森人 放浪のエルフは人間の聖女と友人になる
エルフのメルクーレェ視点のお話です。
私の名前はメルクーレェ。
誇り高きエルフ族の旅人よ。
この世界は、緑にあふれている。
だけど、私が何百年も籠っていたエルフの里の外には、まだまだ知らない世界が広がっているみたい。
森から離れることができない精霊女王様の代わりに、現在の世界情勢を調査してきて欲しいとお願いをされました。
エルフの里から抜け出したかった私は渡りに船だったこともあり、外の世界へと足を踏み出すことにします。
外の世界に出た私の前には、森では見たことがないものばかりが広がっていました。
石で造られた重々しい建築物、光の女神を信仰する人間たちの教会、食用に飼育されている家畜、色とりどりの服を身に着ける数え切れない程の人間たち、そして森に存在しない新技術の謎の物品などなど……。
特に王都などの巨大な街では、情報量が多すぎて最初は眩暈すらしました。
不思議なことに、エルフの里では見たことがない植物も見かけました。
どうやらその地に住むドライアドの影響で、突然変異して進化した植物が多く生まれていたらしい。
これは精霊女王様へ良いお土産になると、それらの珍しい植物の種を採取しながら旅を続けることにします。
気ままに旅をしているように思われる私だけど、世界を旅するエルフにとって、最も順守しなければならないことがあります。
エルフには、絶対尊守の掟がある。
──それは、人間と魔族にはあまり関わってはいけないというものだ。
そのせいもあり、森以外の場所に長く滞在することはなかった。
どうせ人間はすぐ死ぬ。
掟のこともあるけど、積極的に関わりたいと思ったこともなかった。
最低限の交流を保ちながら放浪を続け、数十年が経過します。
そしてガルデーニア王国と呼ばれる古の王国を訪れたとき、あの子と出会ったのだ。
この国は、千年前に初代聖女ネメアが創った国。
エルフの里長である兄曰く、ネメアは尋常ならざる人間だったという。
人間の枠組みから外れる程の力を持つ彼女は、かつて魔王や魔女王と死闘を繰り広げたのだとか。
私はネメアと会ったことはないけど、ここは兄の知り合いが創った国ということになる。
ふふっ、ちょっとだけ楽しみが増えたかも。
王都に到着すると、初代聖女ネメアに匹敵するほどの力を持つ人間の子供と知り合いました。
彼女の名前はイリス。
まだ6歳の小さな人間の女の子。
どうやら初代聖女の生まれ変わりだと噂されるほどの実力者みたい。
「こんにちは、可愛い聖女見習いさん」
声をかけると、小さな子供は黄金色の瞳で見つめ返してきました。
私は昔、聖女と名乗る人間に何度か会ったことがある。
その時の聖女たちよりも、目の前の小さな子供からは底知れない何かを感じてしまった。
そんな彼女は、驚くことにひと目で私の実力を見抜く。
「お姉さんから、なにか不思議な気配がする」
「……それは私が、ハイエルフだからよ」
エルフの上位種である私は、普通のエルフとは違う。
精霊女王様の血を濃く受け継いでいる私は、特異な力をいくつも身に着けています。
光の女神の力を強く受け継いでいるこの子は、私から似たような力を感じたのかもしれないわね。
私の力を見抜いたということは、この子も女神に近い力を持っているということ。
どう見ても小さな人間の子供なのに、信じられない。
もしかしたら、この子は本当に女神から愛されているのかも。
──面白いわ。
私はこの小さな人間に、興味を持った。
「可愛い聖女見習いさん、これから仲良くしましょうね」
イリスと呼ばれる少女と、私は手を握る。
それから、十年が経った。
私は王都で冒険者をしながら暮らしている。
人間が住む場所にこんなに長くいたのは初めて。
気が付けば、私はS級冒険者となり、王都では有名人になっていた。
いろいろと便利そうな特別な権利を授かったので、冒険者組合とは持ちつ持たれつの関係を築いています。
仕事をしながら、私はイリスに何度も会いに行った。
