてしまうではないですか」
まるで感情がないといった様子の皇太子妃。
人殺しをまったく躊躇しないその手際の良さから、彼女にとってこれが初めてでないことを理解してしまいます。
「皇太子妃である私が魔女だということは、国家機密です。ですので、皆さんも消えてもらうことにします」
死んだ兵士たちの剣が、ふわりと舞い上がる。
合わせて三十本の浮遊する剣が、私たちに発射されました。
突然の攻撃には驚いたけど、これでも私は何度も修羅場を潜りぬけているのだ。冷静に対処するよ。
私は目の前に巨大な木を生やして、剣をガードします。
魔女っこたちは、私が守るんだ!
そう決意したのも束の間、お姉さんとして頑張る私ですが、戦闘中は子供の面倒をすべて見ることはできませんでした。
なんと、アルミンが皇太子妃に攻撃をしかけたのです。
「風三鳥からの、風刃爆破!」
アルミンがラオブベーアに止めを刺した風魔法のコンボ攻撃が、皇太子妃に直撃する。
「やったぜ!」とガッツポーズするアルミン。
だけど、すぐにその声は悲鳴に変わりました。
「ぐわぁあ!」というアルミンの声が聞こえた時には、彼は飛来した剣に貫かれていました。
皇太子妃の浮遊する剣が、攻撃するために木の前に出てしまっていたアルミンを捉えたのだ。
「メルク、アルミンに、この蜜を!」
私は咄嗟にメルクに蜜を垂らして、アルミンに食べさせるよう指示しました。
鉢植えになっている私は移動できないから、自分ではアルミンを助けに行けない。
だけど、いますぐメルクが私の蜜を飲ませれば、きっとアルミンは助かるはず。
よくもアルミンを。子供に酷いことするねこの人は。
メルクがアルミンを看病している間、私はマライ皇太子妃へと視線を向けます。
「あなたの、相手は、私が、します」
アルミンの風魔法を受けた皇太子妃は、無傷のままこちらを注視しました。
S級冒険者なだけあって、その辺の兵士とは実力が違う。
なら、私もちょっと本気を出しましょうか。
私は根っこを急成長させて、バケツの底を突き破ります。
そのまま地面へと根を下ろしました。
これで自由に戦える。
「まさか貴様はあのアルラウネ……いや、大きさが違うですし、場所も違うから別個体ですね」
どうやら私のことを知っているみたい。
マライ皇太子妃が魔女なら、魔女王とも繋がっているかもしれないからね。
魔女王は、私には一切手を出さないという協定を結んでいる。
でも勘違いしてくれているのなら、せっかくだから他人のフリをして情報の収集に徹しましょう。
なにせ、このマライさんには聞きたいことがたくさんあります。
まずは、さっきから気になっていることから尋ねてみましょうか。
「その剣は、どうやって、浮いてるん、ですか?」
「魔女の浮遊魔法ですよ。とはいっても、手を離した物を浮かすことは私にしかできませんが」
魔女っこは、手に持っている物は浮かすことはできるけど、手から離してしまうとすぐに落ちてしまう。
だけどマライ皇太子妃は、手から放しても浮遊させることができるみたいだね。
手の内を正直に明かしてくれるうっかりさんに感謝しながら、私は彼女の足元から百本近い蔓を生やします。
実はマライ皇太子妃に質問をしている間に、こっそり地中に蔓を張り巡らせていたのだ。
さすがS級冒険者なだけあって、不意打ちにも反応されてしまいます。
蔓で拘束しようとしたけど、浮遊する無数の剣に蔓を斬られてしまいました。
「植物ごとき、私の剣技の前では無力です」
たしかにその能力は凄いですよ。
無数の剣を自由に操る能力。
たった一人しかいなくても、大勢の敵を相手取ることができる。
人間やモンスター相手なら、無双できることでしょう。
だけど私は人間でもなければ、その辺のモンスターでもないのです。
「次はあなたを切り刻んで差し上げましょう」
マライ皇太子妃が私に三十本の剣を飛来させます。
けれども、私のもとまでたどり着いた剣は、一本もありませんでした。
「私の剣たちが、蔓にくっついてる!?」
実はさきほど斬られた蔓はただの蔓ではなく、モウセンゴケだったの。
腺毛の先から出ているネバネバした粘液で、斬られた瞬間に剣を絡めて取ったのだ。
これでマライ皇太子妃は剣を操ることはできない。
「うっかりです。剣が奪われてしまいました。ですが剣がなければ、別のものを操ればいいです」
マライ皇太子妃が、地面に倒れている帝国兵たちを触ります。
すると首無し兵士たちが、のっそりと起き上がりました。
まるでゾンビ映画みたいに。
「行きなさい、我が忠実なる兵士たちよ」
空飛ぶ首無し兵士たちが、私に向かって飛来してきました。
恐るべきことに、マライ皇太子妃は自分で殺した兵士たちを、私に向かって飛ばしてきたのです。
──ひぃええええ!
こんなの怖すぎなんですけどぉおおおお!!
瞬時にハエトリソウを群生させて、飛んでくる兵士たちをすべてキャッチします。
ふぅ、これでひと安心……。
でも、めちゃくちゃ怖かったですね。
──もう、怒りました。
彼らは元はマライ皇太子妃の部下だったのだから、仲間だったはず。それなのにこの酷い仕打ち。
兵士たちを無下に扱う態度は、敵とはいえ許せない。
見た目は人間でも、あなたの中身はモンスターです。
「皇太子妃さんは、随分と、遠距離攻撃が、得意なよう、ですね」
──スポポポポポンッ!
私は瞬時に作り出したテッポウウリで、種マシンガンを連射します。
さすがのマライ皇太子妃も、植物が早撃ちをしてくることは想定外だったのでしょう。
金色の鎧に突き刺さった種から、黄色い吸血鬼ことネナシカズラの根が彼女の四肢を突き刺しました。
これで勝負は決まったね。
大人しく、ネナシカズラのお縄になってもらいましょうか。
「うっかりです。まさかアルラウネがこんなに強いなんて想定外です」
「なら、降参して、くれますか?」
マライさんにはいろいろと教えてもらいたいことがあります。
情報を全部吐いてもらいましょうか。
「私はこの通りもう手も足も出ないのですが、どうやら私の右目はまだ手も足も出るようですね」
──ん?
この女、なにを言ってるの?
完全に拘束しているというのに、この余裕。
なんだか気味が悪い。
「まさかこんなところで、お借りしていた奥の手を使うことになるとは……今度こそ旦那様に叱られてしまいます。本当にうっかりです」
──グニュリ。
信じられないことに、皇太子妃の赤い右目から、紅紫色の手が生えてきました。
しかもそれだけでは終わりません。
手に続いて、胸、頭、体、そして足が右目からぬるりと出てきます。
「だから死んでください。あなたたちさえ消えてくれれば、私は旦那様に怒られずに済みます」
それは魔族でした。
皇太子妃の右目から、紅紫色の禍々しい魔族が現れたのです。
「うっかりしても安心です。だってこの悪魔が、綺麗さっぱり証拠を隠滅してくれるのですから」
次回、皇太子妃マライ・グランツヴァイスハイトの悪魔です。