私のことを最初は珍しいエルフだからという理由だけで興味を持っていたイリスは、いつしか私自身のことを知りたくなったみたい。
交流を続けていくうちに、次第にイリスのほうから私に会いに来てくれるようになったのだ。
「メルク、聞いてください! また勇者様がゼルマと楽しそうに話していたんですよ」
イリスとは友人になった。
私にとって、初めての人間の友人でもある。
「婚約者である私を差し置いて、酷いと思いませんか?」
あれからイリスは聖女となった。
それも、当代一の聖女。
教会の総本山があるミュルテ聖光国の聖女ですら、片手で捻り潰せるほどの驚異的な力を持っていた。
その知名度は、大陸全土にも及んでいる。
実は人間だけでなく魔族にも非常に警戒されていて、イリスの顔を見た魔族が泣き叫びながら逃げていくのを目にしたこともあった。
イリスがショックを受けるから、このことは秘密だけどね。
気が付くと、歴代最強の聖女といわれるほど名声は膨れ上がっていました。
イリスに並ぶのは、初代聖女ネメアしかいないと言われるほどに。
だからなのでしょう、魔王を討伐するため、イリスが勇者パーティーに召集されてしまった。
勇者の婚約者であり貴族でもあるイリスに、断る余地はない。
かつて人間は過去千年の間、何度も魔王を討伐しようとしてきた。
けれども人類最強の勇者が現れた時代ですら、魔王を倒すことはできなかった。
この勇者パーティーも過去の勇者たちと同じく、魔王に敗れる可能性が高い。
そうなれば、イリスは死んでしまう。
すでに私にとって、イリスは特別な存在になっています。
短いイリスの寿命が尽きるまで、友人として共に過ごすと決めている。
だから、私がイリスを支えましょう。
でも、エルフには、絶対尊守の掟がある。
──人間と魔族に深く関わってはならないという、固い決まりが。
我々はあくまで中立。
千年にも及ぶ人間と魔族の争いに、どちらの陣営としても加担してはならないと精霊女王様が掟を作ったものです。
それを私は、あえて破る!
破ってまでも、友人を助ける選択をしました。
エルフの掟を破った私は、もう故郷に帰ることはできないかもしれない。
でも、それでもいい。
人間の寿命は、私たちのように長くない。
命の短い小さな人間の友人には、少しでも長く生きて欲しい。
この長い人生で初めてできた友人のためなら、私は喜んで故郷を捨てよう。
──それなのに、イリスはすぐ死んでしまった…………。
あれはドリュアデスの森の南部を移動していた時のこと。
あの日、勇者と聖女見習い、そしてイリスの姿が私たちの前から突如として消えた。
どうやら三人でどこかへ行ってしまったらしい。
いくら待っても帰っては来なかったため、白魔法を使って捜索しようとした。
その時、ボロボロになった勇者と聖女見習いが戻ってきた。
そうして聖女見習いが、驚くべき言葉を告げる。
「聞いてください。イリス様が、裏切りました」
信じられなかった。
あのイリスが、私たちを裏切るなんて……。
国民から慕われながらも、それ以上の慈悲の心を皆に与えていたイリス。
そんなあの子が、生まれ故郷である国を裏切るとは到底思えない。
だけど勇者と聖女見習いは、イリスが裏切り者だと話している。
その証拠に、イリスが身に着けていた服の破片を持っていた。
裏切りがバレたイリスは、勇者たちとの死闘の末に追い詰められた。
逃げられないと悟ったイリスは、光魔法で自爆したらしい。
聖女見習いが持っている布は、その時のイリスの服の一部。
つまり、イリスはすでに、この世にはいない。
そのことを知った私は、膝から崩れ落ちる。
いったい私は何のために、掟を破ってまでイリスに付いて来たのか?
これまで私は人間と関わりを持たないようにしていたから、知らなかった。
──ここまで人間は、脆いものだったんだ。
なぜイリスが私たちを裏切ったのかは、わかりません。
それでも唯一の友人として、なにか力になれなかったかと後悔してしまう。
だが、一つだけ気になることがあった。
──イリスは本当に裏切り者だったのか?
勇者と聖女見習いが結託して、イリスを亡き者にしたという線がまだ残っている。
イリスは気づいていなかったようだけど、勇者と聖女見習いはただならぬ関係になっているように感じられました。
婚約者であるイリスがいるにもかかわらず、勇者はあの聖女見習いに執着し過ぎている。
イリスが悲しむ顔は見たくない。
だからこそ、私はあの二人に対して良い感情を持ってはいなかった。
そもそも、私はイリス以外の人間は信用していない。
だから勇者たちの言葉を鵜吞みにするつもりも、まったくなかった。
このまま次の目的地へと進むという勇者パーティーから、私は脱退する。
そうして勇者から教えてもらったイリスが死んだ場所へと足を運んだ。
「ここがあの子の、最期の地……」
地面が大きくえぐれたその場所は、イリスが自爆したといわれればそう見えるような場所でした。
私は近くの木に手を当てながら、小さく尋ねます。
「可愛い樹木さん、教えて。この場所で、なにがあったの?」
【にんげんきた。じめんにあなをつくった】
手を通じて、木から声が聞こえてくる。
ハイエルフの私は、植物の声を聞く特殊な力がある。
この力は普通のエルフには使えない。
そのため、ハイエルフ以外にこの力を知っている者はほとんどいません。
もちろん人間たちにも、この力のことを教えたことはない。
友人であるイリスにすら、秘匿している。
「ここに人間が三人来たはず。なにがあったか、順番に話して」
【にんげんふたりきた。ひとりがあなをつくった。そのままふたりでかえった】
まだ樹齢数十年の若い植物なので、そこまで知能がない。
だから断片的なことしか読み取ることができないのが悔しい。
けれども、ある程度のことはわかった。
その二人というのは、おそらく勇者と聖女見習い。
この木の話によれば、二人はあの大穴を作って、そのまま戻って行ったという。
つまりイリスは、この場には来ていないのだ。
ということは、ここはイリスが死んだ場所ではない。
なぜ勇者と聖女見習いが、私に嘘をついたのか?
やはり、イリスの死には何か裏があるのだ。
もしかしたら、あの二人こそイリスを殺した張本人かもしれません。
とはいえ今更、勇者たちのところへ戻るつもりはない。
イリスがいないのであれば、人間の社会に身を置いたままになる必要がないから。
それに仇を討つことも、エルフの掟があるからさすがにできない。
さすがに勇者を殺してしまうのは、私でもやりすぎだと理解しているから。
それでも、せめて何があったかだけは知りたい。
ひとりでイリスの死の真相を探ろうと決意したタイミングで、里の兄から呼び出しを受けました。
掟を破ったことを、精霊女王様に謝罪をしろとお怒りみたい。
イリスがこの世にいないのであれば、もう人間の国には用はありません。
故郷へと帰った私はそれから、百年間の謹慎処分を受けます。
二度と故郷には帰れないと思っていたから、軽い刑罰だった。
おそらく兄が精霊女王様にお願いしたのでしょう。
それでも私は数年で我慢できなくなり、エルフの里から脱走してしまう。
時間が経つにつれ、イリスの痕跡がなくなると思ったから。
百年後、あの国にイリスを思い出すものはなにもなくなっているかもしれない。
そのことに、耐えられなかった。
そうして私は、イリスが死んだ場所であるドリュアデスの森を再度目指しました。
途中、塔の街で、魔女の騒動に巻き込まれそうになってしまった。
掟を破ったばかりなので、できれば魔女にも人間にも関わりたくない。
ちょうど森の妖精と遭遇し、珍しい植物の種を譲る代わりに、街から無事に脱出する手助けをしてもらった。
あの妖精の名前は、キーリ。
たしか兄の知り合いの妖精だったはず。
数百年前にドライアドの姉妹と一緒に、女神の森から離れた太古の大妖精だ。
ドリュアデスの森のドライアドに仕えているようだから、きっと主人からお使いでも頼まれて街にいたのだろうと納得をします。
街を離れた私は、ドリュアデスの森の南部へと向かいました。
本当であれば、冒険者組合で聞いた紅花姫アルラウネというモンスターを見に行ってみたかったけど、今回は我慢します。
そのアルラウネは、イリスに非常に似ているらしい。
一度でいいから、その顔を見てみたかった。
だが、アルラウネの森にはなぜか魔女の集団が集まっている。
掟を守るため、私はアルラウネに会うことを諦めます。
道中の森で植物の声を聞いてみたこともありました。
だけど、何かがおかしい。
【光合成おいしい】【お水もっとほしいの】
この森の植物は、同じことしか考えていない。
それどころか、塔の街の植物と同じことばかり呟いている。
「こんなの初めてね」
まるですべての植物が、同じ意思を持っているみたい。
そんなこと、あり得ないのにね。
そうして私は、イリスが死んだという森に再びやって来た。
五年前とは違い、森の一部が真っ黒な大地へと変わり果てている。
森は燃えてしまっていた。
イリスの最後を目撃した植物たちも、もうこの世にはいないでしょう。
もう、どこでイリスが死んだのか、わからない。
完全に、手詰りになってしまった。
だから、もう一つの目的を果たすことにします。
私は廃村の近くに小さな小屋を建てて、そこにイリスの墓を建てました。
ここで、友人の魂を弔おう。
大切な友人のために何もできなかった私にとって、それが唯一できる贖罪なのだから。
数か月後、この場所に人間の子供がやって来ました。
アルミンというその子供は、アルラウネを探しにここへきたみたい。
てっきりアルラウネの森の紅花姫のことかと思ったけど、そのアルラウネはここに生えていたらしい。
なら、別のアルラウネなのでしょうね。
森には危険なモンスターがたくさんいる。
人間の子供をこの場で見殺しにするのは簡単だけど、そんなことをするとイリスに怒られてしまいそう。
私は子供を小屋に住まわせて、保護することにしました。
塔の街にいたはずの悪魔と再会したのは、それからしばらくしてからのこと。
冒険者組合で受付嬢をしていたその悪魔は、ヤスミンという名前らしい。
彼女はこの森の調査をしに派遣されたのだという。
それはまあいい。
問題は、この男。
悪魔と一緒にいる金髪の男は、姿は人間でも内に秘めている力は魔族のもののように感じられる。
──だけど、まだ若い。
おそらく私よりも若い魔族ね。
よくて百歳くらいでしょう。
それくらいであれば、警戒は必要だけど恐れることはない。
魔族で真に恐ろしいのは、何百年も生き伸びている大魔族たちなのだから。
中でも千年生きている原初の魔族だけには、ちょっかいをかけてはならない。
幸いなことに、魔王と呼ばれる奴とその配下は、ここ数百年は城に籠ったまま。
遭遇することなんてほとんどないのだけど、それでも大昔の大災害を目にしたことがある私にとって、忘れることはできない。
特にこの場所は、あの大災害を連想させるような真っ黒な場所。
無理もないわよね。
そして私は、出会ったの。
アルミンと一緒にいたのは、白髪の子供と、バケツに入った小さなアルラウネ。
白髪の子供からは、魔女特有の気配を感じる。
おそらく彼女は魔女。
できれば関わりたくないのだけど、それよりも気になるのはアルラウネ!
──だってあの顔は、小さい頃のイリスにそっくりなのだから。
「その可愛らしい顔、見覚えがあるわ」
──懐かしい。
まだ外の世界を知らなかった頃の、あどけないイリスの顔つき。
出会ったばかりのあの頃を思い出してしまう。
「あなた、あの子の小さい頃と同じ顔をしてるわね」
それが、信じられなかった。
いや、それだけじゃない。
このアルラウネからは、精霊の気配がする。
ドライアドを凌ぐほどの驚異的な力を感じる。
まるで、精霊女王様のよう……。
「アルラウネにしては、やけに人間らしい表情をするのね」
人間のような仕草をしているのも気になる。
ただのモンスターだとは思えない。
さあ、あなたの正体を教えてもらいましょうか。
私は、アルラウネの蔓を握る。
相手が植物であれば、ハイエルフである私に隠し事はできない。
「ねえ、可愛いアルラウネさん。あなたのお名前教えてちょうだい」
蔓を伝って、アルラウネの心の声が聞こえてくる。
【──私の名前ですって!?
イリスですと言ったら、自分から正体を明かすことになるじゃん。
絶対に黙秘です。
なにがあっても、知られてたまるもんですか!】
──この子、イリスだわ!!!!
間違いない。
だって自分のことをイリスだと言っているし、私に隠し事をしているんだもの。
信じられないわ……。
人間がアルラウネになるなんて聞いたことない。
でも、もしかしたらこれはただの偶然で、たまたま同姓同名のアルラウネだって可能性もあるわよね。
もう少し、アルラウネの声を聞いてみましょう。
【とにかく、女優顔負けの完璧な演技だったはず!
聖女であった私にかかれば、これくらい簡単なことです。
このまま騙されてくれればいいんだけど。】
はい、決まりね。
このアルラウネの正体は、聖女イリス。
つまり、私の友人ということになる。
「ふふっ、まったく……可愛いわね」
あの頃の、可愛らしいイリスそのもの。
こんな子が、私たちを裏切ろうとしたはずがない。
安心したわ。
──でも、これってとても、面白いわよね?
長命なエルフである私は、娯楽に飢えている。
こんな楽しい状況、あと百年はやって来ないでしょう。
だから、もう少しだけ楽しむことにしましょう。
「これからもよろしくね、可愛いアルラウネさん」
急ぐことはない。
今日からはずっと、またイリスと一緒にいられる。
この遊びに満足したら、イリスに再会の挨拶をしましょうか。
どうせエルフの掟があるから、私はたいしたことはできないしね。
イリスの死の真相を聞くのは、それからでも遅くはない。
だってエルフである私と、植物になったイリスには、これからの時間がまだまだたくさんあるのだから。